小部屋に戻ってからは静かに勉強していた。小町に「お兄ちゃん、もういいよー」とLINEで呼びかけられたのは数十分後のことだった。
駅まで送るあいだ、三浦はなんだか妙にぎこちなかった。まるで何か隠し事をしているような気配。けれど隠し事は隠し事でも、悪いことのようには見えなかった。
何なんだろうなぁ、と思いながらゆるゆると駅までの道のりを歩く。
「あ……ここまでで大丈夫。ありがと」
駅の前に着くと、三浦がぽそりと呟いた。
「ん、そうか。じゃあまた明日」
「あ、ヒキオ。その……」
「ん? どうした?」
「……な、なんでもない。また明日」
「……おう」
奥歯に限界まで物が挟まったかのごとき振る舞いだった。こういうときに余裕のある振る舞いをして「どうしたんだい? 何か言いたいことがあるんじゃないかい?」と言える男に……はなりたくねえな。何のキャラだこいつは。
三浦が駅に入っていくのを見送ると、明日は何が起こるのだろう……? と考えながら帰路についた。家に帰ると、小町が「あ、お兄ちゃんおかえりー……って、あー!」と突然叫んだ。
「どうした」
「英語の予習し忘れてた……あの先生超怖いんだよね……。ああもう、後はお風呂入って寝るだけだと思ってたのに……」
「……まあその、なんだ、頑張れ」
「うん……」
頭をぽんぽんと撫でると、小町がなにか不服そうな顔をしている。
「どうした、撫で方が下手だったか」
「年頃の妹の頭を撫でて、妹が不満そうな顔をして、それに対して自分が撫でたこと自体を悪手と思わないお兄ちゃんの神経に乾杯」
「うぐ」
鈍い刃物が心臓にぐさりと刺さる。そ、そっかぁ……小町ももう、そんなお年頃なのね……。
まあ、それは別にいいんだけど……とケロっとした顔で言い、「それはこっちに置いておいて」のジェスチャーをする我が妹。不用意に人を傷付けるのはやめてほしい。正論なんだけども。
「今みたいなのを、優美子さんにもちゃんとやってほしいなーって可愛い妹は思うのです」
にこぱーっと笑いながらそんなことを言ってくる。
「可愛い妹なのは間違いないが……そんなことしたらドン引きされるだろ」
「うーん……慣れ親しんだ人には平気でそんな歯の浮くことを言えるくせに、そうじゃない人との隔たりがちょっと大きすぎるなぁ……」
なんかマジのダメ出しをされた。
「三浦にねぇ、うーむ……」
自分の手のひらをじっと見つめて考える。ここで「まだ……力が足りないか……」などと呟けば立派な中二病の完成だが、今はそういうわけではない。そういう時期もあったけど。
「おや? おやおや?」
俺の様子に気付いた小町が、後ろ手に組んでやけに楽しそうに笑いながら顔を近付けてきた。ウザい! 可愛い! でもウザい!
「お兄ちゃん、優美子さんの反応をひたすら気にしてるようだけど……撫でること自体は抵抗ないんだ?」
「え」
「だって、全然嫌がってないでしょ? あくまで『三浦がどう思うか心配だ~』って思ってるだけじゃん」
小町のキラキラした目が急に澱み、覇気のない声が瘴気のごとく溢れ出た。
「お前、16年近くにいた兄の物真似がそこまで下手って……もはや悪意を感じるぞ」
「そりゃもう、悪意と皮肉を込めてるからね!」
両手を腰に当てて太陽みたいな笑みを浮かべられた。ここまで開き直られるともはや何も言えない。
力技である。
「しかしまあ、うん、別に俺が三浦の頭を撫でるのはまあ……うん」
「お兄ちゃん、言い淀み方が比較的マジでキモいよ」
「平坦な顔で言うのやめてくれる? 今悲しみで死にそう」
今度は鈍くない刃物が心臓を貫いてきた。つらい。
「とにかく!」と、小町がシュピッと俺の顔を指差した。距離が近かった上に指を差されたものだから、指が本当に目の前にある。さりげなく失明させる気なのかしらん?
「優美子さんにそういう積極的なことをしても、きっと大丈夫だよ。2人は今そんなフェーズに差し掛かっています」
「お前には今何が見えているの?」
「神様みたいな俯瞰の視点で2人の関係性が見えています」
予想していない答えが返ってきた。まともな返しなど思い浮かぶわけもない。
頭をがしがしと掻き、ふうと息を吐く。深い吐息だったが、ため息ではなかった。
「……まあ、検討する。それよりいいのか、予習しなくて」
「あー! そうだよもう、お兄ちゃんと話してる場合じゃ……いやでも、未来のお義姉さん獲得のためには必要な時間だよね……」
難聴系主人公のスキルを瞬間的に使わせてもらい、聞こえなかったフリをした。
「それじゃおやすみ、お兄ちゃん!」
「あいよ、おやすみ」
とてとてと急ぎ足で小町が階段を上っていく。
「そういやあいつ、ちょっと背が伸びたか……?」
年齢を考えれば成長していても全くおかしくないのだが、それでも小学校や中学校に比べれば成長の幅は落ちる。不意に感じた妹の成長は、なんだか感慨深かった。
そんなことを思いつつ、ふと手のひらを見る。
「まだ……力が足りないか……」
「ナーゴ」
「!?」
なんとなく中二病丸出しのセリフを呟いた瞬間、足元で聞き慣れた鳴き声がした。宇崎ちゃんばりに急激に腰を回して振り返り、下を向く。幸い腰は痛めなかった。
「ナーゴ」
カマクラは、俺の台詞を心底あざ笑うかのようにもう一度鳴くと、エサをねだるでもなくとてとてと去ってしまった。猫とはいえあの台詞を聞かれてしまったのは本当に恥ずかしい。ちなみにこういった台詞を聞かれて一番まずいのは材木座だ。仲間だと思われてはたまったもんではない。
もう少し勉強して、風呂に入ったら寝よう。
問題集をどこまで進めていたかをぼんやりと思い出しながら、部屋に戻った。
× × ×
翌日の朝。
「あ、そうだお兄ちゃん」
「なんだ」
2人並んでゆるゆると自転車で学校に向かっていると、小町が何か思い出したように声を上げた。
「今日は購買に行かなくていいよ」
「……なに、遠回しのイジメ? 俺には昼飯はいらないってこと?」
「なんで妹がそんなことすんのさ……まったく」
まあ、実際どうなったかわかんないしなー、と小町は何やら意味のわからぬことをぽそぽそと呟くが、細かいところは涼しい風に吹かれて掻き消されてしまった。
「ま、もし何のイベントも起こんないようだったら、購買に行っていいよ。昼休みになったら5分だけ待ってみて」
「え、何のギャルゲーの話だそれ」
待機時間が条件のイベントって中々無いのでは。
俺の返しに対して小町がジト目を向けてくる。まあまあ本気で軽蔑しているときの目だ。心臓が石化しそう。
「いいから待っといて。わかった?」
「お、おう……」
有無を言わさぬ口調に素直に頷くと、「よろしい」と鷹揚に言ってにゃはっと笑った。アメとムチの使い分けが上手すぎて将来が心配である。
× × ×
教室に着くと、三浦がなんだか妙にそわそわしていた。それでも会話はいつも通りしていたのだけれど、昼休みになるとふたたびそわそわが再発した。
うん、なるほど。
これは……購買に行きづらいね!
三浦さん、ずっとそわそわしてるのに、目線は俺に固定されている。おどおどしているようにも、「行くなよ? 絶対行くなよ?」とおどしかけているようにも見える。ものすごく動きづらい。助けて! なんなの!
得体の知れない汗をかいていると、三浦がゆっくりとこちらに顔を向けた。
「あ、あの、ヒキオ……ちょっと、付いてきてくんない?」
「……ああ、いいけど」
上目遣いなんだけど、緊張しているのか何なのかやたらと眼光が鋭く、その上言葉のチョイスが明らかに怖い。気弱な女の子が釘バットを持ってカツアゲしている映像が浮かぶような、ちぐはぐな仕草と言葉だった。
人間ってこんなにぎこちなかったっけ? という動きをしながら教室を出ていく三浦の後ろをすごすごと付いていく。傍から見れば、一緒に行動しているようにさえ見えないだろう。
何が起こるのかはなんとなく予想していたのだけれど、なんだかよく分からなくなってきた。
続く。
あーしさんもいつの間にやら32話か……まだまだ続きます。どうぞごゆるりとお楽しみください(^^)
それでは、今回もお読みいただきありがとうございました(^^)!!