特別編「メイド長の作戦」
困ったものね。
大仰な鉄門の前で三つ指を立てながら額を土に押し当てる赤毛の女性を見下ろす白髪の女性は、腕組みをしたままわざとらしく吐息を一つ。
「も、もう居眠りはしません……絶対に」
「その台詞なら聞き飽きたわよ」
「今一度のチャンスを」地面から僅かに顔を浮かせて告げると、すぐにまた戻す。
しかし、今の彼女が見せられる精一杯の誠意はくっと閉眼したまま開くことのないメイド服姿の女性に響くことはなく、依然として二人の視線は交わらない。
「咲夜さん、その辺にしといてあげたらどうですか? 美鈴だって、もう懲りてるはずですよ」
地面と向かい合ったままの女性が長期戦を覚悟した時、助け舟は突然として帆を広げて向かってきたのだ。
「八郎さんですか……すみませんが、こればかりは貴方の意見であっても――」
「あ、魔理沙が通って行きましたよ?」
「何ですってっ?」
驚嘆の表情から一瞬にして鋭い顔付きに変わった咲夜は、瞬く間に姿を消す。最初からそこにはいなかったかのように。
すると、美鈴は顔を上げると同時に苦笑を浮かべつつ救世主に礼を告げる。
「いいんですけど、次は多分……さすがにフォローし切れないと思いますよ」
「うぅ……」
正座をしたまま顔を俯けると、八郎は徐に近付いてきてその頭を優しく撫でる。
だが、美鈴が視線を落としているのをいいことに、優男風の顔に下卑た笑みが浮かべられる。
「ただ、それ相応の代価を支払ってくれるのなら、また話は別なんですけどね」
目の前にぶら下げられた餌は甘美な匂いを漂わせ、不安という不味い食事を与えられた美鈴の思考を容易に揺さぶらせる。
次に居眠りをしてしまっても許される。
それならば、と美鈴は添えられた手をそのままに顔を上げて二つの大きな瞳を輝かせる。
「代価、払います。お幾らですか?」
「金じゃないよ?」
「はぁ?」
まさかの回答に呆気とられる美鈴だったが直後、頭の上に乗せられていたはずの手が自分の豊満な胸を掴むようにして触れられた感覚で我に返る。
身を引きながら両手で胸元を隠す美鈴は尻餅をついたような姿勢のまま、目の前で顔を歪めている男を睨む。
「な、何をするんですか?」
「代価を支払うんだろう? だから貰おうとしたまでですけどね」
くっくっ、と肩を揺らす男の向けてくる目に、圧倒的に力では勝っているはずの美鈴は恐怖する。
単純な力と力との競り合いではなく、男と女、性別の垣根がもたらす絶対的な優劣の差が彼女を恐怖させるのである。
「で、ですがそれは――」
「一度でも支払うと口にしているんですよ? いまさら無しに、なんてムシのいい話が通るわけないでしょう」
卑劣な笑みを隠さなくなった八郎だが、その内心に余裕の色は伺えない。
美鈴がその気になれば自分の命など一瞬にして奪われる。
その考えが脳裏にチラつくからである。
「さ、大人しく支払ってもらいますよ?」
「う、うぅ……」
「待って」先までは責めていたはずの声が、今度は彼女の窮地を救う。
「か、代わりに私が支払うわ」
「さ、咲夜さんっ」
「ほ、ほぉ……」
歓喜にしては喜びの感情を突き抜けない美鈴の叫びと、台詞とは裏腹に震え気味の八郎の声が向けられるのは、やや紅潮気味の顔を携えるメイド長――咲夜だった。
「美鈴、貴女はこのまま門の見張りを続けなさい。それと八郎、貴方は屋敷の中へ来なさい。そこで支払うわ」
気丈に振舞おうとする咲夜だが、心なしか声が震えている、と美鈴は勘ぐる。が、チラと向けてくる真剣な横目に篭る強い何かを感じ取った美鈴はそれ以上の言及をしない。
「す、すみません……」
ただ、最後にその一言を告げた。
紅魔館の中にある一室。
他の客室よりも少しばかり狭いこの個室はメイドたちの休憩室だった場所だが、今ではこの館の主である吸血鬼に咲夜が貸し与えられた自室になっている。
「あの、咲夜さん?」
優男風の顔を歪まさせることなく、自然な笑みにも見える表情を浮かべる八郎。しかし、その額には数滴の汗が浮かんでいる。
「な、なに?」
「いや、何って……どうして服のボタンを外してるんですか?」
苦笑を続ける八郎は視線を逸らさせて問う。
「美鈴に信じさせるために、その、本当にエッチをした方がいいと思うのよ……だから、その」
「いや、本当にすることはないでしょうっ? 最初の計画じゃ、ここまでで終わりだって……」
そう。先の八郎の豹変ぶりも、咲夜の身を呈して美鈴を庇った行動も、全ては咲夜が画策して八郎に手助けを依頼した大芝居だったのだ。
しかし、発案者でもある咲夜は依然として演技をヤメようとしないのである。
「この計画にはね、もう一つだけ目的があるの……」
「もう、一つ?」
「わ、私、八郎さんのことが……す、好き、です」
耳まで真っ赤にする咲夜は下を向いたまま、か細い声を絞り出して想いを告げた。
もう一つの目的と彼女は口にしたのだが、それは嘘である。実は美鈴の居眠り癖を治す、という方が口実だった。
「咲夜さん……」
「八郎さんはいつも優しくて……誰にでも優しくて、お嬢様や妹様と一緒に仲良くしている姿を見てると、雇われてる身なのに嫉妬しちゃって……」
次第に声が震え出すと、咲夜の立っているねずみ色の床に丸いシミが出来始める。
「そんな自分が嫌で……でも、八郎さんを誰にも渡したくなくて――」
語気を強めて行った咲夜だったが、その言葉は急に近づいて来た八郎の口によって最後まで続けれられる前に遮られる。
「咲夜さんごめんね。好きって気持ちが強過ぎてさ、告白を最後まで聞いてられないや」
「八郎、さん……」
泣き笑いを浮かべる咲夜を抱き寄せると、そのまま八郎の胸の中で彼女は泣き崩れる。だが、埋められた顔は幸せそのものを体現しているかのようだった。
ある日の午後、美鈴は懲りもせずに三つ指を着いて額を土に密着させていた。
「す、すみませんでした……」
吐息をつく咲夜だったが、いつの日かに比べるとその表情は幾分か和らいで見える。
「もういいから、早く顔を上げなさいよ」
今一度、とお決まりの台詞を吐こうとした美鈴は驚きながら顔を上げる。
「い、いいんですか?」
「もういいわよ。それに、あんまり貴女を叱ってると八郎さんに愛想つかされちゃいそうで……」
腕組みをしながらもその顔には覇気がなく、代わりに付随するのは不安の色。それを見るや、美鈴は形勢を逆転する好機と言わんばかりに攻勢に出る。
「そうですね、八郎さんは優しい人ですからねぇ」
「うっ……」
腕組みが崩れたのを見て追い討ちを掛ける。
「ですから、今後は――」
「美鈴、あんまり咲夜さんをイジメないでくれよ。それに、そんな事くらいじゃ僕は愛想なんてつかないですから」
いつの間にか咲夜の隣に現れた八郎は、微笑みながら告げてくる。
二体一の不利な状況に陥ったことを悟り、反撃はここで終了ですよ、と言わんばかりに彼女は両手を挙げて吐息をつく。
門前での一件が収束した後、館の方へと歩き進める手を繋いだ二人の後ろ姿を眺める門番は穏やかに笑った。
「いつまでも、お幸せに」
今回は特別編ということで、玉男と霊夢さんにはお休みしてもらいました。
反響があればこの二人の話もちょくちょく書いて行こうかとも思います。
それでは次回から玉男と霊夢さんには引き続き頑張ってもらいましょうかね^ ^