「先輩はどんな歌、歌うんですか?」
春音の個室に引き込まれ、直毅は渋々席に座り、デンモクを手に取った彼女に尋ねられる。
「恐らく君が知らない歌ばっかりだよ。それに、観客が居ないから俺を連れて来んだろ?なら、君が歌うのが普通だろう。」
「うー…でも、私そんなに上手じゃないですし…」
「上手くなきゃ歌っちゃ駄目だなんてことないさ。喧しいクラスメート達が居る所から抜け出して来たんだ。一曲聞かせてくれないか?そしたら、俺も一曲歌おう。」
「そうですね…分かりました。でも笑わないで下さいよ。」
「勿論。」
彼が笑顔で答えると、春音は曲名を入力しマイクを取る。曲名を見た直毅は少し驚いた。年頃の高校生が歌うには少し古い邦楽、しかも男性の曲だったのだ。
イントロが始まり、彼女は息を吸い優しく歌い始めた。
(こいつは…"綺麗だな"…)
春音の声を聴いた直毅は心からそう感じ、只々彼女の声とその表情に魅入る。その視線に気が付いたのか、彼女は頬を赤らめる。そして緊張からか、音程を外し始め慌てだした。
「あぅ…」
慌てふためく春音を見かねて、直毅は彼女に聞こえる程度の声で歌い出す。その声を聞いた彼女は驚き、歌うのを彼を見る。直毅は苦笑して歌うように促し、彼女は笑顔で頷いて再び歌い出した。
2人の歌声と共に曲は進み、やがて終わりを迎える。春音は名残惜しそうにマイクを離し、直毅に詰め寄った。
「歌上手なんですね!直毅先輩!」
「いや、俺は君の歌声が聴きたかったから手助けしただけだ。とても綺麗だった。歌声も、歌ってる時の君も。」
「本当ですか⁈元々人前で歌うの慣れてないんですけど、今までで一番ドキドキしました…」
「観客は俺1人だけどな。それにしても珍しい。もっと流行りの曲を歌うと思ってたんだが。」
「勿論聴きますけど、私いろんな歌を聴いてますから。はい。次は先輩の番ですよ。」
マイクを手渡され、直毅は頭を掻きながら受け取り曲名を入力する。"悲しみは雪のように"を入れ、彼は静かに歌い出した。
物悲しげに歌う直毅の表情と声に、春音は息を飲んで彼を見つめる。悠久にも一瞬にも感じられた時は終わり彼がマイクを置くと、彼女は暫く何も言わず彼を見つめていた。
「ん?どうした。そんなに酷かったか?」
「…あ、いえ。感動してボーッとしちゃって。本当に上手ですね直毅先輩…聴き入っちゃいました。」
「そうか。賛辞は素直に受け取っとこう。」
じーっと見つめてくる彼女から目を逸らし、直毅はジュースを飲んで答え、場の空気を変えようと話しかける。
「いろんな歌を聴くって言ってたけど。歌が好きなのか?宮守。」
「はい♪大好きです。聴くのも歌うのも。作ってみたりもしたいんですけど、楽器も文も駄目で…直毅先輩も好きなんですか?」
「あぁ。大半は親父の影響だけどな。昔は親父のギターを借りて一日中歌ってたこともあった。」
「ギター弾けるんですか?羨ましいなぁ〜」
「歌を歌う為だけだから上手くは無いけどな。1人でいる時間が長かったから…」
そこまで話したところで、直毅は急に口を閉ざし自分に驚き自らに嫌悪感を抱いた。
(なんで俺はこんなこと話してるんだ…会って間も無い他人に…)
気が紛らわせれば誰でもよかったのではないか、自分に向けられている心地よい感情に身を預けたいだけではないか、と。
だがそう決めつけるには、彼の目の前に居る少女は余りにも純真無垢で、歌っている時のその声と姿は、かつて友人だった"彼ら"を思わせるほどに美しかったのだ。
「…輩?直毅先輩、どうかしましたか?」
「えっ?いや、何でもない。」
春音の声に引き戻された直毅は頭を振り、無意識のうちに左腕を撫でる。直毅の様子に小首を傾げる春音を見ながら、彼は自分に足りないピースを埋める為に尋ねた。
「宮守、少し訊いてもいいか?」
「はい。何ですか?」
「君は、誰かを好きになったことがあるかい?」
その突拍子もない質問に、彼女は目を白黒させて慌て始めた。
「はぇ⁈どうしたんですか急に‼︎わ、わ、わ、私…」
変な声を上げ慌てた彼女だったが、彼の深妙な面持ちに何かを感じて大きく深呼吸して落ち着いて答え始める。
「…はい。あります。というか、今も居るんですけどね。」
「そうか…なら教えてくれないか?"人を好きになって、愛したくなる気持ちっていうのは、どういうものなのか"。」
「え、えーっと…先輩…先輩は、誰かを好きになったり、恋したりは…」
「ない。たとえ誰かを好きになっても、俺には人の愛し方が分からない。だから訊いてみたんだ。俺の胸を締め付けて苦しめるこの感情が、ただ目の前にある慰めに身を埋めようとする自分への嫌悪感なのか、それとも俺に無かった恋愛感情なのか知りたくて。」
「……私には、あんまり難しいことは言えないし、先輩が納得する答えじゃないかもしれませんけど………人を好きになるのに、理由なんてないと思います。」
苦しげに胸を押さえる直毅に、春音はただ静かに答えた。
「本能、みたいなものじゃないですか?好きな人と話したり、触れたくなったり、一緒に居たくなるのって。先輩が無意識に、好きな人にしたくなる事が、その人への愛し方ってことになりませんか?」
「無意識………アーキタイプか……そうか、そういうことか……」
直毅は独りそう呟き、大きく息を吐き小さく震えながら笑った。彼の側に寄り、心配そうに春音は彼を見つめた。
「大丈夫ですか…?先輩……」
「そうだな…あんまり大丈夫じゃないかもしれない……胸を締め付けてたのが無くなったと思ったら、今度は"自分が自分じゃなくなっていくんだ"今までの俺が、それを認めた俺を恐れてる。変わるのを嫌がってる…そのままで在りたいって。でももう無理みたいだ、1度認めてしまったから…」
瞳に涙を溜め、直毅は少年のように震える身体を自分の両腕で抱き締める。そんな彼に手を伸ばした春音を、彼は必死に笑顔を作って見た。
「ありがとう…答えを教えてくれて。でも、これ以上優しくされると、俺は君が欲しくなっちまう。会って間も無い君を…誰かに恋する君を、だから…」
彼女から離れようとする少年を、春音は手を伸ばし抱き締める。そして優しく髪を撫でて諭すように耳元で呟いた。
「先輩。私、先輩の事が好きなんです。先輩の事、もっと教えて下さい。私も、先輩に私の事知ってもらいたいです。」
その言葉に、直毅は一層身体と心を大きく震わせる。自分の身体を抱き締めていた両腕で春音を抱き締めようとするのを必死に押しとどめ、肩を押しゆっくりと引き離し、彼女の赤く染まった頬に触れようとする右手を震わせる。
「ダメだ…君に触れちゃ…俺は君を傷付ける。」
「触れて下さい先輩。ゆっくり時間をかけて、自分を認められるように、私も協力します。」
彼女は自ら彼の右手を取り、自分の頬に触れさせる。頬で手を優しく摩り微笑んでみせる。直毅の震えはピタリと収まり、仔猫の様に手に擦り寄る彼女の頬を軽く撫でた。
「不思議な人だよ君は。妙に落ち着く。家族と一緒に居る時と似ていて、それでいてちょっと違う心地良さだ。」
「えへへ…勢いで告白しちゃいました。でも先輩、返事はいつでもいいですよ。お互いの事をもっと知ってからでも…」
照れながら笑う春音の言葉に、直毅は彼女の頬から手を離して真っ直ぐに彼女を見つめた。
「いや、返事は今しておこう。待たせるのは趣味じゃない。」
「え⁈そ、そうですか。それじゃ…少し時間を下さい…覚悟しますから…」
「悪いが待つのも苦手なんだ。これからよろしくな。"春音"」
ほんの少し意地悪い笑みを浮かべ、直毅は春音の名を呼ぶ。慌てていた彼女がその言葉の意味を理解すると、満面の笑みで頷き、嬉しそうに答えた。
「はい♪これからよろしくお願いしますね、直毅先輩♪」
そのまま抱きついてきた彼女の頭を撫でながら、彼は小さく溜息を吐き呟いた。
「完全試合達成ならず、か。」
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しばらく2人は他愛も無い話をし、直毅はクラスメート達の居るパーティルームに戻り、先に帰ることを告げて部屋を後にする。その足で再び春音の居る部屋に戻り、2人で好きな歌を歌い始めた。
互いの歌声を聴けば聴くほどに、2人は言葉を交わす以上に互いを理解していく。瞬く間に時は過ぎ、歌詞を映すディスプレイが退室時間10分前を告げた。
「そろそろか。それじゃ帰るかな。」
「そうですね。なんだか、もっと歌っていたい気分ですけど。それに、まだ先輩の歌も聴きたいな。」
「それは今度のお楽しみだ。あんまり歌うとレパートリーが無くなるからな。」
マイクをかごに入れ、直毅は名残惜しそうにする春音と共に部屋を出て、会計の為エントランスに向かう。彼が少し離れた場所で彼女を待っていると、ガヤガヤと喧しい声と共に、運悪くクラスメート達がエントランスに向かって来ていた。
「ん?直毅?先に帰ってたんじゃ…」
先頭に居た剣人が直毅の姿に気がつく。そこまではよかった。だが…
「さぁ先輩。一緒に帰りましょう♪」
春音がなんの悪気もなく彼に抱きつき、直毅とクラスメート達は一瞬固まる。そんな中無邪気な笑みで直毅を見上げる春音に、直毅は冷や汗を流しながら震えた声で懇願する。
「人前で躊躇いなく抱きつくのはやめて下さいお願いします。」
「え?いいじゃないですか彼女なんですから。あ。もしかして暑いですか?」
願いは届くどころか無慈悲に切り捨てられ、ギラギラと彼を睨みつけ燃え盛る獣達に油を注ぐ。
悪寒が走り、今にも襲いかかろうとするクラスメート達を見て大きな溜息を吐いた直毅は、彼女の頭をポンと叩き、
「しっかり掴まってろよ。春音。」
春音を抱き抱え、直毅は一目散に走り出す。怒号と共に追いかけてくるクラスメート達など目ではないほど速く、階段のスロープを滑り降り、人の間を縫って行く。その時の彼の表情は妙に嬉しそうで、そんな彼を間近で見ていた彼女は、しっかりと彼に抱き付いて離れなかった。
キャラを幸せにしてやれる自信がない…