不気味な朝焼けが空を焦がしていた。
水平にたなびく雲の下層が赤く染まっている。
都心の朝告げ鳥、カラスたちの啼き声はまったく聞こえない。天を舞うもの、地を這うものの多くが絶滅したいま、地上の夜明けは無音のままやって来る。
暁闇をついて第二軍は西新宿の高層ビル群の攻略を開始した。
一階ロビーと戦後に修復したらしい非常階段には複数の足跡がついていた。いくつかは新しい。つい最近まで人が往来していた証拠だ。
聖帝軍兵士たちは慎重に、着実に階段を登っていく。階上からの攻撃はない。人影らしき姿も見あたらなかった。
足跡を辿って最上階にたどり着いた兵士たちは自動小銃を構えたまま左右を見回した。壁がなくなり、吹きさらしの状態になったフロアに重機銃が放置されている。
「誰もいないぞ」
室内は無人だった。機銃のメンテナンス用の工具や弾薬ケースも置き去りにされている。部屋の隅に大きな木箱が積み上げられていた。一人の兵士が銃を下ろし、中身を確かめようと蓋を開く。
爆発音とともに最上階から黄金色の炎が噴き出した。火だるまになった兵士が悲鳴をあげながら落ちてくる。
「なんだ?! 何が起こった」
地上から作戦の経過を見守っていた指揮官が叫んだ。
最上階からは、もうもうと黒煙が立ち上っている。
シュウの部隊はすでに拠点を放棄し、撤退していたのだ。重機関銃を配置した上層階には聖帝軍兵士が迂闊にも箱を開けた瞬間に爆発するよう爆薬が仕掛けられていた。
「おのれ、
またしてもしてやられことに指揮官は歯噛みした。
だが、制圧作戦が遅れていた別のビルではすでに状況を把握し、慎重に行動していたために再度の犠牲を出すことはなかった。攻略部隊は煮え湯を呑まされた格好にはなったものの、西新宿の高層ビル群の制圧には成功した。
高所から狙撃される危険がなくなった主力部隊は山手線の線路跡を越え、新宿の東側に展開した。前日は地雷原となったこの地域で多大な犠牲を出してしまった。しかし、失われた兵力は地下鉄出口を監視していた部隊から応援を回すことで、すでに補強されている。
放射線防護服に身を包んだ聖帝軍兵士らの目の前に、廃墟となった新宿が広がっていた。
戦前、戦中をつうじて、ここは日本でも有数の商業都市だった。
目を閉じれば買い物客であふれたかつての賑わいが甦る。しかし、いまは何処にどんな建物があったか想像がつかないほど破壊し尽くされている。
兵士の一人が道端に転がっていた看板を見つけた。黒く焼け焦げた表面にかろうじて“伊”の文字が読み取れた。老舗百貨店の商標だ。彼は言葉もなく周辺に散乱する建物の残骸を眺めた。だが、胸に去来する思いを振り払うように頭を振ると、ふたたび隊列に戻っていった。
各中隊は地雷を除去しながら慎重に進軍を続けていた。
目標は地下鉄の路線に沿って造られた換気塔だ。
市ヶ谷から新宿方面に走る地下鉄は二路線。都営大江戸線、都営新宿線である。第二軍が受け持つのは南側を通る都営新宿線である。破壊された街の中から換気塔を発見するのは困難かと思われたが、意外にも呆気なく見つけ出された。
換気塔の周囲は地雷もなく、瓦礫もきれいに撤去されていたのだ。放射性物質が地下鉄構内に入らないようにフィルターが取り付けられていたから、保守管理しやすいように整地したのだろう。
「これじゃあ、まるで見つけてくれと言っているようなものだな」
「ここいらは放射線の値がとりわけ高いからな。敵が侵入してくるとは夢にも思わなかったんだろうよ。おかげでおれたちは作業がしやすくなって助かったがな」
兵士たちは笑いながら換気塔によじ登り、上部にある通風口を壊しはじめた。
コンクリート壁を破壊するだけでなく、周囲の地盤も陥没させて土砂ごと地下鉄構内を埋めるために大量の爆薬をセットする。兵士たちはかつて国防軍の工兵部隊に所属していたから、この手の作業は手慣れたものだった。地下からの反撃はなかった。爆薬の設置は無事終了し、海上にいる司令部に向けて信号弾が打ち上げられた。
あとは爆破命令を待つばかりである。
第一軍は軍を、本営と左右両部隊の三つに分けていた。
左翼部隊は小舟に分乗して、市ヶ谷を北に臨む高台に上陸した。ここより南側にはホテル・ニューオータニや日枝神社、首相官邸、国会議事堂があったはずだが、地盤沈下により建っていた台地ごと海中に没してしまっている。上陸地点に橋頭堡を築き、武器と弾薬を陸揚げした左翼部隊はすぐさま西に向かい、地下鉄の四ツ谷駅を爆破するための作業を開始した。
右翼部隊もやはり小舟に乗り、神田川を遡った。接岸を妨げる障害物の除去には苦労させられたものの、小さな入り江から上陸することができた。早稲田大学があったあたりらしいが、水没してしまっていまは見る影もない。
「作業が遅れているぞ! 急げ!」
都営大江戸線の換気塔を爆破し、市ヶ谷からの退路を断つ。
第二軍のいる方角から爆破準備完了を告げる信号弾が次々に打ち上げられるのを見て、第一軍右翼部隊の指揮官は焦りを隠せなくなった。
太陽はすでに中天を過ぎている。日没までには爆破を終了させなければならない。国防省本省の地下基地に立て籠もる連中はすでにこちらの意図に気づいているはずだから、作業が遅れれば夜陰にまぎれて逃げられてしまう。
「市ヶ谷の地下基地にいるのは民間人ばかりなんだろう。無抵抗の市民を殺すなんて」
換気塔の中に入って爆薬を仕掛けていた兵士が声をひそめて同僚に話しかけた。
「女子供だって貴重な労働力じゃないか。生かしておけば何かと役に立つだろうに」
「しっ、聞こえるぞ」別の兵士が恐い
最初の兵士は無言で作業に戻った。だが、なおも考えつづけた。軍隊は上意下達だ。上官の命令は絶対である。戦時中の最高司令官は首相だった。国民皆兵制を取っていた日本の国民が国家の統制に従うのは当然だった。義務だった。だが、そうやって自ら考えることを放棄して他人任せにした結果が日本をこんな風にしてしまったのではないか、と。
兵士たちの当惑をよそに作業は順調に進んだ。兵士を叱咤激励していた指揮官は、十分な量の爆薬がセットされたことを確認すると安堵の息をつき、手筈通り信号弾を上げて、完了を宣言した。
陽が地平に接し、西の空が血を流したような紅に染まっている。海もまた
第一軍の本営は港区の沖合に停泊した船上に置かれている。喫水の深い軍船は岸壁近くに寄ることができない。洋上にいるのは陸地の放射線の線量が高いからだ。防護服なしで都心部に留まるのは自殺行為に等しい。
船縁に立った観測班が双眼鏡と目視で信号弾を確認し、船室のテーブルに広げた地図に作業完了を表すマークをつけていく。
市ヶ谷の国防省本省に対する包囲網はじわじわと狭められていく。
シュウの部隊は結局、最後まで抵抗らしい抵抗を見せなかった。このまま地下基地ごと玉砕するつもりなのだろうか。無意味なのは分かっていても、できれば降伏してほしかったが。
赤い夕焼け空を見つめていたユダの前に、作戦参謀が跪いた。
「爆破準備作業、すべて完了致しました」
手を挙げようとして、ユダは一瞬の、そのまた半瞬だけ躊躇った。
シュウの優しげな面差しが脳裏に浮かんだ。彼を殺してしまったら、これから先、自分はもう人としては生きられないだろう。
ユダは自嘲するような笑みを浮かべる。何を言っているのだ。人間として生きるべき自分はとうの昔に死んだ。ここにいるのは魂の抜け殻、生ける死者にすぎない。
「聖帝陛下の御世の
星が瞬きはじめた東の空に、一条の光が尾を曳く。
それを合図に、地響きが同時多発的に起こり、黒煙がそこかしこに立ち昇った。
換気塔が完全に破壊され、地下鉄構内が土砂で埋められたことを確認した各隊はふたたび信号弾を上げて司令部に伝える。
海水の注入作業は大型の発電機と工業用ポンプを使って夜通し行われる。
照光機が煌々と灯るなか、換気塔とは別の、破壊せずにおいた地下鉄の通気口に、吸い上げられた海水が勢いよく流れ込んでいく。地下基地が水没するには何日もかかるだろう。だが、逃げ場がない以上、それはシュウと市民たちが死出の旅に出るまでの猶予期間にすぎないのだ。