校舎の屋上の、給水塔の日陰。
俺と三浦は、人一人分のスペースをきっちり開けて空を見上げていた。
放課後を迎えたとはいえ、まだまだ日差しは暴力的だ。日が沈んだところで、この熱はコンクリートにたっぷりと染み込んで夜を過ごす人たちを苦しめるんだろう。
「…………」
静かに空を見上げる三浦の横顔を、ほんの一瞬だけ見つめた。憂いを帯びた整った顔立ちは、その瞬間だけ暑さを忘れさせてくれる。
夏は極端だ、と物心ついた頃から思っていた。
春の内に幸せを掴んだ人は、夏にその幸せを爆発させる。うだるような暑さだって、分かち合って笑える人がいたらどこまでも幸せになれるだろう。
けれど、きっと多くの人は、そんな幸せを享受出来る仲間に入ることが出来ない。そして、誰かから何かを言われた訳でなくとも、「お前は夏を謳歌する資格なんて無いんだよ」と突きつけられたような気持ちになり、ただただ天から降り注ぐ灼熱の熱視線に身と心を焼かれ、大して望んでもいない秋や冬を待ち焦がれる。
――三浦は今、どんな気持ちでこの夏空を見つめているんだろう。
不安をまとった糸に胸が締め付けられるような気持ちになっていると、三浦がふと口を開いた。
「こないだ、隼人に告った」
掠れた声が耳朶を打った瞬間、涼やかな風が吹く。虚しさに塗れた言葉を一刻も早く拭おうとしているかのようだった。
「……そうか」
風になびいた三浦の金の髪の毛先を目で追った後、視線を少しだけ落とす。夕暮れはまだまだ訪れる気配が無かった。
三浦が何か言いかけて、唇を震わせた。綺麗にグロスが塗られた唇から漏れ出たのは、今にも泣き出しそうな吐息だった。
首が疲れて視線を正面に戻す。色あせたフェンスが風で軋んでいた。
続きを話してくれるのなら、それはなんだか嬉しい。
けれど、無理をして話して壊れるものがあるのなら、心に留めていたっていい。
話した方が楽になる、という言葉をよく聞く。けれどそれは場合によると思う。
話したことで心が整理されることもあるが、口にすることで余計に心を締め付けられることもある。それに何か辛いことを相手が口にするときは、聞く側も注意しなければいけない。
野球部の掛け声が聞こえて、吹奏楽の音も聞こえて、それからサッカー部の掛け声が聞こえる。
風が二度吹いた。時折聞こえる嗚咽を、その都度涼やかな風がうやむやにしていく。
横顔に三度ほど視線を感じた後、三浦が再び口を開いた。
「……返事、してくれなかった」
声は、さっきよりも掠れていた。
「……そうか」
三浦をちらりと見ると目が合った。三浦は少しだけ目を見開き、すぐに細めた。
「その場で返事が欲しいって言おうとしたけど、話題を変えられてうやむやになって……。……ああ、あーしじゃだめなんだ、なって……はっきり、と……返事も、くれ、ないんだって、思ったら……っ、なんだか……っ」
懸命に最後まで話そうとしていた三浦の声が、嗚咽に呑まれてかき消える。涙が目尻からこぼれ落ちそうになると、三浦は膝に顔をうずめた。くぐもって聞こえる三浦の泣き声は、普段の彼女からは想像もつかないくらい幼かった。
何も言えなかった。
何か言える訳がなかった。
三浦が今まで抱えてきた思いの総量を知らない。それでも、今の憔悴した三浦を見れば、一途に一人の男を思ってきた時間がありありと感じられる。胸が詰まった。
「……そうか」
辛うじて発した俺の相づちに、三浦がふと笑う。
「……ヒキオ、あんたさっきからそればっかじゃん」
「ん……」
振り向くと、三浦が膝におでこをつけた状態で、くりんとこちらを向いて笑っていた。泣き腫らした目が湛えた小さな笑いに、僅かばかりの安心を覚える。
「……そうだな」
「それも、ほとんどおんなじ」
三浦がまたしてもクスクスと笑い、はぁ……と楽しそうに息を吐いて、再びうずくまった。
「これからどうしよっかな……」
くぐもって聞こえた言葉に、頭をがしがしと掻く。空を見上げる。
「好きに生きるしかねえだろ」
三浦が顔を上げて振り向き、ぱちくりと目を瞬かせた。珍しい動物を見たような反応はやめていただきたい。
「……ヒキオって、変」
「褒め言葉として受け取っておく」
「……なんでだし」
三浦が呆れたように笑い、再びうずくまった。
それから、俺たちは日が暮れるまで特に言葉を交わすことなくぼんやりと過ごした。
受験期に、きちんと休むでもなく無為に過ごす時間は、他のどんな時間よりも無駄に思える。
けれど、隣に、人一人分空いた隣に三浦がいる状態で過ごす無為な時間は、そんなに悪くなかった。
× × ×
帰宅して、小町と話しながら夕飯を食べ、勉強をしてから床につく。
明日が終業式。明後日には、高校生活最後の夏休みが始まる。
脳裏に三浦の顔が浮かんだ。
三浦の気持ちが今日の放課後に少しでも晴れたのなら、それは嬉しい。
けれど、あのグループの歪さはきっと変わらない。
夏休みになって、積極的に集まる機会は一気に減るだろう。
そしたら、夏休み明けの二学期は一体どうなっているだろうか。
想像したくもなかった。
「……ああ、もう」
寝返りを打ち、枕に向かって独りごちる。
何もしないで見過ごすには、少しばかり近付きすぎた。
× × ×
翌日。
「三浦……と葉山。ちょっといいか」
終業式を終え、HRも終わって言葉少なに教室を去ろうとしていた二人に呼びかける。二人ともきょとんとして、ちらりと互いに見合い、同時に俺を見た。意外に息が合っている。
今から実行しようとしているのは、昨晩の寝る前と、終業式の校長のつまらないスピーチの間に練った策だ。それにどうせ、練りに練ったところで人の機微に聡い二人なら俺の浅い計略なんて簡単に見過ごすだろう。
「ちょっと分からんところがある。葉山と三浦どっちにも聞きたいことがあるから、悪いが放課後付き合ってくれるか」
だから、辿々しくてもいいから、あからさまな口実付けをする。
俺の提案に、二人は目をぱちくりとさせ、僅かに視線を泳がせる。ためらい、戸惑い、そして思考を表情に浮かべて、
「……わかった。付き合うよ。優美子は?」
「あーしも大丈夫。ヒキオってほんと世話焼けるんだけど」
ぎこちないながらも、それぞれに笑みを浮かべた。
「……助かる」
ほっと肩を撫で下ろすのが二人に見えてしまい、揃って呆れたように笑った。
もうちょっと芝居らしくした方が良かったかな、と思った。
三人で教室を出て、廊下を歩いていく。
「ヒキオ、あーし新作のアイスね」
「え、なにこれ急に有償になったの?」
パーマをかけた髪を指でくるくると巻きながら、三浦が楽しげに笑う。冗談なのか本当なのか分からない言葉に俺はしばらく迷い続け、葉山は俺を見て楽しそうに笑っていた。二人して俺を珍獣扱いをしている疑惑が浮上する。
廊下の窓から見えた空は、昨日と同じくよく晴れている。
それでも、昨日よりも幾分優しく見えるのは、同じく空を見てから俺と目が合った三浦が浮かべた笑みが、とても穏やかだったからかもしれない。
続く。
あーしさんでした。ゆっくりゆっくり。
それでは、今回もお読み頂きありがとうございました(^^)!!