目の前には、にこにこと笑いながら俺と川崎を交互に見やる京華。
横を見れば、唖然とした顔で京華を見つめる川崎。
どうしよう、何だこれ。
「け、けーちゃん? それはどういう……?」
川崎が京華に尋ねる。すると京華は更に笑顔を光り輝かせて、両腕をVの字にずばっと上げた。手を広げてなお小さい。可愛い。いや、そうじゃなくて。
「さーちゃんがはーちゃんのほっぺをこうしてー」
右手人差し指を立てて、くいくいと前後に動かす。
「はーちゃんも、さーちゃんのほっぺをこうするの!」
今度は左手人差し指を立てて、くいくいと前後に動かす。両手とも同じ動きをしているので相当シュールだ。可愛いけど。すんごく可愛いけど。
「け、けーちゃん、それは流石に……ね?」
川崎がしゃがみこみ、京華と目線を近付けて小さな両肩に手を置く。なるべく穏やかに、それでいて理由を告げず曖昧に事を済まそうという算段らしい。この解説をしている俺の汚れた大人感が甚だしくて泣ける。
「……だめ?」
京華が両手を下ろして、きょとんと首を傾げる。「う……」と苦しそうな声を川崎が上げて顔を背けたが、しっかりと顔の向きを戻して京華を見つめた。
「え、えっとね? それはちょっと……うん……」
だめとはっきり言わないのは、優しさが故か、甘さが故か。
いずれにせよ、白とも黒ともつかないグレーゾーンで誤魔化すという手段は、この場には適していない気がする。何故ならその手段はある程度成長した、且つ日本人的な空気を読む力をしっかり養えた者同士で通用するものだからだ。だからこの解説何なんだよ。
困ったような笑みを浮かべる川崎に、京華はしゅん……と目に見えて落ち込む。川崎はあわあわと慌てたが、京華はすぐに次の言葉を発した。
泣きそうな声で、上目遣いで、両手人差し指同士をつんつん合わせながら。
「……だめ?」
「やる」
「おい」
シスコンここに極まれり、だった。
川崎はだらしなく頬を緩ませた顔から一転、「しまった、あたしは今何て言った……!?」と無駄にシリアスな顔になって振り向いた。俺は君が笑い要員になってくれて嬉しいです。
ともあれ。
妹の上目遣いという必殺技一撃で、俺と川崎のぷにり合いが決定した。
帰りたい。
× × ×
「はーちゃん、帰るの……?」
「帰らない帰らない、ずっと居るからな」
「わーい!」
「ずっとはだめでしょ……」
帰れなかった。
試しに荷物をまとめて帰る準備をしてみたら、即座に京華が駆け寄り、俺の袖を掴み、上目遣いで前述のセリフを言われた。一色よりもあざとさの純度が高い。ていうかもはや将来は陽乃さんを凌ぐんじゃなかろうか。良いじゃん、なってみようぜ。たぶらかし系女子の頂点、傾国系女子に。何だその界隈、すげえヤなジャンルだな。
俺と川崎は京華に袖を引っ張られ、ソファに並んで座らされた。お互いなるべく距離をとろうと努力したが、京華がソファの上に立ち、川崎の肩を「うんしょ、うんしょ……」と言いながら押したことで、でれでれになった川崎があっと言う間に俺との距離を近付けてきた。俺は俺で京華の行動が可愛すぎて動くに動けなかった。
「……おい」
「……なに?」
川崎に話しかけ、ひそひそ話を始める。ひそひそ話って意外と声が通るらしいが、京華には何か話してるのは聞こえても、何を話しているのか伝わらなければ大丈夫なので気にしない。
「(お前、何やらかしてんだよ……)」
「(……ごめんって)」
「(ちょっと待ってそんなしゅんとなるなよ。何か俺が凹むっての)」
「(あ、そっか。……でも、ごめん……)」
「(情緒不安定かお前は。実際どうすんだよ?)」
「(……うん、せっかくだから、けーちゃんを全力で楽しませてあげたい)」
「(恥ずかし過ぎて死ぬという事態が予測されるが大丈夫か?)」
「(そんな冷静に言わないで……。とにかく、何とかするから。あんたはあたしの演技にちゃんと乗って)」
「(お? お、おう、分かった)」
死ぬ程不安な結論を出して会議は終了した。京華はいつの間にか俺と川崎の正面に陣取ってしゃがみこんでいて、俺たちの内緒話にぽけっと首を傾げていた。俺が悶えている間に川崎がムツゴロウばりに京華を愛でていた。よーしよしよし……。
京華を愛で終えた川崎が、胸に手を当ててすーはーと呼吸をする。何気に豊かな胸が上下するのが見えて、思わず目を逸らした。
「(……行くよ)」
「(……おう)」
川崎の声に視線を戻す。川崎は深く息を吸い、極めて真剣な表情で俺を見つめると――
「よーし、じゃあさーちゃんがはーちゃんのほっぺをつっつくぞー!」
「んぶぐっ!?」
予想の斜め上を行った川崎のテンションに、身体の奥底から噴き出しそうになった。
唇を全力で引き結んだ為に、鼻から変な音が出てしまう。川崎は俺の反応を見て、笑顔のまま首まで真っ赤になった。
川崎は俺を見ているようで見ていない絶妙な目線を保ちながら、満面の笑みを浮かべている。普段からこんな笑みを浮かべていたら各クラスに10人ずつくらいこいつのファンが出来そうだな……と思うくらい素敵な笑みだが、その数秒前までの真剣すぎる顔を知っているから今は正直面白さしか感じない。
「ぶっ……くくっ……お前、それはいくらなんでも……っ」
鼻が爆発するんじゃないかというくらいの面白味に耐えながら、震える声で川崎に言葉をかける。川崎は口だけ動かして、何かを俺に訴えかけている。顔は以前真っ赤なままだ。
「(わ・ら・う・な・!)」
俺にしか見えない角度で見せる表情は切実そのものなんだけど、涙目でぷるぷると震えながら言われても可愛いとしか思えない。
「い、行くぞー! それー!」
川崎が奇妙な笑顔――色んな感情が混じり過ぎて、ちょっとゲルニカみたい――を浮かべたまま、俺のほっぺに人差し指を伸ばしてくる。仕方なく、渋々、嫌々ながらもこのテンションに乗っかることにした。
「よ、よーし、さあこーい!」
人差し指がびたっと止まった。見ると川崎が俺から顔を背けて、手で口を押えてぷるぷるしている。こんにゃろう……。
「(……お前の方がよっぽど振り切ってるぞ、さーちゃん)」
ぽそりと呟いて喧嘩を売ると、川崎の震えがぴたりと止まった。
あれ、なんだろう。
超恐い。超怖いよぉ!
こほんこほんと咳払いをして、川崎が改めて奇妙な笑顔――さっきよりは自然な、脱キュビズム出来た感じ――を浮かべて、人差し指を伸ばしてきた。
ぷにり。
「わーい!」
川崎の人差し指が俺の頬に到達すると、京華はまるで人類初の月面着陸を喜ぶ人のごとく、ぴょんぴょんと嬉しそうに飛び跳ねた。やだ、この子ったらずっと見てたいくらい可愛い……。
俺は川崎から目を逸らしているが、何だか頬にやたらちりちりとした視線を感じる。
ぷに。
ぷにぷに。
ぐに。
ぐりぐり。
ぐりゅり。
「(ちょ……っ!?)」
何か効果音がおかしくなってない!? なんだよぐりゅりって!? 何の器具を使って抉ってんの!?
川崎に顔を向けようとするが、その分川崎の指が食い込んで中々向けない。超痛い。何この事態!?
顔を引きながら少しずつ顔の向きを変えていくと、ようやく川崎の顔を見る事が出来た。
笑ってる。
超笑ってる。
にっこにこだ。
けれど、目が笑ってない。
サーモグラフィーで見たら絶対目だけ超青いぞ、マジで。
「(いでででで……っ!)」
川崎の指が更にめり込む。頬をこんなにぐりぐりやられることって今後の人生でもまず無いんでなかろうか。超痛い。泣く。
川崎に「やめろ……っ!」とアイコンタクトで伝えようとしたら、川崎がゆっくり口を動かした。
「(わ・ら・え)」
「……っ」
――あれは、ロードショーか何かだっただろうか。
ふと好奇心で見た伝説的なホラー映画で、白い服を着た長い黒髪の女がテレビの中の井戸からこちらに歩いてきて、そのままテレビから出てきた時の、あのおぞましいまでの恐怖を――何故か今、思い出した。
……というのは言い過ぎにしても。
洒落にならないくらい怖い。
大人しく従うことにして、川崎に頬をつつかれ……というかどつかれたまま、京華に顔を向けた。
そして笑う。
引き攣った笑みを浮かべる。
少女よ、いや、幼女よ。
これが大人だ。
辛くて笑みを浮かべる余裕など全く無い中でも、自分が守りたいと思う何かの為に必死で笑顔を繕う。
これが、大人だ。
「……ごめん、やりすぎた」
無駄にかっこつけたモノローグを考えていたら、川崎が急に冷静になって指を離した。猛烈に恥ずかしい。
「(……お前俺を殺す気か……)」
「(ごめんって。ついイラッとして……)」
「(……すまん)」
「(……あたしも、ごめん。でもこれでけーちゃんも喜んで……)」
二人同時に、京華を見る。
これだけ恥を忍んでやり切ったんだ。きっと京華は喜んでくれるはず。にこにこと笑ってくれているはず。
――けれど。
『……え……?』
――京華は笑っていなかった。
それどころか、きょとんと首を傾げていた。
「さーちゃんもはーちゃんも、なんかへん。どうしたの?」
二人揃ってソファにへたり込んだ。ソファいっぱいに脱力した2人分の身体が広がる。
俺と川崎の大根すぎる演技は、幼女に一切通じていなかった。ていうか「何か変」の一言で片付けられた。
「ほら、次はあんたの番だよ……」
疲れ切った笑みを浮かべて、川崎が言った。バーで飲んだくれる哀愁たっぷりのOLみたいだった。
続く。
サキサキでした。京華の為にサキサキが壊れました。好き放題書くのは楽しかったです。
明日は定休日です。皆さん良い休日を!
それでは、また【明後日】ここでお会いしましょう(^^)!
今回もお読み頂きありがとうございました(^^)!!