※この作品はR-18です。

俺ガイル 日常の何気ないエロス。   作:高橋徹

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(79)

 大学の合格発表当日の朝。

 

「お兄ちゃん、ちょっとは落ち着きなよ……」

 

 朝ご飯を食べながらずっとそわそわとしている俺を見て、小町が困ったように笑った。

 

「何を言っている……俺はいたっていつも通りだ……」

「お兄ちゃんは知らないかもしれないけど、それって『不安』っていう感情なんだよ」

「コレガ、不安……コレガ感情……」

「なんで急に片言……」

 

 いつかのやりとりを思い出した。

 

「しかしアレだな、よくあれだけ平静を装えてたな、小町は」

 

 卵焼きをもきゅもきゅと食べていた妹に話を振ると、「む?」とぴたりと動きを止め、そして「むぅ……」とちょっとご機嫌斜めな声を漏らした。

 

「……べつに、装ってたとかじゃないから」

 

 茶碗を持ったままぷいと顔を逸らす仕草に苦笑する。総武高受験の結果発表日の、朝から合格発表にかけてのこの子の表情の変遷を思い出しての言葉だったが……妹の心を読んじゃいました☆と言わんばかりの兄の言葉が気に食わないらしい。

 

「お兄ちゃんだってさ、ひとりだったら別にそこまでそわそわしないでしょー? フィアンセのことも気になるからそうなるんであって」

「んぐっ」

 

 みそ汁を飲み込んだ直後の喉の奥で、変な音が鳴った。

 

「げふっ、げほっ、けぷこーん……お前、どこでそんな言葉を……」

「ごめん、前半が気持ち悪すぎてお兄ちゃんの言葉がぜんぜん入ってこなかった。なんて?」

 

 けっこうひどくないです? 材木座に謝って……ほしくはねえな、べつに。

 

「……どこで、そんな言葉を……」

「ほほう? 『そんな言葉』とは? ちょーっと小町にはわかんないなー、どれだろうなー。具体的に言ってもらわないとわかんないなー」

 

 なんでこの子、実の兄を言葉責めしてるのん?

 

「どれだろうなー。婚約者? フィアンセ? 小町にとっての義姉?」

「そろそろさすがに怒るぞ」

 

 そわそわが吹き飛ぶレベルで顔が熱くなる。小町は片目をバチコーンと閉じ、舌をちろりと出して、ピースの形をした手をおでこに当てた。めちゃくちゃ腹が立つがいかんせん可愛い。

 

 ん……? 待てよ……?

 戸塚が同じことをしてくれたら、可愛すぎて俺は死ぬ……?

 

「お兄ちゃん、そこは優美子さんで妄想するところだよ……ほんとそういうとこキモいよ……」

「うぐ」

 

 心を読まれた上に本気でダメ出しされた。

 

「ま、お兄ちゃんがキモくなるのは自然の摂理だからしょうがないとして、ちょっとは落ち着いたみたいで良かったよ」

 

 にひっと笑い、ご飯の残りをカカカッと平成初期のCМばりにかき込む。言われてみればたしかに、数分前までのそわそわが綺麗に消えていた。小町の言葉の衝撃は色濃く残ってるけど。俺のキモさはもはや自然の摂理なのん?

 

「小町すごい……妹すごい……」

 

 まあなんにせよ落ち着いたことには感謝せねば、とうわ言のように讃えてみると、食器を重ねた小町が分かりやすいくらいどん引いていた。

 

「お兄ちゃん、そこは素直に感謝してほしいとこだよ……」

「……すまん、助かった」

「ん、良しとしましょう」

 

 小町はにひっと笑うと、台所にとっとこと向かった。

 

「ナーゴ」

「ん」

 

 聞き慣れた鳴き声に下を見ると、愛猫カマクラがのっしのっしと俺の足元に近付いてきて、背中をくっつけたまますとんと腰を下ろした。

 

 やだ、かわいい……! と思い撫でようとすると、「あ、そういうのはいらないんで」とできる風のOLのごとく俺の手をするりとかわし、今度は小町の下へいった。「よーしよしよし」と小町が愛猫のもっちゃりした身体をわしゃわしゃと撫でる。なぜ君はいちど俺のところへ来たんだい……? わたしは遊びだったの……?

 

       ×  ×  ×

 

 和やかな朝食を終えて自宅を出ると、真っ直ぐに駅に向かった。自販機でほっとカフェオレを買い、ポケットの中で弄びながら電車に乗る。温かな車内でカフェオレをくぴりと飲み、ぷひーと息をついた。

 

 数駅進んだところで、優美子が電車に乗りこんできた。今日はいっしょに発表を見に行くことにしていた。

 

「おはよ」

「ん、おはよ」

 

 隣の席をぽんぽんと撫でると、優美子がするりと座った。以前プレゼントしたマフラーを今日も巻いてくれている。俺も巻いているけど、まあ、ペアルックとか、そういうんじゃないし? べつに意識したとかじゃないし?

 

「…………」

「……なに?」

 

 優美子の後頭部をじっと見つめていると、分かりやすく怪訝な声で言われた。

 

「ああ、すまん。こういうの良いなって」

 

 俺がちょいちょいと指差したのは、マフラーで長い金髪がふわりと盛り上がっている部分だ。女性の可愛いところとしてよく挙げられるものだが、少し前までは「へっ」としか思わなかった。しかし優美子が同じことをしていると、ただただ可愛くてしかたがない。

 

「ふーん、そ」

 

 そっけなく答え、マフラーにもぞもぞと鼻をうずめてしまう。付き合う前ならショックを受けていただろうが、今はこれが照れ隠しなんだと分かる。小鼻が赤いのは外が寒かったからなのか、それとも恥ずかしいからなのか。考えるだけでも楽しい。

 

「……ん」

 

 ちょん、と。他の人に見えない位置で、優美子が小指と小指をそっと絡めてきた。

 

「……合格してますように」

「……だな」

 

 マフラーでちょっとくぐもった声音で紡いだのは、切実な願い。俺も同じ気持ちだった。

 

 電車は一定のリズムで揺れて、俺たちを目的地へと運んでいく。

 

       ×  ×  ×

 

 合格発表の10分前に大学に辿り着いたが、受験のときとは比べ物にならない人で溢れ返っていた。初詣の人混みを思い出してげんなりする。

 

 人混みの最後列で優美子と待機していると、スーツ姿のいかにも大学職員といった人が数人やってきた。

 

「これより、試験合格者の掲示をいたします! 危ないので、押し合ったりしないようにして順番にご確認ください!」

 

 貫禄のある40代男性が言うなり、残りの職員がすばやく動き、設置された木の板に紙を貼りつけていく。周囲の空気が一気に熱を帯び、結果を心待ちにしていた人々がぞろぞろと前に詰め寄っていく。

 

「優美子の学部は……あっちか」

「うん。ヒキオは?」

「俺はこっちだな」

 

 俺と優美子の学部の掲示は数メートルほど離れていた。こくりと頷き合い、いったんわかれる。

 

 徐々に近付いてきて、具体的な数字が見えるようになってくる。しかし俺は意図的に視界をぼやけさせ、不意打ちで結果を見てしまわないようにした。あちこちから聞こえる歓喜の声。しかしそのすぐ横で呆然と佇む人、「ウソだ……」と消え入りそうな声で呟く人がいる。心臓が痛いほどに高鳴る。早く結果を見ろ、じゃないとおかしくなってしまうぞと主張するかのような鼓動。

 

 人混みの最前列にやってきて、受験票と照らし合わせる。決して見間違うことがないよう、視界を絞ってひとつひとつ確認する。

 

 俺の4つ手前の人……受かってる。

 俺の3つ手前の人……落ちてる。

 俺の2つ手前の人……受かってる。

 

 視線をゆっくりと滑らせるごとに、周囲の喧騒が遠のいていく。視界が掲示板に集中していく。

 

 俺の2つ手前の番号の下をスローモーション再生しているかのようにゆっくりと確認すると、俺の1つ手前の人の番号があり、そしてそのすぐ下に――俺の番号があった。

 

「あった……」

 

 まるで部屋でなくしものを見つけたかのような、感動が混じりつつもあっさりとした呟き。周りからすれば、俺が受かったのか落ちたのかも分からないだろう。

 

 丸一年の受験勉強の結果が出たのだ。嬉しくないわけがない。嬉しいに決まっているが……それ以上に、優美子のことが気がかりだった。

 

 横を見ると、人混みが少し和らいでいた。悲喜こもごもの表情を浮かべる人たちのすき間に見慣れた金髪を見つける。優美子は受験票を持ったまま固まっていて、結果がどちらだったのかが分からない。

 

 優美子がこちらを見た。互いの視線が噛み合う。

 

 どうだった?

 目線で尋ねる。

 

 優美子が小さく震えながら、人差し指と親指で小さな丸を作り、こくりと頷いた。全身の血が沸騰するような感覚に襲われたが、まだ俺の結果を優美子に伝えていない。自分を指差し、二本指で丸を作り、こくこくと頷く。優美子の顔がくしゃりと歪んだ。

 人混みから抜け出し、正面から向かい合う。

 

「……受かったんだな、俺たち」

「……うん、よかった」

 

 ふたりとも、胸の内に湧きあがる感情を言葉にする術を忘れてしまったかのようだ。言葉にしたいことがたくさんありすぎて、いっぺんに喉をせり上がってきて、そのひとつひとつに固く大きな思いがこもっているから、みんな詰まってしまう。

 

「……よかった」

 

 優美子の消え入りそうなつぶやきが、ラグビー部が合格者を胴上げする威勢の良い声のなかではっきりと聞こえた。

 

「うお……っ」

 

 優美子との距離が不意に縮んだかと思うと、するりと抱きついてきた。思考が一瞬止まる。あれ、ここって俺の部屋だったっけ? と本気で考えてしまったが、冷静に考えるとここは合格発表の場で、人がたくさん、本当にたくさんいる。

 

 これはさすがにまずいだろう……! と優美子の身体を離そうとすると。

 

「よかった……ほんとに、よかった……」

「…………」

 

 消え入りそうな掠れた声に胸が締め付けられ、手が止まる。この一年間、どれほど頑張ってきたか。溢れ出す不安と向き合い、闘い続けた思いが今、実を結んだ。そのことが嬉しくて仕方がない。優美子が「よかった」と囁くごとに、眼の奥がぐっと熱くなっていく。

 

「……ああ、よかった。ほんとに」

 

 金の髪をくしくしと撫でると、優美子が俺を抱きしめる腕に力を強める。小さな嗚咽の声。きっと俺のコートには温かな水が滲んでいるのだろう。

 

「……ん?」

 

 ふと、周りから刺さる視線に気付く。そして俺は元々、抱きついてきた優美子を引き離そうとしていたことを思い出す。

 

『え、なに、カップル?』

『すげえな、カップル受験?』

『カップルで受かったのかー、良かった良かった』

「…………っ」

 

 まずい、まずい、まずい。

 

 聞こえてくるのがおおむね好意的な声なのでまだ良いが、それがかえって恥ずかしい。顔が熱い。耳まで真っ赤なんじゃなかろうか。

 

「……ヒキオ? どうしたの?」

 

 俺の異変に気付いた優美子が顔を上げる。うっすらと涙の滲んだ顔がたまらなく色っぽい。部屋にいたら迷わず押し倒しているだろう。けれど今はそれどころじゃない。本当にそれどころじゃない!

 

『ヒューヒュー!』

 

 優美子がぽけっとしていると、いかにもチャラそうな大学生らしき一団が古典的な茶化しかたをしてきた。なんだか戸部みたいで腹が立つ。

 

「……あ……っ」

 

 戸部っぽい集団の声により、優美子はようやく現状を飲み込めたらしい。ゆっくりと顔が茹だって、唇をあわあわと動かす。彼女には珍しい表情。ひたすら可愛い。

 

「うお……っ!?」

 

 優美子は言葉を発するよりも先に俺の手首を掴んで走り出した。人混みの中をするすると抜けていく優美子のあとを必死でついていく。背後で戸部っぽい集団が「お幸せにー!」と叫んでいた。おのれ、戸部……。

 

『はっ、はっ、はっ、はぁっ、はぁっ、はぁぁ……っ』

 

 数分に渡りめちゃくちゃに走った結果、俺たちはひと気のない大学構内にたどり着いていた。中庭といった雰囲気の場所で、周りの棟内に人は見当たらない。辺りには鮮やかな色合いのベンチがぽつぽつと点在していた。

 

「お、おい、げほっ、優美子……?」

 

 日頃の運動不足がたたって、肺が上手く機能してくれない。切れ切れで声を紡ぎながら顔を上げると、優美子がふたたび抱きついてきた。慣れない空間でもこうしていると妙に落ち着く。周りにひと気がないことを確認すると、そっと抱きしめ返した。

 

「……ヒキオ」

「……ん」

「ヒキオ、受かったんだよね?」

「ああ、受かったぞ」

「あーしも受かった」

「ん、そうだな。……おめでとう」

「……ヒキオも、おめでとう」

 

 背中にまわされた細腕がすがるように抱きしめてくる。

 

「……ヒキオ、ヒキオ、ヒキオ……っ。よかった、ほんとに、よかった……っ」

 

 かすかに上ずった声が耳朶に染み渡り、眼の奥がふたたび熱くなる。衝撃に備えることもできないままに、俺の目からほろりと液体が溢れた。

 

「……ヒキオ、泣いてる?」

 

 俺の反応がよっぽど意外だったのか、優美子がきょとんとしている。可愛い。

 

「……べつにいいだろ、こんなときくらい」

 

 潤んだ視界の中にいる優美子の目尻にも、温かな涙が浮かんでいる。こんなときがあってもいいのだろう。

 

「……ん、そうかも」

 

 優美子がくすりと笑い、そっと抱きついてくる。胸板にくしくしとおでこをこすりつけ、まるで家にいるときのように甘えてくる。正直卒倒しそうなくらい可愛いし猛烈に押し倒したいが、これから自分たちが通う大学でする行為ではないだろう。必死でこらえた。

 

「後期も受ける必要なくなったな……どっか旅行でも行くか」

 

 じわりと滲んだ解放感から何の気なしにつぶやくと、優美子がぱっと顔を上げた。

 

「……行きたい。……ヒキオと旅行、行きたい」

「お、おう。おう?」

 

 小動物のようにこくこくと頷く優美子の頬は、寒さと興奮が入り混じってりんごのように赤くなっている。猛烈に可愛くて動揺する。予想外の食いつきに驚きつつも、とりあえず落ち着こうということでベンチに腰を下ろした。

 

「優美子、そんなに旅行が好きだったのか?」

 

 考えてみれば、デートと言っても電車で数駅程度のところしか行っていない。これは盲点だった……と思っていると、優美子がちょっと困ったような顔をした。

 

「旅行が好きっていうか……」

「ん?」

 

 奥歯にものが挟まったような言い方。リップの塗られた唇がもにょもにょと動くのが可愛らしい。首をくりんと傾げると、優美子はチェックのマフラーに顔をもふっと埋め、なぜか拗ねたような目つきで見つめてきた。

 

「受験期間はガマンしてたから……そのぶん、もっと一緒にいたいだけだし」

「…………っ」

 

 ぽしょぽしょと呟くなり、ぷいと顔を逸らしてしまう。昏倒するところだった。

 金の髪をくしくしと撫でると、まるで子どものように顔をますますマフラーに埋めていく。ずぶずぶ。何なんだろうこの可愛い生き物は。

 

「……そうだな。どこに行くか……って、あ、その前に」

「え?」

 

 スマホを取り出すと、優美子がリスのように目をぱちくりとさせた。

 

「まずは家族と、それから学校に連絡しないとな」

「あ……そっか」

 

 すっかりふたりの世界に入ってしまっていたが、きちんと報告すべき人が何人かいる。優美子もスマホを取り出し、電話をかけ始めた。

 

 俺はまあ、家に帰ってからゆっくり報告すればいいだろう。

 というわけで、まずは小町と両親にそれぞれメッセージを送ることにする。

 

 あまりぐだぐだ書いてもしかたないので、手短に。

 

 サクラサク。以上。

 

 

 

 続く。

 

 

 

 




 原作の12巻、小町の合格発表のシーンを読み返して懐かしみながら書いてみました。今回のお話の冒頭は原作で小町が八幡に改まってお礼を言うシーン(挿絵有り)を基にしてます。こういう書き方は久しぶりで、すごく楽しかったです(^^)
 まさか原作をなぞらえて合格発表シーンを書く日が来るとは……。しみじみしました。

 次回からふたりで旅行に行きます! 本当に長かったあーしさん編も、あと数話です。どうぞごゆるりとお付き合いください(^^)

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 次回の更新は2月3日(日)です!
 それでは、今回もお読みいただきありがとうございました(^^)!!
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