時間というものが、人に及ぼす影響はとてつもなく大きい。
一番に挙げられるとすれば、身体の成長と老化だろう。
何も無い所から命が生まれて、それが成長し、徐々に衰え、やがて何も無い所へと還ってゆく。その流れは、時間無くしては考えられない概念だ。
他にも沢山あるとは思うが、ここで敢えて挙げるとすれば――人間性の変化を挙げたい。
純粋だった人が何かの拍子に傷付いて薄汚れてしまったり。逆に、手の付けようがない程の不良が見事に更生したり。これも、時間の流れが無くては考えられないものだ。
俺も今まで――特に高校2年生の1年間で、少なからず性格や行動に変化が出たと思う。それが良いものなのか悪いものなのかは、この先何十年と経ってからでないと判断は出来ないと思う。もし病気で30歳で死ぬなどという事態になれば、もっと早く判断出来るかもしれないが……そういったことはなるべくごめんこうむりたいものだ。
そして、俺の隣にも一人――この1年で、だいぶ変わったように思えるやつがいる。
青みがかった黒髪ポニーテールを揺らしている――川崎沙希。
この子が、最近どうも様子がおかしい。
そんな気がしてならない――
× × ×
昨日のこと。
新学期早々、新しいクラスでも担任になった平塚先生の謎の提案により、結果的に俺と川崎が隣同士の席になった。ちなみに俺の席は窓際最後列で、川崎はその右隣だ。この子が隣にいるというのは同じぼっち同士で割と気楽で、それでいてすぐ横の窓を開ければ、春の匂いを乗せた風が味わえる。寝たい時はかなり寝やすいし、中々良い席だ。妙に上機嫌になっている自分に不思議な感覚を覚えながら、授業を受けている。
川崎が隣と言っても、今までのノリならば互いに会話をすることはあまり無いだろう。授業態度も互いに真面目だし(但し俺は数学の場合を除く)、隣同士である意味をそこまで感じることは無いだろうな……と思っていたのだけど。
「ね、ねぇ……比企谷」
「……?」
蚊の鳴くような細い声が聞こえた。まず、誰が喋ったのかも分からないし、そもそも俺に向けられた言葉なのかも分からない。きょろきょろと辺りを窺って、心霊現象ばりに気のせいだと思い込んで黒板を見直す。今は古文の時間で、先生が文法や時代背景的に文意を理解しづらい部分を解説していた。
「ね、ねぇ、ねぇってば……比企谷……」
「……んぁ? 俺?」
もう一度聞こえてきた声が、どうやら隣の川崎が発したものだと気付く。見ると、川崎が今にも泣きそうな表情で俺を見つめていた。
「さっきから呼んでるのに……」
「……お、おう、わりぃ、すまん……」
何故か2回謝ってしまった。
はて、これは何事か。
いつもの川崎なら、俺が呼びかけを無視しようもんなら「……あんたに言ってんだけど」とか言って冷たい目で睨め付けるのが定番じゃないんだろうか。定番って何だよ。
「どうした」
ひそひそ声は意外と遠くまで聞こえてしまうので、ぼそぼそと地声で話しかける。ちなみにひそひそ声は喉にも負担をかけるから、喉風邪で声が出なくなったときにこの話し方をすると更にダメージを与えちゃうから注意な。俺、誰に呼びかけてるのん?
俺の問いかけに、川崎が頬を赤らめて黒板・手元のノート・俺と3ヶ所を交互に見つめる。え、なに、あなたの心を読み取るクイズなの?
「……流石に難易度が高すぎるぞ、そこから読み取るのは」
ぽそりと言うと、川崎があわあわと慌て始めた。
「あ、ご、ごめん……その、さっきノートを取ってたら聞きそびれたとこがあって。ここ大事そうだし、今のうちに聞けないかなって……」
川崎の言葉に前を向く。古文の先生は難しい部分の解説を終えていて、俺もノートはその部分をきっちり取っていた。そして今は休憩がてらの雑談を始めていて、正直聞いても聞かなくても……というレベルだった。
「ん、分かった。どこだ?」
言うと、川崎がノートを2人の机の間にそろりと置いた。平塚先生の言いつけにより机をくっつけているため、妙に距離が近くてどきどきする。
「あ、あの、こ、ここ、ここここ、ここなんだけど……っ」
鶏かお前は。
川崎は顔を真っ赤にしてノートを指差しているが、その人差し指がぷるぷると震えていてどこを指しているのかまるで分からない。
「え、どこだよ……あ、ここか?」
さっき自分もノートを取っている時に「あ、ここテストに出そうだな」と思った所が、川崎の指の震えの範囲内に含まれていた。震えの範囲内って何だよ。誤差か、誤差なのか。
確認しようとして人差し指をそろりと伸ばすと――
「ひっ……!」
――互いの人差し指が触れて、川崎が髪を逆立てんばかりの勢いで驚く。なに、君はメイちゃんか何かなの? そして俺はトトロか何か?
「……すまん、大丈夫か?」
指を離して聞くと、川崎は顔をぶんぶんと振って、深く息を吐いた。
「こ、こっちこそごめん……だ、大丈夫……」
落ち着いたフリをしている割に、顔は真っ赤だ。
すげぇ。
全然大丈夫そうじゃない。
「……じゃ、説明するぞ」
「あ、ああ、お願い」
そこから字も交えて川崎に小声で説明したけれど、川崎の頭から湯気が出っ放しで、理解してもらえた気が全くしなかった……。
× × ×
その日の夜。
いつもの如く小町と2人で食卓を囲う。この時間がもしかしたら今の生活の中で一番幸せな時間かもしれない。突然どうしたんだ俺。
「お兄ちゃん、何か学校で変わったことあった?」
「お前は母ちゃんか」
総武高に合格して、晴れて新たな生活がスタートした小町に、まさか最上級生の俺がこんな質問をされるとは思わなかった。そんなに俺は心配されるような生活を……してたな。むしろ心配しかされない勢いの生活だった。
「別にまあ、そんなに変わったことは……ああ、そうだ」
「ほよ? 何かあったの?」
小町が箸を口に咥えたまま、くりんと首を傾げる。行儀が悪い上に危ないし、可愛すぎて俺の命も危ない。
「や、昨日な……」
せっかくのネタだし、話してみよう。そう思って、平塚先生考案の席替えをしたことや、川崎と隣になったことを告げる。
「ほうほう、ほほう? ふむふむ。お? おお? おおおお……?」
小町が話の途中で、絶妙に気分を乗せてくれる相槌を打つ。何でこんなに人の話を聞くスキルが発達しているんだろう。
一通り話し終えると、小町が急ににやにやし始めた。や、正確に言えば、話の途中からだいぶにやにやしていた。
「……なんだよ?」
訝し気な視線を送ると、小町はにんまりと笑った。
「……お兄ちゃんは、特に希望を出してはないんだよね?」
「戸塚って書いたぞ」
「少し黙れ」
「急に厳しくなっただと!?」
「良いから話を逸らさないで。もいだ」
「何を!? 何を!?」
しかもなんで過去形なの!? 今すぐトイレに行って確認したいんだけど!?
「お兄ちゃん……沙希さんと隣になったんだよね?」
「ああ」
「窓際の後ろの席っていうのはたまたまだと思うけど……むふふ、お兄ちゃん、それ、絶対沙希さんが希望を出してたんだと思うよ?」
「……『窓際最後尾の席の隣が良いです』って言う風にか?」
「どうしてここでそんな発想が出るの……」
これだからごみいちゃんは――と、当然のように悪態をついて、小町がやれやれとアメリカンなリアクションをする。腹立つけど可愛いから許してしまう。
「これは……ちょっと楽しみかも。大志君とも連絡とってみよっかな」
「そうだな、毒虫はすぐに駆除しないといけないからな。小町がおびき寄せてくれたら手っ取り早い」
「お兄ちゃん、何言ってんの? 大志君は友達なんだから、あんま変なことしないでね」
「……友達か」
「うん、友達だよ?」
……うん、今、永久に交わることのない平行線が見えたよ。さよなら毒虫! 毒虫フォーエバー! お兄ちゃんは安心です。
「ところで、なんで毒志と連絡を取る必要があるんだ?」
「毒志って誰なのさ……。んー……お兄ちゃんの生活を、少しでも彩り豊かにするため……かな? キラッ☆」
「おぐほぉぉぉ……っ」
「おおおお兄ちゃん!? なんで灰になりかけてるの!? お兄ちゃんはアンデッドだったの!?」
小町の眩し過ぎるスマイルに、危うく身体が消滅するところだった……。
結局、小町の行動の意味が全く分からぬままに、その日を終えた。
明日も明日とて学校がある。さて、どうなることやら。
続く。
サキサキでした。超ゆっくり行きます。
それでは、また明日ここでお会いしましょう(^^)!
今回もお読み頂きありがとうございました(^^)!!