翌日、土曜日。
「…………」
目を覚ますと、時刻は12時を回っていた。恥ずかしさで悶えたために中々寝付けず、その分随分と遅くまで寝てしまったようだ。首を傾け、腕をぐるぐると回し、ベッドの上に座ったまま目一杯背伸びをする。目覚ましを使わずにじっくり寝たお陰で、身体は随分と軽くなっていた。体温を測るとほぼ平熱で、昨日までの症状が嘘のようだった。かなりの汗をかいた服に不快感を覚えて、さっさとシャワーを浴びに行った。小町はどうやら既に家を出たようだ。平日休日関係無く元気な弾丸娘は、今日も超可愛い。会ってないけど。
「……ん」
シャワーを浴びてすっきりした所で部屋に戻ると、川崎からLINEで連絡が入っていた。どうしたのかとトーク画面を開くと、シンプルなメッセージが届いている。
『風邪引いた』
「…………」
罪悪感がえげつない速度で心に募る。募りすぎて口から出てきそうだった。
『すまん、大丈夫か』
『ん、多分』
『見舞いに行くか』
俺自身はすっかり元気になっていたから、病み上がりとは言え多少の外出なら問題無いだろう。何を買いに行くか……と考えていたが、既読が付いた後、10秒程返事が来なかった。LINEだと応酬が秒単位で進む分、この待ち時間は妙な緊張感をもたらした。
「うお……っ?」
突然鳴った着信音に驚く。相手は言わずもがな、川崎だった。
『もしもし。どうした』
『……変なことする気でしょ』
意思の強さを窺わせる普段の声からは考えられないくらいの、恥じらいを含んだ吐息混じりの弱々しい声。しかも喋った内容が内容だ。電話の向こうではきっと頬を赤らめているんだろう。こんなことをわざわざ言う為に……と思い、失礼とは分かっていながらもくすりと笑ってしまった。
『……何笑ってんの』
『わりい、こっちの都合でな。……お前がよっぽど元気になったら、そういうことも考えてたかもな。今は何を持って行けば良いかって事くらいしか考えてなかったぞ』
率直な俺の言葉に、川崎がひゅっと息を吸った音が聞こえた。
『え……? あ……その……』
泣きそうな声で困り果てた声をぽろぽろと漏らした後。川崎はしおらしくなった声で『……ごめん』と呟いた。電話越しだと言うのにとんでもない可愛さだった。
『まあ、今お前がわざわざ口にしたお陰で、俺は【そういうこと】を意識しちまったけどな』
『え』
『風邪なんだからあんま無理して喋るなよ? 今から色々準備してから行くから、1時間半後くらいには着くと思う。それで良いか?』
『え、あ、良いけど……その、さっきのは……』
『こらこら、大人しく寝てろって。な?』
『え、あ、うん……』
『うし、じゃ、また後でな』
『……うん……』
通話を切ると、空いた手で口を押えた。
「……死ぬ……」
可愛すぎだろう。今しがたの会話の余韻に浸りながら、顔をぷるぷるさせた。
ちょっと悪戯心で煽ってみたら、予想以上の慌てっぷりを見せてくれた。この後会った時、一体どんな顔をするんだろう。
何にせよ、川崎の看病をしっかりしなければならない。腕をぐるぐる回して気合を入れていると、LINEのトーク画面がティコンと音を立てた。
見ると、川崎から3件のメッセージが届いていた。
『変態』
『ありがと』
『変態』
「…………うし、準備するか」
変態のサンドイッチ……と怪しすぎるフレーズを思い浮かべながら、諸々の準備を始めた。
× × ×
川崎の家の最寄り駅で降りて、ぽてぽてと歩く。家から持っていくものはバッグに詰め込んで、他に必要なものは以前この道を通った際に見付けた薬局で買うことにした。日によってはぎらつく太陽も、今日は随分と柔らかい日差しを浴びせてくれる。道路に面した家の庭に生える植物は、機嫌が良さそうに葉を揺らしていた。
のほほんと街並みを眺めながら、もうじき着く旨を知らせると、川崎から『家の前に迎えがいるから』と言われた。誰がいるかはほぼほぼ分かっているが、なんでわざわざ……と思いながらも、川崎の住むマンションへ向かって引き続きぽてぽて歩く。休日のためか、仲睦まじく歩く親子の姿が目立つ。川崎が大志や京華をあんな風に可愛がっている光景を想像して、ふっと頬を緩めた。
マンションが見えた所で、よく見知った2人が見えた。
「はーちゃん!」
「お兄さーん!」
迎えの候補が両方ともそこにいた。2人が元気いっぱいに手を振るが、俺はここで「おーっす! 元気かー!」なんて言って手を振りながら走ることなんてしない。やらかした瞬間それは今までの人生で最大級の黒歴史になる。そんな光属性に溢れた真似なぞ出来っこない。Facebookで「1年ぶりに会う友人〇〇と、学生時代よく通った飯屋でご飯! お互い変わった所もあれば、全く変わらない所もあって。これからもこいつとはずっと親友でいれそうだなって思いました!」とか書きながら自撮りで2人の写真を撮れる奴の気が知れない。あとその投稿に対してタグ付けされた友人が「あれ、俺らって親友だったっけ? 笑」なんてコメントをして、それに対して投稿主が「ちょっと! ひどくね!? 笑」とか言えば一連のウェイ勢のテンプレ(社会人ver.)が完成である。やべえ、火炎瓶を投げつけたくなる。
いや。
どうしたんだ俺。
ちなみに今の思考は、大志と京華を見付けてから合流するまでの十数秒で巡らせたものである。無駄にすごいなと我ながら呆れる。
「はーちゃん!」
「おふぅっ」
SNSにおける光と闇に思いを馳せていたら、京華にハグ兼体当たりを思い切り腹に食らわされて、強制的に思考が中断した。妙な思考を断ち切ってくれてありがとう京華。でもちょっと痛いぞ。
「はーちゃん、はーちゃんだー!」
「おう、おう、どうしたどうした」
俺の腹をぎゅっと抱きしめて、おでこをすりすりとこすり付けてくる。ううむ、前よりも更に懐いてらっしゃる……。川崎同様青みがかった黒髪をくしくしと撫でていると、生温い視線を感じた。訝しみながら顔を上げると、大志が視線以上に生温い表情で俺たちを見ていた。
「お義兄さん……」
「次に同じ言葉を吐いたら、お前のTwitterアカウントを乗っ取ってアカウント名を『大志@早漏大使』にしてやる」
「ひどすぎるっすよ!? ていうか何すか早漏大使って!?」
「大声ではしゃぐなよ、嫌いだぞ?」
「『嫌われるぞ』じゃなくて既に嫌いなんすか!?」
「…………」
「目を逸らさないでほしいっす! マジ感が出て辛いっす……!」
「俺のことをお義兄さんなどと呼ぶお前が悪い。小町に近付いたら許さんぞ」
「いえ、正直俺が比企谷さんとどうにかなろうがなるまいが、お兄さんはお義兄さんになりそうで……」
「あん?」
「こ、怖いっす……。……いや、ほら、何かうちの姉と妹を見る限り……ねえ?」
「…………」
視線を下ろす。
京華は俺と大志が茶番を繰り広げている間もずっと俺の腹に顔をこすっていたようだ。俺が視線を下ろしたのとほぼ同時にぴたりと止まると、ゆっくりと顔を上げて「はーちゃんだぁ……」と満開の笑みを咲かせて、再び顔をこすり出した。
……う、うん、大丈夫。
これは懐かれているだけ。懐かれているだけ……!
でも、何だろう。取り敢えずベルゼブブ嬢のマンガが読みたくなった。
「姉ちゃんもこれくらい素直だったら良かったんすけどね……」
「こんな川崎を見たら死ぬわ、色んな意味で」
「でも、デレ度で言ったら姉ちゃんは京華の遥か上を行きますよ?」
大志の言葉に、俺は依然として懐きっぱなしの幼女を見つめる。
「……京華の遥か上? こんなことしてくる京華の? そんな訳……」
無い、と言いかけた所で、昨日の俺の部屋でのやりとりを思い出した。
…………。
「……お義兄さん、思い当たる節があるんすか?」
「お前はこれから出会う女性が全員、初対面に関わらずお前の股間を見てクスッと笑われるようになる」
「悪夢でしかないっすよ!?」
「もう掛けたから。呪いは掛けたから」
「辛い……でも比企谷さんみたいに既に出会ってる女性は関係無いっすよね。比企谷さんは総武高に来ても尚、一際輝いていて可愛いんすよね……」
「お前がこれから行う女性への告白は全て、1回目は絶対聞き取ってもらえなくて『え? ごめん、もう一回言って?』と言われるようになる。しかも聞き返す時はどんなに大人しそうな子も半笑いというオプション付き」
「初対面で既に一度笑われてるのに、告白でも笑われるんすか!?」
と、こんな茶番をすることしばし。
大志を言葉でぼこぼこにして、京華の頭を撫でて盛大に癒された所で、気になっていたことを尋ねる。
「何でわざわざ2人で迎えに出たんだ? 別に俺は家の位置を忘れてねえぞ」
「ああ、そのことですか。今から俺と京華と出かけようと思ってるんす。だから言い方はアレですけど、そのついでにお兄さんとちょっとお話しようと思いまして。姉ちゃんに頼んでこうして迎えに出ることにしたんす」
え。
「……お、おお、そうか」
「両親は仲良くお泊まりに行きました。なので今家には姉ちゃんしかいません。京華もたまには外食を食べたいってごねてるんで、2人で遊んだ後、夜ご飯も食べて来ます」
「お、おお。おお?」
「あ、ちなみにうちの冷蔵庫には姉ちゃんとお兄さんの分のご飯がありますんで。良かったら食べてって下さい」
「え、ああ。おお? わりいな、……おお?」
「それじゃ、姉ちゃんのこと、よろしくお願いします。行ってきまーす!」
「はーちゃん、いってきまーす!」
「お、おお、行ってらっしゃ、おお? 行ってらっしゃい」
満面の笑みを浮かべて手を振る京華と、意味深な笑みを浮かべる大志。
そうかそうか、夜まで俺と川崎は2人きりか。
…………。
目の前のマンションを見上げて、知らず知らずの内にごくりと息を呑む。
……あくまで看病、川崎は弱ってる、弱ってるから……!
何度も頭を振って自分に言い聞かせて、マンションへと足を踏み入れた。
続く。
サキサキでした。久しぶりのこの感じ。
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