三浦と過ごす季節がゆっくりと流れ、11月を迎えた。日中は20℃を超える温かな陽気が続いているが、夜になると1桁にまで下がる。一日部屋で過ごす日はエアコンを冷房と暖房で使い分けるなんていう日もざらにあった。朝に家を出るときは着ていたコートを日中は持って歩くのがなんとも手間だが、こういう季節なのだからしょうがない。
これから冬を迎えると、いよいよ受験本番だ。3年生はいよいよ受験本番という雰囲気になっていて、3年生の教室のある階全体にどこか緊張感が漂っていた。
× × ×
朝、まだほとんど人のいない校舎を歩く。コートを着てなお身体がぶるりと震える寒さだ。リノリウムの床を踏む音が、以前よりも少し乾いて聞こえた。三浦と一緒に勉強する予定で早めに起きたのはいいが、早く着きすぎた。
自分の教室をドアの窓からチラリと覗くとまだ誰もいない。そりゃそうだわな……と思いながらドアの取っ手に指を引っ掛けると、
「ありゃ? ヒキタニくんじゃん」
「……え」
ゆるゆるとした声で挨拶をされて振り向く。肩までの黒髪に赤いフレームの眼鏡。薄いレンズの奥にある瞳は澄んでいる。顔の造作も身体のパーツも小作りな印象を受ける。図書室のカウンターでも座っていたらそれはもう見事に絵になるだろう。
「はろはろ~」
ゆるやかに手を振ってきたのは、腐海の女王――海老名姫菜だった。ひどい称号だ。
クラスが別になったので、話すのはずいぶん久しぶりだった。
「ヒキタニくんは朝から勉強? 偉いね~」
「いや、まあ、うん、別に」
この子、人との接し方を忘れてしまったのん? と言わんばかりのどもりっぷりである。我ながらひどい。仕方ないだろうとは思う。この人とふたりで話したのは、もう1年以上前の修学旅行で行った京都駅以来なのだから。
海老名さんは俺の緊張など露知らずといった様子で、呑気にとてとてと近寄ってきた。
「寒いから教室に入らない?」
「え? あ、ああ」
言われるがままに自分の教室のドアを開く。海老名さんはニコニコとしながら後ろを付いてきて、俺は首をかしげながら自分の席に座った。
海老名さんはごく自然に俺のすぐ前の席に座り、くるりと振り返った。
「私も勉強するつもりだったんだけど、せっかくだからお話がしたいなーって」
言って、海老名さんがにこりと笑う。普通にしていればやっぱり綺麗だなぁと――
「最近、隼人くんと仲良くしてる? クラスが別になっちゃったから、はやはちの進展をきちんと掴めなくてさー」
……思うんだけどなー。普通にしてればなー……。
海老名さんはげんなりしている俺のことなどさっぱり気にせず、自分が口にしたはやはちという言葉に興奮してむはーと変態じみた息をついている。受験シーズンだろうがなんだろうが、腐海の女王は相変わらず全てを腐らせていく……。
「……別になんもねえよ。いつも通りポツポツと話すだけだ。100%葉山から話しかけてくるパターンでな」
「相変わらずだねぇ。……ヒキタニくんはひねくれ者だけど、一度攻められたらなされるがままになり、従順に、しおらしく……むはー!」
「…………」
空がとても青い。天が高いわー。馬が肥ゆるわー。
まあ、はやはちの話はこのあとに取っておくとして……と海老名さんがさらりとつぶやく。置いておいてそのまま忘れてほしいんですが……。
「ヒキタニくん。優美子とはどう?」
「んぐっ」
予想外の弾が飛んできて、喉の奥で変な音が鳴った。むせそうになったが手元に飲み物がない。この会話で色んなライフが削られること確実なので、あとでホットのMAXコーヒーを飲んで癒されるとしよう。可能ならば今すぐにでも買いに行きたいところだ。
「……聞いてたのか」
「そりゃあねー。それなりに経つでしょ?」
「んー……まあ、な、うん、そうかもしれない」
「あはは、優美子に聞いた時もそんな感じだったよ。意外と似てるのかもね、ふたりは」
海老名さんの言葉に少し驚いた。たしかに口数の少なさでは似てるのかもしれないが……。
「似てるというよりは、似てきた……のかな? まあ、よく分かんないけど」
関西人のような締め方をして、気になる話題があっさり終わってしまった。
「優美子、面白いよ。普段みんなといる時は絶対ヒキタニくんのことを話そうとしないの。ふたりが付き合う前の方がよっぽど話してたなってくらい。それなのに、私とふたりでいる時にそれとなーく聞いてみると、まあノロケが止まらない止まらない」
「…………それ、本当に三浦なのか? そっくりさんとかじゃなくて?」
俺が見ている三浦もかなり可愛いと思うが、海老名さんが話す三浦の様子はまた異次元だ。え、ノロケ? ノロウイルスが止まんないんじゃなくて? それただのパンデミックだな。
「あはは、そう思うのも無理ないよねー。私も最初はびっくりしたもん。途切れ途切れにヒキタニくんの優しい所とか呆れた所とか、かっこ悪かった所とか、意外と男らしい所とか、ずーっと優しい顔で話すんだよ? 超可愛いでしょ?」
「…………まあ、うん、そうかもな」
「ヒキタニくん、顔真っ赤だよ」
「そこに触れないでくれ……」
顔を逸らす。火傷するのではと思うほど顔が熱い。
「えっと、なに、今日は俺を辱めにきたの? もう目的は達せられてると思うけど?」
「ううん、これはついでだよ」
海老名さんがニコリと微笑む。
「優美子とどこまでいったのかなーって、ちょっと気になって」
「……言うとでも?」
「うん、そう言うと思ってた。優美子もそんな感じだし」
俺の答えに海老名さんがからからと笑う。そういうとこも似てるねーと呟き、柔らかな笑みを浮かべた。
「優美子ね、ヒキタニくんの話をする時、本当に幸せそうなの。恋する乙女―って感じで、隼人くんのこと追いかけてた時でもあんな表情になったことなかった。ヒキタニくん、すごいなって思ったの」
でも、優美子は繊細だから……と、どこか影を帯びた声でつぶやく。
「とっても傷つきやすいんだ、優美子は。それに、隼人くんのことだってまだ、心のどこかには残ってると思う。……こんなこと私が言うのも難だけど、優美子のこと、大事にしてあげてね? 今、あの子の傷を癒せるのはヒキタニくんだけだと思うから。……優美子のこと、よろしくお願いします」
正面に向き直り、ぴったりと閉じた脚に両手を乗せ、礼儀正しく頭を下げられる。海老名さんがこれまで三浦と過ごしてきた時間が見えた気がして、胸がグッと締めつけられた。
「……わかった。大事にします」
がしがしと頭を掻いて頭を下げる。同時に顔を上げて目が合うと、どちらからともなくくすりと笑った。
「じゃ、私は教室に戻るから。このあとは優美子と勉強かな? 頑張ってね~」
「ああ」
はやはちの話題を忘れてくれているようなのでありがたい。まあ冗談だったのだろうが。海老名さんがひらひらと手を振って教室を出ようとすると、廊下側から誰かが来てドアを開けた。
「あれ、姫菜?」
「あら、優美子。はろはろ~」
三浦が目をぱちくりとさせ、海老名さんと俺との間に視線を往復させる。
「それじゃね~」
説明もなしにひらひらと手を振り、海老名さんが教室を出ていく。三浦は「あ、うん……」とつぶやき、ほけっとしながら海老名さんの後ろ姿を見守っている。
「ヒキオ、なに話してたの?」
海老名さんが教室に入る音が聞こえると、三浦がとてとてとやってきた。くりんと首を傾げるさまがやたらと可愛いので猛烈に撫でたくなったが、雰囲気を読まずにそういうことをすると三浦はちょっと拗ねる。しかしなんだかんだでしたいようにやらせてくれる。そういった時の三浦が可愛くてしょうがない。獄炎の女王は女神にクラスチェンジできるらしい。すでにめぐり先輩がいる役職なのでかぶってしまった。ちなみに戸塚の役職は大天使。材木座は中二ワナビである。
三浦の質問にどう答えるといいか数秒悩む。
「……まあ、うん、世間話だよ」
なんのごまかしもできていないが、ウソはついていない。うん、ほんと。ぜんぜんついてないよ、ウソ。
三浦は俺の隣に座ると、ちょっと怖い表情を浮かべてずいと顔を寄せた。阿修羅像ばりに女神モードと獄炎の女王モードが入れ替わる仕様なのかしら?
「……姫菜、なんか変なこと言ってなかった?」
怖い表情を浮かべているが、その頬にはぽっと朱色が刷かれている。まずい、可愛い可愛いなどと呑気なことを考えていたけど、思いきり見抜かれている節がある。
「……変なことってなんだよ。大丈夫だって」
曖昧にぼかして頭を撫でる。ほんの少し前の俺が見たら卒倒するようなパワープレイだ。
「…………そ」
柔らかな金の髪を梳くように撫でていると、三浦はどこか拗ねた、それでいて安らいだような声音で素っ気ない返事をした。愛い愛い。今日も可愛いぞ、この生き物は。
……大事に、か。
海老名さんの言葉を反芻していると、三浦が「ちょ、ちょっと……」と抗議の声を上げた。
「どうした」
「ど、どうしたじゃなくて……撫ですぎだって」
「……すまん」
俺の手の定位置はここ! と言わんばかりに延々と撫でてしまっていた。
× × ×
その日の昼休み。
いつもと同じように屋上で三浦が作ってくれた弁当を食べる。三浦が厚意で作ってくれているのだからと毎日あれやこれや感想や褒め言葉を工夫しているうちに、俺はずいぶんと褒め慣れ、三浦もずいぶんと褒められ慣れた。
「ヒキオ、よく飽きずに褒めれるね」
弁当箱を片付けながら、三浦が感心半分呆れ半分といった調子でつぶやいた。
「せっかく作ってくれてるんだからな。実際美味いし」
「…………そ」
そっけない返事をして、三浦がごく自然に、こうすることがルーティンであるかのようにしなだれかかってくる。二の腕にかかる心地よい重みと柔らかさ。ふわりと香る甘い匂い。綺麗な金の髪に鼻先をうずめると心地よい眠気に襲われる。
最近はとっさにタイマーをセットして、ふたり寄り添った状態で15分ほど眠ることもある。受験勉強の疲れもあるのだから寝た方がいいよなと思う。ましてや三浦は早起きして弁当を作ってくれているのだ。
今日も今日とてとろん……と眠気が襲ってくる。身体から重力が剥ぎ取られ、ふわふわとしていく。視界に入る空が青いからか、まるで雲のように空をたゆたっている気持ちになる。
寝る前にタイマーを……とポケットのスマホを取ろうとすると。
「ヒキオ、その、今日なんだけど……」
三浦がぽそぽそとつぶやき、顔をそっと上げた。
「どうした」
髪をくしくしと撫でると猫のように目を細めるのが可愛らしい。三浦は何か言いたそうに口を開き、閉じて、また開くのを繰り返すと、深く大きく息を吸った。
「……その、ヒキオの家に行っていい?」
「え? ああ、いいけど……」
三浦の提案は特に珍しくない話だった。放課後に三浦が俺の家に来る流れは今まで何十回とあった。小町もすっかり慣れていて、最近では三浦が来ると「優美子さん、お帰りなさい! これどうぞ!」と三浦が好きな種類のチョコをあげたりしている。
三浦も小町の気の利きようにかなり惚れ込んでいるようだ。さりげなくおかえりなさいと言われて毎回照れてはいるが。小町の協力もあって、三浦は順当に比企谷家に引き込まれ……これ以上は考えないようにしよう。
三浦と部屋にいると、受験生であることを忘れてしばしば色々なことに溺れがちだ。なので最近は予め勉強時間を区切ってきちんと選別している。今日は何時まで勉強を頑張るかな……と考えていると、三浦がまだ何か言いたそうに口をもにょもにょと動かしている。なんぞや。
「どうした」
「え、えっと、その……」
細い指が俺の袖をキュッと握る。くっと近寄ると、綺麗な顔立ちが目の前に来てどきりとする。
「……その、ヒキオ、今まで、色々……我慢してたでしょ?」
「え? ……あー……」
何のことかと思ったが、三浦が俺の内ももをそっと撫でてきたことで察する。顔にかかる湿った吐息も相まって、下半身に急速に血液が集まっていく。
――三浦にはほとんど毎日たっぷりと口でしてもらっているが、未だに下着姿さえ見たことがなかった。単に三浦が恥ずかしがっているだけで、胸を触ったりスカートのなかに手を入れたりといったことはしているのでそこまで気にしてはいなかったが……やはり、その先に進みたいという思いはある。
「……まあ、うん、多少は」
ウソをついても仕方ないので、ぽそぽそと、けれどはっきりと答える。
「……そう、だよね……。……だから、ね? その……今までずっと我慢してもらってたから……」
さ、最後までは難しいと思うけど……と前置きをして、三浦が潤んだ瞳で見つめてくる。
「……ヒキオと、もっと先のこと……したい」
「…………っ」
三浦の言葉に視界がぐらりと揺れた。あまりに儚げな表情で、切実な声音で告げた言葉の破壊力はすさまじかった。思わずごくりと喉を鳴らすと三浦がびくりと震え、俺の胸に顔をうずめた。
無理しなくていいぞ、と言うかどうか迷ったが、三浦の決意は固いようで、顔は真っ赤にしているのでその瞳には頑固にさえ思えるほど強い光が宿っていた。
――優美子のこと、大事にしてあげてね?
今朝、海老名さんに言われた言葉を思い出しながら、
「……ん、分かった」
こくりと頷き、華奢な身体をそっと抱きしめた。
続く。
不意打ちで海老名さん。
海老名さんをちゃんと出したことって今まであったかな……? と思いつつ、細かい台詞や仕草を復習するため原作の7巻を確認しました。見た目の描写は京都駅でのくだりでの文を引用しています。
ゴールデンウィークが終わりますね。
最近は瞑想をして集中力を上げ、25分執筆して5分休憩を挟んで……などといったやりかたをしています。ちょっとずつ集中力が向上していくのが楽しいです(^^)
最後の1日、のんびり楽しみましょう! こういう挨拶、久しぶりですね!
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こちらの有料会員(月540円です)になっていただいた方に「淡恋に濡恋(あわこいにぬれこい)~純朴な高校生が恋と性に耽るお話~」という作品を公開しています。
第3話までなら無料で読むことができます。
何気ないエロスを読んでいただいている皆さんなら、とても見慣れたのんびりとしたリズム感かと思います!
活動報告で詳しい説明を書いていますので、よろしければぜひ覗いてみてくださいませ(^^)!
それでは、今回もお読みいただきありがとうございました(^^)!!