三浦は一通り漫画のチョイスを終えると、初めに座ってもらったクッションに腰を下ろした。何故か正座だ。ローテーブルの上に置いていた5冊程度の漫画を手元に引き寄せ、何やらそわそわしている。
「…………」
まだ立っている俺を、何やらちらちらと見てくる。俺を見たと思いきや、今度は漫画本をちらちら、ちらちら。『待て』の指示を出された犬のようにしか見えない。可愛いけども。
「……どうぞ」
「……ん」
俺がぽそりと呟くと、こほんと小さな咳払いをして、ぎりぎり聞こえるかどうかの小さな声で返事をしてきた。声音は必死に平静を装っているが、いかんせん目がキラキラとしている。俺の棚にも意外と三浦のツボに入る漫画があったらしい。
「脚は崩してもらっていいぞ」
「……わかってるし」
正座で読み始めた三浦に言葉をかけると、ぷいと顔を逸らされた。逸らしながら脚を横に流している。なんだこの可愛い生き物は。
……さて、どうしたものか。
三浦がローテーブルで目をキラキラさせながら漫画本を読み始めたが、俺はどこに座るといいのだろう。
隣だろうか。
調子に乗るな、俺。
外で勉強会をしているときならまだしも、ここは俺の部屋。距離が近付いたときの緊張感は、学校や図書館の比ではない。というわけでギブ。
となると、真向かいが無難だろうか。俺も漫画やラノベを読みつつ、三浦の顔をちらちらと正面から……見るのはハードルが高い。なんなんだ、場所が変わっただけでこんなに緊張するものなのか。
「…………」
三浦にバレないように、静かに視線を部屋中に巡らせる。何年も住んでいる部屋だと言うのに、まるで物件探しで初めて訪れたかのように見ていてしまう。どうしたものか。
迷い迷って、ベッドの縁に座ることにした。買ったばかりのラノベの新刊を手に、ベッドに腰を下ろす。ギッ、とスプリングの音が鳴ると、三浦が横目でチラリとこちらを見た。
「ヒキオ、なんでそこなの?」
「気にしなくて大丈夫だ、うん」
「ふーん……?」
俺の言葉にくりっと小首を傾げた三浦が、またすぐに漫画に視線を落とす……かと思いきや、何やら突然こちらをじっと見つめ出した。なんぞやと思ったが、どうやら俺が読み始めたラノベの表紙を見ているらしい。
「……あー」
ちらりと表紙を確認して、しまったと後悔する。
表紙には、金髪ロングの美少女が腰に手を当てて堂々と立っているイラストが描かれていた。しかも三浦と同じように縦ロールだ。なんだか変な汗が出てきた。
わずかに視線を上げた三浦と目が合う。
『…………』
控えめに言って。
地獄のような間が生じた。
目を逸らすこともできずにいること、数秒。
「……やっぱり好きなんだ」
独り言のようにぽそりと呟き、漫画をふたたび読み始めた。三浦の言葉に心臓がどくどくと脈打ち、思わずごくりと喉を鳴らす。
「え……お、おい……?」
俺の言葉に、三浦は漫画を持ったまま身体ごと逸らした。ちらりと覗いた耳まで真っ赤になっている。これ以上の会話に応じる余裕は無いらしい。
……本当になんなんだ、この可愛い生き物は……。
集中できる気はまったくしないものの、これ以上会話をする空気でもない。とりあえず、手に持っているラノベを読み始めることにした。
× × ×
10分ほど経った頃。
「ねえ、ヒキオ。これってどういう意味?」
「ん」
三浦が漫画の1コマを指差して質問をしてきた。ベッドから立ち上がり、ふわりと香る甘い匂いに動揺しながらも三浦の隣に腰を下ろす。
「ここなんだけど」
「ふむ」
三浦が尋ねてきたのは、主人公が放った言葉の意味についてだった。いわゆるネットスラングの類で、ここ数年見かけるようになった言葉。一部の層にとっては馴染みの深い言葉でも、三浦からすれば未知の言葉なのだろう。
「これはだな……」
用例を交えて軽く説明してみると、三浦はふむふむと頷いて「ありがと」と礼を言ってきた。こちらの領域に飛び込んでくれて、そして馴染もうとしてくれるのは嬉しい。俺なら三浦に本気でファッションの話をされたら、光速で心が折れる自信がある。三浦のことをもっと知っていく上で、俺からも踏み込む必要はきっとあるんだろうな……と思いながら、ベッドに座ってふたたびラノベを読み始めた。
2分後、また呼ばれた。
「ええっと……」
同様に説明して、ふたたびベッドに戻る。
3分後、また呼ばれた。
「えっとだな……」
教えるのは別に何の苦でもないが、いかんせん三浦の隣とベッドの間の往復を繰り返す絵面が間抜けすぎる。しかし隣に座るのは色々と心が持たなそうだしなぁ……と思いながらふたたび立ち上がると――くい、と手首を引かれた。自分と違って、驚くほど細い指が絡められる。
「え……」
「ヒキオ、別に、隣でいいでしょ……」
顔を逸らし、ほんのりと頬を朱に染めて、ぽそぽそと呟く。ちょっとだけ拗ねたような声に、バクバクと脈打っている心臓が鷲掴みにされた。
「あ、ああ、ま、まあ、そうだな、うん」
盛大に目を泳がせながらクッションを引っ張ってきて、三浦の隣に腰を下ろす。ラノベをふたたび読み始めたのだが、内容がまったく頭に入ってこない。そして3ページほど読んだところで、さっきまで読んでいたシーンだと気付く。緊張しすぎて頭がとってもアレ。
隣を見やると、三浦は集中して漫画を読んでいた。邪魔をすると悪いと思い、集中できないながらもラノベのページに目を落とした。
× × ×
高校3年にもなれば、なんとなくでも自分が集中できる体調管理のやり方がわかってくる。しかしそんな中でも時折、様々な要因が組み合わさって「あ、今なら集中できるな」と思えるときがあったりする。そのタイミングは元気なときに訪れることもあれば、疲れているときにほんの30分だけ訪れることもあって、まだまだ読みきれていないところがある。
そして、そういったポジティブな偶然と同様に、「あ、今は絶対集中できないな」と思うときがある。周りの環境が原因のときもあれば、勉強する直前に気分を害することがあって引きずっているときもある。こういうときは教科書や参考書を開いた時点でわかるものだ。
今こうして三浦の隣にいる状況では、もちろん集中できるわけがなかった。すごい、すごいぞ。人間ってここまで集中できないものなのかと驚く。字を読み進めても読み進めても、目に飛び込んできた文字がページからぺりぺりと剥がれて、大空に飛び立っていくような幻さえ見える。「今日からお前の名前は『八』だ!」と言われそうな世界観だ。
序盤の山場である白熱したバトルシーンを読んでいるのに、2行前のくだりさえ頭に入っていないものだから、「あれ、なんで敵がいつの間にか主人公の後ろに回りこんで不敵な笑みを浮かべてるんだ?」などという質問が出てくるほどの大惨事が起きている。
「ヒキオ、ここなんだけど……」
「お、おお、どうした?」
動揺している俺をよそに、三浦は静かに漫画を読み進め、ちょこちょこと俺に尋ねてくる。サブカル色が強い作品のためか、三浦からすれば難関私大の英語長文問題並にわからない単語が多いようだ。
答えること自体はなんら手間に思わないが、至近距離で三浦の匂いに触れ続けるのは非常に危険だ。時折ちょっとだけ指が触れると、なんだかもう心臓と触れた指が同時に爆発してしまいそうになる。いかん、三浦がボマーになってしまう。三浦にもう一度触れて「ボマー捕まえた」と言わないと。いや、本当に落ち着け俺。
「……ヒキオ」
「ん、今度はどこだ」
俺の質問に、三浦は綺麗に整えられた眉を八の字に曲げた表情を浮かべた。怒っているというよりは、可愛らしく拗ねているような、そんな表情。
「……ちがう。……さっきから、見すぎだし」
無意識って恐い。
「……ほんとすまん」
ボマーがどうのなどと考えている間、俺はいつの間にか三浦の綺麗な顔やほっそりした指を存分に眺めていたらしい。控えめに言って完全にギルティである。
ジャンピング土下座に挑戦しようかしら……と思っていると。
「別に……謝んなくていいし」
「……へ?」
三浦の口からこぼれ落ちた思わぬ言葉に、間抜けな言葉が口から漏れた。三浦はぷいと顔を逸らしたが、俺は一体どうしたら良いのかわからず、ただただ慌ててしまう。
「……ん」
俺の狼狽ぶりを見た三浦が、ほんのわずかににじり寄ってきた。そして身体を傾けて、綺麗なつむじを見せてくる。ここまでされて、さすがに何を望んでいるかわからない……などと言うことはできなかった。
綺麗に染められた金色の髪を、くしりと撫でる。
「ん……」
三浦が気持ち良さそうに目を細め、漫画のページをめくる手を止めた。縁側で日なたぼっこをする猫を思わせる仕草はとても可愛らしく、思わず頬がゆるむ。距離が格段に近くなったにも関わらず、却って緊張が和らいだ気がした。
「うお……っ」
――その直後、三浦がこてんとしな垂れかかってきたことで、ほぐれてきた身体が一気に強張った。身体の右側にかけられる体重は驚くほど軽く、自分の服と三浦の服が間にあるというのに信じられないほど柔らかい。まるでスポンジを握って洗剤が滲み出すかのように、三浦の身体から香る甘やかな匂いが、密度を増して魅了してくる。頭は撫でたままだったので、まるで俺が抱き寄せたかのような形になっている。
三浦が手に持っていた漫画をローテーブルに置く。俺も手に持っていたラノベを同様に置いた。緊張と、三浦に対して溢れる気持ちで頭がおかしくなりそうになる。
いかん、どうしたら――!?
がちがちに固まっていると、三浦が不意に身体を起こした。
「暑い……」
「え? あ、そうか? 冷房強めるか?」
9月に入ってからはエアコンを点ける日も点けない日もあったが、今日はいつも一人しかいない部屋にもう一人来る上に、主に俺が緊張で熱を発すると思って軽く冷房を点けていた。それでも三浦はデニムのジャケットを羽織っているし、今の今までやっていたことを考えれば暑くなってもなんら不思議ではない。
俺の提案に三浦は、
「ん、……だいじょうぶ」
ぽそりと呟くと、デニムジャケットを脱ぎ出した。
「んな……っ」
ありとあらゆる感情がごった煮になって、大きく膨らみすぎた言葉が喉で詰まる。三浦はさらりとジャケットを脱いでバッグにしまった。肩口の露出した白のフリルカットソー。大人びた美しさとあどけない可愛らしさが混ざり合った、今の三浦をよく表していると言える恰好だ。
見惚れながらも、三浦の行動にただただ驚く。口を半開きにして固まっている俺の様子を、三浦は顔を真っ赤にしながらちらちらと見てくる。
エアコンで暑さを調節することなく、服を脱ぐ。しかも俺の前で堂々と。それでいて、爽やかながらもしっかり腕を見せている服装。
目まぐるしく変化する状況にまるで心が追い付けないでいると、三浦がふたたびしな垂れかかってきた。一枚脱いだだけだというのに、やわらかさも甘やかな匂いも、格段に増した気がした。反射的に変な声が出そうになって、かろうじて堪える。
「ん……」
頭を撫でると、三浦はまたうっとりと目を細めた。なんだかこのまま眠りに就いてしまいそうだな……と思っていると、露出した滑らかな二の腕が見えた。思わずごくりと喉を鳴らすと、三浦の身体がぴくりと揺れる。目の前で息を呑んで、三浦に聞こえないわけがない。
迂闊な行動を後悔していると、三浦がクッと顔を上げた。至近距離で見つめ合っていると、滑らかな髪を撫でていた手が自然とすべり、そっと二の腕に触れた。自分でもそんな大胆なことができたことに驚くが、三浦は頬を紅潮させるだけで、何も言ってこない。
「……ぁ……っ」
そっと抱き寄せると、三浦が切なげな声を漏らした。初心な仕草と、大胆な行動と、ぞくりとするほど色っぽい吐息と表情。その全てに魅了されて、身体が小さく小さく震える。
――今、だよな……。
三浦に気持ちを告げるなら、今しかないだろう。このタイミングを逃したら、次は一体いつ言えるかわからない。
「…………っ」
――けれど、言葉を発しようとしても喉から思い通りの言葉が出ない。腕の中にすっぽり収まっている三浦と見つめ合いながら、数秒か、数十秒か、あるいはそれ以上か……時間感覚が完全に麻痺したまま、無言の時間が続く。
今言うしかないだろ。行けよ、行け、行け――
必死に己を奮い立たせていると。
「ヒキオ……」
「……ん、どうした」
三浦が、しっとりと湿った声で呼びかけてきた。覗き込んだ瞳はとても綺麗で、なにか強い決意を秘めているように見えた。
三浦が美しい唇を震わせながら言葉を紡ぐ。
「……あーしのこと、どう思ってる?」
「え……っ」
三浦の声音は、切なげで、苦しそうで――今にも泣きそうだった。
続く。
次回、いよいよです。
600話達成のお祝いコメントをたくさん頂きまして、本当に感謝しております! これからもよろしくお願いします(^^)! 原作よりも長くやってしまおうとは本気で思っています。
それでは、今回もお読みいただきありがとうございました(^^)!!