留美がとてとてと小走りで駆けていき、くるりと振り返ってフリスビーを構える。動画を見た時の距離感が心にまだ動揺を残していて、心臓の鳴りがおかしなことになっていた。
動画を二回見た効果があったからか、留美は一回目よりも幾分様になった構えからフリスビーを投げた。
「んっ」
少しばかり気合の入った声と、ぺるるると柔らかく飛ぶフリスビー。俺の右側に放たれたために初めは失敗かと思ったが、中間地点くらいから上手いこと弧を描いたために、ほとんど動くことなくキャッチすることが出来た。
「おお、すげぇな」
素直に感心を口にすると、留美は腰に両手を当ててえへんと胸を張った。お嬢様然としたシフォンワンピースでそのポーズを取るのは妙にギャップがあって、お嬢様が勉強の合間にはしゃいでいるような、そんな雰囲気があった。
俺も動画の見よう見まねで投げてみる。ぺるるると力無く飛んだフリスビーは、先程の留美が投げた際の軌道と同様に上手いこと弧を描いて留美の下へと届けられた。留美がやや緊張した面持ちでフリスビーをキャッチすると、ぽけっとした顔を俺に向ける。
「……なんで上手いの?」
低い声で呟いてややぶすっとした表情を浮かべる留美を見て、くすりと笑ってしまう。
「たまたまだよ。ビギナーズラックってやつだ」
「ふぅん……あ」
俺の言葉を聞いていた留美が、突然ぱたぱたと俺の下に駆けてきた。そして俺のすぐ横に来ると、俺が向いている方向に向き直る。何故か二人が同じ向きで並んでいる状況になった。
「留美、何してんだ」
尋ねると、留美がフリスビーで顔の下半分を隠して、目を僅かに細めてにんまりと微笑んだ。今まで見たことのない種類の笑みにどきりとすると、フリスビーを片手で持ち、投げる体勢を取った。なんぞや……と思っていると。
「ほら、八幡、ゴー」
「え、ちょ、え?」
留美は俺に目配せをして、前方高めにフリスビーを投げた。先程見た動画と同じようなやりとりだが、あれは人と犬だったんだけども。今、人と人だよね?
留美の発想に呆れたが、明らかに手が届かない訳ではない絶妙なスピードでフリスビーを投げられた為に、つい反射で駆け出してしまう。上司からの無茶ぶりを脊髄反射で受けてしまう社畜精神というのはこういう場で培われるんだろうか。培われねぇよ。
「……っとと、っとぉ」
身体に急な負荷がかからない程度に駆け出して、ぎりぎりでキャッチした。振り返ると、留美がにっこりと微笑んでいる。腹が立つけど、その何倍もの勢いで「こいつ可愛いな」と思ってしまうから手に負えない。
「おいこら、留美。いくらなんでも」
「よくできました」
留美が「んっ」と背伸びをして、俺の頭に手を伸ばす。怒るのも忘れて身体を屈めると、頭をくしゃくしゃと撫でられた。……俺、いいようにやられてない? しかし心地良いからどうしようもない。
「こんにゃろ」
「わ……っ」
フリスビーを芝生に置いて、お返しに抱きしめてやる。すると、留美が一瞬だけ慌てて、やがて俺の背中に腕を回して抱きしめ返してきた。公園の柔らかな陽気が二人を包み、心地良い静寂が流れる。
「……そろそろ移動するか」
「……ん」
抱きしめたまま語りかけると、留美は短く答えて俺の背中をぽんぽんと撫でた。お返しに俺も留美の背中をぽんぽんと撫でると、「んん……っ」とまるで昼寝をしている猫のような、気持ち良さそうな声が聞こえてくる。お互いに撫でられる心地良さに気付いたのか、どちらから言うでもなくぽんぽんと撫で合う。
いかん、このままではいくらでも続けてしまう……と思い、名残惜しみながらも留美を離すと、寂しそうに口を尖らせた。
「……まあ、その、な、うん、また……」
頬をぽりぽりと掻きながら、自分でも何を言ってるか分からないようなことをぽそりと言う。すると、留美が嬉しそうに目を細めた。
「うん。また、すぐね」
「う……」
小っ恥ずかしい約束を取り付けてしまった。しまった、どんどん約束が増えていく……!
これはさっさとカフェに向かった方が良いか……と思いながらフリスビーをバッグにしまおうとした時。
「あ、さっきの……」
澄んだ声音が聞こえた。
× × ×
声のした方に顔を向けると、さっき電車で会った、黒髪で大きな目をした美人さんが立っていた。JDEという名付けをしたばかりでまた会うとは……。さっきは別の駅で降りた筈だけど、この辺に住んでいるんだろうか。取り敢えず都合上ここでは以後「彼女」と呼ぶことにしよう。都合上って言っちゃったよ。
「……ども」
取り敢えず会釈をすると、留美が俺の袖をちょんと摘まんだ。見ると、恥ずかし気に俯いている。
彼女がとてとてとこちらによってくると、留美が俺の陰に隠れた。こらこら。
「すいません、この子人見知りなんで」
留美の手を取って握りながら謝る。まあ、さっきのやりとりのこともあるしな……なんて思っていると、彼女は顔の前で手をぶんぶんと振った。
「ううん、良いの良いの。さっきは急に話しかけてごめんね? ……って、今もか」
自分のこめかみをこつんと叩いて、舌をぺろりと出す。テンプレすぎて実際見たらドン引きするであろう仕草の筆頭とも言えるこの行為が、驚く程自然で似合っていて、もはや感動してしまった。留美は彼女の仕草を見て悪い人ではないと判断したのか、幾分顔が緩む。
彼女は俺たちをちらりと見やると、幸せいっぱいに微笑んだ。
「んふふー。わたしね、幸せな空気が出てる人を見てるのがすっごく好きなの。もっと言えばそういう人とお話したくて。それでさっきはあんな風に話しかけちゃったんだ」
「あ、そういうことですか」
変な人には違いないが、底抜けに良い人だということが伝わってくる。変な人には違いないが。
「良いねー、何かさっき電車で見た時よりも二人の距離が縮まってるねー、ふぃー♪」
「ちょ、ちょっと……」
掠れた口笛(びっくりするくらい下手だった)を交えながらの突然の煽りに、留美が完全に俺の背中に隠れて、おでこを背中にこすり付けた。
不意に、彼女が俺の持っているフリスビーに視線を向けた。
「んにゃ? これ、君たちが使ってたの?」
何その可愛い言葉遣い? 顎に人差し指を当ててくりんと首を傾げるのが凶悪に可愛い。
「あ、はい。そこのコンビニで衝動的に買っちゃって」
「へー。それ、持ち帰るの?」
「そうですね。バッグにはぎりぎり入るんで」
何気なく会話していると、彼女が唇に指を当ててフリスビーをじっと見つめ始めた。妙に色っぽい仕草にどきりとする。
「家に帰ってから使う予定はあるの?」
「や、無いですね。無用の長物になるとは思いますが、その辺に置いておく訳にもいかないので」
答えると、彼女がにっこり微笑んだ。
「じゃあ、わたしにくれない?」
「へ? いいんですか?」
面食らっていると、彼女はにっこり笑顔のまま言葉を続ける。
「うん。ちょうどこの後友達とここらへんで遊ぼうとしてたから、ちょうど良いなーと思って」
「あ、そうなんですか」
大学生(と思われる)同士で遊ぶのにフリスビー……まあ、たまにそういうことをやりたくなることもあるんだろう。
「留美、いいか?」
背後の留美に確認を取ると、背中に顔をうずめたままこくこくと頷いた。まだ恥ずかしいのか……。留美が頷く度に背中がむず痒くなるんだけども。
彼女は身体を屈めて膝に手を置くと、留美に向けて優しく微笑んだ。そして背筋を伸ばして俺に向き直る。
「ありがとうね。いくらだった?」
「あ、いいですよ。かなり安かったですし」
財布を取り出そうとしていたのを止めて言うと、彼女は目をぱちくりとさせた。
「……そう? じゃあ、お言葉に甘えて」
そう言うと、彼女は何故か、んー……と唸りながら俺を見つめてきた。好奇心の塊のような視線をぶつけられると、思わず目を逸らしてしまう。すると、彼女は俺にずいと近寄り、その拍子にふわりと甘い香りが鼻腔を擽った。
「きみ……とっても良い男だね」
「……へ?」
予想外の言葉に間抜けな声を漏らすと、彼女はにんまりと微笑みながら益々顔を寄せてきた。その分だけ背筋を仰け反らせると、背後の留美が「んん……」と唸った。しまった、おでこに俺の背中が思い切り当たったようだ。しかし今は謝る余裕さえない。
彼女の整った顔立ちと、吸い込まれるような澄んだ瞳に目が離せなくなる。
「今みたいな言葉を自然と言えるって、すごく大事だと思うの。人に対する気遣いがしっかりしてるんだね……うんうん、とっても素敵だよ」
「あ、や、そ、そうでも……」
顎のすぐ下に彼女の顔があり、心臓がばくばくと高鳴る。なんだこの状況は?
早く離れてくれないと、俺の心臓が――と思っていると。
「…………………………………………」
背中から、物凄い圧を感じる。
心臓に銃口を突き付けられているような、そんな感覚。
……俺、もう手遅れかもしれない。
「えーと、あの、留美さん? 何でもないからね?」
しどろもどろに答えると、普段よりも明らかに低い声が身体に響く。
「……言い訳は見苦しい」
「いで……っ」
脇腹をきゅっとつねられる。さほど痛くはないが、留美が怒っているのが分かる。
それを見ていた彼女は、あらあらと口に手を当てて微笑んだ。
「えーと……留美ちゃん、でいいのかな?」
留美の横に歩を進めて、身体を屈めて微笑みかける。留美は俺の背中をつねったまま彼女に顔を向けた。
「……ん」
肯定とも否定ともとりがたい声で返すと、彼女がにっこりと笑みを浮かべる。本当に優しい笑顔だなと思った。
「心配しなくても大丈夫だよ」
留美の頭をくしくしと撫でて、留美の耳元に顔を寄せた。囁き声の筈が、妙にはっきりと聞こえる声で話す。
「……彼は、君に夢中だからね」
『……っ』
留美も、声が漏れ聞こえた俺も、大きく喉を鳴らした。
彼女はぱっと身体を離すと、俺からフリスビーを受け取り、ぺこりとお辞儀をして駆けて行く。少し離れてから立ち止まるとくるりと振り返って、フリスビーを持った手をぶんぶんと振った。
「フリスビー、ありがとねー! お幸せにー!」
『…………』
俺も、留美も、言葉を返すことは出来ないままに。
ただただ、小さく手を振り返していた。
× × ×
「……じゃ、じゃあ、行くか」
「……うん」
恥ずかし過ぎて、顔を合わせられない。
手を繋ぐのも躊躇したまま歩き出すと、留美が俺の手を握った。驚いて留美の顔を見ると、恥ずかしそうに俯いている。
お互いの距離感が分かるような、分からないような。
そんな、もやもやとした、それでいてどこか幸せな気持ちを抱えながら。
二人で歩いて、公園を発った。
続く。
ルミルミでした。ここでJDEをもう一度出しておきたいなーと思ってまして。
役割が「二人を煽ること」及び「フリスビーを貰ってくれること」という。
それでは、また明日ここでお会いしましょう(^^)!
今回もお読み頂きありがとうございました(^^)!!