折本の提案で、背後の個室から聞こえてくるピンクな展開から耳を遠ざける為に2人でイヤホンを着けることにした。
立ち上がって折本の側に行くと、折本がびくりとして俺から遠ざかった。あれ、地味にショックだぞ?
「……なんかすまん」
「あ、その、ごめん、悪気は無いから」
悪気が無い方が辛いんだけどな……と思いつつ座席に腰を下ろす。すると折本はもじもじとしながら俺に流し目を送った。
「……その、遠くない?」
「いや、これくらいで良いんじゃねえか? これでもイヤホンは届くだろ、ほら」
言ってイヤホンを実際耳に着けると、思っていた以上に余裕だった。うん、これなら変に近い距離感を味わわなくて済むな……と安堵していると。
「…………」
折本が、無言ですりすりとこちらに近付いてきた。物凄く静かに。暗殺者志望なのかしら。
「……近くないか?」
「さっきのは遠すぎて話しづらいし」
「いや、これはこれで話しづらいんだけど……」
イヤホンが容易くたるみ、油断すれば頬さえくっついてしまいそうな距離。気が付けば向こうの個室の声もイヤホンから流れてくる音楽もどこか遠くのもののようにに聞こえて、代わりに自分の心臓の音がよく聞こえた。
俺が目を逸らすと、視界の端で折本がにやりと笑ったのが見えた。
「なに比企谷、意識してんの?」
「冷静に考えろ。中学の時告った子とこの距離にいるんだぞ。自分の可愛さってものをもっと自覚しろ」
「…………」
「痛い痛い痛い、顔を離すな、イヤホンが! 耳が! いって!」
「あ、ごめん……」
感情のままに発した言葉に、折本は何故だか真っ赤になった。おかげで耳がおかしなことになりそうだった。
互いに不自然な咳払いをして、2人ともテーブルに肘を乗せる。何この圧迫面接的雰囲気。ただし面接官しかいない。隣にウケる人はいるけど。
「……そろそろ大丈夫かな?」
「……ちょっと俺が確認する」
イヤホンを外して、耳を澄ます。
『あっ、やん、そこ、こすっちゃ……うんんん……っ』
『声、エロい……すごく可愛い……』
『やぁんん……んぅぅぅ……っ!』
待て待て待て待て。
瞬時にイヤホンを着け直した。
「イヤホン作戦継続だ」
「え、あ、うん。続いてたの?」
「悪化してた」
「…………」
折本が俯いた。ウェーブのかかった髪の隙間から覗く耳がすっかり真っ赤になっている。思わず頭を撫でそうになって、慌てて自分の手を押さえた。
気持ちを落ち着けようと飲み物に手を伸ばすと、同じ飲み物に手を伸ばした折本に触れてしまった。
『あ……ごめん』
同時に謝って、同時に手を引っ込める。さっき向かい側に居た時の感覚で飲み物を取ろうとしたが故の事故だった。
話題に困り、さっきから思っていたことを口にする。
「……しかしアレだな、折本は意外と初心だな」
「……そんなこと、ないけど……」
折本が顔を逸らす。
…………。
そっと、音楽の音量を落とす。
「いやいや、こんな可愛い反応すること自体初心すぎるだろ。確かに実際聞いて戸惑うのは分かるけどな」
「……そんなこと、ない、けど……」
……ふむふむ。
「普段のイメージとだいぶかけ離れててびっくりしたけどな。でもこれはこれで、まあ、うん、……うん」
「……そんな、こと、ない、けど……」
……おやおや。
最後の攻めは明らかに中途半端だったにも関わらず、折本は見る見る内に村人Aモードになっていく。それも話しかけるごとに口が回らなくなる機能付き。やだ、その内村長の家の位置も分からなくなっちゃう……。
「……本当に、初心じゃないのか」
「……そんなこと、な……あるけど」
流れで答えかけた。いかん、笑ったら流石に怒られる。
じゃあ、と言って、俺は自分のイヤホンをとんとんと指差す。折本はしばし悩んだ後、初心ではないことを証明するためにイヤホンを外した。俺も試しに外してみる。
まあ流石に、あれ以上のことはしていないだろう……と思ったら。
『あっ、あんっ、だめ、入っちゃう、これ入っちゃう……』
『ちゃんと堪えろよ。じゃないと勝手にずぶずぶ入ってっちゃうぞ? ほら、ほら、ほら……』
『あふぁぁぁぁ……だめ、ほんとに声漏れちゃうぅ……っ』
悪化してた。
それもすごく。
折本を見ると、目を見開いて口をぱくぱくさせていた。どこの金魚だろう。ポッキーとかあげたら食べるだろうか。
「折本、俺が悪かった。無理はしないでくれ。ほれ、イヤホン」
「…………」
折本はぎぎぎぎ、と油の足りないロボットのようにこちらに振り向くと、ぎこちない動きのまま俺からイヤホンを受け取って着けた。
× × ×
結局この後30分程ピンクな時間が続き、ここでの勉強は無理だと判断してカフェを出ることにした。帰り際に折本がさり気なく「また今度行こっか」と言ってきたので、「まあ、気が向いたらな」と返事をした。その言葉を言った時折本は空を見上げてたので俺も釣られて空を見た。大きな雲が1つぷかぷかと浮いていて、きっと今自分は折本と同じ雲を見ているのだと思った。何でもない出来事が、妙にこそばゆかった。
同じ中学だっただけあって、帰り道はぎりぎりまで一緒だった。別れ際、折本はぴたりと足を止めた。半歩前を行っていた俺は少し遅れて立ち止まって振り返ると、そこには寂しさを孕んだ笑みを浮かべる折本がいた。
「……比企谷」
「ん、どうした」
「さっきのカフェさ、また今度行こっかなんて言ったけど……また、会っても……いいの?」
一度俯いてから、ゆっくり顔を上げて発した言葉。
この短い言葉の中に、一体どれだけの感情が篭っているんだろう。
中学の時。
別々の高校になってから再会した時。
クリスマスイベントやバレンタインイベントでも会った時。
そして、昨日から今日にかけての時間。
それぞれのタイミングで、きっと俺と折本それぞれの感情は大きく揺れ動いていただろう。きっと、良くも悪くも。
だからきっと、折本はまだ距離を測りかねているのだ。折本かおりと、比企谷八幡との間の距離を。
確かに、ここでただ別れていたら、連絡先こそ交換していても、下手をすれば一生会わないことだって有り得た。「中学の時のクラスメイトと2日連続で会った」というだけの話で済んだだろう。人に言う程の話でさえないのだ、こんな出来事は。
それでも、折本はこうして踏み込んできてくれた。
嬉しいかと聞かれたら正直分からない。かつて恋心を抱いた相手の意外な一面を沢山見る事が出来たのだ。ああ楽しかったと思うだけで終わりにすることだって出来る。
――けれど、それは何だかいやだった。
何故いやなのかなど分からない。
理由は分からないのだから、きっと頭の中の理性ではなく本能が訴えているんだろう。
――だから。
「……ん、まあ、良いんじゃねえの」
俺の返事に、折本は優しく目を細める。
「……何その曖昧な感じ。ウケるんだけど」
胸の奥がむずむずする。こんな純真な笑みを見せられてはたまらない。
「いや、ウケねえよ……まあ、俺から連絡することもあるかもしれんから、そん時はよろしくな」
「……うん、分かった。楽しみにしてる。今日はありがと。また勉強教えてくれる?」
「おう、タイミングが合えばな」
折本は嬉しそうに笑って、家に帰っていった。
一度途絶えて、もう二度と交わることは無いと思っていた2人が不意に繋がり、またすぐに切れそうだった糸が徐々に太くなり、繋がりが強まっていく。
心地良いような、むずがゆいような、そんな気持ち。
この気持ちの正体を、俺はまだ知らない。
続く。
折本でした。ゆっくりゆっくり。
それでは、また明日ここでお会いしましょう(^^)!
今回もお読み頂きありがとうございました(^^)!!