1.
由比ヶ浜の身体を拭き終え、使い終えたタオルは彼女の許可を取って洗濯機に入れさせてもらった。
「……さて、どうするか……」
洗濯機に手を乗せて、この後の事をぼんやりと考える。
時間帯としてはまだそこまで遅くない。一人で過ごす分にはまだ余裕で起きている時間だ。
けれど、彼女の体調を考えれば早めに休むに越したことは無い。
……ここはさっさと、寝るとするか……。
頭をがしがしと掻きながら、彼女の部屋に向かった。
ドアを開けると、彼女はベッド際で足をぷらぷらとさせていた。うん、すごい馬鹿っぽい。
「由比ヶ浜、俺はリビングとかで寝ればいいか? ソファでも使わせてもらえると助かるんだけど」
まあ、これが一番妥当な案だろう。絶対とは言わないまでも、それなりの自信を持って提案する。
しかし、そんな提案に対する彼女の返答はあまり予想していない――正確に言えば、言われたらどうしようかな、困るなと思っていたものだった。
「え、ヒッキー……この部屋で寝てくれないの?」
……くう、来やがった……!
見ると、彼女は女の子座りになって、困ったように眉をひそめている。
「い、いや、だって、その……なあ……」
我慢ならなくなる可能性が超高い。えぐいぞ同室は。
何とか別室にする言い訳を考えながら彼女をちらりと見ると、今にも泣き出しそうな顔をしている。
「……だめ……?」
「うぐ……」
自然と後ずさりをして、ドアにぶつかった。後ろ脇腹がドアノブにぶつかって変な声が出そうになった――後ろ脇腹ってどこだよ。背中だろ、背中。でも感覚的に後ろ脇腹って言いたい。超どうでもいいなこれ。
気まずさの解消の代償に泣かれるというのも後味が悪い、ものすごく悪い。
腕を組んでむむむと唸る。うむむむ……。
数瞬だけ悩み抜いて、顔を上げた。
「……しゃあねえな。……寝てる時に具合悪くなっても、ここならすぐ対応出来るしな」
言うと、彼女の顔がぱあっと明るくなる。
「やったー! ありがとヒッキー!」
女の子座りのまま、ベッドの上で器用にぴょんぴょん跳ねている。
俺が同じことやったら足の色んなとこ千切れそうな動きすんなこいつ……。
そして彼女は、勢いそのままにベッドに寝そべり、掛布団の中に潜り込んだ。
さてさて、床に適当に寝転がるか――などと思っていると。
「何してんのヒッキー。……こっちだよ、こっち」
「……え」
見ると、顔を赤らめた彼女が、掛布団の手前側を開けてぽんぽんと叩いていた。
……まさかの添い寝希望……だと……?
「や、それはちょっと……」
「……うぅ……」
だあぁぁぁぁぁぁ! 泣き落としパターンやめろって!
効くんだから! 超効く! 死ぬから!
「いや、だから、な? 流石に一緒に寝たりしたら俺がその……」
なんとか逃れようとすると、彼女の目に目に見えて涙が溜まっていく。めにめに。
「……うう、うぇ……」
「うぐぉ……」
対処法が分からない事態に、呻き声が漏れた。
何、退行起こしてんの? 防衛機制なの?
……と言ってもまあ、対処法なんてそんな大それたものは必要無いんだろう。
「……わーかったよ。ほれ、泣くな」
近付いて行き、彼女の頭をそっと撫でる。
「……ヒッキー……」
俺を呼ぶと、彼女は幸せそうににこっと笑った。
俺が、まあ、その、一緒に寝てやれば、その、ねえ? それで済む話です、し、ねえ?
心の声でどもるとかもう、底無しに気持ち悪いな俺……。
うん、八幡、頑張って我慢する。由比ヶ浜、襲わない。人間やっつける力欲しい。間違えた。
2.
これから寝るに当たり、歯磨きとトイレを済ませることにする。
歯ブラシ持って来てる訳ねえやーどうしよーとか思っていたら、雪ノ下が買ってきたものの中に何故か青い歯ブラシが入っていた。
え、なに、え、どういうことですか雪ノ下さん? え、え、え?
千里眼でも持ってるの? それとも才気煥発の極みを会得してるの?
背中がぶるりと震えた。
まあ、ありがたく使わせていただきました。かしこ。
「はい、ヒッキー……どうぞ」
準備を終えると、由比ヶ浜が再び掛布団の手前側を開いて俺を招き入れる。
ちなみにさっきの時点では彼女は上半身裸で、今は流石に新しく着直している。
さっきの状態でほいほいベッドインしたら、欲情する余り、峰不二子を前にしたルパンよろしくパンツ一丁になるところだった。もちろんその後パンツも脱いで襲っちゃう。……危ないところだった……。
「ええっと……お邪魔、します……?」
「くすっ……はーい、どうぞ」
緊張して変な挨拶をしてしまったのに対して、彼女は包み込むように優しく笑った。うう、和む……。
そして、いざ布団に入って、互いに向き合うようにして寝てみると、一つのことが分かった。
今さっき。
包み込むという表現を、あくまで比喩として使ったけれど、今の状況は、状況こそは。
本当に、正に、彼女が、俺を包みこんでいる。
彼女は優しく微笑んだかと思うと、おでこ同士をこつんとぶつけた。
そして軽く口付けをしたかと思うとえへへと笑い、「んー」と嬉しそうに唸りながらおでこ同士をこすこすと擦り合わせ、俺の顔を胸元に引き寄せる。
……興奮はしてるけど、もちろんしてるけど。
それ以上に、なんかものすごく安らぐ。理由は分からないけれど。
自分が今まで体験してきた中で比較出来るものがまるで無い程に、ただただ安らぐ。
ぶっちゃけベッドに入る直前までは、もっと言えばほんの1~2分程前までは、絶対手を出しちゃうだろうなと思っていたのだけど。
彼女がうつらうつらとし始めて、やがてすうすうと穏やかな寝息を立てるまでの一連の流れを、気付けば慈愛顔で見ていた。
やっべ、何時間でも見てられそうなんだけど。
少しだけ頬をこしょこしょとくすぐると、「んむぅ……」と眉を少しだけ潜めて口を尖らせたのを見たときは、危うく死ぬところだった。死因は何になるんだろう、悶え?
そんな彼女の、由比ヶ浜の温もりに包まれて、気付けば俺も眠りに就いていた。
3.
「……ん」
目が覚め、周りを見渡す。
どこだここ? 左腕を捲って、『俺は比企谷八幡。17歳。総武高生。』とか書いてあったらマジ俺忘却探偵。天井にペンキで『お前は今日から、比企谷八幡。ぼっちとして生きていく。』とか書いてあったらもう完璧。何がだよ。
部屋を見渡して、昨日の一連の流れを思い出す。ほっ、良かった、俺には今日以外の時間もあったんだ……。
「……ん?」
ふと、疑問に思った。
隣に居る筈の由比ヶ浜が居ない。
それに、寝ている身体の傾斜がなんだか違う。
しかも何だか後頭部が柔らかい。非常に柔らかい。
「あ、ヒッキー、起きたんだね。おはよ」
頭上から、温かい声がした。
「お、おう、おは……よ……」
ここで初めて、俺と彼女の体勢に気が付いた。
彼女はベッドの枕側の壁に背中を付けてだらりと座り、足をV字に開いて伸ばしている。
対する俺は彼女に背を向ける形で、ちょうど俺の頭が彼女の胸のところに来るような体勢で仰向けに寝そべっていた。
座椅子をある程度倒したような姿勢だった。彼女が背もたれの役割を果たしている。
……え、何この極楽椅子?
「えへへ……ごめんね? 先に目が覚めたんだけど、すっかり元気になってたからシャワー浴びてて。部屋に戻ってきてもまだヒッキーは寝てたから、ちょっとやってみたくなったんだ」
俺のおでこを愛おしむように撫でながら、彼女がたははと笑った。
「あ、いや、まあ、大丈夫だけど……」
勢い余って『ぜひ!』とか言いそうになっちゃった。
「そ、そっか、よかった……。じゃあ、もう少しだけ、このままでいい?」
「お、おう……」
オットセイみたいなパッとしない返事をした。略しておっぱ……なんでもない。……黒歴史が増えるところだった。危ない危ない……。
それからしばらくの間、ずっと彼女におでこを撫でられていた。
うーん。
胸揉み券も良いけど、極楽椅子券も捨て難い……。
4.
しばらくうとうとして目を覚ますと、由比ヶ浜は変わらず撫でてくれていた。や、流石に恥ずかしくなってきた……。
恥ずかしくは思うものの気持ち良さに負けて、結局抵抗0で彼女に愛でられていると、ふと、彼女が手を止めた。
「今日さ、どっか遊びに行かない? あたしも結構元気になったし」
「や、それはまだやめといた方が良いだろう。病み上がりだぞ?」
「うー、元気になったのに引きこもるのやだなあ……」
「しゃあねえだろそれは。ちょっと一回帰って、着替えついでに何か暇を潰せそうなの持ってきてやるぞ。んー、小町に電話して、何か用意しといてもらうか」
「え、小町ちゃんと電話するの? じゃあスピーカーモードにしてよ! あたしも喋りたい!」
急に元気になった。ほんと仲良いのね君たち……。
「わかったわかった」
この極楽から離れるのを少し、いやかなり惜しみながら、ベッドを降りて携帯を手に取った。
5.
「もしもし、俺だけ」
「小町ちゃーん! やっはろー!」
「あ、結衣さんだー! やっはろー! 具合はどうですかー?」
……俺を置いて行きやがったぞこいつら……。
楽しそうに会話を始める2人に何とか割り込んで、小町に事情を説明する。
「つう訳だ。今から一旦戻るから、こいつが暇潰せそうなもの用意しといてくれるか」
言うと、電話の向こうでむむむと唸る声がする。
「うーん……どうしよう……悪いかな……いやでも結衣さん結構元気っぽいし……」
…………。
なんか、俺の頼みと関係無い考え事をしてるっぽい。
「もしもーし? 小町ちゃーん? お兄ちゃんだよー? お話聞いてくれてたかなー?」
「いやでもこのチャンスは……うんうん、やっぱりそうしよう」
MU☆SHI!
妹の華麗なる兄スルー! おっと目に涙が……いや、雨だよ。
雨に降られている兄をこれまた華麗に無視して、小町が由比ヶ浜に声をかける。
「結衣さん」
「ほえ? どうしたの小町ちゃん?」
小町が急にきりっとした声で呼んだため、由比ヶ浜は素っ頓狂な声を出した。や、別に、この声よく聞くな。やっぱりお馬鹿なんだろう、こいつは。
「今日、今からうちに来ませんか!」
「ええ!? え、い、良いの?」
「いや、おい、小町。こいつ病み上がりっつったろ?」
「今結衣さんの家には雪乃さんがもう居ないんでしょ? ごみいちゃんだけの看病じゃ体調が却って悪化しちゃうよ」
……ゆきのんパワーが無いと比企谷菌が繁殖するのん?
「だから、こっちに来てもらえれば、小町が結衣さんの暇を全力で潰しつつ、魂込めて看病しちゃいます!」
電話の向こうで無い胸を張っているような気がする。
「いや、でもな、帰りをどうするんだって話」
「泊まっていけばいいじゃん」
「ほーん?」
なんだってー?
「今日はお父さんお母さん居ないでしょ? お母さんが会社の何かで、お父さんは……まあ何でもいいや」
親父……強く生きて……! そして俺と小町を養って……!
「だから、うちに泊まっていけば安心!」
「いや、でも……」
それでも反駁しようとしていると、隣でわざとらしい咳払いが聞こえてきた。
「けほっ、けほっ……あー、どうしよう、片道分くらいの体力はあるんだけどな……けほっ、けほっ……」
…………。
咳払いの意味ねえだろ、馬鹿なのかこいつは?
由比ヶ浜を憐れんだ目で見ていると、小町が更に攻め立ててくる。
「さあ、お兄ちゃん、二人で来るの? それとも二人ですぐさま来るの? それとも二人で腕を組んですぐさま来るの? さあ、どれ!」
……なんだこの妹……。
横を見ると、ペットショップのチワワのような目で由比ヶ浜が俺を見つめている。
「ヒッキー……」
やめろ、ウルウルした目で見るな! お前今別に悲しくねえだろ!
いずれにせよ、この懇願の表情は俺に対する効果が高い。高すぎる。
うぐぐ……。
目の前の犬と電話口の猫に挟まれた。何だこれ。
これ以上ごねられても疲れるだけだと判断して、折れることにした。
「……分かったよ。でも、絶対無理すんなよ?」
言うと、生声と電話越しの声で揃って「やったー!」と言う声が部屋に響いた。
続く。
次話でエロに少し入るかも、と言う感じです。小町の登場率の高さは異常。
投票人数が100人に達しました。本当にありがたい限りです。
これからもどうぞよろしくお願いします(^^)!
今メインでやっている4編が終わる頃には、はるのんやめぐりん編と並行して、平塚先生編のようなアフターエピソードが他ヒロインの分もぽぽぽぽんと入るかと思います。毎日更新は最低でも100話まで続けたいですが、その後もしばらく続けたいなあ……。
毎日更新が途切れるとすれば、11巻の発売日かなと思いますwその時も出来たら途中まで読んでこちらを書きたいなあ……。何気に発売まで3週間を切ってるんですね。うおぉぉぉ!
この作品を書き始めたのが前巻の10.5巻が出た直後だったので、その間にひたすら書き続けていると言うのは何だか不思議な気持ちです。
ではでは、また明日お会いしましょう。
それでは、今回もお読み頂きありがとうございました(^^)!!