他のお仕事が立て込んでいるため更新を後ろにずらします!
不規則なのですが、
①5月31日(日)
②6月7日(日)
といった具合にしようと思います。
6月以降で不規則になりそうなときはまたこの場でご連絡しますので(^^)!
(幻となった)C98の新刊試し読みです!
(1)
バイトを終えて外に出ると、二十一時を回ったにも関わらずじわりと粘つくような暑気が肌に貼りついた。夕方に振った久しぶりの雨のせいだろう。
Tシャツ一枚でこの不快感だ。満員電車に乗るサラリーマンはさぞや地獄だろう。やだ、就職予備校なんて揶揄される大学に入ってからさらに勤労意欲が減退してるわ……。
バイト先から徒歩五分の冷房の効いた駅に入り、LINEをチェックする。
「……あー……」
表示された名前に思わず呻くも、そもそもこの頻度でLINEを開くこと自体がかつてはあり得なかった。すっかり習慣づけられてしまったというか、パブロフの犬というか。
メッセージが来たのはたった今。
『いつもの場所。十分待つ』
スパイの指令か、と言いたくなる。電車はあと一分でやってくる。そして『いつもの場所』とは隣駅から徒歩五分の場所にある。間に合うけど。間に合うんだけど、色々言いたい。でも怖くて言えない。有無を言わせぬ口調は上司や社長の命令というよりはもはや勅令だ。
はぁ……とため息をつきながら、目の前で停まった電車に乗り込んだ。
× × ×
「おっそーい」
まぁまぁ急いで来たにも関わらず、理不尽極まる第一声。
すっかり通いなれたバーのカウンター席で、彼女――雪ノ下陽乃は、唇を尖らせてぶすっと拗ねていた。子どもかこの人は。
「すいません、一応間に合ってたと思うんですけど」
「わたしが十分って言ったら、それすなわち三分ってことだから」
「言葉はわかりやすく伝えろって教えられませんでした?」
呆れながら隣に座る。
陽乃さんは仕事が終わってまっすぐ来たのだろう、ワイシャツにタイトスカートといういつもの格好だ。しかしワイシャツは第二ボタンまで外していて、危うい三角地帯に視線が吸い込まれそうになる。
「おや~? そんなにそわそわしてどうしたのかな~?」
すぐに視線を逸らしたつもりが、余裕でバレていた。
「……なんでもないです」
めっちゃにやにやしてるよこの人……。ぜったい俺が来る直前にボタンを外しただろ……と思ったものの、この人の思考は深読みすればするほど確実に泥沼にはまる。何も考えない、何も考えない。
「じゃあ俺は……」
「あ、君のはこれ」
俺の前にグラスが置かれた。いつも呑んでいるリキュールを頼む前に。
「今日はウィスキーの気分なの。だから君もウィスキーを呑みなさい」
「今時珍しいくらいのアルハラですね……」
「君がわたしに惑わされないのが悪い」
陽乃さんが第二ボタンまで開けたワイシャツの襟をぴらぴらと揺らす。やめてやめて、深い谷間が見えるから。どうしても一回見ちゃうから!
「ほれ、じゃあ乾杯の音頭を頼むよ君ぃ」
陽乃さんのウザがらみが今日は特にひどい気がするが、せっかくなのでノってやることにする。こういうノリもここ一年ですっかり慣れてしまった。
「えー、諸君の頑張りにより、今年度の我が社の業績は飛躍的に伸びました。今後いっそうの」
「あ、そういうのいいから。サラッとでいいよ」
「泣いていいですか」
すげぇ楽しそう。人の不幸は蜜の味ですもんね! ほんとシャーデンフロイデ……。
「とりあえずお疲れ様です。乾杯」
「かんぱーい」
チン、とグラスを軽くぶつけ、ぐいと喉に流し込む。強烈なパンチを覚悟していたが、思いのほかフルーティで呑みやすい。
「カナディアンクラブって種類なの。呑みやすいでしょ?」
「ですね、美味いです」
「ばんばん呑んでいいからね」
「ぜったいリバースするでしょそんなの……」
つまんないのー、と陽乃さんがヒールのつま先でふくらはぎをげしげしと蹴ってくる。地味に痛いからやめてほしい。あとタイトスカートから太ももが覗いちゃうからほんと自重して!
「比企谷くんとこのお店で呑むようになって……もう一年以上になるっけ?」
「店に通い始めてからはそれくら経ちますね。俺が呑み始めたのは最近ですけど」
大学二年になり、今は八月の下旬。二十歳になって間もないのだが、この人にぐいぐいと呑まされるせいでそれなりに酒呑みになっている。ぜったい良くないと思うんですけど……。ソフドリで乗り切れていたあの頃がすでに懐かしい。
「俺が来るまでに呑んでました?」
隣のグラスの氷がからんと鳴った。陽乃さんの顔はほんのりと朱い。
「ん~、二杯だけね。今日の仕事はいつもより早く終わったけど、比企谷くんはそれ言ってもバイト早く終わらせてくれないし」
「家庭教師を早く終わらせるのは無理でしょ……」
傍若無人にもほどがある。
「……にしても、早く終わってもこの時間ってキツいっすね……」
陽乃さんの口ぶりからするに、仕事が終わったのは二十時くらいだろう。いつもは二十一を回り、遅いときは二十二時まで及ぶ。もっとキツい仕事だってあると言う人もいるだろうが、このご時世、ブラック度合いで競っても良いことなどない。
「そ? まあ、なんとかやれてるよ」
「その割には酒の量が増えてる気が」
「君がもっと構ってくれたら、わたしのお酒も減るんだけどなー」
けらけらと笑いながら、俺の二の腕をてしてしと叩いてくる。細指の感触がTシャツ越しにやたらと生々しく伝わる。
「はー、たのし。君とこうやって不毛な話をするの、好きなんだよね」
「はいはい、ありがとうございます……」
陽乃さんが身体を傾けて楽しげに目を細める仕草に、かつて感じていた毒気はない。瞳の鋭さは和らぎ、薔薇から棘が抜け落ちて本来の色がますます輝いて見えるような、そんな感覚。素直に綺麗だと言わせなかった何かが今は削られて、全体的に丸みを帯びている。
「比企谷くん、またわたしに見惚れてる」
「自意識過剰じゃないですか」
「またそういうこと言う~」
耳をふにふにとつままれる。はぐらかし方はたしかに下手だった。たしかに、俺はこの人の暴力的なまでの美しさに見惚れていた。
陽乃さんの手がそっと太ももに触れる。心臓が淡く跳ねた。
「それで、教え子の女の子とはよろしくやってるの?」
「オッサンですかあんたは……」
陽乃さんが早く早くと先をせがむように撫でさする太ももは、ひどく敏感になっていた。口が渇き、ウィスキーを流し込んでさらに悪化する。
「男だって言ってるでしょ。てかそれ聞くの何回目ですか」
「新しい子を教えてるかもしんないじゃん。あ、同じのもう一つ」
俺がちまちまと呑む横で、陽乃さんがまたしてもグラスを空にしていた。
「……ほんとに大丈夫ですか」
「ん~、大丈夫大丈夫。君もいるんだし」
「俺をタクシー扱いしないでください」
「それじゃあ送り狼?」
「するわけないでしょ……」
「ふーん……ほんとに?」
陽乃さんの手が内ももまですべり、きゅっと握ってくる。手の位置がきわどい。
「わたしが前後不覚になって、ベッドで無防備に寝てても……君は襲ってくれないの?」
とろんとしていた瞳が急に鋭くなった。目を逸らし、頭をがしがしと掻く。
「……そういう言い方はやめたほうがいいですよ」
「ふーん?」
陽乃さんが意味深に笑い、甘えるように俺の内ももを撫でる。徐々に露骨になっているスキンシップを上手く拒むことができない。
「君はほんとおかたいねー。美人なお姉さんのいたずらにもっと乗ってもいいんじゃない?」
陽乃さんがグラスを両手に持ち、テーブルにひじをつく。髪を耳にかけた拍子に、控えめな照明に光るイヤリングと嘘みたいに滑らかなうなじがちらりと覗いた。口元はグラスの琥珀色に遮られて見えないが、その目は愉快そうに笑っている。年々破壊力を増している蠱惑的な笑顔から視線を切り、グラスの中のウィスキーをじっと見つめた。
「陽乃さんを襲うとか、怖くて無理ですって。社会的にも精神的にも物理的にも」
「あははは、わたしは魔王かっての」
「わかってるじゃないですか」
二の腕をてしてしと叩き、さらに俺の内ももをきゅっと握ってきた。「うひゃっ」と気持ち悪い声が漏れ、陽乃さんが顔を逸らしてぷるぷるする。楽しそうで何よりです……。
「今さ、君は『怖くて』無理って言ったよね?」
「……言いましたね」
「じゃあ、怖くなければ襲うの?」
「陽乃さん、あんまり呑みすぎないでくださいね」
「逃げ方が下手すぎるぞー」
陽乃さんがけらけらと笑い、
「それにしても、名前で呼ぶのやっと慣れてきたね。お姉さんは嬉しいぞ」
頭をわしゃわしゃわしゃーと撫でてくる。大型犬みたいな扱いはやめてほしい。
大学に入って陽乃さんに(無理やり)誘われるようになっても、俺はしばらく「雪ノ下さん」と呼んでいた。しかし、先日誕生日を迎えた際に名前呼びに改めるように告げられた。
酔いどれ魔王の言い分は「成人したんだから呼び方も変えるべきだよ」といったものだ。
元服と同じ考え方だとしても、自分の名前を変えることはあっても人の呼び方を変えるってなくないか……? と思ったが、陽乃さんの俺に対する指示には理屈も整合性もあったもんではない。やだ、ぜったい上司にしたくないタイプ……。
そんなパワハラにより何度も呼ばされるうちに、自然と今の呼び方が身についてしまった。
陽乃さんがふたたびウィスキーを注文する。今度は別の種類にしたようで、グラスを傾けると「んー!」と目をきつく瞑って唸った。
「はー、美味しいお酒を楽しいオモ……後輩と呑めるなんて幸せ者だね、わたしは」
「今オモチャって言おうとしましたよね」
「してないしてない」
ジト目を向ける俺に対し、陽乃さんは目を逸らすどころかむしろぐいと顔を近づけた。ほんのりと赤らんだ美貌に身がすくむ。
「……比企谷くん、いつもより酔ってるでしょ」
「そういう陽乃さんこそ」
陽乃さんは鼻先が触れそうな距離まで近づき、するりと離れた。
「んー、たしかにねー。多少疲れてるのは否めないかも。明日は休みなのが救いかな」
組んだ両手をぐいっと前に伸ばす。肉感的な肢体にワイシャツが貼りつき、見えてはいけないものが見えてしまった。
「比企谷くん。今、見たでしょ」
「何のことでしょう」
「ブラ」
じぃぃぃ……っと岩をも穿ちそうな目で見つめてくる。
「……すいません」
このままでは心臓の活動が止まりそうなので、早々に白旗を上げた。
「うむうむ。ま、別に君に見られてもいいんだけどねー。オフィスではジャケット羽織ってるし。お姉さんの無防備なとこを見れるのは君だけだぞー」
俺の背中をばんばんと叩き、ウィスキーの残りをぐいと呑む。
「これおいしー。同じのもう一杯いいですか」
「ちょ……ほんとに大丈夫ですか?」
「だいじょーぶだいじょーぶ」
さすがに本気で心配するも、陽乃さんは不安極まるふわついた返事をして笑った。
× × ×
「ふらふらじゃないですか……」
店を出るなり、陽乃さんはやけに楽しそうに右へふらふら、左へふらふら。ものの見事な千鳥足なんですけど……。
「よ~し比企谷くん、締めのラーメン行こっか!」
「バーのあとラーメンに行く気にはなんないですって……」
陽乃さんは「行くぞー! おー!」と腕を上げてはしゃいでいる。誰も見ていないのが救いだ。こんなに無防備で面白い陽乃さんを誰かに見られるのは忍びない。
「電車……は無理ですよね。それならタクシー呼びますから……って、陽乃さん?」
ぽすんと右腕にかかる心地良い重み。陽乃さんがしなだれかかり、今にも眠りそうにこっくりこっくりと頭を揺らしている。ていうかこれ半分寝てるな。
これはさすがに、タクシーに放り込んではいさよならと言うのも気が引ける。
「家まで送ります。タクシー呼ぶので」
陽乃さんがぴくりと揺れ、俺を見てにんまりと笑った。
「送り狼発動~……」
「しないですよ。送るだけです」
陽乃さんにお腹をぽすぽすと力なく殴られた。
タクシーはすぐにつかまり、ふらついた陽乃さんを中に押し込めて座る。
「どちらまで?」
「陽乃さん、住所言えますか?」
「ん~……」
陽乃さんが緩慢な口調で住所を告げる。タクシーがゆっくりと動き出すと、陽乃さんが重力のままにこてんとしなだれかかってきた。酒気混じりの甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「ん?」
陽乃さんが俺の手首をつまみ、自分の右肩をとんとんと指している。
「……いやいやいや」
何を意図しているかはわかる。わかるが、さすがにそれは厳しい。理性へのダメージが著しいにも程がある。
「ん~……」
陽乃さんは目を閉じたまま不機嫌そうに眉をひそめ、俺の手首をぎゅっぎゅっと握ってくる。どこまでが酔いによる行動かわからない。わからないが、これ以上拒否できる空気ではない。
夜の街の景色が流れゆく中、陽乃さんの肩を抱き寄せた。
「うんん……っ」
耳元で漏れるあえかな吐息。陽乃さんの身体は意外なほど華奢で、信じられないほど柔らかい。聞こえてしまうのではと心配するほどに鼓動が速まっていた。
陽乃さんは俺の行動に満足したのか、それ以上は何を望むでもなく、すりすりと猫のようにおでこをこすりつけてくる。
棘はなくとも魔王は魔王。
そう思って、分厚い皮で理性を幾重も包んで耐え忍んできたのに……現在進行形でその皮を一枚一枚剥がされている。それも力づくでなく、搦め手のような手段で。
「陽乃さん、着きましたよ」
「ん~……」
タクシーを降りたものの、陽乃さんはいまだにひとりで歩けそうにない。
「部屋まで送ります」
「おー、ほんとに送り狼だ~」
「気に入りすぎでしょそれ……」
呆れながらマンションの中に足を踏み入れた瞬間、急に感覚が鋭くなった。陽乃さんの息遣いやふらつく足取りを強烈に意識してしまい、動きがぎこちなくなる。
今までも冗談半分で誘われたことは何度かあったが、のらりくらりとかわしてきた。流されるな、流されるなよ……と自分に言い聞かせていると、不意に陽乃さんが立ち止まった。
「陽乃さん? どうしました?」
「比企谷くん。わたしってまだ酔ってるよね?」
「……だと思いますけど」
陽乃さんが俺にぴったりとくっつく。落ち着きかけていた鼓動が跳ねた。
「それなら、さっきみたいに肩を抱いてくれてもいいんじゃない?」
「は? ……あー……」
さっきは意識があったらしい。考えてみればそりゃそうかという話だが。
「ここで拒否したらどうなります?」
「警備員を呼んで社会的に殺す」
「怖すぎるでしょ……」
なんで笑顔なんだこの人。
先ほどと同じように、陽乃さんの右肩を抱き寄せた。
「ぅあ……っ」
艶っぽい声を耳にした瞬間、背すじが甘くざわめいた。
「陽乃さん?」
「なんでもない。……行こ?」
華奢な身体は縮こまり、その声はしっとりと濡れていた。なるべく早く部屋まで送り届けたいが、この状況では急ぐに急げない。
「あは、比企谷くんに抱かれてる……んん……っ」
「言い方……」
俺の指が柔らかな二の腕にわずかに食い込むだけで、陽乃さんがひくひくと小さく震える。その反応の意味を深く考えてはいけない、と本能ががなりたてていた。
陽乃さんは部屋のドアを開けるまで手を離させてくれなかった。ワイシャツに手汗がじわりと滲み、バレやしないかと気が気でなかった。
「ただいまー」
「じゃ、俺はこれで」
陽乃さんが笑顔で俺の肩をつかむ。
「ワタシ、マダ、ヨッテル。オーケー?」
「オ、オーケー……」
なんで片言なんだこの人。
広々とした廊下を、陽乃さんのリクエストにより引き続き肩を抱きながら歩く。
エアコンを予約運転にしていたのか、リビングはひんやりとよく冷えていた。インテリアはモノクロで統一されていて、壁にはヨーロッパらしき街並みの絵画が飾られている。中性的な印象を受ける部屋の中で唯一女性らしさを強烈に感じるのは、ソファのサイドボードに置かれたルームフレグランス。ふわりと鼻腔を撫でる香りは甘く華やかで、されどどこかに優雅さを窺わせる。緊張に強張っていた肩からふっと力が抜けた。
「……この匂い、気に入ってるんですか?」
いつかも嗅いだことのある匂いだった。陽乃さんはこてんと首をかしげ、俺の視線の先にあるものに気付いて「ああ、そうそう」と小さく笑う。
「よく覚えてるねー。一回しか見たことないでしょ?」
「なんとなくですよ。印象的だったもんで」
陽乃さんが俺の腕からするりと抜け、元気にうきうきスキップをしてソファにダイブする。いや、めっちゃ回復してるじゃねぇか。
「はー、やっぱ我が家は落ちつくねー」
ごろーんと寝転がって第三ボタンを外す。ナチュラルに何しでかしてくれてんだこの人は。
これ以上留まるのはまずい。
この部屋は妙にリラックスできる。趣味が合うのかもしれない、とか。ソファが柔らかそうだな、とか。陽乃さんの隣に座ったらめちゃくちゃ安らぎそうだな、とか。ありとあらゆる夢想、空想、妄想が疲労とアルコールで鈍った頭を殴り、蕩かし、幻惑してくる。
「落ちついたなら何よりです。じゃ、俺はこれで」
くるりと踵を返して立ち去ろうとすると、
「待って」
Tシャツの裾をつままれた。
「えっ……と……?」
引き止める力は弱い。帰ろうと思えば帰れる。けれど陽乃さんの声は切実で、振り払って部屋を出るには尋常でない疲労と罪悪感に苛まれる気がした。
陽乃さんのワイシャツからは、ボタンをゆるめたために、オレンジフリルの縁がちらりと見えてしまっていた。
「もうちょっと休んだらシャワーを浴びてくださいね。あとはおとなしく……」
股間がきゅっと締め付けられる。
陽乃さんに握られているのだと認識するまでに数秒かかった。
「逃げたらぎゅってするから」
「それはマジで勘弁してください……」
脅し方が怖すぎるだろ。
「わかりましたよ。逃げません。逃げませんから」
苦笑する俺の下腹部に、陽乃さんが鼻をくっつけた。冷静になりかけた脳が一瞬で固まる。
「んー……匂いってあんまわかんないんだね」
寝ぼけ眼ですんすんと鼻を鳴らす仕草は、無邪気にも蠱惑的にも見える。陽乃さんの大胆にもほどがある行動に思考が追い付かない。理性の地盤が不安げにぐらつく。
「えーと、陽乃さん? そろそ」
首に腕が巻きつき、気付けば唇が重なっていた。陽乃さんが呑んだ酒の匂いが鼻腔を浸す。
「ん……んふぅ……っ」
陽乃さんが顔を傾け、唇が密着する。
ぐいぐいと引き寄せられ、陽乃さんの太ももを跨ぐ形でソファにひざをついた。
ねろりと伸びた舌に唇の割れ目をなぞられ、くすぐったさに耐えかねて唇を開く。
陽乃さんの舌が、獲物を見つけた蛇のように忍び込んできた。
舌と舌が絡み合う。
唾液と唾液が混ざり合った。
吐息が熱い。くちゅりくちゅりと鳴る水音が耳朶を焼く。
唇を離した。どれだけの時間口づけをしていたのかまるで見当がつかない。時間感覚がめちゃくちゃになっていた。普通に呼吸をするという行為がひどく新鮮に思えた。
息を整えるあいだも、今しがた味わった感覚が何度も何度も生々しく脳内再生される。
人の身体がこんなに柔らかいだなんて。
人の鳴らす音がこんなにいやらしいだなんて。
人の匂いがこんなにも濃厚だなんて……知らなかった。
「……ふふ、おっきくなってる」
陽乃さんが目を三日月のように細め、ジーンズにできた膨らみを嬉しそうにさする。
「……わかりました。わかりましたよ」
ここまでされて帰るわけにもいかない。陽乃さんの隣に座り、タクシーに乗る前に買ったミネラルウォーターを差し出した。
「残りますから、とりあえず水を飲んでください」
「心配してくれるんだ?」
「当たり前ですって」
陽乃さんが目をぱちくりとさせる。あれ、なんかおかしいこと言ったかしら……?
「比企谷くんはお兄ちゃんだねぇ」
「それ、素直に誉め言葉として受け取っていいんですかね……」
「褒めてるよ。今はね」
ずっと前に同じことを言われたときは、含みがあるどころの言い方ではなかった。けれど今、陽乃さんは無邪気に笑っている。
陽乃さんはミネラルウォーターをくぴくぴと飲みながら俺の腕に抱きつき、飲み終わると俺の太ももや股間の膨らみをまさぐってきた。
「……先に言っときますけど、俺、初めてなんで」
「だよねー。や、逆に経験あったらびっくりだし」
「失礼すぎません?」
陽乃さんがけらけらと笑う。二の腕に遠慮なく押し付けられる胸。深い谷間がむにゅむにゅと柔らかくひしゃげる。
「だって、君は高校はあんな感じだし、大学生になってからは夜はだいたいわたしといたでしょ?」
「呼び出しはもはや仕事の一種だと思ってましたね……」
大学に入ってから、俺は頻繁に陽乃さんに呼び出されるようになった。ゼミだの面倒な人付き合いだのに疲れたからと、俺が未成年で呑めないのも構わずバーに呼びつけ、かぱかぱと酒を呑み、俺とくだらない話をし続けた。
なんだかんだでこの人とふたりきりで話した時間はかなり長い。少なくとも週一回、多いときは週四回は呼び出しをくらっていた。体育会系にもほどがある。
理不尽な呼び出しに応え続けたのは我ながら驚きだが、このパワハラ上等な魔王様と過ごす時間がそれなりに心地良かったのかもしれない。
「同じ学部の女の子と話しても、わたしと比べちゃって物足りなくて……って感じにならなかった?」
「……んなことないですけど」
うそ。めっちゃあった。外見がどうこうではなく、知性的な意味での充実感というものがこの人は段違いなのだ。おかげで他の人と話したときのこれじゃない感が尋常じゃなかった。
ていうかこの人、そこまで意図してたのか。
「性格悪すぎません?」
「何を今さら」
「ですよね……」
「ですよねとはなんだ、ですよねとは」
むーと唇を尖らせ、股間をさすりながら喉にちゅっ、ちゅっと口づけをしてくる。美貌を愛くるしさでくるんで、そこに卑猥な仕草を足したような状態。暴力的な魅力にくらくらする。
陽乃さんが俺のあごをつまみ、くいと上げる。
「ね、もう大丈夫だから。……触って?」
しっとりした声で囁き、唇を押し付けてくる。甘えるように舌をくねらせ、猫が水を飲むようにぴちゃぴちゃと音を鳴らす。
「……どこから触るといいですか?」
「どこからでもいいよ。わたしのこと好きにしていいから。……ここ、すごいことになってる」
破壊力抜群の言葉に、ジーンズは痛いほど張り詰めていた。陽乃さんがくすくすと笑い、ぽんぽんとあやすように膨らみを撫でる。顔がすこぶる熱い。
「それじゃあ……」
まずは艶やかな黒髪にぽんと手を置く。
「お? 焦らすねー」
愉快そうに囁く陽乃さんの頭は驚くほど小さい。くしくしと、小さい頃の小町にしていたような手つきで優しく撫でる。陽乃さんの黒髪は濡れたような艶をしていて、傷みという概念を知らないかのようになめらかだ。
「どうですか?」
「ん……気持ち良い」
どこかとろんとした表情の陽乃さんに、思わずごくりと喉が鳴る。
「……ん?」
梳くように黒髪を撫でていると、陽乃さんのおとがいがかすかに震えていることに気付く。
肩を抱き寄せたときと似たような反応に首をかしげていると、
「ね、もっと……いろんなとこ、触って……?」
陽乃さんが顔を逸らし、黒髪を耳にかける。いろんなとこ、と言う割に部位を指定する辺りが陽乃さんらしい。
そっと触れた耳は、目で見るよりもずっと小さく、柔らかかった。
「あっ……ん……っ」
陽乃さんが瑞々しい唇をか細く震わせる。耳の形を人差し指と親指でじっくりとなぞるだけでぞくぞくする。こんなに耳に意識を集中させたことはなかった。陽乃さんは髪を触ったとき以上に恍惚とした表情を浮かべている。こんな無防備な彼女を見る日が来るとは。
「えっ、あ、両方は、ちょっと、恥ずかし……ぁ……っ」
両方の耳を同時に触る。陽乃さんが色っぽく眉をひそめ、唇をかすかに開いた。
「陽乃さん……なんか、めちゃくちゃエロくないですか」
「……思った以上に興奮してるみたいでなにより」
陽乃さんが股間の膨らみをつかみ、すりすりと撫でる。その瞳にいつもの鋭さはなく、俺に身を委ねきっているように見える。
「首とか、喉はどうですか」
「ん……触ってみて?」
両手を下にすべらせる。両頬に手を触れたとき、無性に陽乃さんが欲しくなって唇を重ねた。陽乃さんの腕が首に巻きつく。くちくちと唾液を鳴らし、じゃれあうように舌を絡める。
「……脱線しました」
「いいよ。いくらでも脱線して」
陽乃さんがふたたび唇を重ね、お返しとばかりに耳を撫でてくる。今まで感じたことのない、むずがゆいような気持ち良さ。身じろぎする俺に、陽乃さんはいたずらっぽく笑った。
「なんか楽しいね」
「まあ……そうですね」
陽乃さんの喉に触れる。身体の中でもことさらに細く、脆い場所。壊れ物を扱うように慎重に、触れるか触れないかのタッチで、喉からうなじにかけてゆっくりと指を這わせていく。
「あ……はっ、はぁぁ……っ、気持ち、いぃ……っ」
陽乃さんがソファをつかみ、悩ましく身じろぎする。あごの下を撫でたときの表情は、猫のようにごろごろと鳴くのではと思うほど油断していた。
「ね、触りながら好きなとこにキスしてもいいよ?」
「……それ、俺に断る選択肢あります?」
下唇に触れていた俺の右手中指を、陽乃さんがぬるりと咥えた。
「ぉあ……っ」
生温かい感触に下腹部が甘く疼く。陽乃さんはいたずら成功とばかりに目を細めた。
「んふぅぅ……ちゅっ、ほら、はやくぅ……っ」
指の腹をねろねろと舐りながら急かしてくる。陽乃さんの唾液がまるで媚薬のように脳を痺れさせる。自分の指がこんなにも性的快感を得ることができるなんて知らなかった。
指を咥えられたまま、陽乃さんの髪をそっと撫で、小さな耳に口づけをした。
「んくぅぅ……っ」
陽乃さんがぶるぶると震えた。興奮を伝えようとするかのように俺の指を夢中で舐める。小さな耳は唇がこすれるだけで敏感に反応した。ねろりと舌を挿し込む。陽乃さんの身体が強張った。そっと髪を撫でると肉感的な肢体から緊張がほどけ、耳の形に沿って舌を這わせるとまたびくびくと痙攣する。
「……逆もいいですか」
「ん……じゃあ、こっちの指、ちょうだい?」
俺が返事をする前に、陽乃さんは左手の中指をぱくりと咥えた。今度は右手で髪を撫でながら耳を舐る。陽乃さんは幾度も震え、身をよじらせた。かすかに荒らげる吐息に巻き込まれるように俺の鼓動も跳ね上がる。
「……ね、比企谷くん。わたし……まだ比企谷くんに、首から上しか触られてないんだよ?」
力の抜けた、それでいて色濃く期待の滲んだ声。
「俺もびっくりしてます。陽乃さん、すごいですね。なんか色々と」
「わたし、感じやすいから」
「……どの辺がですか?」
陽乃さんが耳を差し出すかのように顔を傾けた。そっと触れる。瑞々しい唇が開いた。
「……ぜんぶ」
人差し指を唇に添えての、秘め事めいたひとこと。
全身の細胞が燃え立つような感覚がした。
キリの良いところまで載せると試し読みどころじゃなくなるのでここまでにしておきます!
詳細は活動報告に載せておりますので、そちらでご確認ください(^^)!
このあとのはるのんはがんがんエロく可愛くなっていきます。
何気ないエロス及び今まで7冊出してきたコミケ本の中でも屈指のエロさになりました。
よろしければぜひぜひ(^^)!!
それでは、今回もお読みいただきありがとうございました(^^)!!