川崎家での食事の後。
「皿洗いくらいは俺やるわ」
美味い料理のお返しには到底及ばないが……と思いながらシンクの前に立つと、
「あ、じゃあお兄さんと一緒に皿洗うっす……ひぃっ!?」
同じく名乗りを上げようとした大志を、小町が何故か鬼のような形相で睨んで止めた。大志が泣きそうだ。俺も泣きそうだ。川崎もまあまあびびっている。京華がたまたま別の方を向いていて本当に良かった。本当に良かった……。
突然、川崎が慌てながら俺の前に躍り出た。何事ですか。
「えっ、ちょっ、なんなのさっ!?」
「いいからいいから~、小町を信じて~」
小町が謎のメロディーを付けた言葉を歌いながら、川崎の背中を押しているようだ。どこかで聞いたことがあるけど、きっと世代が違う。扇風機に顔を近づけさせてコーヒーをぶちまけるなんてくだり知りません。
川崎が俺と横並びでシンクの前に立つ。一般家庭の台所なので、高校生が二人並ぶと中々窮屈だ。
「……えっと、その、よろしく……っ」
「お、おお、おうおう」
「……何それ、ばかみたい」
妙な緊張で上ずった声に川崎が笑う。胸の中に仄かな温もりを感じながら、スポンジに洗剤を染み込ませた。
× × ×
川崎と二人で並んで、洗い物をする。
わしゃわしゃ。
「…………」
わしゃわしゃわしゃ。
「…………」
わしゃわしゃわしゃわしゃ。
『……………………』
……………………。
……き。
気まずい。
俺と川崎はひたすら皿洗いに没頭している。恐らく小町は「仲良くお喋りしてね☆」という意図で川崎を送り込んだのだろうが(尖兵みたいだ)、そこはぼっち歴の長い俺と、クール系照れヤンキーの川崎(すごい肩書きだ)。ものの見事に会話が弾まない。
これは川崎もやりづらいだろうな……と思ってちらりと横を見ると、川崎とぱったり目が合った。交差点で事故ったような、唐突な視線のかち合い。
「…………」
川崎が何か言いたそうに口をもにゅもにゅさせている。仲間になりたいんだろうか。あ、顔を逸らした。
川崎は川崎で、何とか会話を紡ごうと頑張ってくれている。そう思ったら、何だか気持ちがふわりと軽くなった。
「……あー、その、なんだ、いつもあいつらにご飯作ってんのか」
あくまでさりげなく会話を切り出すと(自己判定)、川崎は顔をくりんとこちらに向け、不思議そうに俺を見つめた。え、なに、俺って喋る機能が無いと思われてたの? やだ、ぼっち道ここに極まれり……。
「……ん、そうだね」
川崎はちらりとリビングを振り向き、頬を緩めた。柔らかな笑みはどこまでも優しく、きっとあの二人が生まれた時から、連綿と愛情が続いているのだと思った。
「……あんたの妹も、いつもあんたにご飯作ってんの?」
「そうだな、俺にだけ作ってくれる。愛すべき妹だ」
「気持ち悪い……」
「泣くぞ」
川崎が俯いて笑いを堪えている。鼻に手を当てようとした拍子に、すらりと通った鼻の先に泡が付いてしまった。
「おい、泡付いてるぞ」
「え、あ、うわ……っ」
慌てて手をぱたぱたさせると、シャボン玉がぽわぽわと浮かぶ。天井に向かっていく速度は緩やかで、この場所の時間までゆっくり流れているようだ。
川崎は恥ずかしそうに慌てながら、お湯で手の泡を洗い落として鼻を拭う。こちらに背を向けるように身体の向きを変えると、その背中はふるふると震えていた。
「……今の、見なかったことにしな」
「こええよ……」
振り返って最初の一言と目つきがやたら恐かった。川崎は俺がげんなりする様子を見て、またしてもくすりと笑う。そんなに俺のネガティブ顔が好きなんだろうか。その内「お前の顔を絶望に染めてやろうか! あたしはお前の苦悶に歪んだ顔が見たいんだよ!」とか言って俺の故郷を燃やしたりするんだろうか。ないな。キャラがちょっと魔王すぎる。
「なあ、川崎」
「ん、なに?」
少しずつ二人の間の空気が解けていく。うっかりこの雰囲気を学校で出そうものなら、方々から怪しまれそうだ。誰からとは言わないが。
「小町のこと、そろそろ名前で呼んでやってくれよ。絶対あいつ喜ぶから」
「……やだよ」
「なんでだ?」
川崎が洗い物の手を止め、こちらをちらりと見る。そして視線を洗いものに落とすと、頬を仄かに朱に染めた。
「……だって、恥ずかしいし……」
「……お、おお、そうか、うん、そりゃしょうがないな」
胸が妙な動悸に襲われている。後ろでは小町が「がふぁっ!」などと言ってもがいている。聖水をかけられたアンデッドみたい。
「……しかし、本当に呼んでくれないのか? あいつも寂しがってるぞきっと。良いじゃねえか、料理上手、可愛い、面倒見が良い、可愛い、明るい、可愛い、六拍子揃ってるぞ」
「キリ悪いし何回可愛いって言ってんの……。ていうかそれ、あたしがあんたの妹を名前で呼ぶ理由になんないでしょ」
「可愛いんだからしょうがない。あんまりにも可愛いもんだから、兄としてはあいつの笑顔を増やしたいと思う訳ですよ」
「……急に真面目になってる……シスコン」
「うるせえブラコン兼シスコン」
「あ?」
「ふひゅー(一切口笛の体を成していない口笛)」
「ぶっ……くく……っ」
「すげえ効いた……」
何とか川崎の眼力を切り抜けると、川崎はふうとため息を吐いた。呆れたように笑みを浮かべて、小町と俺を交互に見やる。
「……しょうがないね」
「お、呼んでくれるのか?」
期待で心持ち高くなった声で尋ねると、川崎はもう一度小町と俺を交互に見た。そしてこほんと咳払いをする。
「……まあ、また今度ね」
後ろで「ずこーっ!」という声が聞こえた。30年くらい時代を間違えている気がする。大志までもが首を傾げて「図工……?」と言っているから余計につらい。
洗い物をしながら、尚も雑談は続く。
「あんたは料理はしないの?」
「んー、あんましねえな。絶対するとしたら、小町が風邪を引いた時だな。お兄ちゃんお手製のお粥を作る」
俺が自慢げに言った所で、川崎の手がぴたりと止まった。
「……そっか、風邪引いたら……ふうん……」
何やら一人でぶつぶつと呟いている。
「お、おい、どうした?」
恐る恐る聞くと、川崎は顔を上げてふっと微笑んだ。
「何でもない」
「……そ、そうか」
川崎から顔を逸らす。少し顔が熱い。
川崎の笑みが、回数を追うごとに柔らかくなっている気がする。柔らかな布で心臓を包まれたような感覚に陥っていると、後ろで「んにゃー! 青春や……青春やでえ……!」と叫ぶ声が聞こえた。誰だよ一体。俺の可愛い妹だった。
ちらりと後ろを振り返る。さっきまで俺が居た場所に小町が座り、その股座に京華が収まっている。
「や~、向こうではお姉ちゃんとお兄ちゃんが青春しているね~」
小町が楽しそうに、鼻唄でも歌い出しそうなくらいの陽気さでにこにこ笑っている。京華は何のことやらと首を傾げているが、そのやわっこい両頬を小町がむにむにとつまんでいる。
「はーい、けーちゃん、うにー」
「うにー」
何で青色サヴァンのセリフを教え込んでいるんだろうか。どっちも死ぬ程可愛いからいいけど。
……まあ、小町と京華は良いとして。
問題は、もう一人の方だ。
「なあ、大志」
「え、あ、な、何すかお兄さん」
「結婚適齢期ぎりぎりまであらゆる女性にとっての『良い人』であり続ける大志」
「何で付け足したんすか!? リアルすぎていやっす!」
「お前、今写真撮ってるよな」
「え、あ、は、はい、撮って、るっす、よ?」
「その写真、俺と小町と川崎にも送ってくれ」
「え、あ、はい! ……ほっ。なんだ、それだけなら……」
「そんで、お前はデータを送ったら全てのデータを消せ」
「何で俺だけ見れないようにするんすか!?」
こいつが小町の写真を眺めながらにやにやする様を想像しただけで腹が立つ。そんな未来を防ぐための予防線を張っているのだ。
「データを消さなかった場合、お前の両目に指を突き入れながら『バルス』と唱える」
「それ言う必要無くないっすか!?」
「非現実的な要素を持ち込むことで罪が曖昧になるかと思って」
「全部ここで言っちゃうんすね! もはや何の意味もないっす!」
「おい大志、うるせえぞ。小町と京華のはしゃぐ声が聞こえねえだろうが。お前の皿だけ全部割るぞ。あと箸も折る」
「理不尽だし陰湿だー!」
洗い物しているのを忘れて好き放題言っていると、隣から冷ややかな、それでいて刺すような視線を感じる。
「あんたね……」
「あー、えーと、ああ、うん、川崎のご飯、マジで美味かった。また食いたいわ。ありがとな」
「あっ、えっ!? うぐ……ま、また……!? そ、そっか、へえ、また……そ、そそ、そっか……」
川崎が怒りと照れが混じったちぐはぐな表情を見せた。殺せんせーなら口と目の配置がめちゃくちゃになっている所だろう。
「そ、そういうのはいいから! ほら、洗うよ」
「へいへい」
「あんたは……っ」
顔を真っ赤にして俺を睨む川崎は、いつもと違ってまるで怖くない。それどころか、可愛いとしか思わなかった。
真っ白な空間にお湯を流し込み、食器を一つ一つ丁寧に洗っていく。
ふわふわとした泡と一緒に、二人の間のぎこちない空気が洗い流されていくような気がした。
続く。
サキサキでした。超のんびり。
家に入ってからのくだりというのは基本的に果てしなく長くなるんですが、今まではエロありきでの長さだったのでこんなにのほほんとしたやりとりがずっと続いているのにびっくりです。
明日は定休日です。皆さん良い休日を!
それでは、また【明後日】ここでお会いしましょう(^^)!
今回もお読み頂きありがとうございました(^^)!!