放課後。
HRを終えると、俺はさっさとコートを着込んで教室を出ようとした。
「比企谷、もう準備が出来たのか。廊下で待っててくれ」
「……おう」
約束を忘れていたりしてくれないかなーと期待したけどやっぱりだめでした。
廊下から教室の奥をちらちら見ながら待っていると、すぐに準備を終えた葉山に対し三浦の準備が驚くほど遅い。一つ一つ何をやっているのかはいまいち分からないが、とにかくやることが多い。そして遅い。その割に葉山とにこやかに話している。俺が混ざる前に葉山と2人で過ごす時間を出来るだけ延ばそうとしているように見える。国会の牛歩戦術を思い出しながら、既に温度が下がり始めている廊下の空気にぶるりと震える。いやほんと少女マンガみたいな空気を作るのは勝手なんだが、俺の健康も気遣ってほしい。
仕方ないので今期のアニメを脳内再生して「カンナかわいい……」と思っていると、やっと2人が登場した。葉山が待たせてすまないと片手でジェスチャーをしてきて、三浦はごく平然としている。あまりに予想通りの反応だ。
「それじゃあ行くか」
「おう」
案の定、と言えば案の定だが。葉山と三浦が並んで歩き、その3歩分後ろに俺がついていく。俺は同行者なのか純然たる不審者なのかの区別がいまいちつかない。
開いている廊下の窓からは、威勢の良い部活の掛け声や吹奏楽の楽器の音が響いてくる。サッカー部の掛け声も聞こえてくるが、葉山は同じ部活仲間を一体どんな目で見ているのだろうと思った。そんな質問をぶつけたところで綺麗に飾られた言葉しか返ってこないと分かっているので、わざわざ尋ねたりはしないが。
昇降口で靴を履き替えて外に出ると、思ったよりも寒かった。昼は春の暖かさを、夕方から夜にかけては冬の名残を色濃く残すこの時期に多くの人の気持ちが浮つくのも分かる気がする。
「ねー隼人、あーし帰りに寄りたいとこあんだけど」
「はは、勉強会にどれくらい時間がかかるか次第だな」
ちなみにここまで、まるで1人で帰っているかのような言い方をしていたけれど。2人の会話に参加していないので1人で帰っているも同然だったりする。許されるならばこのままそっと別れたいところだ。校門を出たら君たちは右へ、僕は左へ……。
「ところで比企谷」
「はぇあっ?」
「……ヒキオ、今のなに?」
「……なんでもない」
会話の準備をしていないとこうなる。喉も口も全く準備してませんでした……。
× × ×
てっきりスタバやドトールといった街中の全国チェーン店に行くのかと思っていたが、2人に付いていった先は総武高生が登下校に使う道からやや逸れた場所にあるカフェだった。どうやら個人でやっている店のようで、内装が小洒落ていながらも所々に子どもが好きそうなものを置いてあったりして、なんだかくすりと笑ってしまうような暖かい雰囲気がある。ここにあのメンバーで来ているのか……戸部その他モブは雰囲気に合わないから出禁にならんかな……と思いながら店員に案内されて付いていく。
窓際のテーブルに案内されると、葉山と三浦は向かい合う位置に座った。俺が座るのは葉山側か……海老名さんに見られませんようにと思っていると、葉山がちょいちょいと指差して場所を指定してきた。2人のいる面の間、俗にお誕生日席と呼ばれる場所を指される。
「……ここ?」
椅子はあるけどなんでまた……と思っていると。
「俺の隣だと、優美子に教えづらいだろ」
葉山の答えに納得すると同時に、この女王様にも教えるんだということを改めて実感する。難易度高いなぁ……。
メニューを注文すると、早速葉山が勉強道具を取り出した。まずは雑談を、などという雰囲気になれば、俺は2人のやりとりをテニスの審判さながらに眺めていなければならないので非常に助かる。
「比企谷は今日やったところは分かったのか?」
「ああ、まあ大体な。この前読んだ小説がたまたまこの時代の生活をモデルにしてたから何とかなった」
三浦が少しばかり目を見開く。ちょっとは興味を持ってもらえないと話している身としては辛いので助かる。
今日の古文で扱ったのは、ある時代の恋愛ものだ。現代のLINEでのやりとりが当たり前になった自分たちからするとあまりにも時代背景が違いすぎて、ほとんど違う星の生活のように思えてしまう。昔の人の恋愛観に当時の死生観も相俟って、とにかく考え方が分かりづらいのだ。それでも教科書に出てくるような作品は、文法や単語が分かれば大抵はなんとかなる。しかし今日やったところは背景が分からないと首を傾げてしまうことだらけだったと思う。
3人で教科書を開きながら、まずは大雑把に今日で扱った部分について時代背景も交えて説明していく。三浦も、よほど真面目に悩んでいたのか絡み合っていた疑問の糸がするすると解けていったような顔をして聞いてくれた。背景が頭に入っているだけで随分と理解度が変わるものだ。
「……ヒキオ、やるじゃん」
「……どうも」
一通り説明を終えると、女王様からお褒めの言葉を頂いた。三浦は見え透いたお世辞を言わないということは知っているので、割と素直に嬉しくて少し困る。
「でも、今回ヒキオが背景を知ったのって偶然でしょ? 他に同じようなのが来たときどうすんの?」
「そん時はまた勉強するまでだろ。頭に入れておくべき背景は別に何百個もある訳じゃない。受験でよく出るところと余裕があればたまにしか出ないところをひたすら勉強して、その都度時代ごとの考え方をぼんやりとで良いから頭に入れときゃいい」
「……へえ……」
三浦が心底感心したような声を漏らす。ううむ、なんだかやりづらい。ちらりと葉山を見やると何だか腹の立つ微笑みを浮かべている。陽乃さんを隣に置いて全力で苦笑いさせたい。しかしあの人がいるとこの場が凍り付くのが目に見えているのでやめておく。
「ありがとう、助かったよ比企谷。それじゃあ、個別で気になるところを質問していいか?」
「おう」
頷くと、葉山は俺の説明を聞きながら既に疑問点をまとめていたのか、手際よく聞いてくる。質問内容もまとまっていて、打てば響く反応は教えていて楽しい。葉山に教える機会などそうあるものではないから貴重といえば貴重だ。ほんと海老名さんに見つからないでほしい。いないよな……いないよね? 大丈夫だよね?
三浦は葉山が質問している間、熱心に教科書とノートとの間で視線を往復させている。眉をひそめて小さな声で唸り、時折ぱっと表情を明るくしたりまた唸ったりと忙しい。今まで見たことのない三浦の表情は万華鏡のようにくるくると変わり、そのどれもが瑞々しい。見惚れそうになって顔を逸らすと、俺たちの前を通りすぎた男が三浦をちらりと見ていった。それもそうだよな……と納得していると、葉山から次の質問が飛んでくる。三浦の素敵な百面相に、葉山がまるで反応しないのは少し……というかかなり気になった。
「ヒキオ、ここなんだけど」
「ん、ああ、ここは……」
三浦が教科書を見たままずいと顔を寄せる。その途端にふわりと甘い香りが漂い、頭がくらりとした。ほんのりと鼻腔をくすぐる程度の香りが思考と理性を容易く削り取る。
「……ヒキオ? 聞いてる?」
「……すまん、もう1回頼む」
てっきり顔をしかめられるかと思いきや、三浦は呆れたようにクスリと笑った。
「話聞いてろし。あのね……」
随分と柔らかい笑みに、心臓が鷲掴みにされる。顔が近付いたわけでもないのに、甘くて良い匂いが更に脳内に染み渡っていく気がした。
この後、結局2時間ほど勉強会を続けた。古文や英語、日本史など割と自由に手を広げた勉強は、存外に楽しかった。
一緒にいるだけでも胃が縮む思いをするかと思っていた女王様は、少なからず気を許したのかちょこちょこと話しかけてきた。中学の頃なら何も考えず惚れてしまいそうだな、と考えて少しだけ目を細める。葉山の顔をちらりと見てから三浦の顔を見ると、三浦はきょとんと首を傾げた。長い金髪がふわりと揺れて、カフェの空気が柔らかさを増す。中々懐かない猫のような表情だった。
「今日はこんくらいにしとくか」
静かに、少しだけ長く息を吸って閉会を告げると、葉山と三浦がいくらか充実した顔つきで頷いた。
続く。
あーしさんでした。
ゆるりとした雰囲気をお楽しみください(^^)! あーしさんの魅力をじわじわと引き出していけるように頑張ります……!
久しぶりに沢山の感想を頂けてものっすごく嬉しいです! ものっすごく嬉しいです!
ありがとうございます!!
それでは、今回もお読み頂きありがとうございました(^^)!!