秋の虫の鳴き声がすっかり耳に馴染んだ頃、久しぶりに戸塚と会うことになった。
Googleカレンダーを開くたびに鼻歌を歌っている俺を見て、静さんはそれはもう怪訝な目をしていた。しかし戸塚に関することならば俺のメンタルは無敵だ。もはや対粛清防御まである。
大学に入ってからも何度か会ってはいたが、今回は戸塚から「せっかくお互い成人してるんだから、お酒が呑みたいな」と言われた。
戸塚×お酒。
総武高にいた頃はまるで想像もつかない組み合わせだが、なるほどどんな感じになるか楽しみでしかないまずいテンションがちょっと高すぎる。
せっかく戸塚と呑むのなら落ち着いた場所がいいと思い、バーを提案してみた。
『わー、いいね! 八幡と行ったらゆっくり楽しめそう』
戸塚の乗り気な返信に盛大にニヤけると、静さんがまたしても渋面を作った。
当日の夜、バーの最寄り駅で待ち合わせをする。サラリーマンや学生がせわしなく行きかう中、俺は改札を抜ける前の戸塚をいち早く見つけた。
「(八幡!)」
ぱっと口を開けて俺を呼ぼうとしたものの、人前でそれはちょっといけないかーと口パクに変更してはにかむ戸塚。なるほど成仏しそう。
戸塚は改札を通り、ぱたぱたと嬉しそうに駆け足でやってきた。
「ごめん、待った?」
「いや、ぜんぜん待ってないぞ、うん、ぜんぜん」
やだもうこれただのカップルですやん……たとえ何万回とこすられたやりとりだろうと最高なもんは最高なんだよなぁ……。
今日の戸塚は、シャツにハーフパンツ、そしてキャスケットをかぶっている。シンプルでユニセックスな恰好。
「八幡? どうしたの?」
「あー、その、なんだ……うん、似合ってるぞ」
くりんと首をかしげる戸塚(可愛い)にぽそりと告げる。
「えへへ……ありがとう」
ぽりぽりと頬をかいて嬉しそうに笑う戸塚。さて、楽しいデートの始まりだ(錯乱)。
「それじゃ行くか」
「うん。あ、地図見なくて大丈夫?」
「問題ない」
30分前に来て、すでに目的地までの徒歩ルートを予行演習済みだ。戸塚と会うならばこれくらいが最低限のマナーというもの。
にぎやかな駅前から5分も歩くとひと気がぐっと減る。ちょっとおどおどする戸塚(可愛い)にちらちらと目配せをしながら歩いていると、間もなくして目的地のバーについた。看板が小さく、ともすれば見逃してしまいそうな入口。予行演習をしておいてよかったぜ……。
からん、と控えめなドアベルが鳴る。
「わ、わー……」
左後ろから可愛らしい驚嘆の声が聞こえる。
ずらりと並ぶ酒瓶。
落ち着いた色合いの内装。
背の高いカウンター。
きゅっきゅっ、とグラスを拭く音。
秘め事めいた話し声。
ふだんの生活ではまず触れることのない空気感。なるほど、戸塚のテンションが上がるのもうなずける。厚木の扉を一枚隔てただけで、まるで別世界に迷い込んだような気持になる。
「すごいね……わー……」
戸塚がぽしょぽしょと囁き、俺の袖をちまっと握る。戸塚ガチャとかないだろうか。バイト代数ヶ月分を溶かす覚悟でSSRを狙いたい。
年季の入った木製のスツールに座る。
「わわ、高いね……よっ、よっ、と」
戸塚が小声ではしゃぎ、お尻のポジションを整える。ハーフパンツから覗く綺麗な脚が折りたたまれるさまに視線がくぎ付けになり、慌てて引きはがした。
「八幡はこういうお店に慣れてるの?」
「いや、静さ……平塚先生と一回行ったことがあるだけだな……なんだよ」
戸塚がにんまりと笑っている。今まで見たことがない顔。他の人がこういう顔をしたらぜったいに腹が立つんだろうが、戸塚がすると可愛さしかないな。
「仲がよろしいようで」
「……なんだよ、その言い方」
にまにま顔の戸塚から視線を切ってメニューを眺める。
「ふぅ……」
視界の隅で戸塚がキャスケットを脱ぐ。
「……髪、伸びたな」
「あー、そうだね。そろそろ切らないとなぁ」
伸びた前髪をちょんちょんとつまみ、くにゃりと眉をひそめる仕草が愛らしい。俺としてはぜひこのまま伸ばしてもらいたいところなんですが。なんというか髪が伸びたことでより戸塚という人物の性別が曖昧になったというか、そもそも戸塚の性別は戸塚だよねとか、ありとあらゆる雑考が高速で脳内を駆け巡る。
「はー……えへへ、今日はいっぱい楽しもうね、八幡。……どうしたの?」
「ナンデモナイ……」
破壊力を増した天使のはにかみ(ナイトモード)にやられ、しばしうつむいてしまった。
「八幡、ぼくにもメニュー見せて?」
「お、おう」
ふたりの真ん中にメニューを置くなり、戸塚がずいと顔を寄せる。ほのかに香る甘い匂い。痛い。心臓が痛い。あとドギマギしてる俺の振る舞いもぜったいイタい。
戸塚がメニューを眺めて「へー」とか「はー」とか可愛らしい声を漏らす。俺はそんな戸塚をじっと見つめる。ティッシュ配りのバイトを監視する人みたいな構図だ。
「ぼくはこれにしようかな……八幡は?」
「……俺も同じので」
メニューをまったく見ていなかったので極めて無難な選択をした。
「わぁ……これがカクテルかー」
届いたグラスに注がれた液体を見て、戸塚が目を輝かせる。細い部分を持ってささやかな乾杯をする。はにかむ戸塚につられて俺もぎこちない笑みを浮かべる。これってもはやデートでは?
「ん……っ」
カクテルを口に含む戸塚の唇から色っぽい吐息が漏れる。ガン見していたことがバレないように俺もカクテルを呑んだ。フルーティな味わいはたしかにおいしいが、戸塚のほんのり上気した顔に気をとられて味や香りを楽しむ余裕がない。
「八幡は最近、どんな感じなの?」
「まあ……うん、ぼちぼちだな。戸塚は?」
「ぼくもぼちぼち」
俺の言葉をマネてにひっと笑う。戸塚関連グッズをどこかしらの店のワンコーナーに設けたいな……。
「2年生になって講義の内容もレベルが上がったし、レポートも増えて大変だけど……けっこう楽しくやってるよ」
そういって浮かべる笑みはたしかに充実していた。
戸塚はいつかのマラソン大会前に話していた大学に無事合格し、今はスポーツ科学を学んでいる。
「戸塚はすげぇなぁ……テニスも続けてるんだろ?」
やりたいことに打ち込んでいるからか、戸塚は以前よりも魅力的になった。かっこよくなったような、より可愛くなったような、不思議な感覚。
「うん。周りはすごい人ばっかりで大変だけど……毎日勉強になって楽しいよ。筋肉もちょっとついたし」
戸塚が腕を曲げてむんと可愛らしい声を漏らす。
「すまん、ぜんぜんわからん……」
「えー? じゃあ触ってみてよ」
エロ漫画みたいな展開だな、とかぜんぜん思ってません、思ってませんから。
じゃあ……とおそるおそる戸塚の二の腕に触る。
「ん……っ」
ねえなんでそんな切なげな声漏らすの? おかしくない?
筋肉を確かめないことには手を離せないので、もみもみと軽くもんでみる。
「おお……たしかに、たしかに? ついたような?」
「もー、なんであいまいなの?」
「や、だって前の状態をあんまり知らんし……」
総武高にいた頃に同じイベントが発生した場合、理性が持ったか定かではない。今もぎりぎりだからね!
もう……とぷりぷりとして頬を膨らませた戸塚が、なにやらちらりちらりと流し目を送ってくる。なんぞやと視線を向けると、細指が伸びた髪をさりげなくかき上げた。
小ぶりな耳についていたのは、シンプルなイヤリング。
どくん、と鼓動が高鳴り、冷たくて黒い血が全身を駆け巡ったような悪寒に襲われる。
まさか、まさか……っ。
「と、戸塚、まさか、誰かに買ってもらったのか……?」
「へ!? ち、ちがうよ!? ちょっと興味があって、その……っ」
なぜか脳裏にNとかTとかRとかのアルファベットが浮かんだが、戸塚は顔を真っ赤にしてわたわたとしたかと思うと、人差し指をくっつけて上目遣いで俺の顔を窺う。
「……その、に、似合う、かなって……。昨日、買ってみたんだけど。ど、どう、かな?」
不吉なアルファベット3文字が一瞬で吹き飛んだ。
「似合ってるに決まってるだろ」
「なんでそんなキリッてしてるの……?」
なんなら同じ墓に入ろうとか言っちゃいそうだった。
頬を赤らめた戸塚の「あ、ありがとう……」という控えめなお礼に悶絶していると、ふと楽しげな忍び笑いが聞こえた。斜め後ろを向けば、カップルが楽しげに会話をしている。よくよく見ればこの店は若いカップルが多い。
「八幡。平塚先生とはどんな感じなの?」
「まあ……普通だよ、普通」
「それじゃだめー。ちゃんと聞かせて?」
「うぐ……っ」
戸塚がずいと顔を寄せてきらきらと目を輝かせる。静さんとのことは先日戸塚と電話した際にそれとなく伝えていた。この場で初めて発表するにはハードルが高すぎたからなんだが、戸塚はどうやら詳細を聞くのをとても楽しみにしていたらしい。
「まさか八幡と平塚先生がねー。まあ、たしかに仲はすっごく良かったと思うけど」
「そうか? ……あー、まあ、そうかも」
思い出せば他の先生とはほとんど話したことがないし、なんならほとんどの生徒とも話したことがなかった。静さんには減らず口も叩けたし、バカな話も真面目な話もたくさんしていた。
そっかー、俺は思った以上に静さんと仲良かったのかー、としみじみしていると、なにやら戸塚が妙に温かい目で見つめていることに気づく。
「どうした」
「八幡、すっごく優しい顔してる。……平塚先生のこと、本当に好きなんだね」
「へ」
思わぬ指摘に、酒を一気呑みしたかのように顔が熱くなる。
「ねえねえ、ふたりきりだとどんな感じなの?」
「へ、あー、いや……ていうかなんでそんな俺たちのことが聞きたいんだ? 別に普通だと思うぞ、知らんけど」
静さんの性欲に関してはたぶん並外れてるとは思うが、それ以外はきっと、たぶん、おそらく普通のはず。知らんけど。
戸塚は伸びた髪の先をちょんちょんとつまんで、思わせぶりな上目遣いを向けた。
「その、お、お付き合いするって、どんな感じなのかなーって、興味があって……」
ふわっとした物言い。「じゃあ俺と試しに付き合ってみる?」とあらゆる常識や倫理をぶん投げた妄言を吐きそうになった。
そこからぽつぽつと、静さんとふだんどうしているかの話をした。日常の随所に卑猥な行為が混ざり込んでいるため、うまいこと避けるのに苦労した。戸塚はおかわりのカクテルを呑みながら、目を輝かせてふむふむと相槌を打ってくれた。本当に興味津々といった顔で聞いてくれるので、普段は壊死しかけている口の筋肉もフル稼働する。
「そっかー、平塚先生とうまくいってるんだね」
ひとしきり話したところで、戸塚が満足げに笑みを浮かべた。
「そうか……? まあ、そうだといいんだが」
「大丈夫だよ。……八幡は、心を許した人にはとっても優しいから。きっとこれからも上手くいくよ」
そういってほほ笑む戸塚が髪をかき上げると、控えめな照明でイヤリングがきらりと光った。
天使か、あるいは小悪魔か、大天使か、むしろ堕天使か。
「……そう言ってくれるのはありがたいな」
「えへへ、どういたしまして」
何でもいい、戸塚は戸塚だ。
「八幡、もうちょっと呑む?」
「そうだな」
もうやめてもよかったが、戸塚があまりに楽しそうなのを見て、ついつい俺も呑みたくなってしまった。
× × ×
予定よりも1時間以上長く呑んでから戸塚と別れ、自宅に帰る。
「おかえり、遅かったな」
「ただいま……えっと、静さん?」
ソファで脚を組んでいた静さんがジト目を向けてくる。明らかに不機嫌なような……というよりは拗ねているかのような態度。
「えっと、帰りは遅くなるって連絡しましたよね……?」
「そうだな」
「えっと……?」
じゃあどうしてそんな顔してるんすかね……とは聞くに聞けない。
「……ずいぶんご機嫌じゃないか?」
「……へ?」
「君が戸塚と呑みに行ったことは知っているが、ただ単に友人と会っただけにしてはずいぶんと上機嫌な顔をしていると思ってね」
「そ、そうですか……? まあ、戸塚ですし……」
静さんがぷいと顔を逸らす。
この態度の原因がなんとなくわかってくると同時に、いやでもそんなまさか……と自分の推測に疑念を抱く。
それでも、ものは試しということで、
「……妬いてます?」
できる限り小声で問いかけてみた。
静さんは目を見開き、顔を逸らし、缶ビールをぐいと呷った。
「……わるいか」
なにこの人、可愛すぎません?
続く。
戸塚をまともに書いたのっておそらく初……ですかね?(もはや記憶が曖昧)
原作の章タイトルで戸塚の名前が出ている&印象に残っていたシーンということで、10巻のマラソン大会前の八幡と戸塚のやりとりを読み返しました。戸塚はシンプルに素敵だなーとあらためて。あと声が超好きです。
<お知らせ>
現在DLsiteで俺ガイル本の半額セール中です。活動報告で詳細やその他のお知らせを書いていますので、よろしければぜひ(^^)!
それでは、今回もお読みいただきありがとうございました(^^)!!