先輩の家に入って(今度からは「帰って」という言い方を強制されそう。主に小町ちゃんとお義母さまに)、まずは洗面所でうがい手洗いをする。人の家に行った時にこういうことってあんまりしないなーとふと思った。いつの間にか、わたしはどんどんこの家に溶け込んで行ってるみたいだ。その内隙を突いて先輩と一緒に朝ご飯を食べてやろうかな、ふふふ。……もうやってた。
先輩と手を繋いで来てしまったので、先輩はわたしが手洗いうがいをしている間、忠犬のごとく待ってくれている。や、そんなことなかった。全力で「ねえ、これ何の時間なの? 俺要らないよね?」って顔をしてる。なんかぞくぞくするからそのままにしておこう。
洗面所を出ると、さっきまでカマクラちゃんに無尽蔵にてしてしされていた小町ちゃんが、リビングからひょっこり顔を覗かせた。可愛い。でもわたしたちを見てまた死にそうになってる。ご、ごめんなさい……。
「お兄ちゃん、いろはさん、夕ご飯は小町が作るよ。なので二人は部屋でくつろいでいてくださいね~」
「あ、お、おう。いつもすまねぇな」
先輩がお礼を言うと、小町ちゃんがどこから持って来たのかハンカチを取り出して、目尻を拭った。
「おとっつぁん、それは言わない約束だよ」
「…………」
何この子、ノリ良すぎるし可愛すぎるんですけど。
……?
……何だろう、二人の今のやりとりを見てたら、何か……何だろう? この感じ……何て言うか……。
「どうしたいろは、そんなにほっぺたを膨らませて。あざといぞ」
「え……」
先輩の言葉で初めて、自分の行動に気付く。そしてこの感情の正体に気付いてしまって、急に恥ずかしくなってしまった。
顔が熱い。手をぶんぶんと振って、慌てて取り繕う。
「そ、そうですよ、うん。先輩にたまにはあざとサービスをしてあげようかなと思いまして」
「? ……なんで急に……? まあ、別に可愛いから良いけど……」
先輩は訝し気にしていたけれど、何とか誤魔化せた。ていうかさらっと可愛いって言われるとすごいどきどきするからやめてほしい。うそ、もっと言ってほしい。
この流れはこれで終了、良かった良かったと胸を撫で下ろしていると、小町ちゃんの目が急にきゅぴーんと光った。先輩曰くこの状態になったら「ヤマピカリャー」と言えば良いらしい。どこで言えば良いの? 地の文で?
よし。
ヤマピカリャー。
……この気持ちは何だろう。
小町ちゃんは目の光が収まると(すごい表現だ。けれど事実だからしょうがない)、わたしを見てふっふっふと笑い始めた。あ、なんかやばい予感。
「いろはさん、もしかして……さっきの小町とお兄ちゃんのやりとりに、やきもち焼いたんですか?」
「っ!?」
わわ。
核心も核心、本音のど真ん中を射抜かれて、一気に顔が熱くなる。
「い、いろは、大丈夫か?」
「え……」
再び、先輩の言葉で気付く。
わたし、両頬に手を当てて首をぶんぶん振っていた。どうやらこの行動で比企谷兄妹に多大なるダメージを与えたようで、二人とも胸をぎちぎちと掴んでいる。
「ていうか小町、どういう意味だよ? 俺にゃ全く分からんかったが」
先輩がはてと首を傾げながら言うと、小町ちゃんがあごを上げて先輩を見下し、「けっ」と吐き捨てるように言った。おぉっと、この子の闇が見えたぞ……?
「ごみいちゃんはこれだから……」
「待て小町。ナチュラルにごみとお兄ちゃんの二単語を混ぜるな」
あれ、何か二人のやりとりが始まったぞ?
「じゃあ……ごみ?」
「まさかの取捨選択」
「しょうがないから譲歩しよう。ごみ(お兄ちゃん)」
「なあ、お兄ちゃんとの関係性は括弧で括られる程度なのか?」
「ごみいちゃん@鬼畜サド野郎」
「なんでTwitterのアカウント名みたいに!?」
「鬼畜サド野郎@二日目西な15-a」
「コミケに出展するの? 俺が?」
「内容はいろはさんとのプレイの数々」
「何それちょっと燃える」
「引いた」
「ご、ごめんなさい……」
「言っとくけど小町が居る時、『今日は小町がいるから静かに……な?』とか言ってるの全部聞こえてるからね?」
「俺を殺してくれ」
「あれで結構小町も興奮してる節はあるのです」
「流石俺の妹だ」
「うるさい性欲の化身め」
「いくら俺だからって何でも言って良い訳じゃないからな?」
「え、なにお兄ちゃん、いろはさんだけで飽き足らず小町まで……?」
「待てこら、何で後ずさったんだ。あれ、なんでいろはも後ずさってんだ!?」
…………。
何このテンポの良い会話……。
ここで、小町ちゃんがわたしに視線を向けた。先輩は繰り返されるツッコミの強要で疲れ果てている。この後大丈夫かなぁ。
「ほら、お兄ちゃん。いろはさんを見てみなよ」
「え……あ」
「? ……あぅ……」
二人が視線を向けて、三度気付く。
わたし、ほっぺたを膨らませてた。それもぷっくりと。
「いろはさん、小町とお兄ちゃんのやりとりで疎外感を感じちゃってるんだよ。妬いてるんだよ」
「……いろは、そうなのか?」
「あぅぅ……」
何これ、何のいじめ? 恥ずかしくて死んじゃうよぉ!
顔を手で覆ってあうあう言うと、二方向から「がふぁっ!」と聞こえた。何このシンクロ具合……。
先輩が吐血を手で拭いながら(ちょっと光景が過激すぎるんだけど)、頬をぽりぽりと掻いてちらりとわたしを見た。
「まあ……その、なんだ、俺と小町は今まで十五年間の付き合いがあるからな。自然にこうなるって。だからまあ、お前とも、その、な、これから先過ごす時間で、まあ、なに、うん……」
「…………」
「…………」
「…………」
三者、沈黙。
どうしたら良いか分からない。でも、この会話は終わらせないと死んじゃう。しかも全員。
先輩にとてとてと近付いて(さっき後ずさった分、変な距離が開いてた)、袖をちょんとつまむ。
どうしよう、何を言おう。
……よし、手短に行こう。
「先輩……その、これからも……よろしくお願いします」
恥ずかしさから、自然と上目遣いで言ってしまった。
『……っ』
先輩と小町ちゃんが、膝から崩れ落ちた。
二人が回復した後、わたしはやっぱり小町ちゃんのお料理を手伝うことにした。小町ちゃんにだけ働かせて、わたしと先輩だけ遊んでるなんて気が進まないし。今まで何回かそういうパターンがあったんだけど、流石に申し訳なさが溢れ出てきた。次からは毎回ちゃんとお手伝いしよう、うん。
「い、いろはさん……!」
手伝う旨を告げると、小町ちゃんが目に涙を滲ませて口元を押さえた。この子感情表現が豊か過ぎるよ……。
先輩がどうするかと言う話になったんだけど、先輩は勉強でわたしが苦手な所をどう教えるか計画を立てると言ってくれた。勉強も多少する気だったので、そう言ってもらえるのは嬉しい。
「先輩。わたし、数学が苦手です」
「奇遇だな、俺もだ」
「ベクトルが苦手なんですよね」
「あんなのただの矢印だろ」
「……これ、一緒に勉強した方が良くないですか?」
「……そうだな、あんまり選択肢を狭めるのも難だしな」
「そうですそうです、それで二人とも頑張って勉強して、先輩と同じ大学にわたしも入って……えへへへへ」
「おいばかやめろここでそんな風ににやけたら小町が」
小町ちゃんが吐血して倒れた。
そんな会話をしつつ、現在。
小町ちゃんと二人で、ひたすら料理に勤しんでいる。
「やー、いろはさんもすっかり比企谷家に馴染みましたねー」
「そ、そうかな……?」
「そうですそうです! いろはさん、間違えた、比企谷さん」
「はぅ……」
「…………」
「小町ちゃん……今日血を吐きすぎじゃない? 大丈夫?」
パッと見軽くホラーみたいな絵面になってる。
「何でしょう、いろはさんのこの凶悪な可愛さ……いっそここに住んでほしいくらいです」
「え、ええ!? そんな……あ、でも先輩がここから大学に通うならありなのかな……いやでもそもそも正式な許可が取れてないし……ていうかちゃんと一緒にならない内にそんなことしたらもっと好きになっちゃうし……」
「いろはさん」
「なに? 小町ちゃん」
「小町を殺す気ですか」
「ご、ごめんなさい……」
こんな会話をしつつ、夕飯の準備を終えた。
そして夕ご飯も楽しく食べた。喋った内容としては大体さっきまでと同じ感じ。先輩も小町ちゃんも死に過ぎてもう訳が分かんなかった……。
ご飯を食べて、洗い物をして、歯を磨いて。
当たり前のように先輩とこういうことをすると、幸せで胸がむずむずする。わたしの部屋だったら枕を抱きしめてごろごろするんだけど、流石にまだそこまでは出来そうにない。本人がいるしね。
「いろは、行くか」
「あ、は、はい……っ」
先輩がわたしの手を掴んで、部屋に連れていく。手を握る力が少しだけ強い。我慢してたのかな、って思った。そう考えると、身体の奥底がずくんと疼く。
先輩が部屋のドアを開ける。
先輩も、小町ちゃんも、お義母さまも、自分の家だと思って良いと言ってくれるけど、まだしばらくの間はそう思えそうにない。
だって、先輩の部屋に入るとき、毎回どきどきしてしまうから。
今だってそうだ。
今日は先輩に何をしようかな。
今日は先輩に何をしてもらおうかな。
今日は、先輩と何をしようかな。
心地良く湧き上がる幸せに、口元がむずむずするのを感じながら、先輩に続いて部屋に入った。
続く。
いろはすでした。今日は軽快に。
それでは、また明日ここでお会いしましょう(^^)!
今回もお読み頂きありがとうございました(^^)!!