「通報します」
留美を連れて家に帰ると、予め連絡しておいた小町が出迎えてくれた。小町のこの言葉は、家に入ってほんの2分程で発せられた言葉である。
――ちなみに、この2分程で交わした会話はざっくり言うと以下の通りである。
『小町、ただいま』
『おかえり~お兄ちゃん。それと……留美ちゃん、こんにちは。覚えてるかな?』
『……はい、覚えてます、小町さん。……今はその、特によく、覚えてます』
『はえ? なんで?』
『八幡が、しょっちゅう小町さんの話をするから……』
『お兄ちゃんお兄ちゃん』
『どうした小町』
『留美ちゃん、拗ねてるよ。ほっぺた膨らんでるよ。可愛いよ。小町死んじゃうよ』
『小町も可愛いから大丈夫だ。可愛い妹は死なん』
『それどういう原理なの……。あと、女の子の前であまり他の子の話をしない方が良いよ。小町の話をしてくれるのは嬉しいけど、他の女の子の前で話しちゃうとご機嫌斜めになっちゃうから』
『うぐ……そ、そうか。すまん、留美』
『……ううん、いいの。……ハーゲンダッツでいいの』
『あれ、さりげなく恐喝されてないか俺?』
『そんなことないよお兄ちゃん。小町もハーゲンダッツで手を打つよ』
『なんで便乗したの?』
……なんていう、やりとりをしていた。そんな中、突然小町が通報するだなんて言い始めたのである。
さて、通報とは何だろう。眼前で言い放たれたところで、もう一度この言葉の意味を考える必要があるのではないだろうか。
通報、即ち「お巡りさんに知らせる」という行為。どんな時にこの行動がなされるのか。可愛い犬がいたからと言ってそれを見せたくてお巡りさんを呼んだりはしないだろう。そんなことで業務を妨害されたら、仏のような人であっても半ギレになるにちがいない。女性が男性のお巡りさんを呼んで、初対面なのに「私とは遊びだったのね! もういい、別れる! ……さようなら……」などと言って立ち去るドッキリをするために呼ぶということもあるまい。ただ呆気にとられるだけでネタにもならなそうだ。
では、どんな時にお巡りさんを呼ぶ?
それは、悪いやつを見付けた時だ。「こいつを野放しにしておくのは危険だ」と判断されて、お巡りさんが呼ばれる訳だ。
ここで現在の状況を振り返る。
場所は比企谷家の玄関。
俺と留美は靴を脱いで、玄関で出迎えてくれた小町と談笑している。
和やかで幸せな雰囲気の中、突如として小町がこの言葉を発したのだ。
誰も悪いことはしていない。それは確かだ。
即ち、小町の言葉は……ただ俺たちをびっくりさせるためだけの、唐突な言葉に違いない。
「はっはっは、どうした小町。急にそんな……」
小町が冷やかな目で俺を見ているのに気付き、口をつぐむ。
「お兄ちゃんが」
小町がスマホを取り出し、ロックを解除する。
「いかがわしいことをしたので」
通話の画面を開く。
「警察に」
電話番号を2つ押す。恐らくあと1つで、日本人なら誰もが知っている数字の並びになる。
「突き出します」
淡々と言うと、小町がにこっと笑った。顔は笑ってるのに目は笑ってないってどういうことなの?
「待て小町、俺が何をしたっていうんだ」
慌てて小町の手首を掴むと、小町が上目遣いで俺を見つめた。仕草自体は可愛いはずなのに、不審に満ちた目で見られているから全くときめかない。
「……お兄ちゃん。帰ってきてから、留美ちゃんと3人で何をしたか覚えてる?」
「覚えてるも何も、今さっきの話だろ? 軽い挨拶をして小町が感動して……それくらいだろ」
小町は俺の言葉を聞いて、ふんっと鼻で笑った。ものすごく腹が立つ。
「お兄ちゃん……それだけじゃないでしょ? 留美ちゃんのこと、ちらっと見たでしょ?」
「や、そりゃ会話してんだから見もするだろ……ん?」
小町の言葉により、ここ数分の記憶がより鮮明になる。
――会話の途中で、留美が俺の袖をくいと引いた。何だろうかと視線を下に向けると、留美はどうやら小町と話を出来たことが嬉しかったらしく、にっこりと微笑んでいた。無邪気な笑みに和みながらも、俺は――
「……あ」
思い出してしまった。
「そう、そうだよお兄ちゃん。お兄ちゃんってば、留美ちゃんの唇を見た瞬間に、一瞬目がやばい感じになってたんだよ!」
小町が「犯人はお前だ!」と言わんばかりの勢いで俺を指差す。
――確かに俺は、留美の唇に一瞬目を奪われた。最近キスを毎日していることもあってか、ふとした瞬間に留美に見惚れてしまうのだ。それを、どうやら小町にしっかりと見られてしまったらしい。
……ん?
……見惚れただけで、それがいかがわしいという判定を受けるのか……?
ひどくない?
「小町、お兄ちゃんは悲しいぞ」
「お兄ちゃんが悲しい以上に小町は悲しいよ」
俺と小町でいつものしょうもないやりとりを繰り広げていると、留美がくいくいと俺の袖を引いた。視線を向けると、頬を赤らめて俺から顔を逸らし、流し目を送っている。
「八幡……私のこと、いかがわしい目で見てるの?」
「いやっ、はっ、そんなっ、ことっ、はっ、ないっ、ぞっ、うんっ」
実際そんな気持ちは(ほとんど)なかったんだけど、留美に聞かれてはどうしても動揺してしまう。無駄にスタッカートをかけてしまった。
俺が思い切り動揺していると、留美は俺の袖を引く手に力を込めた。俺を見つめる目は心なしか潤んでいる。
「私は……別に、良いけど……」
「え」
「え」
留美の言葉に、俺と小町が同時に目を丸くする。留美は俯いてしまって、前髪で隠れて表情は窺いしれない。
「る、留美ちゃん……」
「はい、何でしょう小町さん」
「そ、その、お兄ちゃんとは、今後どういう感じで、その、お付き合いをしていきたいんでしょうか……?」
小町がおずおずと留美に尋ねる。何その恥ずかしい質問。何で今、俺もいる場で聞くの? 照れるなら聞くなよ。俺も死にそうなんだけど。
小町の問いに対して、留美はにっこりと柔らかな笑みを浮かべた。月夜に咲く花のように静謐な魅力を持った笑みに、俺も小町も思わず見惚れる。
「……この呼び方が正確かは分からないですけど、小町さんのことを『お義姉さん』って呼べるような関係になりたいです」
「……っ」
俺がびっくりして固まる中、小町は……何故か、しずしずと涙を流し始めた。
「お、お兄ちゃん……」
「お、おう、どうした妹よ」
小町の目を見ると、まるで少女マンガのようなはっきりとした涙の筋が見える。うちの妹は一体どうしたんだ?
「留美ちゃん……可愛い……妹にしたい……」
も、もう……と、小町が息も絶え絶えに呟く。
「……もう、小町には……妹さえいればいい……っ」
消え入るような声で呟くと、「がふぁ……っ」と静かに吐血して崩れ落ちた。
『…………………………………………』
しかばねとなった小町を、俺と留美で眺める。
じー。
「小町ちゃん、生きてる?」
「…………」
へんじがない。ただのしかばねのようだ。おお小町、死んでしまうとはなさけない……。
頬をぽりぽりと掻く。
「……あー、悪いな、留美。茶番に付き合わせて」
「ううん、大丈夫。……それに、これからこういう機会もいっぱいあるだろうし」
「お、おお、んん? お、おう、おう」
「ふふ、八幡どうしたの? オットセイみたい」
留美は楽し気に言うと、俺の脇腹をつんつんと突っついた。普段からは考えられない子供らしい行動に、心臓を鷲掴みにされる。
「がっ、がふぁっ……脇腹をつつかれるだけでときめくお兄ちゃん、マジチョロい……」
「うるせえよ……」
倒れたままくだらないことを言う小町を起こし、リビングに運ぶ。ソファに寝かせると、留美を振り向いた。
「あー、留美……リビングで小町と3人で話すのと、俺の部屋で2人で話すのだとどっちが良い?」
俺の言葉に、留美が目を見開く。唇を震わせて顔を背けると、ちらちらとこちらに流し目を送る。
「……は、八幡の、部屋が良い」
「そ、そうか……」
なるべくさらりと言うのを心掛けたのだが、こうも可愛らしく反応されてはこっちまで照れてしまう。
さりげなく留美の手を握ると、震えながらもしっかり握り返してくれた。
続く。
ルミルミでした。冒頭の「通報します」を何よりも優先して言わせたかった。
ゴールデンウィークが終わって5月中旬に入る頃には、400話に到達していることでしょう。去年のこの時期は「毎日書いてたら1ヶ月も持たないよなー」と毎日考えていました。いろはすが服を脱ぐのに丸々1話使った時から一気に自由になった気がします。
それでは、また明日ここでお会いしましょう(^^)!
今回もお読み頂きありがとうございました(^^)!!