先日のカフェでの勉強会以来、なんだか妙なことになった。
「隼人、今日空いてる? 教えてほしいとこあんだけど」
「ん、わかった。比企谷は空いてるか?」
「え、あ、ええ……あー、まあ、その、なんだ、うん、まあ」
勉強で三浦が分からないところを葉山に聞き、その場でサッと教えることが出来ないものと葉山が判断したら、ごく自然に俺にまで話を振るようになった。三浦は三浦で何故か俺の参加に対して渋面を浮かべることもなく、「いいからさっさと来いし」と言わんばかりの顔で睨んでくる。睨む必要は全く無いと思うんですけども。
最初の勉強会の時以外は、葉山に対して「お前も教えることが出来るだろ何考えてんだ」と思ったものだが、俺も分からないところをちょこちょこ教えてもらえるのはありがたい。三浦は三浦で得意な部分もあるらしく、時折俺も教えてもらったりしていた。
放課後の教室、図書室、最初に行ったカフェや市立図書館などなど、あらゆる場所に行くようになった。三人で行くことも多かったが、そこに葉山グループの他のメンバーが参加することも増えた。戸部はどこでもうるさくて漏れなく注意を受けるし、由比ヶ浜は空気を読みつつも勉強面ではお馬鹿すぎて世話が大変だし、海老名さんは俺と葉山を見て涎を垂らしながらハアハア言ってるし、他のはもはや名前も忘れたしで何かと疲れる。後半の説明がアレな気もしたがまあ別にいいか。
傍から見れば、俺も葉山グループの一員のように見えるのかと思ったこともあるが、一瞬浮かんだ自分の考えは一笑に付した。こんな異物が混じっている今の状況が特殊すぎるだけだ。番組に一時期妙に出演する準レギュラーのような存在だと思えば良い。この例えがよく分からない。
葉山や由比ヶ浜が俺にちょこちょこ話を振ってくるのは分かる。戸部が話を振ってくるのも分かる(流せる時は流すが、「ちょー、ヒキタニくんひどくねー?」と言われるのが鬱陶しいのでさらりと言葉を返すようにしている)。海老名さんがハアハアするのも分かる、いや、分かりたくはないが、まあ、分かる。
そんな、俺に話しかけてくるヤツらの中に、三浦が含まれるようになったのは驚きだった。
勉強以外の雑談で、素っ気ないながらも話を振ってくるのだ。俺がどんな返しをしようが、さして興味を持った顔をするでもなく髪をくるくると指に巻いているだけだが(文字に起こしてみるとだいぶひどい反応だ)、それでも今ではほとんど毎日俺に話しかけてくる。これには葉山と由比ヶ浜も驚いていた。何だろう、珍獣が気に入ったんだろうか。自分で珍獣って言っといて難だがすごく悲しくなった。
何だか妙なことになったな……とは思いつつも、奉仕部にいる時とはまた違った安心感が少しずつ芽生えていることに気付き、正直驚いている。積極的に会話に参加している訳ではないし、むしろ強制的に参加させられていると言っても過言ではないが、それでも無理矢理にでも逃げ出そうなどとは思わない。
気にしている事を挙げるとすれば、二つだけ。
三浦が葉山のことを、以前にも増して切なそうに見つめるようになったことと。
三浦の視線に気付いていながらも、葉山が三浦の思いを汲むような素振りをまるで見せないこと。
二人の思いはすれ違うどころかねじれの位置にあるように思える。どれだけ思いの丈を伸ばそうが、決して交わることがない。
陽の光の温もりが熱さに変わっていく中、二人の関係が常に頭を過ぎるようになってきた。
外を見上げると、しとしとと雨が降っている。
もうじき梅雨が明けるとニュースでは言っていた。
雨が上がれば、夏が来る。
焼け付くような陽の光に晒される頃、二人の心は一体どうなっているのだろう。
× × ×
七月初旬。
うだるような暑さは学校を蒸し焼きにする。エアコンが利いている教室内ならまだしも、一歩廊下に出れば灼熱地獄だ。苦し紛れに窓を開けても温い風しか入ってこない。
涼のとれる教室も、放課後になればいつまでもいる訳にはいかない。帰りのHRを終えるといそいそと帰り支度をする。三浦と葉山は既に席を立っていて教室からいなくなっていた。海老名さん辺りに会いに行っているだろうと当たりを付けていたが、廊下に出ると葉山が戸部に話しかけられ、そのまま戸部のいるクラスに連れ込まれているのを見つけた。
「ん……?」
それなら三浦は……? と辺りを見回すと、廊下を曲がっていく長い金髪が見えた。さっさと帰ろうと思っていたのに、一瞬だけ見えた背中が妙に気になって後を追う。
「あれは……屋上に行く気か」
三浦のどこか魂の抜けたような足取りを心配しながら後を追っていると、階段を上っていった末に鍵の壊れたドアを開ける音が聞こえた。あまり良い思い出の無い場所だが、今はそれよりも三浦のことが気掛りだ。気付かれないように階段を登り、ドアを慎重に開ける。
三浦は、屋上のフェンスに指をかけて、街並みを静かに眺めていた。その背中は少し寂しくも見えるし、そうでないようにも見える。何も見えず、何も分からない背中に――俺はまだ、三浦のことを何も知らないのだなと不意に気付いた。
「……おう」
「……!? ……なんだ、ヒキオか」
忍び足で近付いたせいか、声を掛けるとえらくびっくりされてしまった。三浦の表情は驚愕から警戒、そして安心と移り変わり……最後に少しだけ、落胆の色が浮かんだ。一瞬だけ脳内に浮かんだ言葉は無粋に過ぎて、とても口には出来なかった。
「なんでここに?」
ブーメランも甚だしい質問を投げかけると、三浦は少しばかり目を見開き、視線を泳がせる。
「ん……なんでだろ」
浅くため息を吐き、苦笑いを浮かべる。今にも泣きだしそうに見えたが、三浦の顔が再び街並みに向けられたことでそれ以上は確かめられなかった。
三浦の横に並び、同じようにフェンスに指をかけて街並みを眺める。
街を見ていると、一人で歩いている人が多く目に留まる。複数人で歩いている人だって沢山いるのに一人でいる人が目に留まりやすいのは、俺が普段一人で行動しているからだろう。心理学ではこの現象に名前が付けられているらしい。現象の名前は忘れてしまったが、何となく思い出した。
何の感情も浮かべずに街中を見ている三浦には、今、どんな人が目に留まっているのだろう。横目で表情を窺って、またすぐに視線を街に戻した。
昼間の暴力的な日射しはまだ勢力を強く残していて、こうしている間も二人の身体をじりじりと焼いていく。三浦をちらりと見て日焼けは大丈夫かと心配したが、三浦なら日焼け止めくらいちゃんと塗っているだろう。
「……このままじゃ、だめだってのは分かってんだけど」
ぽつりと呟いた声は、俺に向けられたものなのか、或いはただの独り言なのか分からないくらいか細かった。ふと太陽の光が雲で遮られて、憂いを帯びた横顔に影が差す。
「……そうか」
ひどくざっくりとした相槌を打つと、くすりと笑う声がした。そんなにおかしなことを言ったかと思ったが、三浦を見ると妙に楽しそうにくすくすと笑っている。
「……何も聞かないとこ、ヒキオらしい」
「そうか? 自分らしさなんてもの、俺には分からんが」
首を傾げる俺を見て、三浦はなおも笑う。箸が転がってもおかしい年頃とはよく言ったものだ。
しばらく楽し気に笑う声に耳を澄ませていると、はぁ……と笑い疲れたような声が聞こえた。
「……そろそろ行ってみる」
「……そうか」
三浦がまた噴き出した。この子のツボ is どこ? ここで俺が意図的に笑わせようとすれば駄々スベりするのは目に見えているので見守ることにする。
しかしまあ、こうして楽しそうに笑っている三浦はいつもの怖さはどこへやら、心底可愛らしい女の子にしか見えない。あまり凝視するのもアレなのでちらちらと様子を窺っていると、三浦がようやく落ち着いたのか目尻の涙を拭った。
三浦が再びフェンスに指をかけ、街並みを見つめる。緑色の格子に細い指がかかるとかしゃんと無機質な音がして、そっと吹き抜ける風が金の髪を揺らした。
「……もうすぐ夏休みだな」
「……うん」
会話が止まる。俺と三浦の間は、綺麗に人一人分開いたままだった。
三浦が小さな、本当に小さな声で「その前には……」と呟いた。独り言だと判断して、俺は返事をしなかった。
それから、およそ30分ほど――何も喋らないまま、ずっと街並みを眺めていた。
一人でいる時よりも一人のような、一人でいる時よりも寂しくないような、一人でいる時よりも――黙っているのが心地良いような。
柔らかな空気の中を揺蕩っているような、不思議な時間だった。
続く。
あーしさんでした。幸せになってもらうべく、ゆっくりと。
前回は沢山のコメントありがとうございました!久しぶりな方もいらして本当に嬉しかったです(^^)これからもよろしくお願いします(^^)!!
それでは、今回もお読み頂きありがとうございました(^^)!!