「とりあえず、これを羽織れ」
司令官が自分の着ている上着の上から司令官の上着を被せてくれた。ずっと動いていたのか、何処か司令官の匂いがする上着。その匂いを嗅ぐだけで自分の居場所を再確認できた気がして、涙が溢れてきた。
「……あぁ、俺だ。こっちは予定通りだ。すぐ合流する」
司令官が何処かに連絡を入れると私を抱え上げて立ち上がった。ちょうどお姫様だっこの形で。そうなると司令官は自分を落とさないように胸に抱き寄せるのだが、それのお陰でより一層司令官の匂いが強くなる。頭がボォとなり意識していないのに股が濡れる。こんな非常事態なのに発情している自分が嫌になり、同時に狂おしいほどの快楽と幸福感が脳髄に押し寄せる。それは奔流となって自分の股から溢れ始めていた。
「ここから脱出する。急ぐが、落ちないよう捕まっていろ」
司令官が私を抱えて部屋から飛び出す。まるで迷路のようだった研究施設の中を迷いなく進む司令官に少しだけ心配になった。
「……あ、あの……司令官。……道」
「ん?……あぁ平気だ。ここに来るまでの道と数カ所に目標を付けておいた。迷いはしない」
自分の心配など杞憂だったようだ。自分が心配しなくても司令官は上手くこなす。
『貴方は要らないじゃない』
「……っ」
頭の中に響く声。実際に言われたわけではない、しかし、誰もが思ったであろう言葉。自分の存在価値を否定し続けた言葉。それが今頭の中で聞こえた気がした。段々と先ほどまで感じていた幸福感が薄れていった。
「……私は」
いったい何ができるのだろうか。そう口に出そうとして、しかし言葉は出なかった。思わず唇を血が滲むんじゃないかと言うくらい噛み絞める。これはただの後悔、過去の出来事、既に終わったこと。なのに今の自分は常に後悔し、過去に怯え、終わった事を引きずる。それでどうやって司令官の隣に立とうと言うのだろうか。隣どころか並び立つのすらおこがましく感じる。
『貴方は要らない子』
『使えない』
『どうして生きてるの?』
『あの人はどう思ってるんでしょうね』
「…………黙れ」
『そんなんで恥ずかしくないの?』
『本当に自分が好かれてると思ってるの?』
『みんなが聞いたら笑いのタネね』
「…黙れ」
『貴方はもう艦娘じゃない』
「平気だ」
フワッと、いつの間にかお姫様だっこの形から抱き締めるような抱え方に変わり、頭を撫でられていた。
「大丈夫だ……安心しろ」
私な頭を撫でる司令官の顔は見えないけど、きっと分かりにくい優しい顔なのだと予想する。司令官に私の事が筒抜けらしい。それがとてつもなく嬉しくて、
『「私(貴方の)の価値は何なのだろうか…」』
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ーーーー
ーー
「着いたぞ」
司令官がたどり着いた先は艦娘が使用する出撃ドッグだった。そこに一隻のクルーザーが停泊している。おそらくはこれに乗って脱出するのだろう。
「……追っ手はいないな。行くぞ」
司令官がクルーザーに掛けられたタラップから乗り込む。それに続いて私も乗り込んだ。司令官は操作盤を確かめながらエンジンをかけている。今きた通路を振り返って見るが追っ手は影も形も見えない。司令官が上手く巻いたのか、初めから追っ手を無力化してから来たのか定かではないが結果、追っ手は来ていない。それは司令官の力量の証明だろう。そこまで考えて、また胸の棘が大きく刺さるような感覚に襲われた。自分と他人は違う。そう思っていても一度与えられた侮蔑の感情はそうそう忘れられるものではなかった。司令官と私。比較対象にならない、いや出来ないくらいの差だ。それがどうしようもなく重くのしかかる。
「行くぞ、衝撃に気をつけろ」
司令官の忠告を聞き、どこか上の空になりながらも指示に従おうとしゃがみつつ掴める場所を探して
こちらに拳銃を向けながら走ってくる人影を見つけた。
「しれいか
「死ねぇぇぇぇぇぇぇえええ!」
多分、それは一瞬の出来事だったと思う。男の拳銃が何故だかはっきりと自分を狙っているのが分かり、避けようとしたが体はしゃがんだ状態から立ち上がるところ。回避行動に移る余裕はない。パパァン!と乾いた破裂音が聞こえ、遅れてポンっと小さく破裂する音が聞こえた直後目の前で真っ赤な液が飛んだ。
「……えっ?」
訳がわからない、何故自分は怪我を負っていない。何故男は腕から血を流して叫んでいる。何故、
何故、司令官は倒れたまま起き上がらないのか。
「……司令官?」
「……今から、言う通りに……船を動かすんだ」
「え、う、うん」
あまりの出来事に頭がパンクし正常な思考が働いていない。明らかな司令官の異常にも頭が回らず、司令官の指示通りに船を動かすことしか出来なかった。あれだけ酷い目に遭わされ絶望していた研究施設が既に豆粒ほどの大きさとなっていた。どこをどう通ったのかも分からないまま気がつけば自分の鎮守府に着いていた。
「……あ、司令官」
頭に靄がかかったような思考でようやく先ほどの出来事を思い出し、司令官の方に振り向くが、直後に目を瞑ってしまった。司令官の背中が真ん中あたりで抉れるように肉が露出していた。おそらくは二度目の音は撃った弾が炸裂弾のため破裂する音だったのかもしれない。そんなことを考えるほど現実味がなかった。今まで振り向かなかったがクルーザーの後ろは血だらけになっていて、どれだけの血が流れたのか見当もつかなかった。
「し、司令官。早く医務室に」
「…………」
返事は帰ってこなかった。無我夢中で司令官の腕を肩にかけて医務室に連れて行く。肩にかけた司令官の腕は冷たく、一体どれほどの血が流れたのか驚くほど軽かった。まるで司令官の命そのものが零れ落ちているかのように。廊下に出来た血の筋に釣られて妖精さんたちが集まってきた。医務室に入ると既に治療の準備が進んでいて、妖精さんたちの指示に従い司令官をベッドに寝かせた。その後妖精さんたちに部屋から出るように言われ医務室から出た。
「…………」
医務室の扉にぶつかり、ズルズルと背中を擦りながら地面に落ちた。もう脚に力が入らない。視界はグルグルと回り、考えは纏まらない。扉の向こう側から聞こえてくる妖精さんたちの慌てる声を何処か別の世界の話のように聞き流していた。
自分のせいで司令官が撃たれた。
その事実を認識した結果、涙が今更零れた。拭っても拭っても止まることを知らない涙がどんどん溢れ、そのまま乾いて死ぬんじゃないかと言うくらい泣いた。むしろ、そのまま死んでもいいのかもしれない。自分のせいで、私のせいで、何よりも
如何しようもなく、救いようのなかった
今更泣くのはお門違いだ。泣くなら司令官が撃たれた時にも泣けたはずだ。しかしその時は現実として受け止められず、自分はただ司令官に従って鎮守府に帰還しただけ。肝心の司令官は自分を庇って瀕死の重傷まで負ってしまった。死んでしまうかもしれない。このまま自分のせいで、自分の前から消えてしまうかもしれない。それは悲しいし、悔しいし、何よりも自分のことしか考えてない自分に無性に腹が立つ。
「……っ!」
自分で自分の頬を叩いても大した威力もなく、むしろ流れた涙の量を再認識することになっただけだった。このまま自分は物言わぬ抜け殻のような状態のままなのか。司令官がいなくなっただけで自分を見失う程の弱虫だったのか。考えても考えても思考は纏まらず平行線をたどってグチャグチャに絡まる。気づけば体が地面に横たわっていた。どうやら平衡感覚すら失っているらしい。倒れたことにも気づかないとは、乾いた笑いすら出てくる。実際には笑えていないのに。すると
「……うづきさん〜、新人さんです〜」
ちょうど体が倒れたことで目線が同じ高さになった妖精さんが一人近づいてきた。
「……しん…じん?」
「はい〜、第一工廠にいます〜」
それだけ言うと、妖精さんは言ってしまった。おそらくは迎えに行けということなのだろう。この自分に。自分がここにいる間は司令官は建造の指示を出さなかった。つまり後から、自分が消えた後に建造されたことになる。
「……わたし、もう要らないのかな」
散々言われた言葉が、頭の中に反響する。ふらふらと覚束ない足取りで工廠までやってきた。中に入ると既に向こうは準備が整っているらしく近づいてきたこちらに気づき、振り向いた。そこにいたのは
「…………っ」
「……どうも、睦月型三番艦、弥生です。……よろしく」
かつて、自分に侮蔑の視線を向けた、姉妹艦だった。