とくん、とくん、とくん。
少女の心臓が小気味よく揺れ動く。
汗でしっとりと湿り気を帯びた黒髪は、いつにない色艶を彼女に与えていた。
この胸の高鳴りは、風邪を引いているから?
それだけではないことを、既に彼女は知っている。知ってしまっている。
目の前に佇む、今も自分を気遣わし気に見つめている少年の存在が。
彼女を包み、癒し、更なる熱を生んでいるのだ。
少女は思う。
今日、この場所で、もっと彼に甘えることが出来たなら。
2人の関係も、もっと進むのかもしれない。
捻くれながらも優しい彼の、もっと柔らかい部分を、見ることが出来るかもしれない。
思考がぼやけ、身体はふらつき、だるさが体力を奪い取る。
そんな中でも、そうした中でも、目の前の彼を見ると。
少女の心は、どうしようも無い程に躍ってしまうのだ。
× × ×
部屋に入ると、何故か川崎が歩いてきた道を逆戻りしようとしていた。
「どうした」
「お茶淹れる……」
「ばか……だから無理すんなっての。寝てろ」
ふらつく川崎の肩を掴むと、「きゃ……っ」と力無い悲鳴が聞こえた。くるりと半転させて背中を押し、ベッドへと連れて行く。ほら、と言って手を離すと、渋々と言った様子でベッドの上に転がった。
「ん……っ」
右腕を投げ出し、左腕で額と目を覆う川崎。吐息が何とも悩ましく、こういった仕草は本人が至って無自覚なのでタチが悪い。その目は先程よりもぼんやりとしていて、恐らく俺を迎える為に動いたことで具合が悪くなったのだと判断した。それでも、ここで謝ればきっと川崎はそんな事無いと力強く否定してくるのだろう。これ以上無理はしてほしくないので、敢えて謝るのを止めておいた。
ベッドの縁に座り、振り向いて川崎の目を見る。
「水、飲みたくなったらいつでも言ってくれ。取り敢えず寝とけよ」
「ん……あ、あの、えっと……っ」
「? どうした」
川崎が、熱とは別に頬を仄かに赤らめて、何か言いたそうにしている。何をそんなに照れてるんだ……と思ったが、俺の右手のすぐ横で、投げ出された手がぴょこぴょこと動いているのに気付いて苦笑した。熱を帯びた手を何も言わずに握ると、川崎は腕を顔からどかし、微かに目を細めた。
「ほれ、おやすみ」
「……ん、おやすみ」
温もりに満ちた声で俺の言葉に応じた川崎から、間もなくして安らかな寝息が聞こえてきた。ちょっと捲れていたパジャマの上着の裾を、視線は逸らしながら直した。小さな掛布団でお腹を覆い、冷えないようにしておく。
川崎の寝顔は思っていたよりも幼く、楽しい夢でも見ているのか表情がころころ変わる。普段とは違う一面はとても面白く、見ていて飽きることが無かった。
× × ×
「……きっつ……っ」
川崎が寝てから、15分後。
俺の中の色々なものが、限界に達しようとしていた。
紳士的に、出来るだけ優しく、労わるように。
風邪を引いた川崎に対して限界まで優しくしてきた訳だが。ここに来て本能が理性に揺さぶりを掛けてきた。
脳内で何かを受信する。
『From 本能 to 理性。
件名:そろそろさ
本文:You , 襲っちゃいなよ!』
「やめろ、俺の本能……っ!」
何故かメール形式で囁かれる悪魔の誘惑。こういうのって脳内で天使と悪魔が戦うのがテンプレートじゃないのか。何でメールなんだ。事務的だな随分と。
脳内でメールをまた受信する。
『From 溢れ出す本能 to 徐々に弱りゆく理性
件名:そこに2つの丘があるじゃろ?
本文:ボタンを2つ外すじゃろ? 手を突っ込むじゃろ? Yes!』
何が!? 何がYesなの!? ていうか送信元が強くなって受信先が弱くなってる!
「うぅ……ん……っ」
「っ!」
川崎がこちらに寝返りを打つ。手はしっかりと繋いだままだった。
あ、また脳内メール。
『From 迸るどころか既に先走っている本能 to 理性って何だっけ?
件名:寝返りを打った訳ですが
本文:まずは手を離します。それで川崎さんが残念そうな顔をしたらもうオッケーです。高感度はカンストしてます。ばっちりです。GOです。まずは汗をじっとりかいたお尻を触ります。触り心地が良いですね。これを30分。こちらが30分揉まれ続けて出来上がったお尻です。見た目は変わりませんね。しかし匂いはきっとそれはもうたまらないものになっていますよ。楽しいですね。次は右手でお尻を触ったまま、胸を揉みましょう。勿論上着のボタンを外して手を突っ込むんですよ? 私の予想では恐らくブラはしておらずショーツだけ履いているでしょう。たまらないですね。両手でたっぷり嬲ること30分。こちらが計60分間男の手に蹂躙され続けた豊満な肢体です。いやらしさは倍増どころか2乗する勢いです。やばいです。ここで川崎さんが目を覚まします。けれどまだ熱に浮かされて、何が起きているのか把握出来ていません。にこにこして誤魔化しましょう。何もやましいことはしていない体を装いながら御胸と御尻を引き続き揉みましょう。え、なに、バレるだろうって? いいえ、バレませんよ、多分。そんなこと言ってても、バレたらどうするって? そんなもんキスで黙らせれば良いんです。むちむちは良いぞ。平仮名で書くとまた生々しくなるぞ、むちむち。むちむち、むちむち、むちむち……』
「なげえ!」
思わず小さく口に出した。
脳内メールの量が格段に増えている。いかん。ツッコミどころが多すぎる。しかも何がやばいってこれが全部漏れなく俺の本音だと言うことだ。口調が最後急に変わるのも俺の心がブレブレである証拠だ。何を冷静に分析してるんだ俺は。
しかし、どうしよう。もうかれこれ20分近く手を繋いでいるだけだ。何もしていなくても楽しくはあるんだが、それと同時にフラストレーションと言う名のリビドーが溜まる一方だ。
どうする、どうする?
そうだ、こんな時は俺が好きなラノベや漫画の主人公たちがどうするかを考えれば良いんだ!
……。
…………。
……………………。
…………………………………………。
……皆、ヘタレだった。
漏れなく女の子に何かしたいとは思っているけれども。
その後結局何も出来ない、ヘタレの巣窟だった。
「う……ん……っ」
不意に、川崎がゆっくりと目を開けた。生まれたての雛のように不安げに視線を巡らせ、右手の温もりに気付いたのか2人が繋いだ手を見やり、そこからゆっくりと視線を上げる。俺とぱちりと目が合うと、ほっとしたように目を細めた。
「水……っ」
「あ、ああ、分かった」
消え入りそうな声で呟かれ、慌てて手を伸ばす。すぐ手が届く位置に置いていたスポーツ飲料のペットボトルを掴み、川崎の背中を押さえてゆっくりと起こす。すっかり俺に身を委ねて脱力している身体は、思っていたよりも重かった。
「ほら、ストローで飲めるから」
「ん……っ」
手をだらりと下げたまま、俺が差し出したストローをぱくりと咥え込む。
「ん……んっく、んっ、んっ、ん……ぷはっ。……んっ、んっく……んっく、ん……っく、んん……っ」
「……っ」
虚ろな目で、弱々しく断続的にストローで飲み物を吸い上げ続ける様は……他の物を見る余裕が一切無くなる程色っぽい。時折目が合うが、いつもなら恥ずかしがってすぐ逸らされる筈なのに今は違っていて、ぽけっとしたまま俺を見つめて飲み続ける。
この光景が何の行為を想起するのか……なんていうことは分かりきっていて。
「勘弁してくれ……」
飲み終えて満足したように再び眠りに就いた川崎と手を繋ぎながら、空いた手で額を押さえて呻いた。
続く。
サキサキでした。
オリジナルではそれなりに書いている三人称をここでは全く使ったことがなかったので、試しに書いてみました。500話近く書いてるのでもはや何でもありかなとw
脳内メールは三人称よりも更に思い付きで、完全に流れで書きました。これはこれで楽しかったです。八幡の煩悩垂れ流し。
天然エロというのも、何気に今までほとんど書いたことが無い気がします。初挑戦が多いのは良いこと、と思っておきます!
それでは、今回もお読み頂きありがとうございました(^^)!!