夜空を覆い尽くす真っ赤なオーロラ。それはこの世が滅びる最初の前兆だった。
世界を破滅させたのは迎撃に成功したはずの一発の核弾頭、そして各国が導入していた人工知能を搭載した戦略防衛システムだった。
第三次世界大戦の震源地は東南アジアだった。
南シナ海の領有権をめぐる中国と東アジア条約機構(EATO)の紛争は次第に激化し、ついに全面戦争に突入した。それぞれと同盟関係にあった超大国のうちロシアは中国に、アメリカは東アジア条約機構に味方して参戦した。
中国が東南アジアとの戦争にかかりきりになったこの機に、圧制に苦しむチベット族、ウイグル族が自治区の独立を宣言。さらにロシアと緊密な関係を結んでいたアフガニスタン、イランがアメリカの同盟国に対して宣戦を布告、戦域は中央アジアへと拡大した。そして中東とヨーロッパ、アフリカ諸国が戦争に加わったとき、この地上に逃げ場はなくなった。
戦争を始めるのは簡単だが、終わらせるのは容易ではない。
しかも、ほとんどの陣営がこの戦争に参加していたために仲裁しうる立場にあるものがいなかったのだ。戦いは十年を経過してもなお、終息の気配を見せなかった。
国内の少数民族の独立、石油資源の枯渇、集団指導体制の崩壊によって中国は分裂の危機を迎えていた。主導権を握る北京に対して、上海を中心とする南京軍区、広州を中心とする広州軍区が自立の動きを見せてはじめていた。このうち、広州軍区は欧州の仲介で東アジア条約機構と連携する道を選択し、水面下での交渉を開始していた。
中国・北京軍は劣勢を挽回するために東アジア条約機構の本部があるヴェトナムのハノイに向け、核弾頭を搭載した中距離弾道ミサイルを発射した。退勢を覆し得ない以上、そのスイッチを押すことに何の躊躇いもなかった。
この動きはただちに偵察衛星に捕捉され、東アジア条約機構軍からも迎撃ミサイルが発射された。
迎撃には成功した。しかし、このときミサイルに組み込まれていた近接信管が作動、中国・ヴェトナム国境の上空300キロの地点で核爆発が起きた。
赤いオーロラは、核爆発で生じた強烈な放射線によって大気中の酸素原子が励起され、発生したものだった。
高エネルギーのX線が低軌道を周回する衛星を襲い、大電流・高電圧を発生させて内部の電子回路を焼き切った。そればかりではない。放出された荷電粒子は地球の磁場を変化させ、電離層と地表のあいだに電場の波をつくった。電場の揺らぎは地球全体に伝わり、陸上と海底のケーブル内に電位差を生じさせて大きなダメージを与えた。この結果、世界規模で電力・通信の障害が発生した。
このとき人類にとって災いだったのは、戦争遂行を円滑ならしめるために開発された自律思考型の戦略防衛システムが独立した指揮命令系統を持っていたことだった。
戦略コンピューターは入力が断たれたことで参謀司令部が全滅したと判断。このような状況に置かれたときの至上命令、すなわち敵国に対する全面報復を即座に決定。戦略・戦術核をはじめとする攻撃管制システムを掌握し、敵国民をより迅速に、より効率的に殲滅するための行動を計算、実行した。この動きは瞬く間に全世界に連鎖した。
戦略コンピューターが
人類が破滅する最後の数十分は人間ではなく、コンピューターによる戦いだった。
地上にいた生き物で、この災厄から逃れ得たものはいなかった。
それは地球史における、オルドビス紀、デボン紀、ペルム紀、三畳紀、白亜紀に続く六度目の――おそらく人類による最初で最後の――生物の大絶滅だった。
人類もその多くが生き残れなかった。核攻撃の開始があまりに突然で、逃げ延びることができなかったのだ。地平線上に急膨張する大火球を見た次の瞬間、彼らの肉体はこの世から消え失せていた。
わずかばかりの人々が難を逃れ、地下の核シェルターに身を寄せていた。
現代版のノアの方舟のなかで人々は不安と恐怖に怯えた。通信が途絶した状態では地上がどうなってしまったのか知る術もなかった。
勇気を奮い起こして地上に出た人々が見たのは激変した世界だった。
山は消し飛び、地は裂け、人類が営々と築き上げてきたすべてのものが炎に包まれていた。
生存のための絶望的な闘いが始まった。
自給自足の設備を有した軍の施設とは違い、民間の簡易シェルターでは避難生活にも限界があった。国家そのものが消滅していたために救援の手が差し伸べられる可能性はゼロに等しかった。
食料を得るためには地上に耕作地を求めなければならなかった。しかし、放射性物質による汚染がひどく、土壌の多くは農業に適さなくなっていた。水を手に入れるためには地下深くから濾過装置を透して汲み上げなければならなかった。
追いつめられた人々はついに野獣と化して同胞を襲った。人間が人間を食らう凄まじい世の中だった。
荒廃した世界で一人の男が覇者としての名乗りを上げた。
第三次世界大戦において激戦が繰り広げられた沖縄で、中国軍を相手に戦った英傑ラオウである。彼は拳王を名乗り、新しい秩序を樹立するための征戦を開始した。
「地獄道、餓鬼道、修羅道が同時に現出したこの世界に必要なのは菩薩ではない。羅刹であり、夜叉であり、魔王なのだ。おれはこれより羅刹の王となってこの乱世を平定する」
かつて志をともにした盟友の挙兵に、同じ陸軍将校であったサウザーの瞳は燃え輝いた。
「来るかラオウ。ならば、おれも断を下さなければなるまい」
彼がそう独りごちて不敵な笑みを浮かべたのは、関東・東海を統轄する東部方面軍総監部が置かれていた相模原の地下基地である。サウザーが生き残ることが出来たのは彼が軍人であり、国民より先に非常事態の発生を知り得たからだった。
同じ基地勤務で少尉となっていたユダはサウザーと行動をともにしていた。
サウザーと出会い、彼の庇護を受けるようになってから三年が経っていた。当時、憲兵少佐だったサウザーは累進を重ね、師団司令部附高級副官となり、このときは副旅団長の大佐となっていた。そして旅団長である准将が死亡していたために、彼が実質的な指揮官となっていたのだ。
サウザーが率いる旅団は叛乱を起こし、基地の中枢を占拠すると、東部方面軍総監のノダ少将を殺害し、残りの幹部たちに服従か死のいずれかを強いた。
それを知ってサウザーのもとを訪ねてきた者がいた。東部方面軍で兵站を担当する後方支援群の大隊長であったシュウである。彼はサウザーの士官学校の同期だった。
シュウの端整な顔は包帯でおおわれていた。ある事件にからんで自ら両眼を
「お前が少将を殺害したことはいまさら咎めても仕方ないことだ」
会議室に通されたシュウは着席するなり、そう切り出した。
「だが、我々は今後のことを考えなければならない。なんとしても戦後の復興を図らなければならないのだ。さいわい、基地には備蓄されている物資がある。それらを民間人に供出し、一人でも多く彼らを救うべきだ」
「ばかばかしい。連中を救ってやる必要などどこにある。どうしても生かしたいというのなら奴隷としてのみ生かしてやればよかろう」
「何を言っているのだ。軍人には民間人を保護する義務があるのだぞ。お前はこの国が民主主義国家だということを忘れたのか」
聞くや否やサウザーは笑い出した。
「民主主義が拠って立つべき国家など、もはや存在しない。人間同士が殺し合い、その死骸をむさぼり食うこの地獄に、きさまはまだ民主主義などという
「そして、その絶対君主にお前自身がなろうというのか、サウザー」
「その資格がある者がその座に就くというだけだ」
サウザーは一言下に言い捨てると、シュウにただちに基地から退去するよう求めた。力ずくでも彼を止めようとするシュウの前にユダが立ちはだかった。
「ユダ。お前も彼とともに血塗られた道を行くというのか」
シュウの声には悲痛な響きがあり、ユダは拳を振るうことを躊躇った。ユダは士官学校時代、隊附きの曹長として、数ヶ月だけだが彼の下にいたことがあった。そのときから穏和で面倒見のいいシュウを慕っていたのだ。
「中佐。たぶん、あなたが正しいのだと思う。でも、おれはサウザーの
「彼と行けばお前も死ぬことになるぞ」
「かまいません。どのみち、おれの命はあの人の物ですから。あの人の望みのままに生き、望みのままに死にます」
このとき、シュウの両目は包帯に隠されていて見えなかった。しかし、彼はきっと哀しみに満ちた表情を浮かべているに違いないと思った。それを見てもなおサウザーを選べただろうか。ユダは首を振り、すべての迷いを断ち切るように構えを取った。
「あなたを殺したくありません。黙ってここを去ってください」
統率するべき部隊を持つシュウは自らの力で民間人を救助するために基地を出ていった。
彼を見送りながら、ユダは目に涙が滲んでくるのを感じた。
他者への愛、同情心、人の痛みを我が身に置き換えて考えること。人間を善良な存在たらしめているもの。この悪夢のような世界にあっても、シュウはそういったものを捨て去ろうとしない。ユダはシュウをどれだけ慕っていたのか気づかされた。ユダはこの瞬間、自ら彼に背を向けてしまったのだ。
司令官室でサウザーが待っていた。ユダに手を差し延べる。
たとえ、たどり着く先が地獄だとしても自分はこの人と行くしかない。
ユダはサウザーの首に両腕を回し、サウザーはユダを抱き締めた。
「おれにはもう、あなたしかいない。あなたの作る新世界におれも連れていってくださいますね」
「ああ。お前に輝かしい未来を見せてやる」
サウザーはその後、自らを聖帝と称し、廃墟と化した相模原市に新都の建設を開始した。彼は巨大な戦車に乗り、帝国内をくまなく巡幸した。そして、その傍らにはつねに紅い髪の青年の姿があった。
参考文献
日経サイエンス 2004年10月号「ハイテク社会を揺るがす宇宙からの核攻撃」