月を求める少年
駐車場での決闘から数日。いつものようにユキと眠る直毅の部屋の前に1つの人影があった。小さく息を吸い、白と紺色のメイド服を着た彼女はドアをノックした。
「直毅様。ご朝食の用意が整いました。」
「ん…分かった、すぐ行くよ。メティス。」
彼女の声に目を覚まし、直毅は大きく体を伸ばして欠伸をする。遅れてユキも目を覚まし、寝惚け眼のまま彼に抱き抱えられ部屋を出る。
「おはようございます。直毅様。ユキ様。」
「あぁ。おはよう、メティス。」
律儀にお辞儀をするメティスに直毅は頭を掻きながら挨拶し、彼女の後に続いて階段を降りる。リビングでは白と暗い赤のメイド服を着たアリスが優子と一緒に朝食を並べており、雄治はテレビを見ながらコーヒーを、麗華と凛は紅茶を飲み、翔はアリスと優子を手伝っていた。
「おはよう。皆んな。」
部屋に入った直毅が挨拶すると、各々彼を見て挨拶を交わす。朝食が並び終わり、アリスとメティスが直毅の後ろに立ち、2人を除いて皆席に座り朝食を食べ始める。
「なぁ2人共。楽にしてていいんだぜ?」
後ろに立つ2人を気にする直毅に、メティスは屈託のない笑顔で、アリスは少しはにかんで答える。
「お気遣い感謝します。でも好きでこうしていますから。」
「そう。目玉焼き、美味しいか?」
「ん?あぁ、美味いよ。アリスが焼いてくれたのか。」
膝の上に座りフレンチトーストを食べるユキが汚れないよう気をつけながら、直毅は食パンの上に乗せられた、焦付き、噛むたびジャリジャリ、パキパキと音のする塩辛い潰れた目玉焼きを食べた。
「そうか、良かった。失敗したと思ったが、今度は全員の分を…」
「いやいやいやいやいや、俺にだけ焼いてくれ。全員分焼いても俺が全部食べちまうから。頼むよ。」
直毅は慌ててアリスに願い出て、彼女は驚きながらも嬉しそうに笑う。
「そ、そうか。直毅は欲張りだな。仕方ない、毎朝焼いてやろう。」
「あぁ、ありがとな。」
コーヒーをゴクゴクと飲みながら、直毅は内心大きな溜息を吐き、メティスは頭を押さえて彼を心配しアリスに指摘しようとするが、直毅は彼女を優しい視線で制し、小さく首を振って意思を伝えた。
「お、バディとエリーが出てるな。」
テレビを観ていた雄治が声を上げ、皆テレビの方を向く。画面ではバーンズとエニエスが報道陣に取り囲まれ質問に答える姿があった。
「N.E.T社は経営陣総辞任、中には捕まったのもいるらしい。技術屋として再出発ってわけだ。」
「それじゃ、一条さんはどうなったんだ?」
いくら悪用されたとはいえ、"Schwarz"を作った一条も無関係とは言えず、直毅は心配してメティスに尋ねると、彼女は笑みのまま答えた。
「お父様はバーンズ様とエニエス様の計らいで、罪に問われることはないそうです。司法取引のようなものでしょうか。」
「成る程、後腐れないハッピーエンドなわけだ。」
「えぇ。皆様には、本当に感謝しています。ねぇ?アリス。」
「うん。ありがとう。」
感謝されることに慣れていない直毅と雄治は頬を軽く掻き、そんな2人の様子に皆笑みを浮かべる。談笑の中朝食の時間は過ぎていき、皆より少し早く朝食を食べ終えたユキを連れ、直毅は自室に戻り学園に向かう身支度を始める。服を着替える直毅に、ユキはベッドの上に座り、本を胸に抱き彼に尋ねる。
「帰って来たら、一緒に本を読んで。それにチェスもしたい。」
「ん?いいぜ、またおとぎ話か?ユキ。」
ワイシャツのボタンを閉め、夏だというのに学生服を手に取った直毅が尋ねると、ユキは小さく頷いた。
「そうだ、メティス達とチェスしたらどうだ?相当手強いだろうから。」
「そうなの?」
「あぁ、俺じゃ勝てないだろうな。帰ってきたら俺もやるよ。」
「そう、分かった。」
着替えを終え、直毅はユキを連れ部屋を出て洗面所に向かい顔を洗い歯を磨いて身支度を整えて出発までの間リビングで過ごすことにする。
「あ、直毅君。今日もお嬢様と同伴登校かい?」
「その言い方はどうなんだ…まぁ一緒に行くけどさ。」
翔の問いに、直毅はソファーに鞄を置き脱力しながら座って答える。
「そういえば、今日が終業式だっけ?」
「そういやそうだった。なんか久しぶりに行く気がすると思ったらまた行かなくなるわけだ…行かなくてもいいかな…」
「待たせたわね、さぁ行きましょうか?」
「え?いつもより早くないか?もっとゆっくりしても…」
「ほっとけば行かないでしょ、貴方。」
タイミング良く麗華がリビングに訪れ、直毅は溜息を吐く。鞄を持ち引きずられるようにしてリビングを後にする寸前、麗華と直毅はリビングに居た優子やメティス達に声をかけた。
「「行ってきます。」」
「行ってらっしゃいませ、直毅様。麗華様。」
「行ってらっしゃい〜」
「行ってらっしゃいませ、お嬢様。」
「行ってらっしゃい。」
各々声を返し、直毅と麗華は屋敷を出る。通学路には急ぐ時間でもないのに楽しげに話しながら歩く生徒の姿がちらほらと見られた。恐らくは夏休みを前に話し合うことが山ほどある者達だろう。
「それにしても不思議なものね。貴方を襲った張本人が、今はメイドの姿で同じ屋根の下にいるなんて。」
「麗華も似たようなもんだろ。俺を狙ってたって点では。アリスもメティスもいい娘だろ?」
「それはそうだけど…はぁ、貴方が羨ましいわ。簡単に割り切れるのね。」
「割り切るも何も、俺は始めから気にしちゃいない。過去を水に流すのは苦手か?」
「"貴方"に関わる事だもの、そう簡単には。フェミニストで天然女誑しの貴方の。」
何ともないように答える直毅に、麗華は溜息を吐き彼の頬を人差し指で突く。
「女誑し?俺が?」
「自覚はないでしょうね。全く…25人に告白されてる時点で気がつきなさい。」
「25人…いや、2人は保留中か。」
「2人…私と茜さんね。この調子じゃ、答えが出るのはまだ先みたい。」
2人が言葉を切り、黙ったまま歩いていると、彼らの前で茜と裕也が並んで話しながら歩いていた。"指を絡め手を繋いで"。
「…どうやら、裕也の想いが届いたらしい。後でお祝いの言葉でもかけてやるか。」
直毅は嬉しさと悲しさの混じった、何とも言えない表情で2人の後ろ姿を見つめる。歩く速度を落としていく彼を見て、麗華は歩調を合わせて彼に寄り添う。
「直毅も、割り切るのは苦手みたいね。」
「…あぁ、どうやらそうらしい。2人が幸せになるのは嬉しいんだが、昔みたいな関係には戻れない事と、あいつらを守る役割が終わったのが、なんだか、悲しいな…麗華の想いに応えるだけになったな、完全試合達成か失敗か。」
無理矢理笑って冗談を言う直毅に、麗華は直毅を路地に引き込み彼を抱き締め、小さな声で呟いた。
「直毅が変わりたくないなら、変わらなくていいから。」
「………いいのか?それで。」
「えぇ。でも相応の対価は貰うわ。それに、貴方を変える自信があるから。」
抱きついた麗華に驚きながらも、直毅は少し笑って彼女の髪を撫でる。顔を上げた麗華が直毅の顔を見て頬を朱に染める。彼女がゆっくりと眼を閉じると、軽く溜息を吐き彼は彼女に口付けた。
彼らが学園に着いたのは、早く出ていたのにもかかわらず遅刻寸前だったとか。
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ーーー
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「あぁ…眠い。」
屋上に1人、直毅はベンチで横になって欠伸をする。学年別に終業式が開かれ、今は2学年の式の時間。当然というか、彼は悪びれもせず屋上で時間を潰していた。講堂から漏れる、聞く必要もない注意と、無理のある"Schwarz"の襲撃を誤魔化した説明を耳にしながら青い空を見上げていると、黒い点が見えどんどん近付き、黒いスーツを着たアリスが飛んで来た。
「な、アリス?」
「奇遇だな。直毅。」
屋上に降り立ったアリスに驚き、直毅は身体を起こすと、彼女は黒いスーツを一瞬でメイド服に変え、彼の右隣に座る。
「どうしたんだ?学園まで来て。」
「空を飛んでいたら直毅が見えた。直毅こそ1人で何してる?」
「俺か?俺は終業式をサボって空を観てた。」
「そうか。直毅、空は好きか?」
見た目より少し硬い言葉たが、アリスの人間らしい言葉に直毅は空を見上げて答える。
「好きだよ、特に青空は。アリスは飛ぶのが好きなのか?」
「空を飛ぶのは好きだ。鳥と一緒に飛ぶ。」
彼女の側に一羽のカラスが降り立ち、彼女の右肩に乗って体を摺り寄せる。優しくカラスの翼を撫で彼女が微笑むと、直毅は幸せな欠伸をして身体を伸ばした。
「眠いのか?直毅。」
「いつもこんな調子だ。」
「そうか。なら横になれ、私の膝を貸してやろう。」
カラスを離し、アリスは自分の膝を叩き直毅を招く。遠慮しようとする直毅の頭を引っ張り、無理矢理膝に頭を乗せた。その強引さに、一瞬いつか夢の丘で膝枕をした茜を思い出し、彼は頭を振った。
「確か、最初に会った時もこんな感じだったな。」
新品になった屋上への扉と、一部だけ色の違うフェンスを見て彼が呟くと、アリスは表情を少し暗くする。
「気にするなよアリス。あの時の君は今の君じゃない、別人だ。気持ちが晴れないなら、この青空を好きなだけ飛べばいいさ。」
「…直毅は、優しいな。」
「そりゃ、家族だからな。」
笑ってみせる直毅の髪を撫で、アリスは微笑みを返した。
「安心して眠るといい。私が見守ってやる。」
「眠るのは惜しいな。アリスやメティスの話を聞かせてくれよ。俺のことも話すからさ。」
2人が笑いながら他愛もない話をして時間が過ぎ去り、体育館から出てくる生徒達の声に気が付き直毅はゆっくりと起き上がって身体を伸ばす。
「さて、俺も戻るか。じゃあなアリス。」
ベンチから離れ、黒いスーツに戻ったアリスは直毅に手を振って空に飛び立った。彼女を見送り教室に戻った直毅は、何やらクラスメート達に声をかけていた剣人に捕まった。
「おい直毅。放課後皆んなでカラオケ行くんだが、お前も来るよな?」
「え?何で。行っても歌わないぞ。」
「いいんだよ歌わせるから。いいな!」
「うるさいな…わかったよ。」
剣人に押し切られ、直毅は溜息を吐き渋々了承して自分の席に座り背もたれに寄りかかる。彼の後ろに座る拓見が本を閉じて声をかけた。
「押し切られちゃったね、直毅。」
「言っても聞かないからな。拓見も行くのか?」
「僕も、直毅の歌は聴いてみたいからね。」
「あぁ…そうかい。」
大きく溜息を吐き、直毅はクラスメート達の話の輪に入って談笑する裕也と茜の姿を眺め、背もたれを倒し拓見の机に頭を乗せた。
「大丈夫かい?そんなに嫌なら…」
「いや、大丈夫さ。"幸せなのが辛いだけだ"。」
「直毅…?」
彼の瞳は虚空を見つめ、独り言のように呟き続ける。
「吐き気がする位のクソ野郎だよ、俺は。他人が幸せなのを見てられない…たとえそれが家族同然の親友でも。心から喜んで、"Today,I consider myself the luckiest man on the face of the Earth (今日、私は、自分をこの世で最も幸せな男だと思う)"って言えばいいのに、2人が見れないんだ。だから眠るのかもな…何も見たくないから。」
そう呟き、彼は静かに目を閉じた。何も言えず、ただ拓見は暗闇に逃げる彼を見つめ続けた。
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ーーー
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放課後、J組のクラスメート達は大型アミューズメントパークに訪れる。平日とはいえ同じ考えを持った学生達が見られる中、パーティルームを貸し切ってクラスメート達はマイクが要らないほどの声で騒ぎ始める。ドリンクやお菓子が並べられ、皆数人でアップテンポな曲を歌い始める。前に出て歌う舞台から最も離れた所に座り、直毅はジュースを飲みながら歌を聴いていた。
「それじゃ、次は熱いカップルの為に歌いますかね!」
剣人が舞台前で声を上げ、皆並んで座る茜と裕也を見て歓声を上げる。男女数人が前に出てラブソングを歌い出すと、2人は満更でもない様子で笑ってみせる。そんな2人を見ることなく、直毅は空になるまでジュースを飲んでいた。
歌が終わり、茜と裕也にマイクが渡され、前に出た2人は直毅の姿を探し声をかけた。
「直毅、3人で歌おうよ。」
子供の頃、彼らが夢の丘でよく歌った歌。それを機械に入力した茜に、直毅は手を振ってすまなそうに答える。
「悪い、その歌は"忘れちまった"。」
「え…そんなわけ…」
彼の言葉が終わると同時に歌が始まり、2人は慌てて歌い始めた。歌を歌う2人が直毅を見ると、彼は少し笑いながら歌を口ずさんでいた。
明るい歌ながら、茜と裕也は妙な寂しさを感じていた。やがて歌が終わり、拍手と歓声が2人を包み込む。直毅も拍手を送って2人を見つめていると、剣人が再び声を上げる。
「さて、直毅!歌って貰おうか!」
マイクを差し出され、直毅は空になったグラスを持ち渋々前に出てマイクを受け取ると、台の前に置かれた機械で曲を入れながらマイクの確認に声を出した。
「あー、それじゃ一曲だけ。上手くもないし知らない曲だろうがな。」
イントロが始まり皆が拍手を送ると、直毅は深く息を吸い歌い始める。それは今までクラスメート達が歌っていたアップテンポな曲とはうって違って、静かで優しい曲だった。透き通った声が響き、誰もが彼の歌に聞き入っていた。心から感情を込めて歌っているのは誰の目にも明らかだが、その感情が何なのか、分かったのは数える程しかいなかった。
やがて歌は終わり、クラスメート達は余韻に浸りだれも声を出さない。空になったグラスを取り、部屋を出ようとする直毅を、誰かが「もう一曲。」と言って引き止め、皆口を揃えてアンコールを求めた。
「悪いが一曲だけだ。喉がカラカラだからな。」
部屋を1人出てドリンクバーに向かった直毅を、茜と裕也は複雑な面持ちで見つめていた。彼が歌を通し、別れを告げたような気がして。
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ドリンクバーに辿り着き、直毅は大きく息を吐きジュースを飲み干した。
「あの〜……もしかして、東條 直毅さんですか…?」
溜息を吐く直毅に、1人の女子生徒が恐る恐る声をかけ、直毅は顔を上げ声の主を見る。栗色の長い髪を編み、童顔で丸い瞳を輝かせ、その少女は直毅を見つめていた。
「あ、あぁ。そうだけど。」
妙に心を揺れ動かされ、強く心臓が鼓動する。直毅が自分自身の反応に驚きながら答えると、少女は童顔と小柄な体とは裏腹に発育の良い(良すぎる)胸と体を弾ませて喜んだ。
「本当ですか⁈ビックリしました!まさかこんな所で会えるなんて。」
屈託のない笑顔で喜ぶ少女に、直毅は先程まで心を覆っていた薄暗い悲しみから解放され、つられて笑みを浮かべる。
「私、1年C組の宮守 春音っていいます。先輩のことは…」
「柊兄妹との決闘で知ったんだろう?それか完全試合の噂かな?まぁどちらにしてもいい話じゃないだろうが。」
苦笑し言葉を奪った直毅を見て、春音は慌てて手を振り答える。
「そんなことないです!カッコイイですよ先輩は。」
「お世辞でも嬉しいな。宮守さんだったか、それじゃ…」
「あ、待ってください!」
引き止められた直毅はグラスを落としそうになりながら立ち止まり、春音は遠慮なく彼の手を取った。
「よかったら一緒に歌いませんか?私初めて1人でカラオケ来たんですけど、なんだかつまらなくて。」
「そ、そうか…じゃあ俺でよければ付き合おう。」
「本当ですか!それじゃ行きましょう、直毅先輩!」
強引な彼女に引かれ、直毅はいつにもなく慌てた様子で声をかける。
「ちょ、ちょっと待ってくれ宮守さん。」
「直毅先輩。私後輩なんですから、さん付けなんてやめて下さいよ。」
「えぇ?じゃあ…宮守。」
らしくないどころでは無く、直毅は頬を掻きながら彼女を呼び捨て、笑顔で彼女は彼を見た。
「はい♪直毅先輩♪」
終始元気で嬉しそうな彼女に、直毅は自分の変わり様に驚きながも、悪い気はしないまま連れられていく。たとえひと時の安らぎを求めてそうなったのだとしても、その少女は彼の心を満たし始めていた。