今日これからのことを楽しみにしすぎていたのか、川崎を連れて家に帰る間のことはよく憶えていない。焦っていたのか、落ち着いていたのか、川崎と手を繋いでいたのか、繋いでいなかったのか、途中で抱きしめたりしていないか……全部曖昧なまま、気が付けば家の前にいた。
「およ、おかえりお兄ちゃん……と、沙希さん! こんにちはー! ようこそ!」
「お、お邪魔します……」
「……ただいま。早いな」
家に入ると、小町がひょっこりと顔を出した。あれ、真っ直ぐ帰ってきたはずなのに……何故に小町は既に着替えてくつろいでいるんだろう?
「んー? 真っ直ぐ帰ってきただけだけどねー。お兄ちゃんと沙希さんは寄り道したんじゃないの? もう帰りのHRから結構経ってると思うけど」
「ん、あれ? そうなのか?」
小町の言葉に首を傾げて時計を見る。言われて見れば確かに中々の時間が経過していた。おかしいな、何が起きた……? と思っていると、手がちょいちょいと引っ張られた。振り返ると川崎が顔を真っ赤にして首をぶんぶんと振っている。視線を下ろすと内股でもじもじとしていた。
……俺は一体何をしたんだ。
「小町、俺と川崎はすぐ部屋に行くから」
「んー、わかったー……んん?」
小町がのほほんと返事をしてリビングに戻りかけたところで振り返ると、改めて俺と川崎の顔をまじまじと見つめてきた。その顔はどこか心配そうで、特に川崎をじっと見ている。川崎は目をぱちくりとさせて小町と見つめ合っている。どっちも可愛い。
「どうした」
「んー……お兄ちゃん」
小町は俺にだけ手招きをしてリビングに入っていった。川崎とアイコンタクトをしてリビングに入ると、小町は奥の方で手招きをしていた。どうやら川崎に聞かれたくないらしい。
「なんだ急に」
俺の言葉に、小町は眉をひそめてむぅ……と小さな呆れ声を漏らし、リビングの入口をちらりと見るとぽしょぽしょと喋り出した。
「えっとね……これはほんとお節介でしかないと思うんだけど……あんまり、沙希さんにがっつきすぎないようにね?」
「え……?」
小町の言葉で、心臓に直接水を掛けられたような感覚に陥る。小町は俺の反応をつぶさに見つめているようだった。
「お兄ちゃんと沙希さんが今までどんな時間を過ごしてきたかは分からないよ? まあある程度想像つくことはあるけど……あ、鼻血が……」
「出てない出てない、大丈夫だから」
頬を赤らめて鼻を押さえるのをやめてほしい。どの辺まで察しがついているのかがすごく怖いんですけど。
それでもね……と、咳払いをした小町が優しい笑みを浮かべる。
「お兄ちゃんは、沙希さんが好きなんでしょ?」
「……っ、お、おう、まあ、な、うん」
「え、そこはっきり言ってくんないの?」
「……いや、今のは単に恥ずかしかっただけだ。……好き、だぞ……」
「……お兄ちゃん、あんまり恥ずかしいこと言わないで? 小町まで顔熱くなってきちゃった」
「お前が言わせたんだろうが……」
お兄ちゃんのせいで話が逸れたけど……と理不尽なことを言って、小町はにひっと笑った。今まで沢山見てきた小町の笑顔の中でも、とびきりの笑顔だった。
「だったら、大事にしてね?」
「……おう」
小町の言葉で、今日の帰り道のことをぼんやりと思い出してきた。
ひと気の無い場所で川崎を抱きしめ、キスをして、胸を触って、またキスをして……それを何度も何度も繰り返していた。一回一回の時間は長くないけれど、まるで燃料を補給するかのように何度も川崎の身体を味わっていた。川崎は頬を赤らめて戸惑いながらも、嫌がることなく全て受け入れてくれていた。
――これまでの時間を思い出して、すぅっと波が引いたように冷静になっていく。自己嫌悪をした訳ではなかった。ただ勢いに任せた情欲が薄れていって、川崎への愛情が濃度を増して残ったような感覚だった。
「……ありがとな、小町」
「ん、お兄ちゃんが冷静になってくれたようでなにより」
小町は嬉しそうに笑って、俺の胸板にぺちぺちとパンチをしてきた。思ったよりも痛い。ちょっと力ついてきたなこいつ……。
さて、せっかくだから今のうちに頼んでおこう。
「あー、小町」
「ん、なに? あんまり沙希さんを待たせても悪いから……」
「今日は川崎に泊まってもらうつもりだから」
「え」
「急にすまん。言ってなかったのが悪かった。……それと、これはもっと申し訳ないんだが」
「な、なに、なに?」
「部屋にいるときは極力イヤホンなり耳栓なりを着けていてもらいたい」
「……その理由は?」
「……小町の精神衛生上、その方が良いと思う」
「……お兄ちゃん」
「……おう」
「……沙希さんのこと、ちゃんと大事にしてくれるんだよね?」
「……するぞ。めっちゃ大事にした上での、その、まあ、なんだ、行為だからな」
「行為って言った! お兄ちゃんが行為って言った! 生々しい! お兄ちゃんなんかキモい!」
「はっきりと言うな! ちょっと悲しくなっただろうが!」
ひそひそ話の体も忘れて兄妹でぎゃーぎゃー言っていると、川崎がひょっこりと顔を出した。何やら顔を真っ赤にしている。
「……あの、今の……だいぶ聞こえてるから……」
『ごめんなさい』
2人揃って高速で頭を下げた。
× × ×
なんだか気まずい感じになりながらも俺と川崎は部屋に移った。
「あー、なんだ、その……なんか飲むか」
「え、あ、うん……」
一度冷静になると、良いムードを作ってあれやこれやするイメージがまったく出来ていないために物凄くヘタレになる。リビングに戻って飲み物をコップに注ぐ間、俺の表情を見て諸々察した小町がぷーくすくすと笑ってきたので両頬を引っ張ってやった。変な声が出て面白かった。やはりうちの妹は可愛い。
部屋に戻り、川崎に飲み物を渡す。どこに座るか迷っている川崎に、俺はベッドの縁を指差した。川崎はぎょっとしながらもベッドに腰掛け、俺も並んで腰を下ろす。
2人揃って無言で麦茶を飲む。
なんだこれ。
気まずさが故か、俺も川崎も一気飲みしてしまった。何かのCМみたいになった。
なんだこれ。
川崎のコップを受け取り、盆に載せてリビングに戻る。リビングを出てから戻ってくるまでの早さに小町がぎょっとしていた。「いいよいいよ、小町が洗っておくから……お兄ちゃん、大事にするっているのとヘタレなのは別問だいひゃいいひゃいいひゃい!」などと、からかってくる妹の頬をつねりつつ礼を言い再び部屋に戻る。
もう一度ベッドで2人並んで座る。
沈黙。
沈黙。
沈黙。
いかん、本当にどうしたら良いか分からない……。完全にタイミングを計りかねて視線を泳がせていると――
「……ぷっ」
「……え?」
何やら、間の抜けた声が漏れ聞こえた。
「……ぷっ、くく……っ」
「お、おい、どうした」
いつの間にか、川崎は笑っていた。それもすごく楽しそうに。
「いや……なんであたしたち、こんな固くなってんのかと思っちゃって……だって、帰り道までは……、…………っ」
「……無理して言わなくていいぞ」
明るく言葉を続けようとして、川崎が顔を真っ赤にして固まった。
「……俺はやっぱり、今日お前としたい」
「……ん、あたしも」
「ただまあ、この状態でいきなり及んでも絶対不自然になる」
「今までも不自然なときはだいぶあったけどね」
「うぐ……まあ、その、なんだ。もうちょっと自然な流れで行きたい」
「……それは、うん、あたしも思った」
たどたどしく会話を紡いで、気が付けば川崎と手を重ねていた。
「川崎は……普段部屋では何してんだ? 勉強とか、大志と京華の面倒を見るとかは除いた上でだぞ」
俺の問いに、川崎はしゅるしゅると手の指を絡めながら考え込む。ぞくりとした。
「ん……割とごろごろしてるよ。ベッドで寝そべって本を読んだりとかしてる」
「……それだ」
「……何が?」
何気ない言葉で天恵を得たかのようにドヤ顔を決めると、川崎は絵に描いたような渋面を浮かべた。
「今聞いたことをそのままやっててくれないか。俺もだらけるから、な?」
「いや、『な?』って言われても、あたしには何がなんだか分かんないんだけど……」
「まあまあ、やってみればわかるから、な?」
「いやだから、その『な?』ってなんなの……?」
全力で怪訝な表情を浮かべる川崎を無理くり宥めつつ。
俺は、いや、俺たちは。ちょっと遠まわりをすることにした。
川崎を大事にしながら、それでいてきちんとお互いが楽しめるように。
続く。
サキサキでした。50話突破。最初に書いたサキサキ編の5倍以上の長さになりました。
それでは、今回もお読み頂きありがとうございました!!