「直毅くん。少し手合わせしてくれないかな?」
朝食前。洗面所で顔を洗っていた直毅は、執事服を着た翔からの唐突な頼みにタオルで顔を拭きながら答える。
「手合わせ?親父との訓練の成果でも試したいのか?」
「うん、そんなところ。頼めるかな?」
「まぁ、いいぜ。でも俺なんか相手にならないと思うけどな。」
渋々了承した直毅に翔は屈託の無い笑みを見せる。直毅は自室に戻り服を着替え、黒の長袖のアンダーシャツ、左手に黒のグローブを着け義腕を隠し、濃い藍色のジーンズと靴下を履くと、彼は自室を出た。
「あら、直毅。おはよう。」
「あぁ。おはよう、麗華。」
自室から出てきた麗華と鉢合わせると、2人は挨拶を交わし、彼女は寝ぼけ眼を擦り欠伸をした。
「夜中まで凛さんの課題を解いてたのか?」
「えぇ、もう少しで出来そうなのだけど。」
「やるじゃないか。出来るようになったら俺にも見せてくれ。」
「勿論。"直毅に出来たのだから、私にも出来るわ。"」
得意げに答える麗華に直毅は笑みを返し、階段の手すりに座って1階へと滑り落ち、首を鳴らしながら手足を軽く振る。
「さて、爽やかな朝の運動といきますかね。」
「何かあるの?」
「ん?翔から手合わせを頼まれてな。朝食前に見ていくか?」
「遠慮しておくわ。目覚ましはブラックコーヒーで十分よ。」
階段を降りてきた麗華はその問いに首を横に振り、また欠伸をしてリビングに向かった。
玄関の扉を開け大きく身体を伸ばし、正面に立つ翔は優しい笑みを浮かべたまま尋ねる。
「準備はいい?直毅くん。」
「ちょっと待ってくれ翔。準備運動するからさ。」
直毅は玄関から見て右側へ回り、それに合わせて翔も左側へ移動し向かい合う。直毅はひと通りの準備運動を済ませた。
「さて、じゃあやるか。翔。」
「うん。お手柔らかにね、直毅くん。」
「それはこっちの台詞だぜ。開始のゴングはどうする?」
「それならこのコインで。このコインが地面に落ちたらスタートってことで。」
翔はポケットから用意していたコインを取り出しコイントスをする。直毅は右腕を後ろに下げ、拳は握ることなくタイミングを計るように指を軽く震わせ、左腕は下げたままゴングを待つ。
対する翔は笑みを浮かべたまま。コインが地面に落ちたと同時に姿を消した。
(左!)
最早直感で直毅は翔の鋭い右のハイキックを左腕で受け止め、カウンターを覚悟で右ストレートを放つ。姿を掻き消し攻撃を避けると踏んだ直毅であったが、翔は左手で彼の右手を払い左頬に右のカウンターを叩き込む。予測が外れた直毅は仰け反りながらも、身体を右回転させ裏拳を放つ。
しかし完全に翔の意表を突いたかに見えた裏拳すら、彼は姿を消すことなく上体を下げながら躱し直毅の背後に回り込むと、振り返った彼の右頬にまた強烈な右のカウンターを叩き込んだ。仰け反った直毅は翔から1度距離を置き、切れた口元を拭って翔を見つめる。
「成る程、魔術を使わずに攻撃を捌いて、俺の予測を外すってわけか。」
「そう。ハイリスクハイリターンだけどね、この戦法。」
笑みを浮かべたまま生真面目に答える翔に、直毅は内心溜息を吐き拳を固める。
魔術師は基本接近戦を仕掛けない。その当然の前提があるからこそ、直毅は魔術師を相手に対等に渡り合えてきた。しかし翔の場合は違う。同じ条件で拳を交えるなら対等に渡り合えるが、彼らの条件は対等では無い。だが勝負とは元々そういうものであり、そのことを直毅は1番良く理解していた。
「さーて、どうすっかな…」
ゆっくりと近付いて来る翔の姿に直毅は呟く。
そして翔の姿が掻き消え、背後から放たれた翔の飛び蹴りをまた直感で躱す。直毅にとってはその獣的な直感だけが頼りであり、唯一翔に対抗する武器。直毅は翔と初めて戦ったあの日と同じく防御に徹し機会を伺うも、翔の攻撃の手が緩むことはない。
(勝機があるとすれば…ここだ!)
翔の左ストレートを直毅は左手で受け止める。翔の身体に触れることで魔術回路を繋ぐ。魔術回路は言わば電気回路のようなもので、新たに回路が接続される際には魔力の流れは1度止められる。予め保険として用意されているであろうと踏んだ転移魔術を封じることが目的だった彼は、勝機とばかりに右のカウンターを合わせる。幾ら翔と言えど捌きれず、右の拳が左頬に突き刺さる、筈だった。
「惜しいなぁ、直毅くん。」
右の拳が突き刺さる寸前、翔は笑みを浮かべて直毅に告げる。次の瞬間、直毅の身体は空中にあった。
「なっ⁉︎」
一瞬で7メートル近く上空に"転移"させられた直毅は驚愕した。翔は初めから、"直毅を転移させる"術式を保険として用意していたのだ。
今までは半球状だった攻撃範囲が完全な球状となり、ましてや空中で完全に無防備となった直毅は翔に背中を両足で蹴り上げられる。
体勢を立て直すこともままならず、四方八方から襲ってくる翔の攻撃に身を任せる直毅。翔が止めとばかりに直毅の腹部を両足で踏みつけるように蹴り飛ばし、直毅は地面に叩きつけられる。
腹部を押さえ、涙が出るほどむせ返った直毅は、悔しそうに大の字に倒れた。
「畜生…降参だ、翔。今の俺じゃ勝ち目がないぜ。」
「やったぁ。手合わせありがとうね、直毅くん。」
翔は子供のように喜ぶと、直毅に手を差し出し、直毅はその手を取り立ち上がる。服に付いた砂埃を払い、溜息を吐き頭を掻いた。
「しかしどうすっかな…俺には出来ない芸当だからな、瞬間移動なんて。」
「瞬間移動に対応する直毅くんも十分凄いんだけどね。」
「対応するだけじゃ勝てないんだよ。んーどうすっかなー。」
頭を抱える直毅に、翔は内心呆れながら答える。悩み込む直毅は手を叩き、曇りない顔で声を上げた。
「取り敢えず、飯食ってから考えるか。」
ーーーーー
ーーー
ー
「そうか、やっぱり俺の予測は当たってたな。」
「…親父が予測してたんじゃ勝てないわけだ、全く…」
翔と直毅から手合わせの話を聞いた雄治が愉快そうに笑うと、直毅はつまらなさうに溜息を吐き朝食の食パンをかじる。
「悪かったよ直毅。そうふてくされるなって。お詫びにお前にもアドバイスするからよ。」
「要らねぇよそんなの。どうせ参考にもなりゃしないだろうからな。」
直毅は食パンを押し込みコーヒーで流し込むと、食器を片付けリビングを後にした。
「ふてくされちゃいましたね、直毅。」
「案外、負けず嫌いだからな。アイツ。」
優子の言葉に雄治が笑って答え、ユキは直毅の後ろ姿を何かを思いながら見つめていた。
リビングを後にした直毅は、汗を流し頭を冷やす為風呂場へ向かい、シャワーの蛇口をひねり冷たい水で身体を流しながら暫く思案する。
「魔術のことは、魔術の専門家に聞くとするか。」
水を止め、身体を拭いた彼は服を着、風呂場を出て麗華の部屋に向かう。
「麗華、居るか?」
「直毅?どうぞ。」
麗華の自室の扉をノックし彼女の名を呼ぶと、中から返事が返り、直毅は扉を開ける。部屋の中では、麗華が机の上に本や魔法石を並べ魔法陣を書いていた。
「どうしたのかしら?一体。」
「魔術のことを聞くなら魔術師に…いや、魔法使いの弟子にと思ってさ。」
「魔術を?翔との手合わせで何かあったの?」
「あぁ。翔に手も足も出なくてな。俺も何か新しい武器を持たなきゃ勝てないと思って。」
近くにあった椅子に座り、直毅は深く息を吐いて答える。麗華は席から立つと、本棚を眺め1冊の赤い本を取り出しページをめくりながら直毅に尋ねる。
「新しい武器ね…どんな魔術を覚える気なの?」
「俺は魔法石なり物体に触れてないと魔術が使えないし、結局接近戦しか俺には勝ち目はないからな。相手に触れて、その行動が制限出来たりすれば…」
「行動を制限…これなんか如何かしら?」
麗華は直毅の座る机の上にその本を置き、あるページを指差した。
「なんて魔術なんだ?これ。」
「移動魔術の1種よ。始点と終点の魔法陣を設置して、発動すると魔法陣が設置された場所やモノを引き寄せて元に戻ろうとするの。引き寄せる度合いは質量比に比例するわ、重力のようにね。」
「へぇ。見えないワイヤーで繋がれるってわけか、悪くなさそうだ。」
直毅は興味深そうに本を覗き込み、隣のページの頭に、判子の様に書かれたInferiority Formula(劣等式)の文字に目が止まった。
「この隣の魔術はどんな魔術なんだ?」
「え?あぁこれね。大昔に使われていた転移魔術よ。術者が指定した2つの"モノ"入れ替える術式なのだけれど、今では誰にも使われなくなったわ。翔が使う転移魔術の下位互換だもの。」
「…成る程、下位互換か。気に入った。」
「まさか、わざわざこれを覚える気?」
不敵な笑みを浮かべた直毅に、麗華は呆れ顔で尋ねた。
「あぁ。"劣等生"が覚えるにはうってつけの魔術だろう?」
「はぁ…いいわ。2つとも簡単な魔術だから、休憩ついでに教えて上げる。」
溜息を吐き、麗華は自分の机から魔法石を取り直毅の前に置くと、右手を広げ本に書かれた、掌大の魔法陣を眺めながら小さく呟いた。
「Code."Regress" (術式、逆行)」
麗華の掌の上に本と同じ形の白い魔法陣が浮き上がる。
「Set.(設置)」
彼女は呟きながらその魔法陣を右手で握り、次に魔法石に触れる。彼女の掌と魔法石に魔法陣が付与されると、彼女はまた小さく呟いた。
「Code."Execution"(術式、実行)」
その言葉と共に魔法陣が回転し、魔法石が麗華の手に引き寄せられた。
「こんな感じよ。やり方は術式を唱えて、この魔法陣を頭の中でイメージするの。」
麗華は本の魔法陣を指差し魔法石を手渡し、直毅は右手に魔法石を握り魔法陣を見つめる。
「変質魔術と似た感じでやればいいのか?」
「そうね。魔法石を魔法陣に変える位の気持ちでいいわ。」
「ならやれそうだ。Code."Regress"」
その言葉と共に魔法石が魔法陣に変わり、左手と本に魔法陣を付与させる。
「Set…Code."Execution"」
魔法陣が回転し、左手に本が引き寄せられると、直毅は満足そうに本を見つめる。
「流石に飲み込みが早いわね。それじゃもう1つも教えるわ。」
直毅から本を受け取った麗華は再びInferiority Formulaの判子を押されたページを開いた。
「この転移魔術も似たようなものよ。術式を唱えて、触れた"モノ"の入れ替える対象を指定するの。マークを付けるような感じかしら。入れ替える対象は主に座標(point)ね。入れ替える対象が決まったら術式を発動すればいいわ。唱える術式は、Code."Replace"(術式、転移)よ。モノに触れた時に対象を指定しないとマークされないから気をつけて。」
「この魔術には魔法石は要らないのか?」
「直毅は触れたモノの魔力を使えるからね。それにこの魔術は魔力を殆ど消費しないの。直毅の身体に流れる魔力のほんの一部しか使わないで済むわ。」
「成る程、そいつは願ったりかなったりだ。それじゃ、やってみるか…」
直毅は1度大きく息を吐き術式を唱える。
「Code."Replace"」
先ほどの移動魔術に比べると何の変化も起こらず、直毅は首を傾げて麗華の方を向く。
「これで術式は起動してるのか?」
「えぇ。この魔術は、もとは手品師が考えたものだったの。見た目には術式が起動したかどうかわからないようになっているの。」
「へぇ。それじゃ、手品らしく麗華と俺の位置も入れ替えてみよう。」
直毅は右手で麗華の肩に触れ頭の中で"Point"を指定し、少し距離を置いて自らの胸に手を置き再び"Point"を指定すると、目を閉じて呟いた。
「Code."Execution "」
直毅が目を開くと、先ほど彼が居た位置と麗華が居た位置が入れ替わっていた。
「こいつは良いな。ありがとうな、麗華。今度礼をさせてくれ。」
「いいわよお礼なんて。休憩ついでだったのだから。」
自分の手を見て満足そうにする直毅に、麗華は手を振って答える。
「何か頼みたい事があったらなんでも言ってくれ、出来る限り答えるからさ。」
「…そう…それじゃ考えておくわ。直毅」
その言葉に麗華は思案し、直毅が気がつかない程度に頬を染めた。
「あぁ。邪魔したな、麗華。」
直毅は麗華の表情に気がつかないまま部屋を後にする。彼女は想像で上気した顔を両手で押さえ、机に座った。
如何でしょうか?
直毅が新しく覚えた2つの魔術。当分の間はこれで戦えるかな?
それではまた次回。