4限の授業を終えてぐっと身体を伸ばす。開け放した窓からは他の教室からの喧騒が穏やかに流れ込んできていた。日々夏が近付いている中でも、今日は小休止とも言えるような涼しげな日。あっと言う間に過ぎ去った春を、太陽が名残惜しんでいるような気がした。
「あの、お弁当……」
袖をくいくいと引っ張られて振り向くと、川崎が俯いて呟いた。川崎の太ももの上に弁当包みが2つ置いてあり、あまりにも分かりやすい沈黙にふっと頬が緩む。
「作ってくれたのか」
「……うん」
頬に赤みが差し、耳まで赤くなるのが見える。幸せで口元がむずむずした。
「どこが良い?」
「……屋上だと、落ち着く」
「ん、わかった」
「……先に行くから、一分くらい経ったら来て」
こちらの返事を待たずに、机の下で俺に弁当包みを渡すと、川崎はそそくさと教室を出て行った。席を立った時点で完全にいつも通りの表情に戻っていて、女性は皆役者なのだなと場違いな感動を覚えた。
ばらばらに教室を出て、後で合流。
まるでスキャンダルを恐れる芸能人のような真似ではあるが……顔見知りが多い学校で、2人並んで歩くと言う行為は……恥ずかしいなんてものじゃない。川崎の選択は正解だな……と思いながら、そろそろ一分経ったかと小さく独り言ちて席を立った。
× × ×
「眩し……っ」
壊れた南京錠の付いたドアを開けると、夏の気配を帯びた日差しが肌を叩く。屋上に吹き抜ける風は涼しいのだが、遥か天上から降り注ぐ光は容赦が無く、思わず手を翳して日射しを防いだ。
「すご……っ」
俺と同じく手を翳した川崎が、目を細めながら呟く。きょろきょろと辺りを窺った後、給水塔の梯子を指差した。
「あそこの上なら日陰があるから。行こう」
ふむふむ。梯子。
ちなみに川崎は今、ショーツを履いていない。
…………。
うむうむ。
「ああ、良いな。じゃあお先にどうぞ」
梯子を親指でくいくいと差すと、
「……は?」
「…………」
ごく自然な流れのつもりで言ったんだが、物凄く冷たい声が返ってきた。怖くなって思わず顔を逸らしたが、恐る恐る視線を戻すと整った顔が耳まで真っ赤になっている。
「……あ、あんた……自分で何を言ってるか分かってる?」
「もちろん」
「急に男らしくなるな……っ」
きりっとした顔で返してみたら、顔を逸らされてしまった。
「だめか?」
近頃すっかり押しに弱くなった川崎に、弱々し気に問いながらもじりじりと近付く。
「だ、だめに決まって……っ」
「ほんとに?」
川崎の背中が壁に付き、2人の距離が限りなく近づく。壁に手を付き、すらりと伸びた足の間にこちらの足を滑り込ませる。少し前の自分が見たら卒倒するような行為も、川崎の前では自然と出来てしまう。
「だ、だって、あたしが先に登ったら、その……っ」
声を震わせておろおろとする川崎の反応が、嗜虐心をざわざわと駆り立てる。
「『その』、なんだ? どうなるんだ?」
「だ、だから……っ」
顔をずいと近付ける。額が接触する直前まで近付いて、視線で川崎を捕らえる。逃げ場を無くした川崎は、艶やかな唇を震わせ、瞳が潤む。
「……っ」
「……ほら、どうした。言ってみろよ」
楽しくてしょうがないと思いながら、川崎を煽っていると。
「…………う……っ」
「……?」
「……う、うぅ……っ」
「……え……っ」
川崎の目から、ぽろりぽろりと涙が零れ落ちた。
何てことだ。
やっちまった。
やってもうた。
「うっ……ひっく、うぅ……っ」
「えーっと、その、ごめん、マジでごめん。いや、ほんとごめん、やり過ぎた」
目の前で手を合わせ、平身低頭の本気の平謝りをかます。
川崎が泣き止むまで、およそ5分。
凄まじい罪悪感に駆られながら、必死で謝った。
× × ×
「本当にごめんなさい」
「もういいって……」
「申し訳ありません」
「いいから、そんなに謝んなくて……」
「本当に申し訳ありません。僕は虫けらです」
「どうしちゃったんだよあんたは……」
お手製の弁当を食べながら、すっかり平静を取り戻した川崎が呆れた声を漏らした。
――川崎を泣かせてしまった後。
泣き止んだ川崎が給水塔の上を指差して「……ごはん、食べる……」と妙に子供っぽい声で言ったので、2人で上に登った。勿論俺が先に登った。スカートをしっかり押さえて顔を赤らめながら梯子を登る川崎は無性に可愛かった。
川崎がどこかのポケットから取り出した小さなレジャーシートに座り、涼しい日陰の中で弁当箱の蓋を開ける。川崎が作ってくれた弁当は頗る家庭的だった。里芋のにっころがしも入っていてくすりと笑うと、川崎に「いいから早く食べなよ」と照れながら怒られた。
そして今、弁当を食べながら改めて謝罪行動に打って出ている訳である。今朝の事も含めた、今まで川崎にしてきた行為を思い起こして、「やりすぎだったんだ」と、今も尚凄まじい罪悪感が湧き続けている。
川崎は困ったように――実際困っているんだろうが――眉をひそませた。
「さっきのはあたしも悪かったって。……まさか泣いちゃうなんて、って自分でも驚いてんだから」
「いやでもな、お前が泣いちまうくらい、俺は今まで……」
「だからいいって。……別に、さっきのも今までのも、全然いやだった訳じゃ……あ」
「え」
「…………っ」
川崎が腕で顔を隠して横を向いた。
「……いやじゃなかったのか。全然? 全く?」
「……う、うるさい」
「……へえ……っ」
「……な、なに……なんなの……っ」
川崎が目に涙を浮かべて、じっと睨んでくる。顔が真っ赤なものだから可愛くしか見えない。
本当に、どうしてここまで可愛くなったんだろう。
初対面ではあれだけ冷然だった彼女が、今では何もかも愛おしく思える。
――ああ。
ふっ、と距離を詰めて、川崎の唇を奪う。
「ん……っ?」
川崎が目を白黒させている間に唇を離す。
――もう、我慢出来ない。
「え、あの……っ?」と戸惑っている川崎を今度はぎゅっと抱きしめると、「きゃっ!? え、ちょ、なに、えぇ……っ?」と更に混乱してしまった。
――言ってしまおう。踏み込んでしまおう。
「ちょ、ちょっと、さっきから何なの……?」
困惑しきっている川崎を正面から見つめる。
「川崎、もう身体は大丈夫だよな?」
「え? うん、今はすっかり元気だけど……」
「じゃあ、今日俺ん家に来るか」
今日一番の驚きを顔に浮かべて、川崎が固まる。
「……っ、……あ……えっと、その……」
「……だめか?」
「ち、ちがう、だめじゃない。だめじゃないんだけど……その……金曜日まで、待ってくれる?」
「……なんでまた?」
予想外の返答に疑問符を浮かべると、川崎は髪をかき上げ、恥ずかしそうに視線を逸らし、もう一度見つめてきた。
「……だって、多分、次の日はまともに立てなくなりそうだから……っ」
視界がぐらりと揺らぐ。
目の前の女性の魅力が、一気に跳ね上がる。
ここに来て、何て事を言ってくれるんだ。
「……そ、そうだな。じゃあ、金曜に泊まりに来てくれるか」
「え、と、泊まり!?」
「だって、帰る体力も残らないくらいするんだろ?」
「するとか言うなばかっ! で、でもそうか、泊まり……泊まりか……」
川崎が両手で口元を覆い、せわしなく視線を動かす。
「じゃあ決まりな。金曜は俺ん家に泊まりに来てもらう。それまでは今日みたいなことをしまくるぞ」
「え、今何て言った?」
「今日みたいなことをしまくる、って言った。家でも学校でもな」
「……………………は、はぁ!? あんたねえ、あんなこと毎日してたら絶対やばいか」
「だめか?」
「……っ、……ばか、ばか、ばか、知らない……っ」
そっぽを向いてしまったが、肯定と取ることにする。自分から提案しておいて難だが、川崎の今後が心配になってしまった。
きちんと守らないと……とよく分からない使命感を胸に抱えながら、未だに混乱している川崎の身体をぎゅっと抱きしめた。
予鈴のチャイムが聞こえ、身体を離す。
「……ばか」
弁当を風呂敷に包みながら、川崎はもう一度可愛らしく罵倒の言葉を呟いた。
続く。
サキサキでした。10月26日はサキサキの誕生日でしたね……! おめでとうサキサキ!
それでは、今回もお読み頂きありがとうございました(^^)!!