Twins Knight Saga ~双子の勇者の転生戦記~ 作:破戒僧
その日の夕方、
宿場に戻ったイオンは、その日あったことをアイクに報告していた。
町の雰囲気や売っているもの……そしてもちろん、そこで見た『あの男』の愚行まで、残らずである。
ちなみにミリスは、机仕事とやらのため、奥の部屋で1人になっている。呼ぼうかとも思ったが、仕事の邪魔をするのも悪いと思い、後で改めて説明することにしたのだ。
アイクは現在、ソファに腰掛け、ルームサービス(迎賓のため無料)のアイスティーを飲みながら、無駄に優雅に話を聞いている。
まあ、本来上流階級の生まれであるアイクであるから、普通と言えば普通なのだが。
「なるほど……な……」
イオンから大方の事情を聴いたアイクは、カップのお茶の表面に立つ波紋を眺めながら、珍しく思慮にふけるような面持ちで呟いた。やはりこのあたりには、兄の威厳にも似たものが感じられる。
「つまりお前は、既にハガレンの技までも使いこなせるようになってたわけか」
前言撤回。
「突っ込みませんよ」
反対側のソファに座っているイオンからの、冷めた一言。
「冗談だ冗談。そんで、そのゴボウのことだけどな」
「ブボウね」
「どっちでもいい。とにかく、予想以上に外道だったってわけだ、そいつは」
「ええ……」
同じ顔の2人が、同じように顎に手を当てて思考の構えをとる。さすが双子。
「何にしても、そいつの更迭も俺らの役目の1つだ。そんだけ外道でいてくれるんなら、こっちも逆にやりやすいってもんだぜ」
ここに来て、アイクの正義感に火がついたらしい。その双眸に、主人公のごとき輝きが宿っていた。覗き込んだら炎が見えるかもしれない。
「そうですね。ブボウは各方面にもそれなりのパイプをもっているようですが……」
「『純系』の地位を利用したもんだろ? そんなもん奴が失脚すればどうとでもなる」
「ですね。もし何か面倒が起きたら、その都度対処しましょう」
丁度イオンがそれを言った時、部屋に来てすぐに頼んだルームサービスの到着を知らせるドアベルが鳴った。
☆
その翌日のこと。
今日はイオンと代わって、アイクが町を見て回る番だった。
市場を見て回ったことにおけるフィクション世界的な感想は、まあ……イオンと同じであるために割愛させていただく。
特筆するならば、やはりというか、アイクはイオンに比べてはしゃぎようが大きかった。
童心を忘れていないアイクだからこそだろうが、こういったファンタジックなものの数々を目の前に、困惑をしつつも純粋に楽しむことができると言うのは、状況にもよるが長所だ。
オッド達からの選別や村にいたころ、荷馬車の護衛や山賊の残党狩り(懸賞金付き)で稼いだこともあり、懐には多少の余裕もある。アイクは買い物買い食いも楽しんでいた。
もっとも、豪遊できるほどではないので、そこはさすがに限度を考えていたが。ここで過度に羽目を外さないあたりは、英才教育の成果が出ていると言えよう。
その途中、視点を変えて町を回ってみるために、裏路地に入った時のことである。
☆
「「「すいませんでした―――――っ!!」」」
そんな情けない悲鳴とともに、逃げて行くチンピラ達。
腕組みをしたアイクの視界から、一刻も早く逃げようと必死である。
その後ろから、
「い、いや~……助かったよ君。どこの誰だかは知らないが、ありがとう」
そう、見た感じかなり裕福そうな身なりの、妙齢の男性が声をかけた。
「ああ、いえ、たまたま通りがかっただけですから」
どういう状況かというと、つい今しがたここを通りがかったアイクが、チンピラに絡まれているこの男性を発見したため、暇つぶしに助けたのである。
金目当てだったらしい連中はそこそこ腕に覚えがあるらしく、男性の雇ったボディーガードらしき若者たち数人を軽々殴り倒していたが、さすがにアイクにはまるでかなわなかった。気絶しない程度にしたたかに殴られ、蹴られ、数秒で負け犬である。
それによって救われた金持ちの男は、えらく安堵した表情を見せていた。
「いや~……どうなるかと思ったよ……。くそっ、あいつらめ……雇う時には強いだの何だのと豪語した割に、この程度とは! やはり傭兵は事前に手配しておくべきだった!」
どうやら、腕が立ちそうなのを行き当たりばったりで雇って護衛にしていたようだ。
ちなみにその元・護衛の男たちは、ほとんどが雇い主を見捨ててすでに逃げだしていた。男は悪態をつき、金を後払いにしてよかった、と吐き捨てる。
「しかし、君は強いなあ……あんな動きができる人間は、初めて見たよ」
と、ほめちぎると……ふと思いついたように言った。
「そうだ、君……今から私のボディーガードを務めてくれないか?」
「? 俺が……っスか?」
「ああ、私はこれからここを通っていくつか行く場所があるんだが、いかんせんこのとおり裏道は治安があまり良くない。しかし、君ぐらい強い護衛がいれば安心だ!」
金なら出そう、と言って、アイクを勧誘する。
アイクは少し迷ったが、これから特に予定もないこと、そして元々自分は裏道を回る予定だったことを考えて、それを承諾した。
男はえらく喜んで、前金だ、といって銀貨を5枚アイクに握らせた。
(へぇ……気前いいじゃん)
よほど自分の腕前を買っているのだろう、とアイクは推測した。
今まで気にかける機会が少なかったが、この世界では通貨として『ドル』が流通していた。それも、現実世界のアメリカドルと、価値は同等のようだ。
違うのは、この世界には紙幣が存在せず、銅貨・銀貨・金貨の3種類の貨幣が存在することだ。まあ、多額の金の取引の時に使う小切手のようなものはあるようだが、大概は金貨銀貨を直に財布に入れ、じゃらじゃらと鳴らして歩く古いやり方。
貴金属そのものであるため、相場による多少の価値の上下はあるものの、換算して銅貨は1枚1ドル、銀貨は50ドル、金貨は1000ドルほどだった。
どうやら合金のようで、表面を専用の『術』でコーティングしてあり、頑丈な上、摩耗による質量の減少という硬貨最大の弱点が心配ないらしい。しかも、かなり薄く、それでいて細工が丁寧だ。これも術によるものとのことだ。
今回、男が提示してきた金額は、前金で銀貨5枚。依頼完了でさらに15枚。
合計で銀貨20枚……すなわち、1000ドル。日本円でおよそ10万円だ(あと、ついでにそれらをしまうための小さな布袋もつけてくれた)。
相場がわからないが……まあ、悪くない金額だとアイクは判断した。日給10万円のバイトだと思えば、それはもう好条件である。まあ、仕事の内容はやや物騒ではあるが。
1日にも満たない間であるが、晴れて男の護衛となったアイクは、従者数人を従えた男とともに、裏路地を歩いて行った。
途中、似たような連中に数回からまれた。まあ、このスラム一歩手前の状態の『裏通り』で、こんな絢爛豪華な服を着た金持ち丸出しの男を見かければ、それはもうガラの悪い奴らは襲うかどうか迷うはずもない。
……まあ、その後で例外なくアイクの鉄拳制裁に沈む羽目になったのだが。
そのたびにご機嫌な男から拍手をもらいつつ、一行は目的地に着いた。
「……何すか、ここ?」
「ああ、ここは孤児院だよ。まあ、なにぶん古いからな……一目ではわからないか」
アイクを雇った男は、目的地の建物に着くなりそう説明した。
(孤児院……ここがか?)
アイクの目の前にあったのは……かなり古い、解体中の廃ビルと言われても信じてしまいそうな建物だった。雇い主が大声を出して家の住人を呼んでいる間に、アイクはその建物のあちこちを見回してみた。
石製らしく、そこそこ頑丈そうではある。庭には銅像らしきものも立っているし、彫刻と思しき石細工も、所々に見られた。昔は……こんなに老朽化する前は、さぞかし立派で美しい建物だったのだろう。が……今、残念ながらその面影はない。
石壁の所々にひびが入っていて、殴ったら崩れてしまいそうだ。外壁表面は長年雨風にさらされた影響で風化が進み、彫刻は削れて消え、崩れている部分すらある。庭は草ぼうぼうの荒れ放題で、銅像にはよくわからない植物のツタが絡みついている。
……何というか、とても子供を育てるにふさわしい環境……とは言いづらい。
そして何より印象的なのは……外壁表面の、明らかに風化とは違う何かの『凹凸』があることだ。まるで、そこについていた装飾か何かをはがしたかのような痕跡。
銅像のツタを見て小1の時のアサガオの観察思い出したとか、この建物耐震強度どうなってんだろとか、頭に浮かんだどうでもいい疑問のうちで、ひと際アイクが気になっているのがその『凹凸』だった。
考えていると、奥から1人の人影が近づいてくるのをアイクは見た。
……いや、1人ではない。その後ろに、一緒に数人ついてきている。それは……
「ごきげんよう、先生」
「これはどうも。今日は何でしょうか、バリゲ卿」
奥から出てきたのは、齢60は超えているであろう老女。その後ろには……下は小学校低学年から、上はアイクより少し年下といった程度まで、さまざまな年齢の子供たち。数えるほど多くはない。……男子3人、女子4人……合計7人だ。
身なりはみんな同じような服装。個々が孤児院だということを踏まえて考えれば……彼らがここで生活している子供たちだということが容易に想像できた。
しかし……
(何だろうな……このミョーな雰囲気は……?)
不安感というか何というか、決してよくはない雰囲気が漂っている。雇い主の男―――バリゲ卿と呼ばれていた―――の来訪と無関係というわけではなさそうだ。
それも気にせず、バリゲ卿は、自らが『先生』と呼んだ老女に対し、単刀直入に用件を話し始めた。
「急な話で申し訳ないのですが……この度、私どものところから、この孤児院への資金援助を取りやめさせていただくことになりました」
「…………!」
無機質な調子で男が言ったその言葉に、老女の表情が目に見えてこわばり、そして悲痛なそれになった。子供達もまた然り。
容易に想像がつく。おそらく、『資金援助を打ち切る』ということが、この孤児院の経営存続に関わることなのだろう。
見た目一発で経済的に状況が芳しくないとわかるこの孤児院のこと、かなり経営は苦しいはずだ。似たようなケースをいくつも見てきたアイクにはわかる。この男からの資金援助とやらで、どうにかこうにかやっていると見てよさそうだ。
「そ、そんな……何とかならないのですか? 今援助を止められたら、この院は……」
「申し訳ありません。ですが、何分こちらも余裕がなくなってきていまして」
「そう……ですか……」
老女はそう言って、目を伏せてしまった。
とたんに、後ろに控えていた子供達から『ケチ!』『人でなし!』などの罵声が飛んできた。叫んでいない子供の顔も怒りや悲しみに歪んでおり、バリゲ卿への不平が見て取れる。
バリゲ卿は、鬱陶しそうに子供達を見渡すと、いかにも憐れむような声音で、
「申し訳ない。君たちのことは本当に気の毒に思う。せめて、新しい孤児院を紹介させてもらうよ。院長先生、手続きの書類を置いていきます。では、失礼」
それだけ言うと、バリゲ卿は孤児院の住人たちに背を向け、その場を去った。少し送れる形で、従者の男の1人が封筒を老女に渡し、主に続いた。
内容の重さ・シリアスさに似合わず、ここまで交渉に要した時間はたったの数分である。要件を言い終えると、バリゲ卿はアイクを含む護衛・従者を従えて歩き去った。後には……こちらを恨みがましそうな視線で見ている子供たちだけが残った。
☆
孤児院が見えなくなったあたりで、アイクは聞いてみた。
「今の孤児院……資金提供を受けてたんですか?」
「ん? ああ、私を含む幾人かの資産家からね。もっとも……もういないが」
そのセリフは、バリゲ卿その人が、孤児院に資金提供をする最後の1人だったということを知らせるものだった。
まあ……別段驚きはしない。あの荒れようの孤児院だ、満足な収入があるとも思えないし……どこかから寄付金や支援金を募っていてもおかしくはない。公の機関であれば、そもそも金に困ってあれほど凄惨なあり様にはならないはずであるから。
そして、その生命線たる資金提供を打ち切られたということは……
「残念だが……あの孤児院は間もなく閉院されるだろう」
「子供たちや……職員は?」
「子供たちは、さっき言った通り、こちらでせめてもの便宜を図ろう。職員は……まあ、そもそも職員と言っても、ボランティアでやっているあのシスターの先生が1人だけなのだが……あの人は本来いた教会に戻るだろうな」
「なるほど……しかし、何でまた資金提供とやらの打ち切りを?」
孤児院に資金を提供しているという風評は、企業や資産家にとっては自分に関してのいい噂を流す格好の手段だ。現実世界でもこちらでも、悪い取引ではないはず。
つまり、それ以上にいい話、うまい話を見つけたために、孤児院を切り捨てた……ということになるが……。
「ふむ……残念ながら、守秘義務というものがあってね。これ以上は……話せないな」
「あ、そうなんすか。すいません、部外者が立ち入ったことを」
気にしないでくれ、と男は付け足すものの、やはり教えてはくれない。あくまでも秘密のようだ。何の思惑があるのかは分からないが……大方ビジネスだろう。
そして時を同じくして、アイクはあの建物の表面の凹凸の正体をも悟った。
おそらくあれは……金細工か何かで作られた、建物の装飾の跡だ。あそこにあった細工物を、少しずつはぎ取って切り売りしていたのだろう。その金で今まで、スポンサーがほとんど無くなってもしばらくどうにかやってきたわけだ。
もっとも、それも全て使い切ってしまった上、このバリゲ卿に支援を打ち切られて、ついにとどめを刺されてしまったわけだが。
やれやれ、とアイクが肩をすくめていると、
「うわっ!?」
どんっ!!
横道からいきなり出てきた小柄な男が、バリゲ卿にぶつかった。そして、
「ごめんよ」
とだけ言って、足早に駆けて行く。
「気をつけろ! 薄汚い浮浪者め!」
見下し前回のセリフで、服からほこりを払いながらバリゲ卿は悪態をつく。周りの従者たちも、その男を軽蔑をこめた視線で見ていた。まあ確かに……つぎはぎだらけの大きめのコートで、しかもズボンもろとも所々破けている。綺麗な服装とはいえない。
が……アイクだけは、その男の違うものを見ていた。
「おいガキ、ちょっと待て」
「……!」
「「「?」」」
男の体がこわばり、バリゲ卿達の目に困惑が浮かんだ。
「……何だよ、謝っただろ?」
どこか慌てたような、震えたような声とともに、わずかにだけ男は振り向いた。が、体ごとは振り向こうとしない。横着なのか、それとも……
「あー……アイク君、今のは確かに無礼だったが、わざわざ呼び止めんでもいいから……さっさと次の視察場所まで行……」
「旦那、懐は無事?」
「……え?」
バリゲ卿は一瞬その言葉の意味を測りかね、懐に手を入れて……気付いた。
「な、ない! 財布が無い! その男、スリだ!!」
「ちっ!」
舌打ちの音が聞こえるとともに、男は走りだした。
従者数人が追ったが、男は足が速く、追いつけない。しかも、この裏道の道を知り尽くしているかのような動きで、曲がり角を使って巧みに相手を撒こうとする。その上障害物が多く、小柄な男はその間をぬって滑って、跳んで這って逃げて行くが、大柄な従者たちにはそれができなかった。みるみる内にその距離は開いていく。
「はぁ……はぁ……つかまって、たまるか……!」
そして……従者のうち、もっとも足の速かった最後の1人がついに撒かれ、男は裏道を逃げおおせた。
「はぁ……はぁ……や、やった……」
路地に座り込み、男はコートを脱いだ。
その下から現れたのは……まだ15歳ほどの少年だった。
息を切らして、しかし手に持った財布はきっちりと握りしめている。息を整えながら、少年は財布を開いた。中には……銀貨がひしめくように入っている。しかも金貨も数枚見られる。これだけ全部合わせれば1万ドルには届きそうだ。
少年はぜえぜえ言いつつも、満足げに笑って……
「こ、これだけあれば……しばらく……」
「はいはい、そこまで」
「…………っ!?」
そして……目を見開いた。
顔をあげた少年が見たのは……当然のように目の前にたたずんでいるアイクの姿。
この距離を追いかけてきた(多分)というのに、息一つ切らしていない。そこに驚愕してもよかったのだが……少年の頭の中は、『見つかった!』という絶望でいっぱいだった。
少年は財布を握り締め、すぐに走り出したが、
「うわっ!?」
「逃げんなっつの」
一瞬にして、目にもとまらぬ速さで前に回りこまれ……首根っこをつかんで持ち上げられた。『身体強化』と使っている上、それ無しでも少年に追いつくだけの身軽さと脚力、スタミナも持ちあわせているアイクであるから、当然と言えば当然の結果だ。その際、財布が地面に落ちてガシャン、と音を立てた。
「畜生、放せよ! 放せ!」
「いいよ?」
「え? うわっ!?」
急展開に次ぐ急展開。なんと言われた通りに放された少年は、あまりに突然のことだったために対応しきれず、尻もちをついた。
少年はあわてて地面に落ちた財布を探すが……その財布は、すでにアイクの手に収まっていた。
「かっ……返せよ!」
「バカ、オメーのじゃねーだろコレ」
「でっ、でも……あんなケチより、俺の方がよっぽどいい目的にそれを使える!」
「何言ってんだか……ん?」
と、ここでアイクは、目の前でわたわたと慌てている少年の妙な点に気付いた。
「……お前……孤児院にいた子だな?」
「っ!?」
捕まえている少年が、孤児院にいた子供たちの中の1人によく似ていることにアイクは気づいた。服は変えたようだが……顔は明らかに同じ。それに、バリゲ卿のことを『ケチ』と言った理由としてもうなずける。実際目の当たりにしているのだから。
どうやらバリゲ卿への憂さ晴らしと、自分たちの生活費のためにスリをやったらしい。
「やろうと思ってできるのかよ、器用だなお前……」
「う、うるさい! あいつが悪いんだ! あいつが……院長先生にお金を渡すのをやめるから……」
「やれやれ……」
アイクは少し考えて……少年に手で『行け』と合図した。『逃げろ』と。
驚く少年。無理もない。憎きバリゲ卿の手の者が、自分に情けをかけているのだ。
アイクの思惑はこうだ。まあ気持ちは分からなくもないが、財布は渡すわけにはいかない。これを持って帰らなければ、バリゲ卿は警察組織を動かして捜索に出るからだ。そうなったら……恐らくは身寄りのない彼のこと、説教では済まない。
ここで財布だけ没収して逃がせば、あとはアイク1人が黙っているだけで丸く収まる。
「……行っていいのかよ? 警察に言わないのか?」
「言ってほしけりゃ言うぞ、さっさとGO」
「……その財布は……」
「これはダメだ」
「…………………………わかった」
悔しそうに、しかし安心したような声でそう言うと、少年は振り返らずに走り去った。
(さて……『財布は取り返したけど、犯人は隙を見て逃げやがった』……これでいいな)
少年の姿が見えなくなるのを待ち、さらにその辺に隠れていないことを確認して、アイクは言い訳を事前に用意して、雇い主のもとへ戻った。
☆
その数時間後。
「あ、あのっ!」
「ん?」
バリゲ卿の護衛という任務を果たし、再び観光に戻ろうとしていたアイクのもとに、背後からそんな声が飛んできた。
「ん?」
「す、すいませんいきなり! で、でも……その……ば、バリゲさんの護衛をしてらっしゃった方ですよね……?」
振り返ると……そこに一人の少女が立っていた。
すぐにアイクは、その少女がさっきの少年と同じく孤児院の子だということに気付いた見覚えがあったからだ。
あの中でも最年長と思しきその少女は……セミロングの黒髪を頭の後ろで束ね、色白の肌に黒い瞳をしていて……どこか日本人に近い雰囲気の少女だった。
だったらアイクとイオンの紺髪はどうなんだという疑問は闇に葬らせていただき、
その少女は、この裏道をアイクを探して結構走りまわったらしく、孤児院の人間にしては若干だが小奇麗な、よそいきと思しき服に所々すすをつけていた。
「え、えっと……さ、さっきはありがとうございました!」
そう言って、少女は深々と頭を下げた。
「は? ……何が?」
「はい、さっき……パフくんを見逃してくれて……」
(ぱふ? ……ああ、もしかして……)
「さっきのスリの子です。孤児院に返ってきたパフ君から、事情は聞きました。見逃していただいたって……」
「ああ……何、あのくらい」
別に気にしなくていい、とアイクは言う。それでも、少年パフを警察に突き出されずに済んだことが嬉しかったのか、少女は何度も頭を下げた。
少女はカナと名乗った。予想通り孤児院で一番年上で、まだ幼い兄弟たち(血はつながっていないが、弟分・妹分、という意味で)の世話やら何やらを担当しているとのことだ。
まだ15だというのに、しっかりした子だ、とアイクは思った。
資金提供者が減って、職員達が去って行ってしまってからも、善意で残っている院長先生と2人で孤児院を切り盛りしているらしい。
「孤児院が無くなるだけでも悲しいのに……友達が監獄に入れられるなんてことになったら、みんなもっと悲しむから……本当に感謝してます」
「ははは……参ったね。俺は護衛とはいえ、あの人の側の人間として来てたんだが」
「ええ。でも……あなたはいい人です。出なければ、私たちのことを気遣ってパフ君を逃がしてくれたりしません。バリゲ卿に突き出せば、お礼金が貰えたはずですから」
何の飾り気もない、純粋なカナの言葉に、アイクは少し恥ずかしくなってしまう。ポリポリと頬をかきながら……ふとアイクは、この少女に孤児院が閉院することになったいきさつでも聞いてみようかと思った。
それを聞こうとした時、
「あ、あの……それで、ですね……」
カナの方が先に口を開き、何か言いづらそうに……言葉を絞り出した。
「えっと……ですね。それでその……これ以上差し出がましいようですが、あなたに1つ、お願いがあるんですけど……」
「俺に? 何?」
顔を赤くして、もじもじしながら一言一句を発音していくカナ。アイクは頭上に『?』を浮かべ、その意味を測りかねていた。これから言う……『お願い』と何か関係があるのだろうか。
「そ、その……」
そこでカナは一拍置いて、次の瞬間気合を入れて一気に言った。
「わ……私の体を、買っていただけませんかっ!」
「………………は!?」