平塚先生との一戦を終えて、昇降口まで辿り着く。先生を撒いてからは(ひどい言い草だ)走りもしていなかったのだけれど、明らかに足腰……と言うか腰にキていた。自分で言うのも難だが、ああいった行為には慣れている筈なんだけどな……と思いながら、今日一日を振り返る。
…………。
……よく生きて立ってるな、俺。
美しくも可愛い面々の艶っぽい表情を思い出すと、一気に頬が熱くなった。ぶんぶんと顔を振って息を吐いていると、LINEでメッセージを受信した。
送り主は折本かおり。トーク画面を開いた。
『放課後会えない?』
『会える。どこにいる?』
『比企谷の高校の最寄りの公園』
『おう、分かった。行くわ』
『待ってるー』
『(スタンプ)』
『(スタンプ)』
「…………」
さっきまでのげんなりした自分はどこへやら、すっかりその気になっている自分に呆れながら――俺は折本がいる公園に向かった。
× × ×
暴力的な日射しも少しずつ収まってきた夕方の道をのんびり歩いていると、ほんの5分程で待ち合わせ場所の公園に着いた。さてどこにいるかな……ときょろきょろしていると、同じようにきょろきょろしている女の子と目が合った。
「うっす」
「……おう」
俺っぽい挨拶と言って勝手に定着させてしまった挨拶をして、折本はどこか照れくさそうに笑う。恥じらいを浮かべながら俺を見つめる瞳に頬が熱くなって顔を逸らし、遠くにある雲を見ながら何とはなしに尋ねた。
「何か用事でもあったのか」
「…………」
折本の顔を見られないまま聞いたが、返事がこない。どうしたことかと視線を下ろすと、いつの間にか3メートル程開いていた筈の2人の距離がほとんど無くなり、視線のすぐ下にウェーブのかかった髪がふわりと揺れていた。
「……別に? 何となくだけど」
いつもの快活な声音とは違い、雨の中咲く花のようなしっとりとした声で呟かれて、心臓が静かに波打った。
折本の手が俺の手の指先をちょんと摘まむ。まるで己の縄張りをこっそりと主張するかのような仕草に、思わず頬が緩んでしまう。赤子の手を握るような愛おしみを持って握り返すと、折本は一瞬だけ目を見開いて、そして優し気に目を細めた。
「……こういう何でもない所を散歩するって言うのも良いんじゃない?」
「……そうだな」
囁くような声に、短く短く答えて、何とはなしに歩き始める。
梅雨が明けて一気に夏の勢いが街を包み、沢山の木が植えてあるこの公園では既に沢山の蝉が鳴いている。夏の産声は蝉の鳴き声なのではなかろうかと思った。
夏だね、ああ、なんていう中身の無い会話がやけに新鮮で楽しい。きっと普段から友人のことを沢山考えながら話しているだろう折本と、人の発する言葉一つ一つに深く考え込んでしまう自分。そんな2人が交わす会話は、妙にのんきで優しい。
歩いたのは30分くらいだろうか。
公園の入口まで来た所で、繋いでいた手をどちらからともなく離す。人肌の温もりが夏の空気に溶けていって、少し寂しい。その寂しさを紛らわすかのように、折本は柔らかく微笑んだ。
「じゃ、またね」
「……おう」
また綺麗になったな……などと思いながら、公園を離れていく折本に手を振る。
折本と歩いている時は遠くに聞こえていた蝉の声が、やけに近く感じた。
× × ×
折本が見えなくなって、手を振るのをやめてふと思った。
……超癒された……。
ここまでが嬉しくもハード極まりない流れがほとんどだったためか、折本の清涼剤っぷりが半端では無かった。何かの賞を上げたいくらいだ。何を言ってるんだ俺は。
ふにゃっと頬が緩まるのを引き締めて、そろそろ帰ろうかと思っていると……不意に着信音が鳴った。画面を見ると、表示された名は鶴見留美だった。
『もしもし』
『もしもし。八幡、もう帰っちゃった?』
『ん、総武高近くの公園にいるぞ』
『そ。分かった。ちょっと待ってて』
『え、おい? 留美は今どこに……』
「…………」
切られた……。
何なんだと思いつつも公園の入口で待っていると、ほんの5分程で艶やかな黒髪を纏った少女が姿を現した。
「ん、こっち来てたのか」
「うん、八幡をびっくりさせようかと思って」
「……そうか」
何この可愛い生き物……と内心悶えていると、俺の顔をじっと見た留美が不思議そうに首を傾げた。何ぞやと思っていると、つぶらな瞳を湛えた顔がずいと近寄ってきた。
「……八幡、疲れてる?」
「……ん、まあな」
一目で見抜かれて驚くと同時に、何だか嬉しくもあった。留美はちょこんと背伸びをして俺の前髪をかき上げておでこを触り、両頬を撫で、何故か最後に頬をむにっと摘まんだ。
「なんれ(なんで)?」
「最後のは何となく」
妙に満足気な留美が踵を下ろして、ふっと息を吐く。辺りをきょろきょろ見回していたかと思うと、ちょうど今の時間帯は日陰になっている芝生に目が留まった。何も言わずに俺の手を取り、とことこと歩いて行く。芝生に辿り着くと留美が腰を下ろして女の子座りになり、自分の太ももをぽんぽんと叩いた。え、と喉の奥から妙な音を漏らして辺りを見回したが、狙い澄ましたかのように誰もいない。頭をがしがしと掻いて観念すると、留美の隣に腰を下ろしてされるがままになった。制服姿でミニスカートの為、タイツを履いた太ももに頭を乗せる。
「…………」
「……どう?」
「……超柔らかい」
「…………」
頬をむにむにと摘ままれた。この子俺の頬が好きすぎじゃなかろうか。
優し気に俺を見つめる留美と目が合う。大人と少女の狭間で揺れる瞳に魅入られていると、夕暮れ時の涼やかな風が靡いて、艶やかな黒髪を柔らかく撫でた。まるで映画のワンシーンを見たような気分になり昂揚していると、細い指が額をそっと撫でた。
「ちょっと寝ていいよ」
「ん……わかった。ありがとな」
「……ん」
留美の言葉に我ながらやけにすんなりと返事したなと思っていると、留美がもう一度額を撫でて、それと一緒に涼風がさっきよりも少しだけ長い時間をかけて通り過ぎた。身を包む心地良さに身を委ねると、あっと言う間に瞼が重くなる。
顔を覗き込んでいる慈しみに満ちた視線に心を包まれて、心地良く意識を手放した。
× × ×
「ん……」
ゆっくりと目を開けると、外の状況はほとんど変わっていないようだった。
「どれくらい寝てた……?」
目をこしこしと擦る俺をくすくすと微笑みながら見ていた留美は、近くにある公園の時計を見た。
「ん、15分くらい。気持ち良さそうに寝てた」
「……そうか」
随分と寝た気がするな……と今の睡眠の密度に驚いていると。
「人が3回くらい通ったけど気付かなかったし」
「え」
眠気が吹き飛んだ。
「夫婦みたいな人たちが1回、八幡くらいの年のカップルが2回かな」
「なんでまた全員そういう感じなんだ……」
「なんか皆すごくにこにこしながらこっち見てた」
「追い打ちだ……」
「あとは八幡が寝返りを打ってびっくりした」
「え」
「私の側に」
「え」
「ちょっと……スカートも捲れたし」
「え」
「スカートが捲れてから、八幡がすごくもぞもぞするから……大変だった」
「土下座すると良いでしょうか」
「いいって別に」
あんまりにもあんまりな自身の所業に罪悪感を抱いていると、留美はふっと笑って許してくれた。のそりと起き上がると、留美が俺の背中の芝生を払った後立ち上がった。
「そろそろ私行くね。元々予定があったから」
「え、そうなのか。わりいなわざわざ来てもらったのに」
「ん、いいの。私も楽しかったし」
「……そうか」
「うん。……じゃ」
胡坐をかいた俺の肩に留美は両手を置いて屈み、触れ合うだけの優しい口付けをした。
「またね」
「……おう」
あっさりと離れる留美に手を振る。もっと色々したかったが、今日はこれくらいで止めた方が良いような気もした。
誰もいなくなった公園で、一人涼風に吹かれる。西の空が鮮やかな赤に染まり、通りかかった人も感嘆のため息を漏らしていた。
「…………」
……なんだろう、女神2連続、って感じだった。
……二度あることは……?
続く。
今回は折本とルミルミでした。ここまでハードの極みだったので、癒し2連続にしました。
それでは、今回もお読み頂きありがとうございました(^^)!!