「主将閣下、」
聖帝軍侵攻部隊の指揮官は主将の幕舎を訪れると、片膝をついて内側にいる人物に呼びかけた。
入れ、という声に応えて垂れ布をまくり上げる。
絨毯が敷き詰められた幕舎に足を踏み入れた指揮官の鼻孔を、噎せるような香水の薫りがおおった。
ここに来るたびに、女の私室に迷い込んでしまったような違和感を覚えずにはいられない。それは部屋の片隅に置かれた大きな鏡台や並べられた化粧品の瓶、なまめかしい光沢を放つ絹の寝具のせいばかりではないだろう。
「降伏を申し出たか」
「はい」
指揮官は跪いて、下問に答えた。
聖帝軍の主将であるユダは、高い背もたれのある椅子にかけ、塗ったばかりのマニキュアの乾き具合を確かめている。
戦場には全く以てふさわしくない外見だ、と指揮官は思った。
灯火の加減によっては女にも見える容貌に艶やかな化粧を施し、長い髪のところどころを細い三つ編みにしている。爪には紅いマニキュア。王侯貴族の後宮か高級娼館の贅を凝らした一室で、彼を
しかし、ユダが聖帝軍の将軍として並々ならぬ武略と勲功の持ち主であることは事実だった。そうでなければ指揮官である彼自身、この男に侮蔑や嘲笑の
多摩川以西を支配する聖帝サウザーは関東進出の橋頭堡を築くため、狭山丘陵にある六道山城市を攻略すべく、ユダを主将とする侵攻軍を派遣していた。この地は拳王領との国境に近く、北方への睨みがきく。しかも核の炎に焼かれ無人の荒野と化した大地が広がるなかで唯一、二つの湖をかかえた緑の
しかし街の住民たちは自警団を組織して頑強に抵抗した。三度にわたって攻め寄せたが、陥落しなかった。ユダは力攻めを諦め、兵糧攻めにすることにした。住民たちを城内に追いやり、田畑と周辺の森林を焼き払った。周囲30キロ四方に八つの砦を築き、堀と土塁、柵を巡らして、蟻一匹這い出ることができぬよう完全に包囲した。食糧が尽きた敵はついに抵抗を諦め、降伏を申し出た。
だが、降伏を赦すかどうかを決める権限は主将であるユダにさえ無かった。諸政一切は聖帝自らが決裁する。ゆえに、いったん聖帝城に戻り、主君の指示を仰がなければならなかった。
「サウザーがどう判断するか、だな」
椅子から立ち上がったユダは幕舎のなかを落ち着かなげに歩き回った。
聖帝の名を呼び捨てにできるただ一人の人間であるユダの口調はなぜか煮え切らないものだった。どこか逡巡めいたものさえ感じられる。
住民たちへの寛恕でも願っているのだろうか。そう思い、指揮官は主将の顔色をうかがう。だが、そこにあったのは恐怖だった。
聖帝の許に戻ることを、明らかにユダは怖がっているのだった。