川崎があーんしてくれると言う。
はて、この子は冗談を言うような子だったかな……と思ったけれど、目の前の茹で上がった顔を見たらすぐに思い直した。この子はそんな小悪魔めいたことを言うような子ではない。
お粥の入ったどんぶりを持って、川崎がベッドの縁に並んで座る。普段よりも大きく軋んだベッドが、自分以外の誰かが隣にいるという実感を強めた。
川崎は俺をじっと見つめていたが、俺が固まっているのを見てしびれを切らしたのか、レンゲでお粥を掬い上げた。お粥を食べさせるという単純明快な行為にも関わらず、川崎はまるで戦地にでも赴くような、よく分からない決意を秘めた顔をしている。レンゲを持った手が震えていて、信じられない程緊張しているのが目に見えて分かる。
俺は、そんな川崎の行動を見て、
「……ほんとに?」
お前は女の子か――と言わんばかりのしおらしさで尋ねた。すると川崎は目をぎゅっと瞑り、再び強い瞳で俺を見つめて頷く。
きっと、この照れくさい行為を回避する方法はいくらでもあると思う。
茶化すことだって出来るし、適当な理由付けだって本気で考えれば何でも思い付く。
けれど、それをしたら川崎を泣かせてしまうような、そんな気がして――俺は観念して口を開け、川崎が差し出すレンゲを迎えた。
互いの顔が、手が震えて、ひどくみっともない様だったと思う。
それでも、川崎が差し出したお粥を口に入れた瞬間。
心も、体も、重くて凝り固まった枷が取れたようにふっと軽くなった。
「……旨い」
身体の中にじんわりと広がる温かみを噛みしめて、ちらりと川崎の顔を見て呟いた。恥ずかしさが尾を引いてしまい、素直に感想を伝えることが出来ない。
「……ん、ありがと」
川崎の、どこか張り詰めた表情が僅かに緩んだ。その柔らかな笑みが俺を一体どれだけ幸せにしてくれるのかを伝える手段は無いのか――と、真面目に考えてしまう。
風邪を引いて。
女の子に。
あーんをしてもらう。
こんな、今までの人生では考えられないようなこっ恥ずかしい行為も、慣れてしまえばどうということはない。2口目からは、互いの動きもスムーズになる。
途中からは何も言わずに黙々と食べていたのだけれど。
「……あんた、美味しそうに食べるね」
思わぬ言葉に振り向くと、川崎が年上のお姉さんのような温かな笑みを浮かべていた。何だか気恥ずかしくなり、顔を逸らして平静を装う。
「……まあ、俺は口下手だからな。一口一口感想を言うなんて出来ねえから丁度良いかもな」
「毎回感想を言われたらこっちも大変だって。あたしは美味しそうに食べてくれるあんたの顔を見てればそれで充ぶ……っ」
川崎の言葉が、中途半端な所でぴたりと止まる。
「……え……」
「…………」
「……あんたの顔を見てればそれで……なんだ?」
「言うな……っ」
川崎の顔が、熟れたトマトのように真っ赤になる。ちょっと前までは、川崎の睨み顔がこんなに可愛いだなんて気付きもしなかった。
恥ずかしいやりとりの後も川崎は律儀にあーんをし続けて、気が付けば――初めは多いのではと思っていたお粥が、あっという間に無くなっていた。
× × ×
食事を終えて、川崎は俺をベッドに寝かせたまま食器を洗いに行った。戻ってくると何故か顔が真っ赤で、理由を聞くと「あんたの妹がいたから……」と、何とも間接的且つ直接的な説明をされた。色々つつかれたのか……お疲れ様です……。
川崎がどこに座るか迷っていたので、俺は起き上がってベッドの縁に座った。わざわざ手招きせずとも川崎は俺の意図を察したようで、頬を赤らめてきょろきょろと辺りを見回した後、戸惑いながらも俺の横に座った。
『…………』
不意に訪れた沈黙。
いつもなら心地良く流れるはずの2人の間の空気が――何故だか、急に気恥ずかしいものになった。先程までの気恥ずかしさとも違う何かが、この場の空気に満ちている。
――今日と言う日が、これで終わる筈がない。
――そんな、正体の分からない、予感のようなものが胸の中に芽生えていた。
「……今日は助かった。ありがとな」
「……ん」
短いやりとりが終わると、2人の距離が少しだけ縮む。どちらから近付いたのかは分からない。
「まだ油断出来ないんだから、ちゃんと休みなよ」
「ん、そうだな」
2人の距離が、もう少しだけ縮む。見えない力が2人の間の空間を押し縮めているかのようだ。
「明日は土曜日か……」
「……ん」
互いにベッドに付いた手の小指が触れる。今までならきっと飛び跳ねるように離れていた筈なのに、今はまるで何事も無いかのように離れない。それでも、心臓は今にも爆発しそうな程激しく脈打っている。
次は、何も言葉を交わさないまま、互いの二の腕が触れた。服を隔てているのに、川崎の体温がそのまま伝わるような気さえする。震えているのは俺の手か、川崎の手か、或いは両方か。それさえも判別が付かない。
2人の身体がぴとりとくっついたまま、時間がゆっくりと過ぎてゆく。川崎が時折もじもじと動くが、それでも離れようとはしない。川崎は今一体どんな顔をしてるのかと気にもなったが、互いに俯いていて顔を見る余裕など無かった。
家の前を車が通り過ぎて、静かな路地の空気を仰々しく揺らす。
数秒ばかりのせわしない音の波が去ると、再び訪れた静寂が更に静かなものに感じる。
川崎の呼吸する音が聞こえた。
吐いた息が、微かに震えている。
川崎を振り向く。
川崎もちょうど振り向いたのか、目が合った。
青みがかった黒髪が、出会った頃は冷たく感じた瞳が、薄めの唇が。
震えている、揺れている、何か言いたそうにしている。
どちらも言葉を発さない。沈黙の時間はそれほど長く無い筈なのに、まるで何時間も黙っているかのように思える。
――俺は、目の前にいる女性と、どうなりたいんだろう。どうしたいんだろう。
一人で居れば悶々と考えるような事も、目の前の川崎の表情を見ればすぐに答えが出た。
ほんの僅かに顔を近づける。川崎は少しばかり目を見開いて驚いたが、やがてゆっくりと目を細めた。
川崎の吐息を感じる。
鼻先がこつんと当たった。
触れていなくとも、俺の鼓動が川崎に、川崎の鼓動が俺に伝わっている気がした。
俺が、川崎が、ほとんど同時に息を呑む。
首を少しだけ傾けると、川崎もそれに合わせて首を傾けた。鼻先が離れたら、後はどうなるか目に見えている。
ほんの数センチ、或いは数ミリの身体の動きに、こんなに気を張った事があっただろうか。
そんなことを考えながら、ほんの少しだけ顔を前に進める。
そして――
「…………っ」
――唇が、重なった。
柔らかな感触が、じんわりと身体の奥底まで広がっていく。
初めての口付けは、劇的でありながらも、とても自然な行為に思えた。行為と言うよりは結果とも言えるかもしれない。水が川上から川下へ流れるように、散った花火が虚空へ消えるように、夕暮れの後に宵闇が世界を眠りに就かせるように――あまりにも自然な、2人の結末。
唇がそっと離れる。触れている間、互いに呼吸は止めていた。或いは止まっていたのかもしれない。口が解放されて、2人とも震えながら息を吸って見つめ合う。川崎の瞳は潤んでいて、どうしようもなく愛おしい。
今この瞬間に、言葉は要らなかった。
「ん……っ」
「……っ」
余韻に浸って体を震わせていると、川崎が――今度は自分から、震えながら唇を重ねてきた。今度は先程よりもほんの少しだけ、強く、押し付けるように。川崎の緊張が、不安が、愛おしく思ってくれる気持ちが伝わる。まるで一度目のキスの存在を証明したいかのような、確認の意味も込めた口付け。
唇が離れると、どうしようもなく寂しさが残った。
――この行為は、心から望んだものだ。
けれど、いざ唇を重ねてみると――これではとても足りないと思ってしまった。
もっと、もっと、もっと……。
川崎を知りたい。
川崎に触れたい。
川崎を――愛したい。
「川崎……っ!」
「あ……っ?」
溢れ出す愛おしさが、普段なら考えられないような行動に駆り立てた。
続く。
サキサキでした。遂にファーストキスです。ここからは書くのがまた楽しくなります……!
コミケに行って来ました! やせんというサークル名で一般向けとR-18の2冊を出したのですが、何とコミケ開始から2時間ちょっとで完売しました。こうして目に見える形で皆さんに小説を手に取って購入して頂いて、「いつも読んでます」「川崎編の続き楽しみにしてます」「第1話からずっと読んでます」等の言葉を掛けて頂いて、一体どれほど嬉しかったことか……!売り切れた後も惜しんでくださる方が沢山いらっしゃり、申し訳無いと思うと同時に感謝していました。ちなみに今回のサキサキのお話の4分の3はコミケ会場で書きました笑
本当に嬉しくて、どんどん売れる中、サークル仲間に「やばい、俺今幸せです」と言うくらいには幸せでした笑 ちなみに今回サキサキ編を更新したのは、お声掛け頂いたのがたまらなく嬉しかったからです!w
予想を遥かに超える売れ行きだったため、再販決定しました!通販なり何なりの方法をどうするか現在打ち合わせ中です。確定し次第またご報告致します(^^)!
今回出した本の感想を、こちらの感想欄やメッセージ、またはTwitterで書いて頂けると死ぬ程嬉しいです。Twitterのアカウントは
takahashi_toru_
ですので宜しくお願い致します!
ルミルミ編、サキサキ編、折本編、はるのん編、八幡誕生日企画メタネタハーレム編(もはや誕生日と言う意味が無い)を引き続き投稿していきます。どうぞお楽しみに!
それでは、今回もお読み頂きありがとうございました(^^)!!