(1)
高校3年生になって少し経った頃。
年度の初めこそ、受験生であるという自覚をほとんどの人が持っていなかったものの、教師達の度重なる焚き付けにより少しずつではあるが教室の空気が変わってきていた。
俺自身、ここからは受験勉強を本格化させねば――とは思っているのだけども。
それでも俺は、この空気をどこか対岸の火事のように感じていた。
理由は至ってシンプル。
――今はそれどころじゃない、からだ。
「比企谷くん、何をため息なんて吐いてるの? こんな美人のお姉さんを前にして」
「いや、美人なのは認めますけど……そりゃため息も出ますって」
――この、今俺の目の前にいる、未だに自分の恋人であることが信じられないくらいの美貌を持つ女性が発した言葉によって……俺の脳は今、とてつもない混乱をきたしている。
……まさか、本当にやってしまうとは……。
× × ×
とある3連休初日の朝。
最近はゼミなどで忙しい陽乃さんと久しぶりに会い、珍しく用事も何も無い3日間を一緒に過ごせることになった、その日の朝のこと。
我が家のリビングで陽乃さんが淹れてくれた紅茶を飲んでいると、陽乃さんはテーブルに肘をついて両手のひらに顔を乗せ、素敵な女性を絵に描いたような仕草で俺を見つめていた。この人が女性らしい仕草をすると、まるで陽乃さんが考え出したオリジナルの行為であるかのように思える。模倣が本物を軽々と越える程の魅力を放つのだ。
「比企谷くん」
「ん、なんですか」
聞き返すと、陽乃さんはにこやかに目を細めた。
「部屋を借りたの」
「え」
カップを持ち上げた手が止まる。
「比企谷くんと好き放題するために」
「え」
危うく落としそうになり、ゆっくりテーブルにカップを置く。
「もう荷ほどきも全部終えたから、今日にでも来て良いよ」
「え」
確定事項なの?
ツッコミどころが多すぎる展開に目眩がする。
「え、いや、あれ? 今まで実家暮らしだったんじゃ……」
俺の質問を笑顔で聞きながら、陽乃さんが紅茶を注ぐ。
「そうなんだけどね。いやー、苦労したんだよ? 母親にこのタイミングで一人暮らしをするメリットをプレゼンするのは大変だったなー」
家族にプレゼンするって……自分の家に当てはめると只の罰ゲームにしか思えない。
「ごめんね? 引っ越しも忙しくて中々会えなかったの」
「あ、その忙しさもあったんですね」
道理でこんなに会えなかった訳だ……と納得する。
「……で、その結果一人暮らしを実現したと」
「そうそう。わたし言ってたでしょ? 『比企谷くんと好き放題する為だけの部屋を借りようかなー……』って」
「言ったのははっきり覚えてますけど……」
いや、え、ええ? 本当にやるんだ? 早くない? いや、陽乃さんの残りの大学生活の長さを考えたら、今躊躇してたらもう間に合わないんだろうけど……。
細かいことは良いから……と、2つの紅茶のカップを片付けて、陽乃さんがにこにこと上機嫌で微笑む。
「今から行こう? ……と言う訳で、お兄さんを借りてくね、小町ちゃん」
「……は、はい……」
――実はこの場に同席していた小町が、頬を赤らめて俺と陽乃さんを交互に見やる。
「大丈夫だよ? お兄ちゃんが喜ぶことしかしないから。あ、わたしが喜ぶこともいっぱいされちゃうかな?」
「小町、ティッシュを進呈しよう。予防だ」
「予防は間に合わなかったよお兄ちゃん……」
「すまん、ティッシュめっちゃやるから。めっちゃやるから!」
ティッシュで鼻を拭くと、小町が呆然としながらも手をひらひらと振った。
「お兄ちゃん、赤玉を出したりしないようにね?」
「お前それ知ってても言わない方が良い知識だと思うぞ」
「うん、小町も今思った……」
小町が頬を赤らめる。やだ可愛い……と思っていると、陽乃さんが「きゃー小町ちゃん可愛いー!」と小町の顔を豊満な胸で包み込んだ。陽乃さんは自分が抱き付いた時の小町の反応も気に入っているようで、しょっちゅう抱き付いてはうちの妹を昇天させている。
「ほふぁぁ……」と気の抜けきった声を漏らす小町の頭を撫でて、出掛ける準備をする。
――ちなみにさっき、陽乃さんがおかわりを注いだのは小町のカップで、片付けた2つのカップというのは俺と小町の分だったりする。
俺と陽乃さんの2人しかいない状況と錯覚させておいて、実は小町もいたのでしたというネタばらし。
こういうのを叙述トリックと言ったりするのだろうか。
言わねえな。そもそも隠す意味も無かったし。
兎にも角にも、俺と陽乃さんは家を発った。
× × ×
「うおぉ……っ」
首が痛くなるくらい上を見やり、ありきたりな驚きの声を漏らす。
陽乃さんが引っ越したマンションは、この辺りでも最上級の高級マンションだった。一介の学生が使うには値段的にも雰囲気的にもまるで釣り合わないが、陽乃さんが住んでいると思うとまるで違和感が無い。むしろこれくらいのマンションでやっと陽乃さんが「まあ、これくらいなら住んでもいいか」と思っていそうなくらいだ。付き合ってみて分かるが、この人にはそれだけの品格や知性、それに加えて将来性が備わっている。嫉妬の感情を覚えることさえ馬鹿馬鹿しかったりする。
「迷ったんだけどねー。こういうマンションを借りてきちんと住むか、こっそり安アパートを借りて比企谷くんと卑猥なことをする時だけ使うか」
「…………」
いかにも築何十年というアパートの、狭い6畳間。
使い古した布団に包まって、裸で抱き合う俺と陽乃さん。
布団に匂いが染み付いて取れなくなるまで、ぐちょぐちょに交わって――
「ティッシュを持ってきておいて良かったです」
「君は想像力豊かだねえ……」
お姉さんの余裕たっぷりな笑みを向けられた。ていうか想像した内容が一瞬でバレてる。
「どうする、本当にアパートも借りようか? 敢えて安い所を」
陽乃さんの提案は至極魅力的だったのだけれど。
「いえ、やめときます。お金もかかるし、俺は陽乃さんと居られるならどこでも構わないんで」
「……そう」
陽乃さんが顔を逸らす。ほんのりと耳が赤い。普段は97%くらいやられっぱなしなのだけど、たまにこういう直球で反撃する。ドラマに出て来る人物よりも美しい陽乃さんだけど、芝居じみているとも言える直球でクサい言葉にはすこぶる弱いのだ。
「……後でめちゃくちゃにされてやる……」
「すごい宣言だ……」
めちゃくちゃSなのにめちゃくちゃМという、色情の化身のような陽乃さんの言葉と艶っぽい横顔に一瞬で勃起してしまう。
ていうか、マンションの入口でする会話ではないだろう、これ。
「じゃ、案内するね。必要な道具と物資は揃ってるから」
「道具……? 物資……?」
不吉な予感しかしない言葉を並べると、陽乃さんは俺の手を取ってマンションの入口でパスワードを打った。うん……と低くうなりを上げた自動ドアが開くと、2人で一緒に足を踏み入れる。
取り敢えず、この3連休で本当に赤玉が出ないことを心の中で祈った。
続く。
という訳で、衝動的にはるのんのショートシリーズスタートです。前回のゆきのん的な感じになるかと思います。こちらは連続ではなく、他のヒロインと並行して書こうかと思います(^^)
<お知らせ>
1年前も言ったんですが……。
今日、僕の誕生日なんです。
うおああああああああああああああああ!!!
ふう。
1年前はいろはすの最初のシリーズの途中でびっくりしました。すんごい前に思えてまだ1年前という。
お祝いの言葉が沢山欲しいです(正直)。
感想、メッセージなど方法は問いませんので、褒めちぎってください(正直)!
いつもありがとうございます!
それでは、また明日ここでお会いしましょう(^^)!
今回もお読み頂きありがとうございました(^^)!!