第六話「それでも・後」
幻想郷に迷い込んだ時、最初に手を差し伸べてくれたのは霊夢だった。酷く面倒臭そうに吐息をついていたのを憶えている。
それでも、差し伸ばされた綺麗で暖かな手に触れた瞬間。わけの分からない状況に錯乱しかけていた俺の頭は、一瞬で目の前の一風変わった巫女さんの事でいっぱいになった。
いま思えば一目惚れだったのだろう。
頬を伝う複雑な色合いの涙は、霊夢の心の中を忠実に表している。
怒り、悲しみ、そして喜びと許し。それらの感情は全てが一律であり水平。
玉男の裏切りに対しての怒りは身を焼き尽くすほどの熱を与え、海よりも深い悲しみの深淵は彼女の心を凍えさせる。
しかし、耳に聞こえ届けられる玉男の想いが込められた言葉は、彼女の心身を蝕むそれらの感情を少しずつ変えていく。
怒りは許しに、悲しみは喜びに。
「でも、私は……」
そんな彼女を次いで襲ったのは自責と羞恥。
「私はもう、どこか可笑しくなったみたいなのよ……今の私は私じゃない」
先程の自慰行為を喚起させて俯く。
一時とはいえ、憎悪の対象として捉えていた相手を思い浮かべて快楽の境地に登り詰めようとしてしまった、隠微に堕ちた自分の顔を見られたくない、と。
「こんな淫らな私なんて、私じゃ――」
至福で平穏な彼との日々に想いを馳せながら、それに別れを告げなければならない絶望に身を振るわせると、彼女の華奢な体は痛いほどに強く抱きしめられる。
「霊夢は、霊夢だよ」
徐々に抱擁の力が弱まって行き、ついには両方の二の腕に手を添えられるだけになる。
目の前で微笑む玉男の優しげな微笑が歪んでよく見えない、と霊夢が心の内でひっそり嘆くと、それを察したかのように玉男の顔が近付いてくる。
「んっ――」
そっと交わされる口付け。
まばたきの一瞬よりも短い時間だったが、霊夢にとって――いや、二人にとっては今までのキスの中でも一番にお互いの想いを確かめられた、そんな一瞬に感じられたに違いない。
「私で――本当に私でいいの?」
ゆっくりと顔を離なしていく玉男の目が開かれるのを待ってから口を開く。
「この世界に来た時から俺にとっての特別な存在は、霊夢だけだよ」
玉男の顔を目で捉えていたいのに、それに反して瞳を潤ませる涙を霊夢は疎ましく思う。が、それは休む間もなく彼女に反乱し続けた。
私の大好きな人はとても素直な人です。
でも最近、私は素直な性格が必ずしも良いものではない事を知りました。
自分に素直な人とは、つまりは自分の欲望にも素直だからです。
もう慣れた、なんて言い方では少し語弊はありますが、最近では前ほどのショックを受けなくなりました。
あ、もちろん全く傷付かない訳ではありませんよ?
ただ、どんな事があっても彼にとっての一番が私であると考えれば、どうにか許せるようにはなりました。
え、何でそんな奴と何で付き合ってるのか?
だって、それでも私は彼が大好きだから。どうしようもなく彼を愛しているからですよ。
馬鹿な女だって言われてもいいんです。
――彼がずっと側に居てくれるから。