「あら、早かったわね。疲れたでしょう? 上がってちょうだい」
すっかり通い慣れた家に足を運ぶと、俺を迎え入れてくれた雪乃が柔らかく微笑む。雪解けのような微笑に心が解れるが、「疲れたでしょう?」の所だけ若干声音に険があったのは気のせいだろうか。
リビングに入ると、エアコンの効いた涼しい空気が身体を包み込んだ。
「沢山汗をかいたでしょうから、すぐにシャワーを浴びたいでしょうけど……その前に、これを書いてもらって良いかしら」
またもや険のある言い回しをしながら、足の低いテーブルの前に座った雪乃がちょいちょいと手招きをして、テーブルの上にある紙を指差す。何ぞやと思い座って見てみると、どうやらExcelで作ったファイルを印刷したもののようだった。
縦軸の一番上に「人名」と書かれていて、横軸に「内容」「総合計数」と書いてある。
…………。
……あれ、これ、尋問ですのん?
血の気がさざ波のように失せていく。俺の体内が今マジで夕凪。超静か。島唄が歌えそう。動揺しすぎてテンションがおかしくなっている。
雪乃を見る。テーブルに肘を付いて、両手のひらに顎を乗せて天使のような微笑みを見せている。可愛いのと怖いのとで心臓がおかしなことになっている。
「なんかアレだな、こう言う時のお前の笑顔って、ちょっと陽乃さんに似てるな」
「………………………………………………………………」
「……ご、ごめんなさい……」
一見、変化は無いのだけど、何て言うか。
恐いのと可愛いのと怖いのと超恐い。
「あの、この、総合計数というのは……まさか……」
「ご想像にお任せするわ。さ、書いてちょうだい」
「あの、これを書いた後、僕はどうなるのでしょうか……」
「別に? どうもしないわ。それを参考にするだけよ」
参考って何だよ。
参考って何だよぉ!
恐いよぉ!
冷や汗をだらだらと流しながら、富山市議会議員の生霊を憑依させて如何に虚偽報告をするかを頭の中で練りこんでいると、不意にポケットの中のスマホが鳴った。取り出して見ると小町からの電話だった。救いの女神現る。
「あの、電話……」
恐妻家に「あの、今度友達と旅行行きたいんだけど……お小遣いをちょっと、ほんのちょーっとで良いから増やしてほしいんだけど……なーんてね! うそうそ、ごめん、ぶたないで、やめて! お願いです、止めてください! ああああ!」と言った懇願をする時のような声音で雪乃に電話に出て良いかどうかの可否を尋ねる。妄想の後半がおかしかったのは俺の動揺が故だ。
俺の質問に、雪乃は輝くような笑顔を見せた。
「出て良いわよ」
雪乃の返事で安心する。これで上手いことこの場を切り抜ける用意を……!
と、思っていたら。
「あ、ありがとうございます、それじゃあ」
「ただし、スピーカーモードにしてちょうだい」
逃げ道が☆
無い☆
「……はい」
音楽記号で言ったらp(ピアノ)が8個くらい付きそうな弱々しさで答えて、震える手でスピーカーモードにする。
「お兄ちゃん、ご飯どうするー?」
「あ、す、すまん、今日の夜ご飯は俺の分は作らなくていいから」
「えー、そうなの? 折角小町渾身の出来の……って、あれ、お兄ちゃん? 今って一人?」
小町がそれとなく尋ねてくる。
何で分かるの。
女の人怖い。
女の人怖い!
これ以上状況を混乱させたくないので、嘘を吐くことにする。
「一人だぞ、独りだ、独り。俺はずっと独りだぞ」
「何でテンパってる上に自分を追い込んでんの……。……じゃあ、ファミレスかどっかにいるの?」
「ああ、そうだ。俺には独りファミレスがお似合いだからな。頃合いを見計らって独り焼肉も行くつもりだぞ」
「どうしたのホントに……? 面白いから良いけど」
電話の向こうで、妹がカラカラと愛くるしい声で笑う。このスマホにテレポート機能付いてねえかなあ……今すぐ電話の向こうの君に会いに行きたい……何かJ-POPの歌詞みたいになってる……。
そうそう、と小町が思い出したように言う。
「お兄ちゃんの電気アンマのせいで、腰がっくがくだったんだからね。学校で心配されないようにするの大変だったんだから!」
「あっ」
電気アンマという単語が聞こえた瞬間、雪乃の瞳が蒼色に変化した。サヴァンや! サヴァンやでぇ! 恐怖のあまりキャラが崩壊しとるでえ!
「あの後のシャワーも凄かったよね。まさか……って、あれ、お兄ちゃん、聞いてる?」
「聞いてる聞いてる。今生で最期になるかもしれない妹との会話を目一杯楽しんでる」
「お兄ちゃん死ぬの!? なんで!?」
小町のマジツッコミを聞けた。こうしている間も部屋は冷房要らずの冷え込みを見せている。
「小町、ちょっとファミレス出るから一旦切るわ。わりいな」
「んん……お兄ちゃん、本当に大丈夫? 取り敢えず切るけど。じゃね」
ぷつっ、と通話が切れる。
小町の声が聞こえなくなった部屋は、とても静かだった。
俺の心臓の音が聞こえないのは、もう止まっているからだろうか。
雪乃が突然手を伸ばし、人差し指で俺を差した。アバダケダブラとか唱えるのかしら……クルーシオも有り得るかな……と数秒後に訪れるであろう地獄を覚悟していると、細い指がそのままゆっくりと下りていき、Excelのシートを指差した。何だかコックリさんを生で見ているような気分だ。
「小町さんとの朝の出来事を書きなさい。今すぐ」
「はい、書きます」
嘘を書ける雰囲気ではなかった。
震える手で内容を書こうとして……陽乃さんとのことも書かないと、これは正直に書けなくないか? と気付く。しかし今から陽乃さんのことを打ち明けるのも怖いな……と逡巡していると、スマホが鳴った。
画面を見ると、案の定陽乃さんだ。
「出なさい。スピーカーモードで」
「はい……」
全てを見透かされているのでは……? という疑念を抱きながら、p(ピアノ)9個分の弱々しさで答える。
しかし陽乃さんか……小町は騙せても、この人はどうなんだろうか、と思っていると。
「ハァーイ、比企谷くんと雪乃ちゃーん」
『……っ!?』
予想の斜め上を行く挨拶をかまされた。
「え、なん、陽乃さん、ええ……っ!?」
「ありゃ、本当に当たったの? やだなー比企谷くん、絶倫なんだから!」
電話の向こうでカラカラと笑う声がする。俺の口の中でカタカタと歯が鳴っている。度の過ぎた恐怖は口の中にカスタネットを作ってくれるらしい。
「あの、陽乃さん、何の用で……」
「やだなー、用事が無かったらかけちゃダメなの? ……朝は、あんなに激しく愛し合ったのに……」
色気のある、それでいて甘ったるい声で囁かれた。普段なら理性が飛ぶ所だけど、物理的に首が飛びそうな今現在は、極上美人の声に酔いしれている場合ではない。
「陽乃さん、あの、その、ちょっと恐怖で死にそうなんで、あの、その」
「分かっててやってるんだよー? 比企谷くんって一回スイッチが入ったらとことん鬼畜だよねー。流れるようにわたしの事を気絶させちゃうんだもん。ねー、雪乃ちゃん?」
「……姉さん、私はこれから比企谷くんに聞きたいことがあるから、切るわね」
「ありゃ? 雪乃ちゃんったらつれないなー。わかった、わかった。おやすみ、朝はうつ伏せのわたしに3回も出して、その後にわたしと小町ちゃんと3人でお風呂を楽しんだ比企谷くん」
「ちょ……っ」
通話が切れた。
画面から恐る恐る視線を上げると、雪乃が笑みを浮かべたまま紙を指差していた。
「書きなさい? 今すぐ」
「はいぃぃ……っ」
有無を言わせぬ迫力に、一切の抵抗も叶うことなく必死でペンを走らせる。
何だろう、俺は遺書を書いているのだろうか。
恥の多い生涯を送って来ました……。
続く。
ゆきのんのターンだ! よし、最後にまた甘々なくだりを……と思っていたのですが、折角だからゆきのんに八幡のこれまでの行いを糾弾してもらおうかと思ってExcelのくだりを書き始めたら、何だか楽しいことになりました。久しぶりに悪ふざけが出来て楽しかったです。
悪ふざけはもう少し継続するので若干話数が伸びます。
それでは、今回もお読み頂きありがとうございました(^^)!!