三浦の涙を見た翌日。
三浦は、いつも通りに振る舞っていた。
こういう時、女の子は強いなと思う。俺ならきっと、フラれた翌日にいつも通り人と話すなど出来ない。
それでも、全くもっていつも通り……とはいかないようだった。ふとした時に葉山の背中を見つめ、泣きそうな顔になるのを見る度に俺も泣きそうになった。
葉山をじっと見た後、いつも決まってふるふると首を横に振って俯き、憔悴した顔を上げた時に俺と目が合う。俺の目の前で泣いたからなのかどうかは分からないが、三浦は俺と目が合っても逸らすことはせず、代わりに苦しそうにはにかんだ。無理をした表情が俺の胸をきゅっと締めつけた。
由比ヶ浜は三浦から話を聞いたのか、あるいは雰囲気で察したのか、憔悴しているのを隠しきれていない三浦にずっと気を遣っていた。いつも以上に明るく振る舞い、周りのメンバーと三浦の間をごく自然に繋ぐ。その甲斐あってか、勉強会の時も、休憩時間に海で遊ぶ時も終始和やかだった。
1日目の夜に別れる間際に三浦が言った通り、2日目以降もちょこちょこと三浦と話していた。偶然の場合もあれば、気が付くと一人で虚ろな顔をしている三浦に俺から話しかけることもあったし、俺が一人でぬぼーっとしている時に三浦から話しかけてくることもあった。
いずれの時も2人で話す時間はさほど長くはなかったが、それでも一緒にいる間は妙に心が安らいだ。三浦も、一人でいる時よりは穏やかな顔をしている……ような気がした。
そんなこんなで、2泊3日の勉強合宿が終わりを告げた。随分と高密度な時間だったな……と思いながら、俺たちは再び8人乗りのワゴンに乗り込んだ。
× × ×
「比企谷。帰りは君と話したいのだが助手席に座ってくれるか」
平塚先生の男気溢れる誘いによって俺が席替えすることになり、それに伴って他のメンバーも席替えをすることになった。
運転席に平塚先生、助手席に俺。
2列目は三浦、由比ヶ浜、雪ノ下。
3列目は葉山、一色、小町。
行きとは違う人間模様が垣間見えて、胃がきりきりと痛んだ。
2列目の真ん中が由比ヶ浜で、3列目の真ん中が一色というのが、なんだか2人の気の回しようを感じた。案の定、列ごとの会話は由比ヶ浜と一色がメインで回していた。
由比ヶ浜は三浦に気を遣い、一色は一色で葉山に気を遣っていた。葉山も全くもって平静通りとはいかないようで、2日目以降はどこか疲れた様子だった。由比ヶ浜は努めて楽しい話題を振り、一色は一色で程好く盛り上がる話題を振っていた。
それでも帰り道は疲れが出てくるようで、いつの間にか車内はすっかり静かになっていた。バックミラーを見ると由比ヶ浜がうとうととして三浦にしなだれかかっていて、かと思えばカーブで重力がかかると今度は雪ノ下にしなだれかかっている。
三浦も雪ノ下もくすりと呆れたように笑い、誰よりも気を遣って振る舞っている友人の身体を温かく受け止めていた。後ろでは小町と一色が寄り添い合ってくーくーと寝息を立てていて、葉山は肘を付けて窓の外の景色をじっと見ている。
ふと、ミラー越しに三浦と目が合った。
「…………」
何か言葉を発するでもなく、三浦がふっと微笑んだ。とても穏やかな笑みは今まで見た事のないもので、心に温かな花がほんのりと咲いた気がした。
「ああそうだ、比企谷。今急に思い出したんだが」
三浦と鏡越しに目を合わせていると、不意に平塚先生が喋り出した。先程までの会話の時と比べてかなり声を小さくしている。
「今ハマっているラーメン屋があってな。どうだ、行ってみないか」
「え……」
恐らく平塚先生は、車内が静かになったことで後ろの6人ともがすっかり寝ていると思い込んだのだろう。内緒話をするように潜められている声は、秘め事のような背徳感を覚えてしまう。
一度視線を逸らし、もう一度ミラーを見る。
三浦と思い切り目が合った。
あれ、さっきの穏やかな笑みはどこへ?
「がっつりとした豚骨でな、君とぜひ……って、ん? どうした?」
「あー、いや、その……」
「はっはっは、どうしたんだ。君と私の仲だろう。どうせみんな寝て……い……る……」
ミラーを見た平塚先生の声が見る見る内に萎んでいく。何か怖いものでも見たんでしょうか。
「…………」
「…………」
「…………」
地獄のような沈黙が流れる。
平塚先生はしっかり前を見ながらも、その顔にはありありと動揺が浮かんでいる。
ミラーから他のメンバーの様子を窺う。雪ノ下はいつの間にか由比ヶ浜と寄り添って静かな寝息を立てていて、葉山は依然として物憂げな表情を浮かべて窓の外を見ている。
ちらりと振り返ってみた。
三浦と目が合った。
なんかすげえ機嫌が悪い。
なんかすげえ機嫌が悪い!
『……………………』
恐らく、もう少ししたら眠くなるだろうな……と思っていた帰り道だが。
予期せぬ緊張感に包まれて、まるで眠る余裕の無いまま千葉に辿り着いた。
× × ×
無事に解散・帰宅して片付けを終えた後、俺は三浦にLINEを送った。
『お疲れ』
3秒ほどで既読がついた。
そわそわしながら待つが、返事はない。
1時間が経った。
『お疲れ』
この時間差がなんか恐いよぉ……。
多分だけど、三浦は誤解している。しかし具体的に「何に対して」「どんな風に」誤解しているのかが俺でもいまいちもやもやしていて分からない。それでも今のこの状況は正直しんどい。
帰りのワゴンの地獄のような沈黙を思い出し、思わずメッセージをつらつらと書き連ねる。
『あのですね、さっきのワゴンでの会話についてなんですが』
『言い訳させてもらいますと、いや、何に対しての言い訳なのかも分からないんですけどね? ははは』
『(ポプテピピックのスタンプ)』
ここまで数十秒の間に一気に送り、文字を打つ手が止まる。内容の無さに驚いた。
「……この後、何て書けばいいんだ……?」
ここで仮に取り敢えず謝ったとしても、何について謝っているのかが自分でも分からない。
どうしたものか……と悩んでいると、突然LINEで電話が来た。
名前の表示は三浦優美子。
とるしかないよな……と覚悟を決め、通話ボタンを押す。
『……今のなに? イライラすんだけど』
こわっ!
獄炎の女王が氷点下の声を投げかけてきました。多分今の三浦ならメドローアを使えると思います。
『……ええっと、さっきの、その、先生としてた話なんだが……』
『……それがなに?』
声の温度が一段階下がりました。
死にそう。
しかし今の反応で、どうやら三浦の不機嫌さは俺と平塚先生の会話に起因しているのだと確信出来た。
『別にあーしには関係ないし。じゃ、切るから』
『待て待て待て、ちょっと話を聞いてくれ』
通話を強制的に切られそうになり、慌てて呼び止める。三浦からは何も返事が無かったが、通話を切られることはなかった。
静かに深く息を吸って、
『あのな、確かに平塚先生と前にラーメンを食べたことはある』
以前、俺と平塚先生が成り行きでラーメンを食べに行った時の説明を始めた。
× × ×
『……と、いう訳だ』
数分で事情を説明し終えて三浦の反応を待つ。
数秒の沈黙を経て、
『……ふーん』
そっけない反応が返ってきた。しかし言葉の割にその声音はどこか弾んでいるように聞こえた。
『言いたかったのはそれだけだ。それじゃ』
三浦の気分が上向きになったことに安心して通話を切ろうとしたが、
『ちょっと、なに勝手に切ろうとしてんの?』
予想外の言葉に止められた。
『え、あ、わるい。なんか話すことあったか?』
『いや、別に……そういう訳じゃないけど』
んん?
妙にもじもじとして可愛げのある声に、思わず頬が緩む。しかし今の声についてイジろうものならどんな怒られ方をするか分かったものではない。
『……そうか。そういえば、夏休みの課題ってあとどれくらい残ってる?』
『え、課題? それなら……』
取り敢えず話題を提供しようと思い、極めて無難な学校の課題について触れる。
そこから30分ほど、俺と三浦はとりとめのない話を続けた。三浦の声が次第に弾んでいくのを聞いて、とても安心していた。
それから夏休みの終わり頃まで、俺と三浦が直接会うことはなかった。一番積極的に勉強会をしていた俺・三浦・葉山という組み合わせが成り立たなくなったので、当然と言えば当然だった。
しかし、LINEや電話でのやりとりは毎日のようにしていた。三浦から何の用事もなくメッセージや電話がくるので、俺からもとりとめのないメッセージを送ったり電話をかけたりもしていた。
なんだか妙な関係だな……と思いながら、ゆるりと時間は流れていく。
気が付けば、高校生活最後の夏休みがあと数日で終わろうとしていた。
あーしさんでした。ゆるゆると。
先日は沢山の誕生日コメントをありがとうございました(^^)! ゆっくりとお返事させて頂きます!
今年は引き続き書籍化を目指してばりばり頑張りたいと思います。