「……なんで?」
箸と茶碗を持ったまま、手が止まる。
俺のこの問いは、小町が食事中に突然告げたことに対してのものだった。
テーブルの向かいに座る小町は、さっきからずっとにこにこと笑っている。肘をついて手に顎を乗せて、ご機嫌なことこの上ない。鼻唄とか歌い出しそう。
「……や、だから、なんで?」
もう一度同じ質問をぶつけると、小町は「はあ?」と言わんばかりに表情を曇らせた。瞳ってこんなに濁るものなんだ……。
「お兄ちゃんはもう決まった事柄に対して、その成立理由を尋ねるのが趣味なの?」
「……や、『なんで?』の中には『なんで俺抜きで話が決まったの?』って意味も含まれてるんだが」
「ん、それはお兄ちゃんが、休日は小町のために外出する以外は大抵フリーなのを知ってるからだよ」
「ねえねえ小町ちゃん、人権って知ってる?」
小町がくりんと首を傾げる。可愛いけど、今この場面でその仕草を見せるのはおかしくない?
「……小町は持ってて、お兄ちゃんは持ってないもの?」
目頭が熱くなった。なんでだろう。信じられるか? 日本にいてこの台詞が飛び出すんだぜ?
「うそうそ、冗談冗談。そんなこと思ってないよ。お兄ちゃんはちゃんとした人だよ。立派とは言えないけど。立派とは言えないけど。……立派、とは……言えないけど」
「なんで溜めながら3回言ったの?」
尚も不満を言い募る俺に、小町は肩を竦めてやれやれと首を振った。愛しの妹じゃなかったら一体どうしていたか分からない。
「いいからさ、お兄ちゃん」
文句を言うのは無しにして――と、まるで俺が悪いかのような言い方をする小町。
「諦めて……沙希さんたちとご飯を食べようよ」
「……だからなんで」
「次の土曜日の夕方4時に沙希さんのお家の前集合ね。それから買い出し」
「せめて現地集合で良いだろ」
「バカだなあお兄ちゃんは。こういうのは旅と一緒でその行程こそ楽しむべきなんだよ。バカだなあ。ほんと、バカだなあ」
「なんでまた3回言ったの?」
「お兄ちゃんが『うへぇ……』って表情を浮かべるのが割とツボでして」
「急にSになるなよ。これから付き合いづらくなるわ」
こんなやりとりをしながらも。
「いいからいいから。楽しいよ? きっと」
そう言って、小町がにゃはっと笑った。
結局俺は、小町のこの笑顔には勝てないようだ。
× × ×
小町に新年度初日の話をした後、小町は本当に川崎大志、もとい毒虫に連絡をとっていた。もといの使い方が間違ってるって? 俺にとっては合ってるんです。
小町のプランは、俺・川崎・小町・大志・京華の5人で夕飯の買い出しをして、そのまま川崎の家で料理をして夕食会をしようというものだった。京華はまだ小さいので、自宅の方が何かと夜は都合が良いということで川崎の家にお願いしたらしい。俺が何か言う前に外堀を完全に埋めてやがる。
俺に対しては小町が話したように、川崎に対しては大志がお願いしたらしい。京華は自分が言うのも難だが懐いてくれている節はあるので、問題無いだろう。小町も可愛がってくれるだろうし。
ちなみにだが、大志は総武高に合格していた。ほんとこれ、すぐ忘れて良い程度の知識ではあるけれど。しかし去年の夏休みに話したことはきちんと覚えていたようで、小町情報ではヤツは高校に入ったからと言って「可愛い彼女をゲットするっす!」などといった悲しい情熱は抱いてはいないようなので、それだけは良しとする。俺としては小町から離れてくれればそれで良いので、可愛い彼女をゲットしても何も問題は無いんだけど。
そんな話をした数日後、金曜日の夜。
「んぐ……そろそろ休憩するか」
部屋で勉強に一区切りをつけ、ぐっと伸びをする。凝り固まった肩を叩いて解すと、もうひと頑張りする前にコーヒーでも飲もうと思い、リビングに行くことにした。
リビングの扉を開けた所で、ポケットの中から篭った着信音が聞こえた。
「……んん?」
取り出して画面を見てみるが、知らない番号だった。うん、出ないでおこう。こういう得体の知れない電話は出ないに限る。
インスタントコーヒーの粉を入れ、こぽこぽとお湯を注ぐ。すると、また電話が鳴った。十中八九さっきと同じやつだろう。出ないでおく。きっと相当おとぼけな人が連続して間違い電話をかけているんだろう。時刻は21時。何者だろう。
コーヒーにミルクを注ぎ、スプーンでかき混ぜる。一口飲んで出来に満足した所で部屋に戻る。部屋に入ってドアを閉めた所で、再び着信音が響いた。ここまでくると少し怖いが……しょうがないので、電話に出ることにした。
「もしもし」
「……あ、あたしだけど」
……詐欺にしては下手すぎない?
「そういうの要らないんで。じゃ」
個人情報がどこから漏れたのか調べる必要があるな……面倒だな……と思いながら、画面から耳を離す。すると、慌てた声が聞こえてきた。
「ま、待って、あたし、川崎沙希!」
その声に、ふっと力が抜けた。
「……お前かよ。ちゃんと名乗れって。いきなりあたしって呼ばれて分かる程俺はお前を知らねぇぞ」
「う……ご、ごめん」
いつものちょっと怖い声音から一転して、しおらしく謝られた。去年の文化祭でも案外打たれ弱いのだろうかと感じたことを思い出した。ちょっとぞくぞくす……何でもない。
「それとな、それなりに遅い時間だと思うんだが。何か用事でもあったのか」
俺の声音に険があったのだろうか、川崎が「あ……う……」と小さく唸る。
「ご、ごめ……」
その声が震え出した。え、ちょ、まさか、ええ?
「や、違うって、別に怒ってないから、な? な? 単純に気になったんだよ。それだけだから」
大慌てでフォローを入れた。
実際、川崎の性格上、こういった礼儀の面はしっかりするように思える。初めての電話を唐突に夜9時過ぎにするというのは、本人だって適していないと思う筈だ。
電話の向こうで、くすんと鼻を鳴らす音が聞こえた。どんな顔をしているのか、猛烈に見たくなってしまう。
「……最初は、6時過ぎに1回かけようとして、その後も何回もかけようとしたんだけど……その、は、恥ずかしくて……」
「……へ?」
「大志から明日のことを言われてからずっと、『一言で良いから、明日はよろしくくらい言っておいたら』って言われてたんだけど、その、学校で中々言えなくて……」
川崎の言葉に、身体の力がふにゃふにゃと抜けていく。席が隣同士なのに言えないってどんだけ気が弱いんだ……。
「それを大志に話したら、それじゃあ電話したらって言われて。それで電話番号を聞いたんだけど、いざかけようとしたら……緊張、しちゃって……」
こうしている今も、川崎の声は僅かに震えている。よほど不慣れなようだ。電話が苦手なのか、異性との会話が苦手なのか、何が苦手なのかは分からないが。
しかし、なんだ。
こいつ、中々。
「……川崎。お前結構、可愛いとこあるな」
何気なく言うと、ひゅっと息を吸う音が聞こえた。
「ば、バカじゃないの!? そんなこと……っ」
ぶつり。
「……あ……」
電話を切られた。
と思ったら、すぐかかってきた。3秒も経っていない。
「もしもし、どなたでしょうか。フルネームで言って頂かないとすぐに切ります」
「あんた……怒るよ……」
こんな風に言われても、その声にいつもの凄みは無く、にやけてしまいそうになるほど可愛らしい。
ふー、とため息を吐いた音が聞こえる。
「……その、さっきは急に切ってごめん。明日……よろしく」
「お、おう、よろしく」
急に素直に言われて戸惑ってしまう。
「…………」
「…………」
「……切らないの?」
「……や、お前が切るのを待ってたんだけど……」
「……先に切ってよ」
「なんかやだ」
「あんた、子どもみたいだね」
くすりと笑う声が聞こえて、急に心が温もりに包まれた。
「しゃあねぇな。『せーの』で切るぞ」
「はいはい。……せーの」
『……………………』
「……切らないの?」
「……お前こそ」
会話下手は、電話の切り方のタイミング一つとっても下手らしい。このやりとりが存外楽しいからまた困ったものだ。
結局この後、3分程は「電話を切りそうで切らないゲーム」を続けていた。故意ではない。
やがて互いにおやすみを言うと、どちらからともなく電話を切った。
「…………」
勉強を再開しようとしたけれど。
川崎の、春の川原のような優しい声音を思い出したら、どうにも集中出来ない。
結局その晩は、眠りに就くまで悶々と過ごした。
続く。
2日連続サキサキでした。ちょっと考えていた展開の前に、いろはす本編でも書いてみた電話のくだりを入れてみました。ヒロインによってかなり違う雰囲気になるなと。面白いです。
それでは、また明日ここでお会いしましょう(^^)!
今回もお読み頂きありがとうございました(^^)!!