自室に入って、意味もなくドアの鍵を閉める。何でかは分からないが、ほとんど無意識に指が動いていた。
開きっぱなしのLINEの画面には、折本かおりの文字が表示されている。メッセージが1件入っていた。
ごくりと息を呑んで、トーク画面を開く。
『うっす』
全身の力が抜けた。
危うく膝から崩れ落ちる所だった。
何この女っ気のない挨拶……俺の緊張を返せよ……。
そうは思いながらも、
『うっす』
何となく、そのまま返す。
俺の返信は数分遅れだったが、すぐに既読が付いた。
『この挨拶、比企谷っぽいと思ったんだけど、違った?』
なんでこいつ俺の真似をしようとしたの。
『すげえ、俺が俺自身を見るとこんなにも力が抜けるのか』
『何それウケる』
『ウケねえよ』
『あのさ』
『なに』
『電話していい?』
はい?
『け』
『け?』
『間違えた』
『何と間違えたの』
『何でもない』
「え」と入力しようとしたが、動揺しすぎてフリック入力でおかしなミスをしてしまった。
こほんこほんと咳払いをして気を落ち着かせる。面と向かって話す時と違って、LINEのトークをする分には俺の動揺も悟られな……悟られるか。訳分からん誤字もやらかしてるし。
『それじゃ、電話していい?』
『え、ちょっと』
俺の返信に既読が付いた直後、聞き慣れないLINEの着信音が鳴り始めた。わたわたと慌てたが、ここで出ないのもどうかと思い、迷った末にベッドに座って電話に出た。
「出ないかと思った。うっす」
「迷ったけどな。うっす」
なんか定例の挨拶になってしまっている。
「あはは、まさか比企谷と電話する日が来るとはねー」
「……本当にまさかだっての。何で電話なんだ?」
俺の問いに、受話器の奥が一瞬静まる。
互いの部屋の無音を数秒だけ交わし合ったところで、
「ん、何となく」
と、折本のどこか含みのある明るい声が聞こえた。今の間は何だったんだとか、今の声音が少し不自然だったとか、色々思う所はあったけれど。それを追求してもお互い楽しくなさそうなのでやめておいた。
「ん、そか。で、何の用事なんだ?」
「あ、そうそう。明日のこと」
「何時に市立図書館で落ち合うか決めようって話か」
「ん。それなんだけど、他の場所でもよくない?」
「え……」
「あ、ごめん。いやだった?」
渋る俺の声から心情を察したにしては、妙にあっさりとした声音で聞かれた。
さらりとこんなことを言えるやつだったな……と、ふと中学の時のことを思い出した。
「あー、いやってことはないんだけど。変に洒落た場所に連れて行かれたら疲れそうっていうか……」
「あはは。何、そんなこと考えてたの? ちょっと行ってみたいなって思ってたカフェがあるから、そこでどうかなって思って。そんな敷居高くないから大丈夫だって」
「一般の高校生女子と俺の感覚を同列に考えるなよ……絶対敷居高いって……お前みたいにきらきら系のJKがうろうろしてんだろ……」
どんよりとした曇り空を想起させる暗い声で言うと、電話の向こうでからからと明るい笑い声がした。俺が作った曇り空をさらりと霧散させてしまう明るさが、胸の奥の懐かしい感情をくすぐった。
「あははは……ぷっ、くく、あー……もう、比企谷最高だわ。どんだけひねくれてんの」
「いや、俺がひねくれてる訳じゃない。この世界がそもそも間違ってるんだ」
「あー、そうかもね。じゃあ明日9時半に駅前で良い?」
「なあ話聞いてた?」
「ぶっ……くくく……っ」
またしても笑い声。腹を抱えて笑い声を堪えているのが目に浮かぶ。
「いいからいいから。気楽にやろ?」
「いや、本当に気楽にやるんなら市立図書館で……」
「それじゃ、明日もよろしくね。おやすみ!」
「あ、おい」
電話が切れた。
「……なんなんだ……」
あいつってこんな強引な誘い方をするやつだったっけ……と思ったが、そもそも中学の時はそんな誘いを受ける関係ではなかった。
それが今日の再会で、一気に変わった気がする。
何が起きるか分かんないもんだな……と思いながら、明日教えるのに必要な準備を始めた。
× × ×
約束の時刻より少し前の、9時10分。
予定より幾分早く着いてしまったのは、まるでデートか何かと勘違いしてしまいそうな状況に緊張していたが故だろう。折本が来るまでまだ時間はあるし、緊張を解す目的も兼ねて立ったまま読書をすることにする。こういう時文庫本は軽くて重宝する。ブックカバーを付けているので、何を読んでいても行き交う人の視線を気にすることもない。書店でブックカバーを付ける人は若者、特にラノベを買う人に多いと聞いたことがあるが、今の自分の状況を鑑みると妙に納得してしまった。
これならあと20分は余裕で時間を潰せるだろう……と思い、数ページ程読んで本の世界に没入しかかったところで。
「うっす」
「んぼほぁっ!?」
後ろから脇腹を突かれて、抜群に気持ち悪い声を上げてしまった。さっきまで気にならなかった他人の視線が一気に突き刺さる。「何だろうあのキモい人?」って感じで小さな女の子が首を傾げてるのがつらい。その子を守ろうと抱きしめるお母さんの視線がまたきつい。
脇腹をさすりながら後ろを振り返ると、
「……うっす」
今しがた自分がされたことに対する恨みも忘れて、普通の挨拶をしてしまった。
折本は、青みがかったブラウスとジーンズというシンプルな格好だった。女の子らしさはあまり無く、それが彼女の魅力を引き立てているように思える。ごてごてしたのは似合わないということを自分で分かっているようで、こういったさばさばした格好が折本にはよく合うのだと分かった。
「……見すぎだって」
「あ、え? あ、おお、すまん」
気付いたらじっくり見てしまっていたようで、慌てて謝る。最初から最悪の印象でスタートか……と落ち込んでいると、折本がにこりと笑った。
「ま、そんなに見てくれるってことは、あたしの格好も悪くないってことかな?」
そう言って、からかうように、それでいてどこか照れたように笑う。
「……ん、まあ、そうだな。似合ってる」
顔を逸らしながら言ったが、返事が返ってこない。何事かと思い折本を見ると、目をぱちくりさせて、まるで初めて見る生き物であるかのように俺を見ていた。どうも珍獣です。
「……なに、そんな変な事言ったか」
「……いや、そんなことないけど……ただ、意外だなーって」
そう言うと、折本は悪戯っぽい笑みを浮かべて、こちらにぐいと近付いてきた。上目遣いで見られる程の距離になり、身体中から緊張で汗が噴き出す。
「なんだ、どうした、よせ。死ぬぞ、俺が」
「……こんなに女の子慣れしてないのに、似合ってるって結構さらりと言えたよね。どういう生活してきたの?」
自由研究の対象を見るような好奇心旺盛な目で見られる。慣れない視線の温度に頬を焼かれて、気を落ち着かせようと頭をがしがしと掻いた。
「俺だってどうして言えたのか分かんねえよ。んなことより早く行くぞ。俺は目的地さえ知らねえんだが……」
「あ、そうだね。じゃ、行こっか」
折本はあっさりと追及をやめ、くるりと方向転換する。2、3歩ばかりとててと歩いた所で、不意に歩を止めてこちらを振り返った。
「今日はよろしく」
「……おう」
にかって笑われて、ぐるぐると頭の中を巡っていた考えがまとめて吹き飛んだ。
どうにも、毒気の無い笑顔はこちらの調子を狂わせる。……毒気を抜かれて調子が狂うって、普段どんだけ毒々しいんだ俺は……。フグか、フグなのか。美味しくないフグなのか。何それ良いところない。
まあ、そんなことはどうでもいいとして。
目の前を歩く、かつて一方的に恋をした女性の背中を見つめる。
あの頃は、何も知らないまま惚れていた。
男女問わず仲良く接する彼女の後姿や横顔を、ぼんやりと眺めているばかりだった。
たまに話しかけられれば挙動不審になり、会話が終わった後いつも後悔していた。
自分勝手で、身勝手で、まるで届くことのない思いではあったけれど。
あの恋慕の情を忘れることは、きっと一生無いだろう。
それくらい、拙いながらも恋をしていた。
今は、好きという感情こそ無くなっているものの、あの頃よりは見えたものがある。
あの頃のことを思い出すと恥ずかしくなるが、それと同時に懐かしくもなる。
あの頃は、少しばかりの楽しさと、その何倍もの寂しさが心に同居していた。
つくづく恋愛っていうのは面倒なもんだな……と思いながら、楽しそうに歩いていく折本の後を付いていった。
続く。
折本でした。
折本は他のヒロインと違って、「やばい、可愛い。これは書いたら絶対楽しい!」という感覚がほとんど無いままスタートしたヒロインでして。
感覚的には、自分の中での2次作品とオリジナルの架け橋になるようなイメージで書いています。原作でのイメージがほとんど無いという意味では由比ヶ浜マもそういったイメージでした。
書いていく中で、ちょっとずつ折本を魅力的に描けて行けたらと思います。どうぞ気長に、気楽に見ていてくださいませ(^^)エロの部分も、他のヒロインとは違ったテイストが出せるかなと思っています。書くのが楽しみ!
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それでは、また【明後日】ここでお会いしましょう(^^)!
今回もお読み頂きありがとうございました(^^)!!