あの人はもう死んでしまっただろうか。
ユダは軍船の甲板に立ち、夜の海を見つめていた。
墨を流したような海面は、陸上の投光機の放つ光に照らされて銀色に輝いている。
海水の注入作業をはじめて一週間になる。
内陸からも、海上にそそり立つ廃ビルからも、あの殺伐とした気配は感じられない。生きている人間はもうそこにはいないからだろう。
やはり、シュウは死んでしまったのだ。彼が味わったであろう断末魔の苦しみを思うと、胸をかきむしられる思いだった。シュウを死に追いやったのは自分の弱さだ。サウザーを恐れるあまり、我が身可愛さの一心から、あの人を死神の手に委ねてしまったのだ。
後悔に打ち拉がれていたユダは不意に胸騒ぎを覚えた。
すぐそばに危険が迫っているときに感じる、あの感覚。草むらに身を潜める毒蛇の気配に気づいたときの、あるいは伏兵の存在を察知したときに覚える、あの危機感。
突然、背後に殺気を感じ、うなじの毛が逆立った。
ユダは振り返った。
風を切る音とともに無数の矢が飛来してきた。
「敵襲!」
見張りの兵が叫んだ。
「KING軍だ!」
「なに?!」
兵士は胸に矢を受け、倒れた。ユダはその兵士を抱き起こしながら、慄える指先が指し示すほうを見た。
陸上の投光機によって海の沖合まで薄明るく照らされている。その光のなかに敵の船団が姿を現そうとしていた。
中型だが小回りのきく櫂船群を中心に、無数の小舟が取り巻いている。
船首にひるがえる白い長旗に染め抜かれた真紅の十字。ブラッディ・クロスの紋章。
海面が激しく波立ち、悲鳴と叫喚が上がった。
小舟に分乗していた聖帝軍兵士らが水面から現れた潜水兵に喉を切り裂かれる。海中に引きずり込まれる。海の水がたちまち血の色に染まる。
敵船が槍の穂先のような武器がついた船首をこちらに向け、突き進んでくる。
「錨を上げろ! やつら、体当たりするつもりだぞ!」
海底におろされていた錨が巻き上げられた。
ユダの乗る軍船はなんとか躱したが、後方に続いたもう一隻が遅れた。鋼鉄製の衝角による攻撃こそ受けなかったものの、ぶつかった衝撃で船体に亀裂が入り、甲材が弾け飛んだ。
縄梯子が投げ込まれ、フックが船縁にかかった。KING軍兵士がよじ登って来ようとしている。
「斧を持ってこい! ロープを切れ!」
艦長の怒号が飛ぶ。兵士が縄梯子の綱を切断した。船縁にいましも手をかけようとしていた敵兵士が海に落下していく。
しかし、KING軍兵士らは巨象に群がる蟻のごとく、聖帝軍の軍船に取りつき、乗り込んできた。
戦闘は奇襲を仕掛けたKING軍による一方的な虐殺となった。男たちは各々が武器をふるい、原始以来の血への渇望を満たしていた。
顔に隈取りをした男が身の丈ほどもある巨大な金棒を振り回した。聖帝軍兵士が頭蓋骨を割られ、脳漿をまき散らす。脊髄を砕かれた兵士が甲板を這って逃げようとする。その身体を踏みつけにして仁王立ちした隈取り男は高笑いした。
「いやっはあ! 祭りじゃ、祭りじゃあ!」
その傍らでは、痩身の若い男が手の甲から長く突き出た鉄爪で聖帝軍兵士の身体を切り裂いている。
「聖帝軍ども覚悟しろや。地獄のデスメタル、たっぷり聴かせてやっからよ」
小学校から一緒だった二人はKING軍の名コンビだ。隈取りをしている大男がダイヤことヤマムラ・タカシ、鉄爪をつけた細身のほうがクラブことシマタニ・コウヘイである。
高校時代はヘヴィメタ・バンドを組んでいた二人だった。戦時統制下の息苦しさのなか、彼らは全ての情熱を音楽にぶつけた。しかし、卒業と同時に徴兵される身では、ロック・スターになりたいという願いも見果てぬ夢でしかなかった。
それでも諦めきれなかった二人は核戦争を生き延びると、関東制覇を目指すKING軍に入り、武術の鍛錬を積むことで地歩を固めた。
KINGが関東を統一したあかつきにはヘヴィメタ・バンドを再結成し、野外大コンサートを開催するのだ。二人とも、戦争によって奪われた青春の夢を利息をつけて取り返してやるつもりだった。
「あのJリーガーもこっちに来ればよかったのになあ」
ダイヤが金棒をフルスイングする。聖帝軍兵士の頭部がもげ、ホームラン・ボールよろしくすっ飛んでいく。甲板上の敵はあらかた死体となって足元に転がっていた。クラブも鉄爪についた血を舐めた。
「あの人、KINGの名代だって張り切ってたじゃん。あっちはあっちで盛り上がってんじゃないの」
彼らが話題にしているのはKING軍四天王のリーダー、スペードのことである。
スペードはいま北関東東部で、KING軍の主将として東方衆に加勢し、拳王軍と戦っている最中だった。
KING軍には野球やサッカー、バスケットボールといったいくつかのスポーツ・チームがあった。兵士たちの有志が作ったものだが、KINGもそれを容認していた。息抜きになるだけでなく、ともすればバラバラになりがちな兵士同士の結束を固めるために大いに役立っていたからだ。
サッカー・チームでのスペードの活躍ぶりはきわだっていた。彼は攻撃の要であり、有能な司令塔だった。
平和な時代だったら、おれはJリーグで活躍していたはずなんだ、というスペードの言葉は自信過剰の自惚れとは思われなかった。スポーツ選手たちも多くの若者と同じく、夢を諦め、戦争に全てを捧げることを強いられていたのだ。スペードもやり場のないその怒りを今回の戦いで存分に発散させていることだろう。
ほとんどの敵をなぎ倒したダイヤは船縁に寄りかかって聖帝軍兵士の死体を足蹴にした。
「にしても手応えのねえ連中だったな。これでKING軍と肩を並べるつもりだったなんてお笑い草だよな」
「こいつらが弱いんじゃなくて、おれたちが強すぎなんだっつーの。We are No.1!」
人差し指を突き立てる相棒の言葉に、ダイヤは身を仰け反らして大笑いした。
「ちがいねーや」
「くたばりやがれ!」
死体だと思っていた聖帝軍兵士の一人がやにわに立ち上がり、ダイヤに体当たりした。頭と肩からおびただしい血を流していたが、まだ息があったのだ。
「わ、わ、わ、わあああ!」
ふんぞり返っていたダイヤはバランスを崩し、もんどり打って海に転がり落ちた。
盛大な水柱が上がった。
「タカちゃん!」
クラブは船縁から海をのぞき込んだ。ダイヤは水中であっぷあっぷしている。
「
「タカちゃんッ! てめえ、よくもやりやがったな!」
クラブは振り向きざま、ダイヤを突き落とした兵士を短冊切りにしてやった。ふたたび、海面を見る。船で急ぎ漕ぎ寄せたKING軍兵士が熊手でダイヤをたぐり寄せようとしている。
ほっとしたのもつかの間、今度はクラブ自身が別の兵士に蹴り飛ばされ、海に転落した。
「あ~れ~ェ」
派手な水しぶきが上がる。クラブは手の甲につけた鉄の爪が邪魔で上手く泳げない。それでも浮かんでいた板切れを見つけると、爪を打ちつけて引き寄せ、しがみついた。
僚艦が軍隊アリのような敵の軍勢にむさぼり食われていくさまを、ユダは呆然と眺めていた。
KING軍の軍船は、聖帝軍を半包囲するように東京湾の北と東側に展開している。
荒川、隅田川流域はもともと海抜が1メートルにも満たない地域だ。
喫水の深い大型船は座礁しないように水先案内人を乗せ、水深の深いかつての荒川、隅田川流域を航行する。
視界のきかない夜間にもかかわらず、晴海埠頭のあった海域まで漕ぎ寄せてきたところを見ると、敵は浅瀬や海中に沈んでいる建物の位置を正確に把握した熟練の水先案内人を乗せているにちがいない。
船頭の技倆も高いのだろう。櫂と舵を巧みに使い、東京港湾を我が庭であるかのように軍船を操っている。
操船技術がまるで違う、とユダは歯噛みした。
海戦ではKING軍に
北関東の東部は利根川の下流域と霞ヶ浦がひとつにつながり、大きな内海となっている。KING軍と東方衆は同盟を結ぶまでは海を挟んで睨み合い、兵船を繰り出しては互いに海岸線を劫掠していたのだ。
いまは引き潮の時間だった。潮流は南に向かっている。
東京湾には湾内を周回する大きな潮の流れがある。夏は反時計回り、冬はその逆だ。季節風の影響によるものだが、夏以外の季節がなくなった現在では反時計回りの潮流しかない。KING軍はその流れを利用して押し寄せ、聖帝軍の軍船を海岸線に追いつめてきた。
大きな衝撃音がしてユダの乗る軍船が激しく揺れた。海中のビルにぶつかり、座礁したのだ。ユダはかろうじて踏みこらえたが、兵士のなかには甲板を転がり、そのまま海に落ちる者もいた。
敵の旗艦らしき船が迫ってくる。
舳先に白い軍服の男が立っていた。
海風に吹き流される金色の長い髪、夜目にも
関東を支配する三人の王の一人にしてサザンクロス・タウンの統治者・シンがそこにいた。
衝突の直前、KING軍の旗艦が右に舵を切った。
船腹同士が激突し、ふたたび軍船が大きく揺れた。
シンが船縁から跳躍し、飛び移ってきた。
ふたつの軍船のあいだに踏み板が渡され、敵の兵士が続々と乗り込んでくる。聖帝軍側も応戦し、至るところで死闘がはじまった。それぞれの兵士たちが刀で斬り、槍で貫き、棍棒で脳天を粉砕する。
シンは片手を振った。
「主将以外はすべて殺せ」
「シン!」
「久しぶりだな、サウザーの犬」
ユダに向き直ったシンは女のような美貌に冷笑を浮かべ、あからさまな侮蔑を隠そうともしない。二人は士官学校の同期だが、仲がよかったわけではない。むしろ互いに嫌忌していたようなところがあった。
「なぜ、お前がここにいる。拳王軍と戦っていたはずではなかったのか」
「もっといいものが手に入ることになったのでな。向こうは部下に任せることにしたんだよ」
「いいもの?」
シンはにやりと笑うと、質問には答えず斬りかかってきた。
紅い髪が数本、宙に舞う。
後方に跳びすさったユダはマントを脱ぎ捨て、シンに投げつけた。布地を大きく切り裂き、シンが突進してくる。
鋭い手刀が喉を狙い、それを躱すや、脚を高く跳ね上げ、鳩尾を蹴りつけようとする。
穿掌や削掌といった手法(突き技)や長距離攻撃の真空刃を中心とする紅鶴拳に対し、孤鷲拳は手法と腿法(蹴り技)の両方を使う。接近戦を得意とする孤鷲拳の懐に入り込まないためにも距離を取って戦いたいが、狭い船上ではそれも叶わない。
ユダは真空刃を放った。
回避したシンが着地する地点を狙って、射程の長い真空刃を放つ。シンはふたたび跳躍して躱す。不運にも攻撃線上にいたKING軍兵士の身体が縦に裂ける。
ユダは反撃に転じたが、シンは船縁、屋形、帆柱と次々に蹴り、ことごとく回避する。
鷲が舞い降りるような動きで目の前に立ったシンは身を捻り、ユダの側頭部を横蹴りしようとした。跳躍に反転を加えた旋風脚だ。
両手を十字に組んで受け止めたユダはシンの足首をつかみ、ハンマー投げの要領で投げ飛ばした。
シンは軍船の屋形に突っ込み、木材が舞い上がった。
壁の残がいのなかから身を起こしたシンはこめかみを拭うと、手についた血を舐め、笑った。
「サウザーの慰み者に甘んじているわりにはやるじゃないか」
クラブは木片にすがって海面を漂流していた。そこへダイヤの乗る船が漕ぎ寄せてきた。
「コウヘイ! 大丈夫か」
掴まれ、と言いながらダイヤが櫂を差し出す。しかし、クラブは気づかなかった。彼の目は船上で繰り広げられる主将同士の戦いに釘付けになっている。
「南斗聖拳……まじですげえ」
怪我を負ったことでシンはかえって戦意を高ぶらせたようだった。
美しい顔に彼の本性であろう残忍な笑いをたたえて歩み寄ってくる。
足もとに落ちていた刀剣をつま先で跳ね上げると、回し蹴りしてユダの顔面めがけて投げつけてきた。咄嗟に躱すも一瞬、シンの姿を見失う。耳もとを薙ぐ疾風を感じた。
肩越しに跳躍し背後を取ったシンは、ユダの首に腕を回し、絞め上げた。
「ぐ……ッ」
「サトミ・ヨシヒロを知っているか?」
ぎりぎりと喉を扼しながら、シンは言った。
「戦国時代の安房の武将だよ。そいつは敵方に奪われたかつての許嫁を海を渡って取り戻したんそうだ。お前をおれの城に連れ去ったら、サウザーのやつも海を越えてお前を奪い返しにくるんじゃないのか」
「……!」
KING軍の攻撃で腑に落ちないことがひとつだけあった。
火攻めを仕掛ければ簡単にケリがついたはずなのだ。本気でこちらを殲滅させる気ならば。そうしなかった理由がようやく分かった。シンはこの自分を生け捕りにしてサザンクロス・タウンに連行するつもりなのだ。
気道絞めをかけられているユダはまともに息も継げない。あと少し力を籠められたら失神するだろう。そうしないのはシンの悪意だ。ユダをいたぶって遊んでいるのだ。
「サウザーが……どうしておれを奪い返そうとするんだ。あの人はそんなことのためには動かないぞ」
「どうかな。あいつだったら、お前を奪還するために海を渡って戦いを挑むくらいやってのけるだろうよ」
「そんなことはない。あの人がおれのためにそこまでするものか」
「おれには、あいつが血相を変えて追ってくるさまが目に浮かぶようだがな」
「お前、さっきから何故そんなことばかり言って……」
「本当に分からないのか? ふん、気づかぬのは本人ばかりなり、か。サウザーも気の毒に」
シンはやや鼻白んだようだった。
聖帝軍第二軍の司令官ハイダルも同じ事を言っていた。ダガールもコマクも、サウザーの親衛隊すら気づいていることだった。誰もが知っていながら口に出すのを躊躇っていることだった。あの聖帝が誰かを愛するということがあるのだろうかと。理解していないのはユダだけだった。だが、サウザーの愛を信じるには彼の扱いは苛酷すぎた。ユダはもう誰の愛情も信じられなくなっていたのだ。
「……ダ!」
遠くから、かすかに自分の名をよぶ声が聞こえてきた。
ユダは首を巡らせる。空耳でない証拠に、潮風に乗って届く声は今度ははっきり聞き取れた。
「ユダ!」
内陸に設置された照光機によって海面が真昼のように輝いている。
海上はKING軍の船で埋め尽くされていた。
そのひとつに目を留め、ユダは瞳を瞠った。
200メートルと離れていない場所に浮かんでいる船の上に男が立っている。国防軍の作業服に身を包んだその男の端整な顔には凄まじい傷跡が刻まれていた。
「シュウ……!」
船縁から身を乗り出すようにしているシュウはユダに手を差し伸べ、叫んでいた。
「早くこっちへ……一緒に行こう!」
ずっと北の方角、上野の岬があるあたりにも漁り火のような無数の光があった。ちらちらと移ろう光は、舳先に松明を掲げた大きな船影を取り囲んでいる。櫂船に乗り込もうとしている民間人のようだった。
シュウを見つめているシンの目には勝ち誇ったような輝きがあった。
そうか。そういうことか。国防省の地下基地を攻め滅ぼす最終段階になってKING軍が現れた理由はこれか。シュウと市民たちを脱出させるための陽動だったのだ。
「シュウは市民の保護と引き替えに、おれに臣従することを誓ったのさ」
シュウは、サウザーが武蔵野台地に進出しはじめたときから、このような日が来ることを予期していたのだ。シンもまた、いずれの戦国の雄たちにも劣らぬほど冷酷非情な人間だ。信用ならないことは先刻承知だろう。しかし、サウザーやラオウと敵対し、逃れうる先がサザンクロス・タウンしかない以上、シンの軍門に下ることはシュウにとって、やむを得ない選択だったのだ。
「市民の保護だって? お前にそんな慈悲心があったとはな。愕きだよ」
「おれはあんな連中には興味はない。だが、ユリアが彼らをほしがるんだよ。奴隷ではなく、自由民として自治を与え、一定の権利を認めてやってほしいとな。ふふ、優しい女だ」
非人間的なまでに冷ややかなシンの顔に暖かみのある表情が浮かんだ。
シンは婚約者がいた女に横恋慕し、力ずくで奪い取った。連れ合いの男は殺されたか、荒野でのたれ死んだかしたらしい。
ラオウすらも魅了したその女は見目麗しいだけでなく、心映えの美しさでも有名だった。自らは悲劇的な境遇にありながら、周囲の人間たちには慈愛を尽くし、生きた女神のように崇拝されているという。シンが短期間で房総半島を統一できたのも、ひとつには彼女の持つカリスマ性もあったのだ。
シンはユリアを溺愛している。サザンクロス・タウンを築いたのも彼女を女王にしたいがためのものだった。
しかしユリアに向けられた優しげな表情もユダを見たとき、邪悪なものに変化した。シンはユダを後ろ抱きにしたまま、耳もとでささやいた。
「だが、お前のことはおれ個人の玩具として取っておくつもりだ。サウザーを虜にしたお前の味、おれも堪能させてもらうとしよう」
ユリアには望むべくもない獣欲をユダで満たそうというのだろう。
「さあ、お喋りはここまでだ。お前もおれと来るんだ」
シンはユダの首に回した腕に力を籠め、一息に気絶させようとした。
「うう……」
意識を失う寸前のユダの耳に、切れ切れの声が聞こえてきた。ユダを呼ぶシュウの声だ。
「一緒に来なさい……私たちとともに」
脳裏に、シュウの部隊に配属されていた頃の唯一穏やかだった日々の記憶が甦った。彼の手を取ることが出来たら、どれほどよかっただろう。
ユダの視界が涙で霞んだ。
いいえ、シュウ。おれはあなたとは行けません。あなたと一緒に生きることはできないんです。
最後の力を振り絞ってシンの腕に爪を立てた。刃物と同等の切れ味を持つ指先に切り裂かれ、血が吹き出す。シンは思わず手を離した。
拘束を振り解いたユダは甲板を走り、KING軍の旗艦と接舷しているのとは反対側の右舷から海に身を投じた。
「しまった!」
船縁に駆け寄ったシンは傷口を押さえながら海面をのぞき込んだ。
そこへ
味方の軍船が攻撃を受けていることに気づいた聖帝軍の陸上部隊が救援にかけつけてきたのだ。
ユダは配下の者らによって船上に引き上げられている。
シンは舌打ちし、船縁を叩いた。聖帝軍は体勢を立て直しつつある。深追いすれば思わぬ反撃を受けるかもしれない。
視線を旗艦のほうへ向ける。
舷側から下ろされた縄梯子を使って、顔に幾条もの傷をつけた男が登ってくる。KING軍の兵士が手を貸して甲板に降り立たせる。ラオウやサウザーですら屈服させることができなかった男だ。自分には必要ない人間だが、ユリアは喜ぶだろう。
望みのものは手に入れた。もはや長居は無用だ。
「兵を退け! 撤収だ!」
KING軍は一斉に退きはじめる。
シンの乗る旗艦は踏み板を引き揚げ、聖帝軍の軍船から離れた。
主力である櫂船も、兵士たちを分乗させた小舟も櫓走しながら沖へと遠ざかる。
十分な距離をとったことを確認したシンはさらなる命令を下した。
「火を放て! 聖帝軍の船を残らず海の藻屑にしてしまうのだ」
KING軍の舷側から火箭のみならず、投石機を使って手製の爆火薬が撃ち込まれた。ギリシア火ともよばれる、ナフサや硫黄を混合させて作った強燃性の焼夷弾だ。
聖帝軍の軍船はたちまち猛火につつまれた。甲板上にいた兵士が火だるまになって海に飛び込んでいる。
敵船が焼き沈められるさまを満足げに眺めていたシンは、傍らに立っているシュウが非難するような眼差しを向けていることに気づいた。
「おれを責めるか、シュウ? だが、お前たちの命運を握っているのはこのおれだ。そのことを忘れるなよ」
シュウは唇を引き結んでいる。たとえユリアの庇護があろうと、亡命者たちの前途は明るいものではないだろう。こぶしを握り締める男に背を向けると、シンは高らかな笑い声を響かせた。