三浦が思いきり照れてしまった後は、まともな会話をすることがなかった。三浦はひたすらカタログを読み耽り、時折視線を感じて隣を見やると、何事もなかったかのように高速で顔を逸らされた。
「お待たせいたしましたー」
女性店員の柔和な声とともに、広めの試着室のカーテンがシャッと開く。
「ジャーン! お兄ちゃん、どう?」
小町がこちらにとてとてと歩みより、くるりと回ってみせる。宵闇のような濃い生地に鮮やかな花火が咲いている柄で、ミニスカートの丈にしているためとても活発な印象を受ける。元気娘の小町にとても似合っていた。なんか時代劇の町娘みたいだ。
「あー、世界一可愛いぞ」
ちゃんと思ったことを述べたのだが、小町は顔をしかめて「うへぇ……」とげんなりした声を漏らした。
「あーはいはい、お兄ちゃんってばまーた棒読み……ほんとごみいちゃんだなぁ」
路傍の石にだってもっとまともな視線を注ぐよな……? と思うくらいひどい目をしている。心外だ。
「先輩先輩。どうですかー?」
聞き慣れたあざとい声の方を見やると、もう一つ開いた試着室から一色が顔を出した。薄桃色の生地に青い金魚が優雅に泳いでいる柄で、小町と同じくミニスカートの丈にしている。
自分に似合う柄がよくわかっているようで、実際ぴったりだ。目の前であざとくくるりと一回転すると、瑞々しくて白い太ももに思わず視線が行ってしまった。なんか隣からものすごく圧を感じるんですけど。
「あー、町娘みたいで良いと思うぞ」
「それ、褒めてるつもりですか……?」
本気で萎えているようで、信じられないくらい猫背になった一色が心底げんなりした顔で呟いた。いいじゃん、町娘。小町と並ぶとかなりそれっぽいぞ。
「一色さん、うちの兄がすみません……。お兄ちゃん、ちょっとアレがアレなもんで」
「そうだよね……」
「え、今ので通じ合えたの?」
げんなりした町娘たちの意思疎通は、俺からしたら外国人同士のコミュニケーションにさえ見えた。
「ヒ、ヒッキー……どう、かな?」
町娘2人のかしましいやりとりを眺めていると、消え入りそうな声が聞こえた。
「……お、おう、良いと思うぞ」
目を通して脳に入り込んできた情報に打ちのめされ、喉から褒め言葉の奔流が一気に溢れ出そうになって思いきり詰まってしまった。つまりろくな言葉が出てこない。
由比ヶ浜の浴衣は、白と朱の牡丹が咲き乱れていた。派手な模様だが、由比ヶ浜の健康的な可愛らしさによく似合っている。似合っているのにほんのりと顔を赤らめて照れているので、なおさら強烈な魅力を醸し出していた。
そして、浴衣を着てもはっきりとわかる身体のライン。思わず喉を鳴らしそうになって、慌てて顔を逸らしてごまかした。
「えへへ……そっか」
俺の下手すぎる言葉に、由比ヶ浜が頬をぽりぽりと掻いて嬉しそうに笑う。おいやめろよ、可愛いだろ。
「結衣さん、結衣さん」
小町が由比ヶ浜に何やら耳打ちをしたかと思うと、
「え、ええ!? そ、それはちょっと……」
「絶対いけますよ! 小町が保証します!」
何やら不穏な会話が聞こえた。
「ヒ、ヒッキー……」
「お、おう、どうした」
由比ヶ浜が俺の正面に立ち、視線を右、左と揺らす。妙な緊張感が走り、思わず背を伸ばしてしまった。
「……えいっ」
くるり。
小町と一色がごく自然にやっていた、一回転。それを由比ヶ浜は、尋常でないほど照れながら、ぎこちなく行った。
可愛い女の子×照れ×ぎこちない仕草=死。
中学までの俺なら、勢い余ってプロポーズまでしていたかもしれない。
「……ど、どう?」
「……お、おう」
耳まで赤くなった由比ヶ浜に感想を求められた。外国に帰化して20年ぶりに母国語を喋ったのかというほどぎこちない調子で返事をする。死にたい。
『……淡い、淡いよ!』
『淡すぎて! 恥ずかしすぎて! 萌える! 燃える! 炭化する!』
近くにいた女性店員2人が恥ずかしいにもほどがある会話をしている。もう少し小声で話してくれないでしょうか。俺にも由比ヶ浜にも聞こえてます。あと炭になるのは流石にやばいと思います。
「…………」
由比ヶ浜が自分の腰の辺りをちらちらと見て、それから小町と一色の腰まわりをちらちらと見た。
「どうした」
「ん……なんでもない」
俺の問いかけを、由比ヶ浜は苦笑を浮かべてかわした。
「……あたしもミニにすればよかったかも」
「……っ」
独り言のつもりだったのか、店の床を見ながらぽつりと呟いた言葉に思わず目を見開いた。聞こえていないフリをするのに苦労した。
「あ、雪乃さん!」
小町の活発な声に顔を上げる。
「わぁ……ゆきのん、きれい……」
俺の感想は、由比ヶ浜が率直に代弁してくれた。
「こういう風に見せ合うのは、なんだか慣れないわね……」
雪ノ下が艶やかな黒髪をかき上げて、照れくさそうに小さな笑みを浮かべる。
雪ノ下の浴衣は、上品な濃紺の生地に百合の花が凛と咲いていた。清純さや高尚さを控えめに主張しながらも、白磁のような肌をうっすらと朱に染めて視線を泳がせる仕草がギャップを生み出してくらりときてしまう。
「…………」
雪ノ下が横目でちらちらと俺を見てくる。本人は何気なくやっているつもりなのかもしれないが、こっちからすれば上品な浴衣姿で婀娜っぽい流し目を送られているようにしか見えない。間抜けなほどに顔が熱くなった。
「……良いんじゃねえか」
どれだけ脳内で賞賛する言葉が溢れても、ひねくれた心と褒め言葉を発するのに慣れていない口ではこんなものだ。呆れられるだろうな……と思ったが。
「……そう」
雪ノ下は、少しだけ上ずった声でぽそりと呟き、うっすらと柔らかい笑みを浮かべた。表情をほんの少し動かすだけで、こちらの心をその何十倍も、何百倍も揺り動かしてくる。たまったもんじゃない。コスパが良すぎるだろう。何を言ってるんだ俺は。
「雪乃さん、雪乃さん」
小町が雪ノ下に何やら耳打ちをする。いやな予感しかしない。
「こ、小町さん? それはちょっと……っ」
「いいですから、大丈夫ですから。一回やってしまえば楽になりますから」
危ない勧誘をしているようにしか見えなかったが、しばらく問答した末に雪ノ下が諦めたような顔をして俺の正面に立った。
「…………」
くるり。
極めてぎこちない動作で、雪ノ下が一回転する。止まって俺と目が合うと、急にまばたきが増えて長いまつ毛がせわしなく揺れた。目が頼りなげに泳ぎ、艶めいた唇がもにょもにょと動く。
何か言おうとして、全く何の言葉も出てこないような……そんな仕草。顔が急に熱くなった。なんだこれ、なんだこれ!
『なにあれ、ほんと淡い!』
『青春すぎるよ! 炭化する! 炭化する!』
またしても女性店員の声が聞こえる。雪ノ下にも聞こえていたようで、2人して余計に恥ずかしくなった。
「……ずるいなぁ」
俯いていると、少し哀しげな声が聞こえた。声がした方に顔を上げると、一色が慌てて顔を逸らした。俺が首をかしげても何も言ってこないが、小町が一色の腕を肘でてしてしと小突いている。なんなんだ。
「お次のお客様ー。お待たせいたしました!」
「お、次は俺らだな。……どうした?」
「……別に」
小町、一色、由比ヶ浜、雪ノ下をちらりと見た三浦が、すねたような表情をして顔を逸らした。よくわからんが可愛い。しかし可愛いと言ったら絶対怒られるやつだこれ。
どうしたものか……と思いながら、店員に案内されるまま試着室に入った。
× × ×
「お待たせしましたー」
女性店員が声を上げ、俺が入っていた試着室のカーテンをシャッと開ける。女性同士ならともかく、野郎の浴衣姿を見たところで大した反応なんて望めないだろう。
――と、思ったんだが。
「わぁ……」
由比ヶ浜が口をぽかんと開け、
「…………」
雪ノ下が目をぱちくりとさせ、
「せ、先輩のくせに……」
一色が何やら悔しそうな表情を浮かべ、
「ふへへ……」
小町が女性陣の反応を眺めてにやけている。
小町だけおかしくないか?
俺が着たのは刺子縞という柄で、女性陣の浴衣のような華やかな主張をするものではない。極めて無難なセレクトをしたつもりだったが、雪ノ下と由比ヶ浜と一色がこちらをまじまじと見つめ、小町が後ろからその3人をにやにやと眺めている。いや、小町だけやっぱりおかしいだろ。
さらし者にされているようで気が気でない。顔を逸らして隣の試着室に目が行った瞬間――目の前のカーテンが開いて、三浦が出てきた。
「わぁ……優美子、すっごくきれい!」
由比ヶ浜が喜色満面の笑みを浮かべて三浦に駆け寄る。
三浦が着ている浴衣は、薄桃色の生地に、桜に似た可愛らしい大振りの花と、竹のように細やかな茎や葉があしらわれた柄だった。三浦のイメージ的にもっと派手な柄を着るのではと思っていたが、意外にもおしとやかな印象だ。
「優美子、これって何ていう柄なの?」
「え、えっと……撫子っていうんだけど……似合わないでしょ?」
三浦が自信なさげにつぶやき、ちらりと雪ノ下を見る。おしとやかを体現したような雪ノ下に向ける視線は、嫉妬と諦めの色が滲んでいた。
「そんなことない! すっごく似合ってる!」
由比ヶ浜がぶんぶんとかぶりを振り、心の底から賞賛の声を浴びせる。由比ヶ浜の言葉通り、実際似合っていた。撫子という柄の名前になんら恥じることもない。
口をぽかんと開けて三浦を見つめていると、ぱちりと視線が噛み合った。
『…………』
何も言葉が出てこない。三浦は三浦で俺の浴衣姿をじっと見ているようだった。
「お兄ちゃん、ほらほら、お会計だよ」
「あ、ああ、すまん」
小町に声をかけられて我に返る。三浦は三浦で由比ヶ浜に声をかけられてハッとしていた。
会計を済ませ、6人でぞろぞろと店を出ようとすると――袖をくいと引っ張られて足を止めた。振り返ると三浦が何か言いたそうに俯いている。他の4人は俺たちに気付かずに店の出口に歩いていった。
「……どうした」
「……どう?」
コミュニケーションとしては、到底成り立っているとは思えないようなやりとり。それでも、三浦が何を問いかけているのかは流石に分かった。
「あー……その、なんだ、似合ってると思うぞ。……かなり」
「……っ」
盛大に目を泳がせながら答えると、三浦の顔に喜びが咲いた気がした。目を見開き、頬を朱に染め、爛々と輝いた瞳で俺を見つめてくる。正直、洒落にならないくらい可愛い。
「……あ、ありがと。……ヒキオも、浴衣、似合ってる……」
「お、おう、そうか」
思わぬカウンターに面食らう。上目遣いで言うのは反則だろう。
茹だった顔を冷まそうと、店員からサービスでもらったうちわで顔を扇いでいると――三浦が何やらもじもじとしていることに気が付いた。
「どうした」
「あ、いや、その……」
歯切れ悪く答えながら、何故か俺から数歩遠ざかった。なんだ、何がしたいんだ……と首を傾げていると。
くるり。
「え……っ」
目の前で、三浦が顔を真っ赤にしながら一回転した。
元の位置に戻った三浦と目が合う。
『……………………………………………………………………………………』
互いの口がもぞもぞと動くものの、真空空間に放り込まれたかのように全く声が出ない。
え、なに、今の?
他のみんながやってたから?
それを、え、俺だけが見ているこの状況で?
「……ほ、ほら、早く行かないと……っ」
「お、おう」
泣きそうな顔をした三浦が、俺の横をすり抜けて早足で店の出口に向かう。
「…………」
呆然とする。
「可愛い」と思うたびに、容量が決まっている器に正の感情が水のようにたまっていくとするならば――今の三浦の行為で、正の感情が器から完全に溢れ返ってしまった。可愛さが俺の許容量を超えている。
「……どうすればいいんだ……」
慣れない感情の奔流の発散の方法が分からないまま、慌てて三浦の後を付いていった。
ふと後ろに目をやると、さっきまでこそこそ話していた女性店員2人が倒れていた。ぎょっとしたが、「尊い……」と呟いているのを聞いて無視することにした。
盗み聞き、だめ、ぜったい。
続く。
浴衣披露の回でした。くるり。
夏コミC92で出したはるのん本「雪ノ下陽乃と過ごす夏は実に爛れている。」のとらのあなでの通販予約を開始しています! 詳しくは活動報告をご覧ください!!
それでは、今回もお読みいただきありがとうございました(^^)!!