個室に案内してくれた店員が去るなり、折本はずっと呼吸を止めていたかのようにぶはっと息を吐き出した。
「さっきの比企谷、声抑えてんの面白すぎ……っ」
「お前な……」
この悪戯っ子め……と思いながらも、少し安心する。
カフェと言う馴染みの無い空間にテンパっている俺をさり気なくリードして、それでいてバカにすることもしない、ということに。
きっと折本は、俺がそんな心配をしていることを夢にも思っていないのだろう。「なんでバカにするの?」とでも言うかのように。
「個室っつっても声は聞こえるだろうから、あんま笑い過ぎるなよ」
「ぷっ……くく……っ、うん、ごめんごめん……っ」
どんだけツボにハマってんだ。箸が転んでもおかしい年頃とはこういう子のことを言うのか……。
お腹を押さえて息を整えている折本から視線を逸らして、メニューを広げる。
「ん……色々洒落てるやつが多いな」
「あー、いっぱいあるね。まあ無難なやつで良いんじゃない? 外れ引くのもやだし」
「そうだな……って、そっちにもメニューあるだろ」
声が裏返りそうになる。
折本さん、何故かこっちのメニューを覗き込んできなすった。
どこまで本気なのか、折本は自分の目の前にあるメニューをちらりと見ると、何ともわざとらしく頭を掻いた。
「あ、ごめんごめん。近すぎて気付かなかった」
「それ何のJ-POPの歌詞だよ……」
「ぶっ!? ……くく……ちょっと……急にやめて……っ」
ジャブくらいのつもりで放った例えツッコミがクリーンヒットした。これはこれで恥ずかしい。
「ぷっ、くく……っ、そうだよね、近すぎて気付かないこともあるし、失ってから気付くものとかあるもんね……」
「何で歌の続きを考えてんの? 今日中に1番のサビまで書き終えたいの?」
「……っ!」
「声にならない叫びとなってるけど大丈夫か?」
「……~~~~っ!」
「この気持ちは何だろう……」
「やめ……死ぬ……っ」
折本がテーブルに突っ伏して瀕死状態に陥った。
……どうしよう。
超楽しい。
ありがとうございます、谷川先生。
この状態で折本の脇腹をつついたら絶対可愛い声が聞けると思うが、一発でお縄だと思われるのでやめておく。超やりたいけど。
「ああもう……比企谷のせいで腹筋割れる……」
「俺にそんなバイブレーション機能はねえよ」
「……バイブって……」
「ん、どうした?」
「ううん、何でもない」
一瞬変な雰囲気になりかけたのは気のせいか。
「流石にメニューを決めた方が良くないか」
「そうだね、じゃああたしはアイスカフェオレで」
「俺もそれで良いか……って、だから何で俺のメニューを見るんだっての」
「遠くにあるものにこそ手を伸ばし続けたいじゃん?」
「2曲目の作詞に入ったのか。おめでとう」
「ラブソングの次は前向きな曲……っ」
またしても突っ伏して震えだした。今のは完全に自爆ですやん……。
この後も似たようなやりとりを繰り返し、店員を呼んだ時折本は上気した顔で息を荒げていて、店員は物凄い勢いで俺と折本を交互に見ていた。そうだよね、絶対何かしてたろあんたらって思うよね……。
届いたアイスカフェオレをくぴくぴと飲みながら、ふと個室内を見回す。
「……まあ、なんだ」
「ん、なに?」
「ここ、すげえ雰囲気良いな」
「今頃……っ?」
折本のツボにまたしても入ってしまった。というかこの子、全身ツボしかないんじゃなかろうか。
今度は早めに立て直した折本が、こほんこほんと咳払いをする。
「ん、良かった。気に入ってもらえて」
そう言って笑みを浮かべる折本の表情はとても柔らかく、思わず顔を逸らす。
「……折本は、いつもあそこで勉強してるのか?」
取り敢えずのつもりで話題転換をしたのだが、折本は俺の質問に対して暗い笑みを浮かべた。
「ん……ちょっとね」
あ、何か重い話の匂いがする。
どうしようかと迷ったが、避けようと言う気には不思議とならなかった。
「話したくなかったらいいけど、何となくでも話したくなったら聞くぞ」
俺の言葉に、折本はきょとんとした顔になる。そしてふっと頬を緩めて、「……何それ、ウケるんだけど」と力無い声で呟いて。
「ちょっと暗くなるけどごめん。……あそこで勉強を始めたのは最近なんだ」
ストローでカフェオレの氷をからからと回して、折本が目を伏せる。
「海浜行ってから、それなりに勉強は頑張ってた。それでも最近……2年生の3学期くらいからかな、皆一気に受験モードになって。2年生の期末であたしもそれなりに頑張ってみたんだけど……急に順位が落ちてさ。模試の結果なんて見るに堪えないって感じだった。それで、今までは学校で勉強してたんだけど、ちょっと居づらくなって……」
折本の声が微かに震える。この子が抱えるものを垣間見た気がした。
空気が重くなるのを察してか、折本は無理矢理笑って手をぱたぱたと振った。
「ごめんね、こんなどこにでも転がってるような悩みの話しちゃって。忘れていいよ」
「……どうでも良くなんかないって」
このままで終わってはいけないと思い、話を流そうとする折本を止める。
「……え?」
「成績が伸びなくてしんどいとか、友達関係が上手くいかないとか、先生でやたら強く当たってくるやつがいるとか……どんな悩みも、その人がきつく思ってるのは変わらないだろ」
「……そんなもんかな」
「そんなもんだよ。例え目の前で救急車が通り過ぎても、その中で生死を彷徨ってる人のことは気にしないだろ。それよりも自分が軽く転んで擦りむいた膝のことを考えちまうもんだ」
「そう……かも」
「人間そんなもんだ。だから今折本が抱えてる悩みだって、他の誰かに評価されて良いもんじゃない。軽く扱ったって、自分が苦しいだけだぞ」
「……うん。……でも、比企谷は総武高でしょ? なんか、勉強の悩みを言うと……余計にちっぽけに見えて……」
「きっと大学もそうだと思うけど、実際はどこに行こうが、そこで何をするかが重要だろ。レベルの高い高校だの大学だのに行っても、その後だらけたらそこに行った甲斐が無い。そこで頑張って、何をするかが重要だと思う。折本は海浜で勉強を頑張って、友達付き合いもしっかりやって、色んな人に影響を与えてるんだろ。十分すげえって」
……と、ここまで言った所で、急に恥ずかしくなってきた。
いかん、笑われる。
青春かよって笑われる……!
これから押し寄せるであろう羞恥の波に戦々恐々としていると。
「……そ、そっか……うん、ありがと……」
折本は俺を笑うどころか、頬を赤らめて顔を背けた。
「……? どうした?」
「……何でもない。……比企谷って、こんなクサいこと言えたんだ」
「……うるせえよ。まあ、総武高に入ってから色々あったからな」
「ふうん……そっか……」
そう言って、折本はカフェオレの氷をからからと混ぜながら俺を見つめる。
その瞳は、俺の思い違いでなければ、だけれど。
ほんの少し、熱を帯びているような気がした。
続く。
折本でした。段々キャラに色合いが出てきたので楽しさが増えてきました。
明日は定休日です!
それでは、また【明後日】ここでお会いしましょう(^^)!
今回もお読み頂きありがとうございました(^^)!!