(1)
涙には、様々なものがある。
寂しさの涙。
前に進めない涙。
悲しみの涙。
そして、嬉しさの涙。
正も負もひっくるめて、高まった感情の結露として溢れ出す涙は、流す者を癒して見るものに感情の共有を促す。そのどれもが、きっと純粋で美しい。
そんな、沢山の種類がある涙を、一人の女の子が流すなんて考えたこともなかった。
一つ一つの場面を思い出すと、本人には言えないが……俺はその都度、美しい涙に見惚れていたのかもしれない。
× × ×
クリスマス、バレンタインデーと、今までなら家族(主に小町)との思い出くらいしかなかったにも関わらず、昨年度は妙に濃い時間を過ごした。そういった時間とは対照的に、春休みは至極穏やかに過ぎていった。家で勉強し、小町と雑談をして、カマクラを愛でて、図書館で勉強し、帰ってきたら小町を愛でて、抜群にキモがられる日々。小町にウザがられるのが意外と癖になると気付いて絶望したこともあった。
そんな春休みを終えて、新年度――高校生活最後の年を迎えた。元々一組しかない雪ノ下のクラスを除いて、文系・理系にクラスが分けられる。普段一人で生息している身としては、戸塚と一緒のクラスであるかどうかだけが重要だったのだが……。
「隼人―。消しゴム貸してくんない? あーし、さっきどっかで落としたみたい」
「ん、わかった」
すぐ目の前で繰り返されるやりとりを、今までの経緯を一部ながら知っているがために何だか妙な気分で眺める日々。
……なんだか、妙なことになった。
× × ×
戸塚とはクラスが別だった。
死のう。
と思ったのは、最後のクラス替えが発表された当日のことだった。教室の中に視線を巡らせればいつだって戸塚が視界に入っていた日々が終わりを告げるのだ。会える時間が限られた者が出来ることは一つ。会っていた時間を脳内の記憶が擦り切れる直前まで再生することだけだ。
唯一の救いなのは、クラス替えで絶望していた俺に戸塚から歩み寄ってきて、
「八幡……クラス、別になっちゃったね……」
「と、戸塚……っ」
「……毎日、会いに行くから!」
と頬を赤らめて上目遣いでにっこり微笑まれたのが強烈すぎて、あの素晴らしき笑顔を毎日再生出来ていることだ。そうです、彼は天使です(中一英語レベルの和訳)。
戸塚との別離を経て少し強くなった訳だが、昨年度同じクラスだった面々もだいぶ様変わりした。といっても大体の人は顔を見たことがある程度の関係だったが。
スクールカースト最上位と言える、葉山、三浦、由比ヶ浜、海老名、戸部、その他童貞風見鶏等がいるグループ。彼らの中で、葉山と三浦が俺と同じクラスになった。
しかもどういうわけか、窓際最後列の俺の目の前に葉山が、そして葉山の右隣に三浦が座っている。男女で隣り合う席にして、且つ出席番号順にしたがためにこんな事態になったのだが……居づらいことこの上ない。三浦が自分の席を確認した瞬間に、葉山に対してはいつも通り振る舞いつつも小さくガッツポーズをしたのを見てしまって何この人ちょっと可愛いとか思ったりもした。その後俺を見て「あー……ヒキオもいるんだ」と何とも言えない表情をされて俺も何とも言えなくなった。
通常は新しいクラスが出来た場合、その中で仲の良いグループを作るものだと思うのだが(俺にとってはほとんど異星での出来事のようなものなので、その生態は詳しく知らない)、グループの中心にいた2人がこのクラスにいるということで、残りのメンバーが休み時間になる度に訪れるようになった。戸部その他童貞風見鶏たちは昼休み以外の休み時間にも足しげく通い詰め、俺の目の前で「っべー、っべー」と繰り返している。少しは流行を取り入れて「へー! 隼人くんそれマジですごーい! たのしー!」とか言ったらどうだと思ったこともあったが、想像したら寒気が走ったのですぐに想像を打ち消した。俺が一方的に想像しただけで難なのだがサーバルちゃんに謝ってほしい。由比ヶ浜と海老名は同じクラスになったらしく、2人とも可愛いから周りの男が仲睦まじく話す2人をちらちら見ている……というのは童貞風見鶏の談。そこに混ざる勇気の無いお前のダサさよ……と思ったが、まかり間違っても俺はそんなことを言えた立場ではない。
昼休みはともかくとして、通常の休み時間の短い間にいちいち他の場所に移動するのも中々大変だ。必然的にヤツらの会話をすぐ目の前で聞く日々が続いていた。葉山や由比ヶ浜がちょこちょこと話しかけてきたりもしたが、何人もの前で喋る気力も湧かないのでそれなりの返しで留めておいた。葉山と由比ヶ浜は俺の言葉を聞く度に、毎回苦笑いして2人で目を合わせていた。なんなの君ら俺の保護者かなんかなのという気分だった。まことに遺憾である。
4月の半ば頃。
それぞれ用事でもあるのか、珍しく昼休みに誰も来ない。静かで良いな……と思っていると、斜め前の三浦が何やら葉山をちらちらと見やりながらもじもじしているのが見えた。奉仕部に葉山絡みのことで相談しにきたときや、バレンタインイベントで葉山にチョコを食べてもらおうとした時に見た覚えのある仕草に、ふと懐かしさを覚える。
「は、隼人……さっきやった古文のとこ、教えてくんない? 全然ついてけなくて……」
三浦の言葉に、ああ、確かになあ……と内心で頷いた。今日やった内容は文法や単語の難しさ以外の厄介な要素があり、授業中に多くの人がうんうん唸っているのが聞こえたからだ。
葉山は三浦の頼みに、困ったような笑みを浮かべる。
「ああ、ここね。どうしようかな……正直、俺もいまいち呑み込めなかったんだ……」
「え……そうなの?」
葉山の言葉に、三浦が目をぱちくりとさせる。多分俺も同じような反応をしていた。完璧超人ではないと知っていても、なんだか意外だな……と思っていると、いつもとちょっと違った苦笑いを浮かべていた葉山が、視線を三浦から俺にくるりと向けた。
「比企谷。今の話を聞いてたらでいいんだけど、さっき古文でやったところの意味は分かった?」
「うぇっ? 俺?」
唐突に矛先が向いて、変な声が出る。普段から話す準備をしていないとこういうことになるのだと実感する。俺が言葉を発する前提なのは家(小町と過ごすリラックスタイム)、教室(戸塚に日頃のストレスを洗い流してもらう至福のとき)、職員室(平塚先生の呼び出し)、部室(由比ヶ浜の話に相槌を打ち、雪ノ下の毒舌にやんわりとツッコミを入れる)の4ヶ所のみなので、他の場合は大抵滑舌の筋肉がだるんだるんに緩んでいる。
何だこの話。
長めのモノローグを入れている間に、いつの間にか三浦まで俺のことをじっと見ていた。なんでそんなに眉をひそめてるんでしょうか。
「ああ、えっと……」
頭を整理する時間を稼ぐために、一度しまった古文の教科書を取り出してぱらぱらと捲る。葉山が今言った言葉を思い出すと、俺が話を聞いていたであろうことは分かっている状態で「聞いてたらでいいんだけど」と前置きする辺りが本当に紳士で手際が良くてそりゃ慕われるよなと改めて納得してしまった。
「……三浦はどういう風に難しいって感じた?」
話題に挙がっている部分を読みつつ、視線を下げたまま質問する。だって恐いんだもの。
「え? いや、どういう風にって……正直、全然訳わかんなかった」
「ん、そうか。葉山は?」
珍しく(失礼)ごく普通に受け答えしてくれたことにほっとしつつ葉山に話を振ると、腕を組んで考え始めた。
「そうだな……文法や単語がある程度難しかったのはあるけど……それ以上に、もっと根本的な部分から分かっていないって気がしたな。それ以上言葉にしようもないんだけど……すごくモヤモヤしてる」
「ん、今葉山が言ったことに尽きると思う。要はこの作品の背景が分かりづらいってことなんだが……このままだと、昼飯を食う時間が無いな」
1~2ヶ所説明すれば事足りるという状況でもないため、どうしたものかと思っていると、
「比企谷。放課後時間あるか?」
葉山が唐突に質問してきた。流れからして唐突でも何でもないんだが、俺からすれば残業を命じられているようなものなので十分に唐突だ。サービス残業は勘弁して頂きたい。
「……部活は休みだが」
休み「だが」何もしたくないよ! と全力でアピールしたつもりだったが、葉山は俺の意図を綺麗に流して三浦を向いた。あんだけ気の利いたことを普段しておいて今のアピールに気付かないわけないよね? 極悪だね!
「優美子はどう?」
「え? あ、あーしは、うん、大丈夫、だけど……」
葉山から誘われたことによほどびっくりしたのか、目を大きく開けて一瞬ぽかんとした顔をした。視線を逸らし頬を赤らめ、縦ロールを指でくるくると巻く様は妙にいじらしくて可愛い。この人色んな要素持ちすぎてギャップが半端ないですね……。
「というわけで、比企谷。俺たちがよく放課後に寄ってるカフェがあるんだけど、そこで教えてくれないか?」
カフェで!
勉強を!
教える!
ははーん、何その青春イベント!?
光度が強すぎて目が潰れるわ!
あとなんだよ「というわけで」って。ぜんぜん「というわけで」じゃねえよ。「比企谷、君に命令だ」とか言われた方がまだしっくりくるわ。それもすげえいやだけど。
「……えぇぇ……? いや……えぇぇぇ……?」
メムメムちゃんを見習って、下手な言葉を使わずただただ怪訝な顔をして拒否の意思を示すが、葉山が苦笑いを浮かべる前に獄炎の女王が鋭く尖った視線を向けてきた。
「は? あんた、隼人の誘い断る気?」
こわっ。
さっきの恥じらいのある乙女はどこへ? ねえどこへ?
「比企谷。……受験もあるし、不安なところはきちんと潰しておきたいんだ。どうだ? 他の人は呼ばないから」
いや、それはそれで人波に紛れることが出来ないからきついんだけどね。ただまあ、戸部がいたらうるさくて勉強にならないだろうし、由比ヶ浜がいたらそっちにかかりっきりになりそうだ。
「……分かった。場所は? 何時に集合するんだ」
「え? HRが終わったら3人で一緒に行けばいいんじゃないか?」
気まずっ。
これだから「ウェイ勢」「リア充」「FBに休日のBBQについて投稿するのが命」「社会人になってフットサルを始めるヤツら」「キラキラネーム」「星組」の連中はいやなんだ。後半は語感がそれっぽくて挙げてみたんだが何か違うな。
「……あいよ」
何この気まずいイベント……と辟易しながらも、受け入れてしまったのはしょうがないのでさらっと返事をして席を立つ。ベストプレイスでのんびりする時間も無いので、購買のパンを買ったら教室でさっさと食べてしまおう。
教室を出る直前に振り向くと、葉山と話す三浦が明らかにいつもよりも上機嫌で少し笑ってしまった。あそこまで分かりやすい乙女にはもはや好感しか抱けない。
もうちょっとね、そのね、他の人にも優しいとありがたいんですけどね……。
廊下を歩くと、開けてある窓から心地良い風が吹き込んでくる。昼間はとても暖かくて気持ちが良いが、朝夕はまだ寒い。カフェに行くときはまだいいかもしれないが、帰りは確実にコートが要るな……と考えながら、購買に向かう。
「さて……んん……?」
購買に着いてラインナップを眺めてみると、兵どもが夢の跡とでも言うかのように、昼休みにででんと出される大きな大きな灰色のトレイは9割5分ほど空いていた。こんなパンあったっけ? と思うようなパンしか残っていない。
「えぇぇ……?」
思わず、さっきと同じような怪訝な顔をしてしまった。
つら。
続く。
そんなわけで、三浦優美子編スタートです。
ご存じの通り、三浦の気持ちはがっつりと違う方向に向いているので結構長いお話になりそうです。
「やはりゲームでも俺の青春ラブコメはまちがっている。続」を基にした展開がこの先(結構先ですが)で出てきます。ネタバレにも繋がりますので予めご了承ください。
ゆっくりと八幡と三浦が結ばれて、思い切りエロに踏み込みます。しばーらくかかります。ルミルミや川崎、折本ともまた違った旅路をお楽しみください(^^)!
はるのん編アフターを終えるとしばらくエロを書くことが無くなってしまうので、はるのん編アフターが終了したら三浦編をメインにしつつ別ヒロインのアフターを書こうと思います。みんな和んでしまったらええねや……。
それでは、今回もお読み頂きありがとうございました(^^)!!