賑わいを増す祭りの雑踏の中を、俺を含め6人が進んでいく。小町と由比ヶ浜がはしゃぎ、一色がちょこちょことこちらにちょっかいをかけながらも同じようにはしゃぎ、雪ノ下が3人を温かく見守る――そんな光景を、一番後ろにいる俺と三浦が眺めていた。
「あ……っ」
不意に、隣から消え入りそうな声が聞こえた。
振り向くと、三浦が困った表情を浮かべて屈んでいる。
「どうした」
「切れた……」
見ると、浴衣の着付けをしてくれた店で貸してもらった下駄の鼻緒が切れていた。
これはまず、小町たちに言わないと……と前を振り向く。
「うお……っ」
砂浜に波が押し寄せるように人の密度が増していて、ほんの数秒の間に前の4人がすっかり見えなくなっていた。
幸いにも出店のすぐ前を歩いていたため、店の裏側の暗がりにあるベンチがすぐに目が付いた。
「取り敢えずあそこに座るか。歩けるか?」
「ん、片足なら、なんとか……」
三浦に尋ねると、鼻緒の切れた下駄を持ってひょこひょこと片足で歩きだした。
「ほれ」
「え……」
歩きづらそうだなと思った瞬間――つい、小町に対してするのと同じように、そっと手を差し出していた。三浦は俺の伸ばした手をまじまじと見つめている。なに、そんなに珍しい手相なの? などと思ったが、よくよく考えなくてもこの状況はとてつもなく恥ずかしい。
肩に掴まってもらおうとも考えたが、身長差を考えると幾分やりづらい。それならばいっそ、と思って手を差し出したものの……2人の動きがぴたりと綺麗に止まってしまった。石のように固まった俺たちを避けて人波が流れていくのに気付いて、三浦が恐る恐る手を差し出した。
そっと手が触れる。
三浦の手は、驚くほど細くて、柔らかくて、温かかった。
「……行くか」
「う、うん……」
俺はベンチの方をひたすらに見ていて、三浦の顔を見ていなかった。見ることなんてできなかった。きっと、三浦も俯いている気がする。
顔が、何の冗談かと思うほどに熱かった。
× × ×
「座っててくれ」
三浦をベンチに座らせ、スマホで小町に連絡をとる。俺たちが祭りの喧騒から一歩離れたところにいるとはいえ、小町たちは未だに雑踏の中だろう。メッセージで軽い状況説明をして、わかりやすい場所で待っててくれと伝えておいた。小町の返事がくるのを待っている間に、三浦の下駄の修理を済ませることにする。
三浦は足をぷらぷらさせて、所在なげに俺を見つめてきた。座っているため自然と上目遣いになり、慌てて顔を逸らす。
「……あーし、直し方わかんない……」
「心配すんな、調べるから」
言いながらスマホをすいすいと動かして、鼻緒の直し方を調べる。おうおう、いくらでも出てくるぞ。
「ふむ、手ぬぐいかひも状のものが必要……あ」
浴衣をレンタルしてもらった店で、手ぬぐいをサービスでもらったことを思い出す。なんとタイミングのいいことか。
財布をちらりと見て五円玉を探す。あった。
「三浦、貸してくれ」
「ん」
隣に座り、鼻緒の切れた下駄を借りる。
まず、手ぬぐいを縦に裂いて、細い布地を用意する。
そして、五円玉の穴に裂いた手ぬぐいを通す。
五円玉に通した手ぬぐいの両端を、下駄の底の穴に通す。
下駄の上側に通した手ぬぐいをねじる。
ねじっていない部分を結んで前ツボ(親指と人差し指で挟むところ)を作る。
俺がスマホを見ながら必死で格闘する様を、三浦はじっと見つめていた。ぶっつけ本番で、しかも女の子が見ている目の前でやるってのはいささかハードルが高くないか……? とは思いつつも、この後の三浦の移動の快適さが俺の修繕にかかっていると思うと手は抜けない。
額に汗を滲ませて慎重に作業をしていると、手ぬぐいが顔に伸びてきて、俺の汗をそっと拭ってくれた。
「え……」
「あ、大丈夫。これ使ってないやつだから」
俺と同じく着付けの店でもらった手ぬぐいをもった三浦が、俺の反応に対して見当違いの心配をしていた。三浦が汗を拭ってくれたという事実に固まっていると、ようやく俺の反応の意味を理解したのか慌てだした。
「……ごめん、迷惑だった?」
形の整った眉をひそませて悲しそうな表情をされ、大いに慌てる。
「いや、なんだ、その、助かる。続けてくれていい。いくらでも拭いてくれていいから」
「そんなに汗かいてないでしょ」
テンパりにテンパった俺の反応を見て、今度はおかしそうに笑った。
「ほら、汗拭いたげるから」
「お、おう……」
何が楽しいのか、三浦は柔らかく目を細めて俺の顔を丁寧に拭いてくれる。先程までとは違った原因で汗が出てきた。こしこし、くしくし、と慈しむように汗を拭き取られ、作業を再開する。顔は熱いままだった。
「……こんなもんか」
なんだかんだで作業を終えると、再び顔に汗が滲んでいた。
「ありがと」
礼を言いながら、再び汗を拭ってくれる。なんだかクセになりそうで怖い。
「ちゃんと履けるかどうかわからんから、一回試してくれ。ダメだったら調整するから」
「ん、わかった」
三浦の足元に下駄を置く。流石に跪いて足を持って下駄を履かせる……などという大正ロマンな真似はできなかった。
三浦が座ったままで下駄を履き、そっと立ち上がる。ちょこちょこと歩いて見せると、振り返って微かに笑った。
「大丈夫みたい。ありがと。ヒキオ、意外に器用なんだ」
「意外にとはなんだ」
「冗談だって」
三浦がからからと笑う。この子がこんな風に笑うのは珍しい。祭りの雰囲気によって浮かれているのだろうか。
「じゃ、行くか。小町から連絡が来たから」
「ん、わかった」
残った手ぬぐいをしまって立ち上がり、祭りの喧騒に戻ろうとした瞬間。
「あ……っ」
日陰で土が湿っていたのか、三浦がずるりと足を滑らせる。咄嗟に腕を伸ばすと、驚くほど軽い身体が腕の中に収まった。
目の前で流れる祭りの喧騒が、遠い対岸の別の国であるかのように遠く思えた。
「んぁ……っ」
固まった俺の腕の中で、三浦がくぐもった声を漏らす。呆気にとられて漏らした声だろうとは思うものの、ひどく悩ましい声に聞こえて動悸が収まらない。目の前で揺らめく金髪から甘やかな匂いがして、くらりと目眩がする。
「だ、大丈夫か?」
「う、うん……」
最低限の会話を済ませると、綿雲のような沈黙が降りてくる。決して重苦しい沈黙ではなかった。三浦は俺の胸板におでこをこすり付けたまま、同じく胸板に添えた手をきゅっと握る。
今までの「これくらいな30秒は経っている」「もう1時間は経っただろう」といった時間経過の大まかな感覚が全く通用しないくらい、完全に感覚が麻痺していた。
1分が1時間にも思えるし、1時間が1分にも思えるような、めちゃくちゃな時間感覚。ありとあらゆる感情が脳内で目まぐるしく渦巻いて、思考が止まっては暴走するのを繰り返した。
「……行くか」
搾り出した声は掠れていて、三浦の身体を離すために両肩を掴んだ手は震えていた。理性と本能が熾烈に争った結果、短時間で尋常でないほどの疲労感を味わった。
「…………」
三浦が上目遣いで俺を見つめた表情は、自惚れでなければ、何か期待しているようにも見えた。
けれど、それと同時に何か恐れているようにも見えて、安易な行動をしてはこの子の心をばらばらに引き裂いてしまうような気がした。
俺は、三浦の良い匂いのする髪をくしゃりと撫でるのに留めた。
三浦は俺が撫でた頭をぺたりと触って目をぱちくりとさせると――やがて、くすりと笑った。
「……ヒキオらしい」
「……うるせえ」
妙に楽しそうに笑っている姿が、どうしようもない程に腹立たしく、それと同時にどうしようもないほど可愛らしい。
俺は何をしたかったのか。
三浦は何を望んでいたのか。
少なくとも前者は自分でよくわかっていて、後者も薄々勘付いてはいた。
それでも、俺は何もしなかった。千載一遇のチャンスを逃してはそうそう同じことができるチャンスは来ないだろう。
三浦を見ると、やけに楽しそうに笑っている。「あーあ、ほんとヒキオらしい」と、まるで年上のお姉さんがからかうかのような口調で囁いてくる。
祭りで賑わう音の波よりも、三浦の言葉と自分の心臓の音の方がよっぽどはっきりと聞こえていた。
続く。
あーしさんでした。雑誌イブニングで連載されている「官能先生」という作品に思い切り触発されたくだりを書いてみました。大正浪漫。
俺ガイルの!! 12巻が!! 2年3ヶ月ぶりに発売されますね!!!
この作品を書き始めたのが10.5巻が出た直後で、その3ヶ月後に11巻が出て、そこから今まで、ひたすらこの作品を書いていた身としてはものすごく感慨深いです。渡先生が倒れてなくて本当に良かったです……!
まだ最終巻ではないようなので、12巻とその後の巻も楽しみにしています。
それでは、今回もお読みいただきありがとうございました(^^)!!