屋上の入口まで階段を上ると、既に誰かが入ったかのような形跡があった。先客がいるなら引き返そうかと思ったが、何故かこの時はそのまま行ってみようかという気になった。
扉を開けると、少し湿った風と強い日差しに包まれる。夏の香りが辺り一面に広がっていた。屋上まで来れば太陽を阻むものも少なく空が広い。
「……日陰、探すか」
要は暑いので、足早に日陰を求めていく。
給水塔の横に程好い影が出来ていたのでそこに滑り込むと、
「あんたも来てたんだ」
と、上から声が降ってきた。
懐かしい感覚に駆られて上を見ると、給水塔の梯子を上った先から、川崎がひょっこり顔を出していた。
「……お前もか」
「……あんたこそ」
何この下手にも程がある会話。
ていうか川崎さん、こっちに顔だけひょっこり顔を出してるということは……四つん這い若しくは突っ伏してる? 可愛いですこと。
「……あんた、何か変なこと考えてる?」
「え、あ、や、何でもねえです、何でもねえです」
「いつの時代の人なのさ……待ってて、今降りるから」
律儀にツッコみながら、川崎が降りる準備を始める。俺は梯子の横にまで日陰があるのを確認すると、素早く梯子脇に移動して腰を下ろした。
「……あんた、何してんの?」
梯子を掴んだ川崎がこちらを覗き込む。
「いや、こっちの方が涼しくてな」
「同じ日陰なのに?」
「ああ、ほんとほんと。不思議なもんだ」
「そっか……ってなる訳ないでしょ」
ノリツッコミを受けた。中々上出来だ。
「あんた、いかがわしいこと考えてるでしょ?」
川崎の言葉に、悪戯心が燃え上がる。
「ん、いかがわしいこと? この状況で? わりい、具体的にどんなことがいかがわしいとされるのか、この状況を見た限りではまるで想像出来ねえわ。良かったら教えてくれねえか」
「っ!? あ、あんたね……」
からかいにからかいを上塗りしたところで、川崎の反応を窺う。
顔をちらりと上げると、顔をぴょこんと出した川崎が俺を睨み付けていた。しかし顔は真っ赤で、目には涙を浮かべている。
……しまった、やりすぎた。
と、思うと同時に。
……あ、何かそそる……。
とも、思ってしまった。
なんだろーなー、この気持ち。
しかし、何にせよ今は謝らなければ。
「わりい、悪ふざけが過ぎた。降りてきてくれ」
「ああ……って、どっちにしろあんたがどけないと降りられないって!」
またしても上出来なノリツッコミ。素晴らしい。
梯子を下り切るまで黒レースをじっくり鑑賞するという夢は潰えた。
まあ、本当にやってたら御用になるレベルの話だけども。
× × ×
川崎が俺の隣に座っている。
……スカートを手でめっちゃ押さえながら。
「……そこまで警戒しなくても」
「あ、あんたがあんなことするからでしょ!」
顔を真っ赤にして抗議される。少し前までは恐いとばかり感じていた睨み顔が、今は可愛くて仕方ない。
川崎は弁当を持って来ていた。器用に持ったまま梯子の上り下りをしていたようだ。俺は行きも帰りも見てはいないが。
「なあ、さっき昼休みになってすぐ教室を出たろ? どうしたんだ? 海老名さんが昼ご飯誘おうとしてたぞ」
俺の言葉に、川崎は目をぱちくりとさせる。「そっか……」と呟いて、頬をぽりぽりと掻いた。
「悪いことしたな……」
「まあ、根掘り葉掘り聞かれそうな気配がしたけどな」
「え、何を……?」
「何か、朝挨拶した時の笑顔がどうたらって言ってた」
「……っ」
どちらにせよ海老名さんが聞こうとしてたんだから、ここまでは言っていいだろうと思い伝えたら……川崎は見る間に耳まで真っ赤になり、両手で顔を覆ってしまった。
「……どうした」
「なん、でも、ない……っ」
そうか、と短く答えて、パンを袋から開ける。
結局、昼休みに早く出た理由は聞けてないなと思いながら、ふと顔を上げる。
川崎の顔と対照的な、綺麗な青色をした空だった。
× × ×
しばらくして落ち着いた川崎は、弁当を食べ始めた。
「……それ、自分で作ってるんだよな」
「ああ、そうだよ」
川崎は簡潔に答えて、顔をぷいと逸らしてしまう。とりつく島もないようだ。
川崎の弁当の中身は、先日の夕食でご馳走になったメニューと同じ温かみに溢れていた。冷めても美味しいものを選んで、弁当箱という小さなスペースを上手く利用して色とりどりに飾っている。
「……いいな、美味そうだ」
目の前の味気ないパンと見比べて、ぽそりと呟く。このパン自体は好きだが、やはりちゃんとした弁当を見ると恋しくなるな……なんて思いながらの言葉だったんだが、この言葉には川崎が大いに反応した。
「……え、食べたい、の……?」
さっき顔を逸らした気まずさからか、小動物のようにおずおずとこちらの様子を慎重に窺ってくる。急に顔の温度が上がった。
「あー、まあ……うん、食べたいか食べたくないかで答えるなら、すげえ食べたい。絶対美味いし」
すらすらと出てくる本音に自分で驚きながら川崎の顔をちらりと見ると、何だかぽけっとした表情で俺を見つめている。
「……そっか。じゃあ今ちょっとだけ……って、あ、箸……」
川崎が自分の手元と俺のパンを交互に見比べる。
「……いきなりあーんとかはレベルが高すぎる気がするんだが……」
「え、あ、はあ!? そ、そんなこと、する訳……」
尻すぼみになって、最後の部分は聞き取れなかった。もしかしたら声になっていなかったのかもしれない。
「…………」
徐にきんぴらごぼうをつまんで、こちらに差し出してくる。口が半開きになっているのは、もしかして口パクで「あーん」と言っているのだろうか。手も震えていて、あまり放っておくとこぼれてしまいそうだ。
しかし、ここできんぴらごぼうをチョイスするか……。美味しいのには違いないが、箸に歯も何も付けずに食べるのは難易度が高い……。
突如訪れた展開に狼狽しながらも、自分で蒔いた種だと腹を括る。
「……あーん」
一応言葉を口にして、口を開く。なるべく歯を付けないように……と思っていたら、川崎の手がぶるりと震えてこぼれそうになる。慌ててごぼう全体を包み込むようにぱくりと咥えると、箸の先までばっちり咥えてしまった。
「……っ」
川崎が固まった。変な笑みを浮かべたまま。
「……ん、うん、美味い。ありがとな」
この状況を口に出しては色々とまずいと思い、無かったことにしようと試みるが、
「……そ、そそそそ、そうか、よよよ、良かった……」
川崎は全然大丈夫ではなかった。
箸の先と、自分の弁当と、俺の顔を交互に見比べている。それも高速で。顔は引き続き真っ赤だ。今日は林檎日和。
「……ああ、もう……っ」
泣きそうな顔で悲壮な決意を固めて、川崎は勢いよく弁当を食べ始めた。心の中ですまんと謝りながら、きっと味なんて分からないだろうなと考える。
だって、俺も何を食べたか分からないくらい、味が分からなかったから。
空を見上げる。小さな2つの雲がゆっくり交わって一つになった。風が強いようで雲の流れが中々速い。
そう言えばまだパンをほとんど食べてないな、と思い、俺も無言でパンにかじりつく。
時折視線を感じて顔を横に向けると、川崎はひたすら弁当を食べている。3回に1回くらいはばったりと目が合い、箸を咥えたまま顔を真っ赤にした川崎は、更に勢いを増して弁当を食べていた。落ち着けとは言えない状況なので、黙って見守るしかない。
いつの間にこんな関係になったんだ俺たちは……と、あまりに自然に訪れた変化に驚いていた。
屋上に流れる空気は、とてもゆるかった。
続く。
サキサキでした。ゆるゆる。
それでは、また明日ここでお会いしましょう(^^)!
今回もお読み頂きありがとうございました(^^)!!