「38度5分。完全なる風邪ですね」
自室のベッドで寝ている俺の横に小町が座り、医者のような口調で言った。手に持った体温計は今さっきまで俺が身体に当てていたものだ。そこに表示された数字は、俺が明らかに普段の体調と違うことを示していた。
思えば昨晩から少し体調がおかしかった。特に何があった訳でもないが、最近勉強やその他諸々のことで疲れていたのかもしれない。朝目覚めた時の視界がいつもよりも朧げで、リビングに行って小町と顔を合わせるなり即座に自室に戻らされ、今に至る。
小町は体温計をまじまじと見つめ、顎に手を当ててうーむと唸った。
「こりゃ学校は休まないとだね。今日は金曜日だし、3連休だと思ってゆっくりしなよ」
「……そうする。まずは学校に連絡するわ……」
意識が朦朧としながらも身体を起こすと、小町に両肩を掴まれてゆっくりと寝かされた。
「だめだめ、病人は大人しくしてなきゃ。取り敢えず小町が学校と……雪乃さんと結衣さんに連絡しとくね。あと連絡すべき人はいる?」
出来た妹だ……と感動しながらも、小町の問いにぼんやりと思考を紡ぐ。処理能力がいつもの何割かにまで落ちた頭で考えるのは骨が折れた。
「まずは、戸塚……」
「真っ先になんだ……。分かった、戸塚さんにも連絡しとくね」
戸塚さん可愛いしね……と誤解しか招かないことを呟いた後、小町は「他には誰かいる?」と聞いてきた。その時、頭の中に青みがかった黒髪の少女の顔が浮かんだ。少女と呼ぶには大人びていて、それでいてとても初心な少女が。
「……後は、思いついたら俺が連絡する。大丈夫、少し寝てから連絡するから」
「ん、そっか。分かった」
小町が柔らかく微笑むと、枕元の時計に目をやった。現在時刻は朝7時。小町も俺も、いつもよりリビングに顔を出すのが早かったのが幸いしたのか、色々と手を回す時間はある。最も俺に行動する元気は無いので、小町に動き回ってもらうことになるのだが。本当に頭が上がらない。
まずはぱっとコンビニに行って必要なものを買って、それから学校に電話して……とぶつぶつ呟きながら小町が計画を立てる。俺は布団に包まりながら、頼りになる妹の背中をぼんやりと眺めていた。今はお世話になるしか無い分、後でちゃんとお礼をしないとな……今度どこか連れてくか……などと考えていると、額に小さな手が当てられた。
「お兄ちゃん。小町、今日はすぐ帰るからね。それまで寂しいと思うけど頑張って」
「子供扱いするな……」
ゆるいやりとりをした後、小町はコンビニに向かい、俺は目を閉じた。
それから間もなくして小町がコンビニから戻り、市販の薬やスポーツドリンク、その他諸々を置いて学校や奉仕部のメンバーへの連絡も手早く済ませて、最後に俺の頭をよしよしと撫でて学校へ行った。彼女だったら死ぬ程惚れてるな……妹で良かったなどと思いながら、ゆっくりと目を閉じる。
自分で思い浮かべた彼女という単語から、泣き顔が可愛らしい人の顔がぼんやりと頭を過ぎった。
× × ×
「あなたも風邪を引くことがあるのね」
「ヒッキー、着替えは大丈夫?」
「お兄ちゃんやばいよ、これ世の男子が見たら焼き討ちされかねないよ」
ぬぼーっと過ごした日中が終わり夕方になると、自室がやたらと賑やかになった。雪ノ下と由比ヶ浜が見舞いに行きたいと言い(由比ヶ浜が雪ノ下を言いくるめたんだと思う)、小町が2人を家に連れてきたのだ。雪ノ下は軽めの悪態をついてはいるが、一瞬だけ帰宅して風邪を引いた身体に適した料理を作ってきてくれて、由比ヶ浜はおしぼりを替えたり何だりと甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。着替えに関しては正直恥ずかしくてしょうがないのであまり触れないでほしいが、それ以外はありがたいし照れくさいしで何だか大変だ。小町はそんな2人の様子を見て、にまにまと笑いながら俺に絡んでくる。可愛いし鬱陶しいし俺をからかいながらも世話を焼いてくれるからもう何か抱きしめたい。
…………。
しかし、なんだ。
確かにこれは小町の言う通り、世の男が見たら圧倒的な嫉妬の対象になるだろう。
すれ違った誰もが一度は振り返るような、タイプの違う美少女2人。
そして、世界に誇れる美妹(びもうと)小町ちゃん。
3人それぞれが、俺の身体を気遣ってくれているのだ。日中ゆっくり休んでいたらだいぶ回復していて、正直明日にはもう元気になっていそうだったのだけど。こんな幸せを享受出来るのなら、これはこれで悪くない。
スポーツドリンクの替えを持ってきた小町が、雪ノ下と由比ヶ浜をじっと見てにやりと笑みを浮かべた。
「それにしても……お二人さん、どうしたんですか? さっきから部屋を舐めるように見回して」
『っ!? そ、そんなこと……っ』
トーンの違うそれぞれの声が上ずって綺麗に重なった。雪ノ下の頬は仄かに、由比ヶ浜の頬は真っ赤になり、それぞれ目を泳がせる。小町が言うには、俺が気付いていなかっただけで2人は部屋に入った時からずっと視線が落ち着かなかったらしい。
「お兄ちゃんの部屋、そんなに気になります~?」
小町がペットボトルを若干ぞんざいに置いて(ひどい)、悪い笑みを浮かべて2人にすり寄る。
「わ、私は、その、比企谷くんの癖に意外と落ち着きのある部屋だと思っただけで……っ」
「ふむふむ、雪乃さんにとってポイントが高かったと」
「そ、そんなこと……っ」
「結衣さんはどうですか?」
「え!? い、いや、別にそんな、本がいっぱいあってすごいなーとか思っただけで……っ」
「ふむふむ、結衣さんにとってもポイントが高かったと」
「……っ」
2人が俯く。小町は2冊のメモ帳に今聞いたことをメモしていた。表紙に「雪乃さん観察ノート」「結衣さん観察ノート」とそれぞれ書かれていたのは気のせいだと思いたい。
「こら、小町。折角来てくれたんだからあんまりいじめるんじゃない」
はしゃぐ妹の頭をくしゃくしゃと撫でると、小町が「はう……」と呟いて振り向いた。その頬はうっすらと赤らんでいて、目は潤んでいてどことなく色っぽい。
「お兄ちゃん……そうやって、妹を攻略ルートに入れるのは良くないと思う。禁忌だよ禁忌。軍に逆らうこと、人体錬成に並ぶ三大禁忌だよ、妹との恋は」
「物騒すぎる話を急にするな」
ラインナップが絶妙すぎる。ていうか何、妹と恋をしたら極刑に処されるの?
寝ながらも右手で入念に小町の頭を撫で回すと、「ふわぁぁ……乱暴なようでいてこの天に導かんとする繊細なタッチ……いやだぁ……篭絡されるぅ……っ」と訳の分からないことを言っていた。雪ノ下と由比ヶ浜を見るとまだ俯いていた。目が合うと高速で顔を逸らされた。何ですのん一体。
× × ×
雪ノ下と由比ヶ浜が帰ると、ふっと一息吐いた。
LINEのトーク画面を開く。
『風邪引いたから休むわ』
『そっか、分かった。お大事に』
『ああ』
短いやりとりを見返す。朝、HRが始まる直前に交わした会話だった。このやりとりを、今日だけで何度見返しただろう。
連絡をするか迷っていると、リビングにいるはずの小町から連絡が来た。
「お兄ちゃん、今日はもう一人来訪者がいるようです。迎えに行ってくるね♡ かしこ」
最後の要る? と思いながらも、はてと首を傾げる。もしや戸塚かとも思ったが、小町のメッセージのテンションからするに恐らく女性だと考えられる。誰だろう、裏の裏の裏をかいて海老名さん辺りだろうか等と考えていたら、15分程で玄関が開く音と2人分の足音が聞こえ、部屋のドアをノックされた。
「比企谷。あたしだけど……入っていい?」
落ち着いた声を聞いた瞬間、心臓が跳ね上がった。
「……お、おう」
裏返りそうな声で返事をすると、扉が僅かに開き、その隙間から青みがかった黒髪ポニーテールの少女がひょっこり顔を出す。照れくさそうにしている表情には、色々な感情が込められている気がした。
――最も望んでいると同時に、最も有り得ないだろうと考えていた状況が訪れた。
続く。
サキサキでした。今日は本人の登場は最後だけでした。
それでは、今回もお読み頂きありがとうございました(^^)!!