聖帝城の最上階にある小広間は無数の蝋燭で明るく照らされていた。
テーブルに揃えられたナイフとフォーク、グラスが燦然と輝いている。その数から、皿数の多い正餐なのだと分かった。しかし、食器はサウザーとユダの二人分しか用意されていなかった。
聖帝軍の他の幹部たちは一人もいない。今回の遠征先はまだ告げられていないが、戦闘や兵站を担う彼らはサウザーの指示を仰ぐべく聖帝城に参集しているのだ。晩餐の席についていて然るべきなのだが。
給仕の若者に椅子を引かれ着席したユダはひどく緊張していた。シュウのことで大きな秘密をかかえるようになっていたのでサウザーと長い時間、二人きりになるのが怖かったのだ。
正装したサウザーが、シャンパンの注がれたグラスを掲げた。
「おれの敵を殲滅する前祝いだ」
「あなたの勝利のために」
ユダも和した。
サウザーは終始、上機嫌だった。口を開くのは専らサウザーだったが、ユダも沈黙を恐れ、いつも以上に饒舌に受け答えをしていた。
オードブルとスープに続いて、魚料理が運ばれてきた。
蒸し焼きにされた
給仕がグラスに注いだのは白ワインではなく日本酒だった。ふくよかな香りを楽しみ、一口含む。やや辛口な味わいが淡泊な白身魚によく合った。
サウザーは優雅な手つきで鱸を切り分け、口に運んでいる。
それを眺めながら、ユダは大磯での食事風景を思い出していた。
美食家だったサウザーは和食も好んだ。
食卓には四季折々の料理が並んだ。
夏になれば目にも涼しい染付の皿や向付に、
サウザーが手を止めて、ユダを見た。
「なんだ。おれの顔に何かついているのか」
「大磯で暮らしていたとき、和食を召し上がっていたあなたの箸の使い方がとても美しかったので。それを思い出していたのです」
「おれが生まれたのは日本ではないが、育ったのはこの国だ。和食の作法だけでなく、茶道も書道も日本の文化伝統とよべるものなら一通りは弁えているさ」
これほど長く一緒に過ごしていながら、ユダはサウザーが若かった頃のことを知らなかった。彼はユダと同じく二重国籍で出身国も日本ではない。もう少し詳しく聴きたかったが次の料理が運ばれてきたので、話はそこで終わりになってしまった。
肉料理はウサギ肉のローストだった。血を使ったこくのあるソースがかけられ、ウサギの肝臓を焼いたものとクレソンが添えられている。グラスには口当たりのいい赤ワインが注がれた。
「ウサギというやつは可愛らしく見えて、その実、
肉にナイフを入れながらサウザーは言い捨てる。
「お前はウサギ狩りをしたことがあるのか?」
「ええ。祖父が所有していたスコットランドの城の狩猟場で。ビーグルに追わせて銃で撃つんです。昼食も森の中でとって一日中、ウサギや雉を撃ちつづけていました」
「猟犬たちは、ウサギがどれほど穴の奥に隠れていようと臭いを嗅ぎつけ、追い立てる」
ナイフを掴んだ手に顎を預け、サウザーは考え深げにユダを見た。
「おれの忠実な猟犬は果たしておれのためにウサギを狩り出してくれるかな」
皿がガチャンと大きな音を立てた。
ユダは慄える手をあわてて押さえた。
ウサギに喩えられたのが誰のことなのか分かったのだ。
まさかサウザーはシュウの居場所を知っているのか。自分が医薬品を提供して、彼のもとに身を寄せた市民たちを救ったことも?
サウザーがまっすぐにユダを見つめている。青い刃のような眼差しだった。だが、彼は不意に微笑んだ。
「どうした。料理が気に入らないのか。さっきから少しも食が進まないようだが」
「いえ。すみません」
動揺を鎮め、ユダは食事を続けようとした。
笑みを浮かべたサウザーは給仕のほうを向いて呼び寄せると、小声で何かをささやいた。
「お前のために特別にもう一品、用意させたのだ」
サウザーは手のひらを広げてみせた。
「心ゆくまで味わってくれ」
給仕の手で
「ひッ」
ユダは息を詰まらせ、のけ反った。ナイフとフォークがけたたましい音を立てて床に落ちる。
皿の上に置かれていたのは人間の生首だった。おどろおどろしく血で彩られ、恐怖に見開かれた眼がこちらを見つめている。メディスン・シティでユダを拉致したあの商人の首だった。
「シュウに恩義があるとかいって口を割ろうとしなかったのでな。哀れ、首と胴が泣き別れというわけだ」
サウザーはほとんど無関心といえる冷ややかさで、ワインをすすった。
「だが、もう一人のほうは素直に喋ってくれたよ」
もう一人?!
武装した親衛隊が小広間に入ってきた。
その後ろから、二人の少年に両脇を挟まれたコマクが拷問を受けた惨たらしい姿で連れてこられた。両手が血で赤黒く染まっていた。ふくらはぎを蹴りつけられ、膝をつかされる。少年の一人が手にした槍の穂先をコマクの首筋に突きつけた。
「コマク……!」
立ち上がりかけたユダは背後に立った給仕に両肩を掴まれ、椅子に押し戻された。給仕の若者も親衛隊の一員だった。
「そいつを責めるなよ。そいつはずいぶん頑張ったさ。だが、眼球を抉り取られるのは耐えられなかったようだな。すらすらと白状してくれたよ」
サウザーは胸元から小さなガラス瓶を取り出すと、ユダに投げてよこした。中身を見たユダは思わず顔を背けた。そこには人間の指から剥がし取った爪が十枚入っていた。
「メディスン・シティはお前にとって遊び場らしいが、用心が足りなかったな。その男がお前を見張っていたように、おれもお前の行動を監視させていたんだよ。お前がメディスン・シティから姿を消して数日後に城に戻ったことも、それからすぐにそのチビを連れて何処かに向かったことも、すべてな」
恐怖が背筋をはい上がった。サウザーは何もかも知っている。もはや弁解の余地はなかった。
ユダは椅子から
「あなたに対して罪を犯しました。いかようにも罰をお与えください」
サウザーは悠然と立ち上がった。ゆったりとした足取りで近づいてくる。
「お前を飼い馴らしおおせたと思っていたが、思い違いだったらしいな」
冷ややかな怒りを宿した瞳でユダを見下ろし、ひたいに爪を食い込ませた。
「お前が醜くなろうとおれは気にしない。お前は鏡を見るたびに、おれへの反抗がいかに高くつくか思い知ることになるだろう」
「それだけはやめてください!」
ユダは這いずって後退った。サウザーはユダの髪を乱暴に掴み、顔を仰のかせた。
「次の攻撃目標は市ヶ谷にある国防省の地下基地だ」
目を見開くユダを、サウザーの冷酷な眼差しが串刺しにする。
「シュウの首を挙げてこい。できなければお前を教育部隊に引き渡す。心というものが無くなれば、もうおれに逆らう気も起きるまい」
サウザーは自分がシュウの行方を捜していることを知っていた。そして故意に泳がせて彼の居場所を見つけ出させたのだ。自分は愚かにも、獲物を狩り立てる猟犬の役割を演じてしまったのだ。
聖帝軍の教育部隊の手にかかった者がどうなるか、ここにいる親衛隊の子供たちを見れば一目瞭然だ。自分の過去も家族のことも一切忘れ、ただひたすらサウザーに奉仕するだけの存在。そのことだけを喜びとする忠実な犬たち。
涙があふれてきて、頬をつたった。
「殺してください」
「殺すのは簡単だ。だが、この世には死に勝る苦痛と恐怖がある。お前はそのことをよく知っているはずだ」
「陛下」
親衛隊の少年がたまりかねたように声を上げた。
「この者は陛下を裏切り、逆賊と通じました。速やかに処断なさるべきかと存じます」
「失敗を冒したからといってその都度、飼い犬を処分してはいられんよ」
サウザーは優しげに言うと、俯いたまま声もなく泣いているユダの頭をなでた。寛容な飼い主が出来の悪い犬を赦してやるように。それからユダの顎を持ち上げ、泣き濡れた翠の瞳をのぞき込んだ。
「さあ、行ってお前の役目を果たしてくるんだ。お前はおれを失望させたりはしない。そうだろう、おれの可愛いユダ?」