拳王軍、東方衆とKING軍が北関東東部の帰趨をめぐって激戦を繰り広げているあいだに、権力の空白地帯となった南関東を制圧する。
聖帝軍の主将ユダの第一軍が海側から攻め、六道山勢を率いるハイダルが第二軍として平野部を南下し、国防軍本省の地下基地を挟撃する。
サウザーは今度こそ自分に刃向かうシュウを市民ともども皆殺しにするつもりだった。
国防軍本省のある市ヶ谷を北に臨む沖合に、二隻の軍船が停泊していた。周囲には兵糧や武器を積んだ荷船、聖帝軍兵士を満載した無数の小舟が取り巻いている。
このあたりの海域はかつて虎ノ門とよばれ、多くの政府庁舎が建ち並んでいた。しかし、すべて海の底に沈んでしまっている。
海の水が澄んでいるとき、入り江は不思議な緑色に輝くことがある。核の炎から逃れるために海や河に飛び込んだ人々の遺体がここに流されてきて、白骨となって水底を埋め尽くしているのだ。それが南洋の珊瑚礁の海と同じように海水をエメラルドグリーンに輝かせるのだった。
ユダは軍船の甲板上から、内陸を眺めていた。
東京タワーが無惨にひしゃげた姿を晒している右手後方に六本木ヒルズ森タワーがある。銀色の外壁は核爆発の強烈な熱と爆風で失われ、鉄骨しか残っていない。さらに右側にあるのが青山墓地。都内で最大級の霊園だったが、いまは東京全体が巨大な墓場と化している。
船を漕ぐ櫂の音や波音以外、何も聞こえない。だが、あたりを充たすこの静けさが死の静寂でないことを、ユダは感じ取っていた。
ひりひりするような緊張感がみなぎっている。生者が放つ強烈な殺気だ。銃の引き金に指をかけ、息を殺して発砲するタイミングをうかがっている。そんな気配が至る所から感じられる。どこに隠れているかは分からないが、向こうからはこちらがよく見えているのだろう。
右舷から見える陸地に目を向けた。
廃墟となった丸の内のオフィスビル群が海から突き出し、水面に影を落としている。ビルの高さはかつての半分ほどしかない。潮風による風化で脆くなり、崩壊がはじまっているのだ。数年以内にすべて崩れ、海に沈んでしまうだろう。だが、殺意に満ちた視線はそこからも感じられた。ビルの内部にもシュウの部隊が隠れ潜んでいるのだ。
小舟で先行させていた斥候部隊が戻ってきた。
「ダメです。海中に大量の瓦礫が沈んでいるうえに、海面ぎりぎりの高さに鎖が張り巡らされていて、船では近づけません」
市ヶ谷の北側、細長く切り込んだ湾となった神田川流域も同じだった。
岸壁近くに干潮時にも水面に出ない深さで無数の杭が打ち込まれていた。河岸からの侵入を阻むための仕掛けだ。しかと判らないように設置されているのは、内陸部に人間がいることを悟られないようにするための工夫だろう。
ユダは船縁に寄りかかり、ため息をついた。
「用意周到だな、シュウ」
陸からの攻撃部隊であるハイダルの軍も苦戦していた。
ハイダルは軍を二手に分け、主力部隊を率いて新宿方面に向かった。残りは地下鉄の地上出口の各所に配置し、シュウの部隊と市民たちが地下鉄の構内を通って逃げてきたとき、ただちに捕縛できるよう監視させていた。
彼らが着用している放射線防護服はウレタンや塩化ビニールに有機酸塩や無機塩を組み込んだ新素材でできていて、透過力の強いエックス線、ガンマ線をより低エネルギーの光や熱に変えることによって内部の人間を被曝から守る。だが、この防護服で全身を包まれていると迅速な行動ができない。しかも、市街地は破壊されたままになっているので大量の瓦礫が行く手を阻んだ。兵士たちは武器をシャベルに持ち替え、崩壊したビルの残骸やガラスを撤去しなから先に進むしかなかった。
兵士の一人がコンクリート片を除去しようとシャベルの先を突き刺した。
そのときだった。
爆発音が炸裂し、血しぶきとともに人間の手足が宙に舞った。それは一カ所に止まらず、至る所で起き、逃げまどう兵士たちの身体が四散した。
「くそ……! 対人地雷か」
先発隊を率いていた中隊長がうめき声を上げた。
シュウの部隊は、山手線の内側の地域に大量の地雷を敷設していたのだ。
最後尾につけた装甲車から上半身を乗り出していた第二軍の司令官ハイダルは、立ち昇る黒煙を双眼鏡で視認した。彼は注意深く周囲をうかがった。
新宿駅の西側には新都心の高層ビル群が林立している。窓ガラスが砕け散っているために内部が丸見えだが、侵入者を見下ろせる上層階に重機関銃が設置されている。その銃口は自分たちに向けられていた。新宿の東側から市ヶ谷にかけての一帯がキル・ゾーンになっているのだ。
双眼鏡を外したハイダルは苦々しげな笑みを浮かべた。
「なかなかやる……!」
水陸両軍とも、この日できたのは偵察行動のみだった。
夕闇が迫ったため、聖帝軍は撤退した。
聖帝軍の第一軍は目黒台に造営された兵站基地にいた。
市ヶ谷からは、だいぶ離れてしまっている。六本木周辺の入り江は放射線の値が高すぎて長時間の滞在が不可能だったし、白金台の岬は谷や窪地によって細かく切り刻まれていて広い土地の確保ができなかったのだ。
キャンプは中隊単位で設営されている。これは敵襲による損害をなるべく少なくするためである。
聖帝軍の兵士たちは交替で食事を摂っていた。昼食は携帯糧食だが、朝と夜はきちんと調理された食事が出る。娯楽の乏しい戦場では食事は数少ない楽しみのひとつだ。うどんと野菜と豚肉を煮込み、赤味噌仕立てにしたほうとう鍋が湯気を立て、食欲をそそる匂いが兵士たちの笑い声とともにキャンプ地をみたしていた。
兵士たちは夕食を楽しんでいるが、司令官にはそんな余裕はない。
敵の防衛力が予想以上に高く、攻略が容易でないことが分かったのだ。相手は民間人ばかりだから簡単にねじ伏せられると思っていた聖帝軍にとって大きな誤算だった。
司令部の幕舎には、代々木公園跡地に設けた前線基地からジープを飛ばしてきた第二軍の指揮官たちも顔をそろえていた。
地雷原に踏み込んでしまったハイダルの主力部隊には少なからぬ損害が出ていた。
ハイダルは東京の北部と西部の地下鉄出口に兵員を配置しているが、すべての出入り口を押さえているわけではなかった。数が多すぎてそこまで人手が回らないのだ。それぞれに配置している兵士の数はせいぜい数人といったところで、逃亡者を発見したら信号弾を打ち上げて応援を呼ぶといった手はずになっている。主力部隊が痛手を受けたことで、そこからまた兵員を割かなければならず、ますます監視の目が緩くなることが予想された。
「敵がどこに潜んでいるかは、すでに分かっているのだ」
侵攻軍の主将であるユダは指揮官たちを見渡し、地図の中央に記された市ヶ谷の国防省本省を指先で叩いた。
「ならば回りくどいことはせず、本丸を
「どうするのです」
「国防省が建っている場所は淀橋台とよばれる台地の東端にあたっている。周囲は海だ」
一キロ四方の地域を指で囲ったユダは、そこから少し南に下った外壕沿いの駅を指し示した。
「複数の路線が乗り入れている地下鉄の四ツ谷駅をまず押さえる。東京の南側に逃げられないようにするためだ。駅構内を爆破して瓦礫で埋めてしまうのだ。有楽町線も南北線も大江戸線も、東京の低地を通っている部分はすべて水没している。東側には退路がない。逃げるとしたら西側の高台、新宿方面だけだ。そこも遮断してしまえば彼らは逃げ場を失い、袋の鼠となるだろう」
一拍置いたユダは冷然と告げた。
「すべて完了したら、海水を注入して基地にいる全員を皆殺しにするのだ」
指揮官たちは息を呑んだ。
基地を周囲から切り離し、孤立させる。そのうえで海から引き入れた水を流し込み、地下基地に立て籠もる者たちを溺死させてしまおうというのだ。
腕組みをして地図に目を落としていたハイダルが顔を上げた。
「よろしいのですか」
「何がだ」
「いえ、なにも」
そう言いながらもハイダルはユダの真意を探るような眼差しを向けている。
ユダにはハイダルの考えていることが分かった。彼はユダがシュウたちに逃げ延びる余地を与えるのではないかと内心疑っていたのだ。だが、ユダの作戦には敵に対する慈悲心など微塵もなく、戦略的にも戦術的にも一分の隙もなかった。
「意見がないなら、この策でいく。第二軍は新宿の高層ビルで重機銃をかまえている部隊を排除しろ。市ヶ谷の西側が地雷原になっていようと、作戦行動を取るための経路さえ確保できればいいのだ。地下鉄構内を封鎖する作業は市ヶ谷周辺を通るすべての路線で同時に行う。地下鉄には通気をよくして列車の往来をスムーズにするための換気塔がある。そこに爆薬を仕掛けるのだ。何か質問は?」
指揮官たちは沈黙している。
「ないなら以上だ。解散する」
ユダは手を一振りすると、身を翻して司令部を出た。
自分の幕舎に駆け込んだユダは、湯浴みの用意や寝床の支度をしていた少年兵らを残らず追い払った。
「出ていけ! 一人にしてくれ!」
少年たちは主将の勘気を怖れ、湯桶やタオルを手に慌ただしく出ていった。ユダは整えられたばかりの寝台に上半身を投げ出した。
「う……」
涙が頬を流れた。
とうとう、あの人を殺さなくてはならなくなった。それも、この手で。
大切な人をユダ自身に殺させようとするサウザーの悪意を恨みに思っても、彼からは離れられない。どれほど理不尽であろうと、サウザーの命令なら従うほかないのだ。ユダは全身を震わせて嗚咽した。
誰かが入ってくる気配がした。
テーブルに置かれた
第二軍司令官のハイダルだった。
涙を流しているユダを見ても、予想していたのかハイダルは表情を変えなかった。
「本当に、あれでよかったのかね」
「何がです」
ユダは顔をそむけた。
言葉遣いがさっきと逆だった。
戦時中はハイダルのほうが階級が上だったのだ。二人きりになると昔の習慣が出てしまい、敬語に戻ってしまう。
「本当にシュウくんを殺したいのか。心の底から、それを望んでいるのか。きみはシュウくんと一緒に逃げるべきではないのかね」
「どこへ逃げろというんです! サウザーに逆らったらどうなるか、あなたにだって分かっているはずだ。あの人は自分の言うことをきかせるためなら、どこまででも残酷になれる。おれは十五の歳から、それを嫌というほど思い知らされてきたんです!」
「そのことなのだがね」
何か言いたいことがあるらしく、ハイダルはすぐ近くにあった椅子に腰を下ろした。
「きみのご両親が中国への通敵容疑で拘束されたとき、本当はきみも軍の施設に収監されるはずだったのだよ」
ハイダルはかつて国防軍憲兵隊の将校だった。ユダが宿泊していたホテルから連れ去られたとき、大磯の
「だが、少佐だったサウザー様はどういうわけか、きみを自分の邸に連れていくよう命令を変更なさった。私はずっと、極秘裡に進めていたクーデター計画を成功させるために、きみのご実家アルトシュタット財閥の支援を得ようとして取った措置だと思っていたのだが。そうではなかった。サウザー様は単純にきみが欲しかっただけなのだ」
「それはおれが徒手格闘術の大会で校内二位になったからでしょう」
「サウザー様がそうおっしゃられたのか」
「大磯に連れて行かれた日に、本人がそう言いましたよ。この世が滅び、文明が中世のレベルにまで後退してしまったら南斗聖拳こそが世界を制するだろう、と。まったくその通りになりましたね」
「たしかに、きみは優秀な士官候補生だったがね。だが、それだけの理由できみを傍に置いていたとは思えないな。
きみは知らないだろうが、きみのご両親を国外追放し、日本から欧州の軍需企業を一掃したのはアメリカからの強い圧力によるものだったんだよ。そのために、きみたち家族に通敵容疑の濡れ衣を着せたのだ。あの国は自分たちが守ってやっているのだと思い込ませることで日本に恩を売り、さまざまな兵器や装備を売りつけてきたからね。役に立たないミサイル防衛システムに、事故が多発して不良在庫となっていたオスプレイ。欧州と連携して、アメリカへの軍事的依存度が低下するような真似は許さないというのがあの国の考えだった。
なのに、サウザー様はきみを国内に留まらせた。欧州の軍需企業の関係者は日本から排除しろと圧力をかけられていたにもかかわらずだ。そのために官邸や外務省からも少なからぬ妨害を受けたが、あの方はご自分の意思を押し通された。そして大戦がこのような終わり方を迎え、アルトシュタット財閥との関係も断たれたというのに、なおもきみを重用し、聖帝軍のナンバー2に抜擢した。あの方はどうしてそこまで、きみにこだわりつづけるのかな」
サウザーから聞かされていたのとは違う内容の話に、ユダは戸惑っていた。
たしかにクーデターを起こす必要がなくなった以上、自分にはもう利用価値がないはずだ。いくら子飼いといっても、国防軍時代からの忠実な部下たちを差し置いて、聖帝軍の主将に取り立てる必要などあるのだろうか。
「おっしゃる意味が分かりません。サウザーは……だったら、なぜおれを」
「真実は単純すぎるほど単純なのかもしれない。にわかには信じられないくらいに」
ハイダルは微苦笑をたたえている。彼はサウザーの最古参の部下で一番の理解者だ。しかし、ユダにはその表情の理由がまるで分からない。
「どうしていまになって、そんなことを聞かせたのです」
「さあ、どうしてかな。きみへの同情なのかもしれない。あのとき、苦しんでいたきみを見ても、見ぬ振りをしてしまったことに対する後ろめたさなのかも。きみがかつての上官だったシュウくんのもとに
自由。なんという魅力的な響きだろう。だが、自分は逃げられないのだ。大磯の邸から結局は逃げ出せなかったように。
「おれが逃げたら、あなたは殺されますよ。あるいはもっと恐ろしい目に遭わされる。おれに直接手を下すのではなく、おれが大切にしているものを奪うことで思い知らせる。それがあの人のやり方なんです。おれはもう誰かが自分のために殺されたり、拷問にかけられたりする姿は見たくありません。もう行ってください。作戦は予定通り、明朝から開始します」
「きみを君側の奸と罵る声は多い。だが、いまの言葉を聞いたら考えが変わるだろうに」
ハイダルは立ち上がり、物悲しい微笑みを浮かべた。その表情はいつか見たシュウのものと、とてもよく似ていた。
「最善を尽くしますよ。聖帝陛下のためだけでなく、あなたのためにもね。おやすみなさい、主将殿」
幕舎の垂れ布を押し退けて、ハイダルが出ていく。
暗がりのなか、ユダは寝台に顔を埋め、動かなかった。