東條 直毅の完全試合達成を阻止した打者…宮守 春音は、自室のベッドの上で携帯を握り締め落ち着きなく文字を打っては消すを繰り返していた。
その様子はまさに恋する乙女。ある者はその姿に微笑み、またある者は舌打ちをする。なんであれ当の彼女は幸せそうに言葉を紡いでいる。色々と考えた挙句、彼女は真っ直ぐに尋ねるだけにした。
『明日も会えますか?』
短く、だだそれだけ。だが長々と続く文よりも想いの届く言葉。空気を震わせ発せられる声とその言葉の力を無意識に知る彼女の問いは、ものの数分で答えられた。
『何処で会おうか。』
素っ気無さすら感じる彼の文に、彼女は笑みを浮かべて返信する。
『私の家でいいですか?明日は両親が居ないので。』
普通に考えれば色々な意味を含んでいそうな文だが、こと彼女に限り他意はない。そして他の男なら勘違いしそうなその言葉も、直毅という男にはそのままの意味で伝わっていた。
『何時に行けばいい?』
『お昼頃に来て下さい。ご馳走しますから。』
何時までも続けたくもあり、直接話したいもどかしさを感じながら、彼女はそのもどかしさすら幸せに感じていた。
『それじゃまた明日、お休みなさい。先輩。』
『お休み、春音。』
短いやり取りであったが、2人にとってはそれで充分であった。恋は焦がれ、盲目である間が華。そう誰かが陰口を叩き、大半の者が黒い笑い声を上げた。
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「ギターでも持っていくか。」
携帯をしまい、リビングでメティスとチェスをするユキを見ていた直毅は雄治の部屋に向かう。
「親父。居るか?」
「直毅か。どうした?」
ドア越しに声をかけ直毅が部屋に入ると、雄治は煙草を吸いながら椅子に座って本を読んでいた。
「ギターを貸して欲しいんだ。」
「ギターを?珍しいな。彼女にでも聞かせるのか?」
冗談のつもりで尋ねた雄治の言葉に直毅が溜息を吐くと、彼は目を丸くして驚く。
「おいおい、マジかよ。驚きだな。お前に彼女が出来るとは。どんな娘なんだ?」
「いいから、ギター貸してくれ。あるだろ?」
「聞かせてくれなきゃ貸せねぇな。吐いちまえよ。優子も凛も、知ったら根掘り葉掘り聞きたがるだろうからな。」
「………貸して貰わなくていい。」
あからさまに嫌そうな顔をして出て行こうとする直毅に、雄治は苦笑しながら引き止める。
「分かった分かった。詮索しねぇよ。ケースもいるだろう?」
本に栞を挟み、雄治は立ち上がってスタンドに立て掛けられた黒いアコースティックギターを茶色い皮のギターケースにしまった。
「ほらよ。カポとピックはポケットに入ってる。」
ギターケースを差し出し、直毅は礼も言わずに受け取って部屋を後にする。
「そうだ、恋愛の仕方ならこいつを参考にしたらどうだ?」
直毅を引き止め、雄治は読んでいた本を振る。
「……題名は?」
「やたら長ったらしくてな。えぇと…やはり俺の冴えない彼女と幼なじみが…」
題名を言い終わる前に、直毅は馬鹿馬鹿しいといった様子で勢いよく扉を閉めた。
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「しっかしよく勝てたなユキの奴。」
快晴の空の下、直毅はギターケースを背負い春音の家へと歩きながら昨晩のことを思い出していた。
メティスとユキのチェス勝負は永遠と続けられ、決着がつくと同時にユキは眠りにつき、直毅が起きてもグッスリと眠っていた。限りなく最良の手を打つ機械…いや"彼女"に勝ったのだから、それも当然だろう。
「さて、此処か。」
家の前に辿り着き彼がインターホンを鳴らすと、パタパタと足音が響きエプロン姿の春音が扉を開けた。
「いらっしゃいませ直毅先輩。早かったですね。」
「案外、俺も楽しみだったのかもな。上がってもいいかい?暑くて堪らん。」
笑顔で出迎えた彼女に笑みを返し、直毅は彼女の家に入る。
「もしかして、それギターですか?」
「あぁ。話のネタになると思ってさ。」
背負っていたギターケースを下ろし、彼はリビングへ通される。テレビの前に白いソファーが置かれ、キッチンの前には木製の机と椅子が3つ、テレビが見えるよう一辺に2つ、その左側の辺に1つ置かれていた。
「いい匂いだ。何を作ってるんだ?」
「何が好物か聞くの忘れちゃって。得意なオムライスにしたんですけど…子どもっぽくて嫌ですよね…」
「いや、楽しみだ。俺も何か作ろうかな。簡単なのしか作れないが。」
不安そうに尋ねた春音に直毅が笑顔を見せると、彼女は途端に明るくなって彼をキッチンに引き込む。
「それじゃあ一緒に作りましょう!先輩♪」
「あぁ。分かったよ。」
強引な彼女につられ、直毅はギターケースを置きキッチンに向かう。腕まくりをした彼は、鼻歌混じりの彼女を見ながら微笑んだ。
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「美味しいです!先輩のフレンチトースト!」
「春音のオムライスも美味いよ。」
和やかな空気が流れるリビングで、2人は各々が作った料理に舌鼓をうち談笑する。
「しかし良いのかねぇ…俺みたいなのと居て楽しいか?」
「もう。あんまり自分を卑下しないで下さい。楽しいに決まってるじゃないですか。好きな人と一緒に居られるんですから。」
「そうか。春音が楽しいならそれでいい。俺も楽しいしな。」
互いに笑みを浮かべる2人。その風景は、今まで舞台を観てきた観客達の胃をもたれさせるようで、特筆すべき事もなく昼食は終わる。(私からしてみれば、この風景は何よりも特筆すべきことだが)
「そうだ。先輩の好きな料理って何なんですか?今度は先輩の好きな料理を作りますよ!」
洗い物をする春音が尋ね、直毅はコーヒーを飲みながら考える。
「そうだな…オムライスだ。春音の作った。」
「はぇ⁈ほ、本当ですか?気を遣ってくれなくても…」
「本当だよ。昔から両親が家を空けがちでな、インスタントかジャンクフード、簡単な料理ばっかり食べてきたから、心のこもった料理が好物なんだ。心がこもってれば、殻の混じった塩辛い黒焦げの目玉焼きだって喜んで食うさ。あんまり出されると辛いけどな。」
「殻の混じった…嫌がらせじゃないですかそれ…」
「いや、いたって本人は真面目なんだ。俺の家族の1人は、毎日俺にその目玉焼きを作ってくれる。嬉しいもんさ。」
「そうですか…優しいですね。先輩って。」
「春音よか優しくないけどな。」
心地良い暖かさを感じながら、直毅は再びコーヒーを飲む。人並みの幸せとはこういうものだろうと考えていると、食器を洗い終えた春音がギターケースをちらっと見て尋ねる。
「先輩…ギター弾いて貰ってもいいですか?それに、少し教わりたいです。」
「勿論、その為に持ってきたんだ。教えるほど上手くないけど。」
席を立ち、ギターケースを開けようとする彼を引き止め、彼女は少し顔を赤らめて呟く。
「あの…私の部屋に行きませんか…?」
「ん?分かった。」
春音の様子に直毅は不思議そうな顔をする。流石の彼女も、自分の部屋に彼を招くのは緊張するのだろう。そんな彼女の心中を知らず、彼は彼女に連れられ、ギターケースを持ちリビングを後にする。
(大丈夫…昨日掃除したから…)
深呼吸しながら階段を登る春音を他所に、直毅は何を弾こうかと考えながら後に続く。『春音』と書かれた小さな看板が掛けられた部屋の扉を開けると、控えめな声で迎えた。
「ど、どうぞ…」
「あぁ、失礼するよ。」
ピンク色のカーテンに日が当たり、ほんのりと桜色に染まった部屋。棚にはうさぎのぬいぐるみや少女漫画、埋めつくさんばかりのCDや音楽雑誌が、勉強机の上にはスピーカー付きのCDプレイヤーとヘッドホンが置かれていた。
「おぉ。よくもまぁこんなにCDがあるもんだ。かさばるだろうに。」
「一曲一曲を大切に聴きたいんです。CDを入れ替える手間も、案外良いですよ。」
ギターケースを置きCDを眺める直毅の隣で、春音は1つCDケースを取り出して答えた。
「さてと、何を弾くかな。」
ケースからギターを取り出し、虹色のピック握った彼は床に座り込むと、彼女は椅子に座り彼を真正面から見つめる。
「なんでも良いですよ。好きな曲聴かせてください。」
「そうだな、じゃあ…」
カポを付け、直毅は『路地裏の少年』を弾きながら歌い出す。普段とは違った透き通った声で歌う彼の姿に春音は見惚れ、ゆっくりと最後のコードを弾いた彼に拍手を送った。
「本当に上手ですね、先輩。どれ位練習したんですか?」
「さぁ…1人でいる時間が長かったから、気がすむまで弾いては歌ってた……気が紛れるからかもな。弾いてみるか?」
ギターを渡そうとする直毅に、春音は無理だと言わんばかりに手を振る。
「でも、私全然ギター知りませんよ?」
「曲を弾く分にはそれほど難しくない。取り敢えず持ってみなよ。」
ギターとピックを渡され、春音は見よう見まねでギターを構える。
「ど、どう弾くんですか?」
「そうだな、どっから説明するか…左手の親指を裏側の真ん中に当てて、残りの4本で弦を押さえれるように持つんだ。」
「こう、ですか?」
「あぁ。そしたら後はコード…ドレミファソラシドみないなもんを、指で弦の特定の場所を押さえてピックで弾くんだ。例えば…Emは、こことここを押さえて弾く。」
彼は彼女の側で弦を指指し、彼女はゆっくりと指を動かし弦を押さえ、ピックで弦を弾いた。
「これでいいんですか?」
「そうだ。これを何個も覚えて曲を弾くんだ。曲によっては、4つのコードだけで弾けるのもある。調べてみれば、もっと上手い説明があるだろうが。」
「他にはどんなコードがあるんです?」
思ったよりも簡単に弾けたことに喜んで、春音は更に直毅に尋ねる。
「説明しずらいな…そうだ。俺が押さえて見せればいいか。」
「そうですね。それじゃギターを…」
ギターを返そうとする彼女に、彼は妙案を思い付いたように手を叩いた。
「いや、俺が後ろから弾けば分かりやすいだろう。俺に背中を預けて座ってくれ。」
ベッドの縁に座った直毅の言葉を理解するのに数秒を要し、春音はみるみる顔を赤くする。
「は、はい…分かりました…」
おずおずと彼に背中を預けて座る春音。ギターに手を伸ばし、ぴったりと身体がくっ付き、弦の位置を確認にしようと背後から覗き込む直毅の吐息が耳にかかり、ピクッと身体を震わせる。
「悪い、くすぐったかったか。…よし、握れるな。さっきのEmはこうで、Gってコードはこうだ。」
ほとんど彼女を抱きしめるようにしてギターを弾く彼に、彼女は胸を高鳴らせ、心ここにあらずといった様子で頷いていた。
「…どうした?妙に顔が赤いけど。暑かったか?」
「い、いえ!違うんです…距離が近くてドキドキしちゃって…私だけなんだか浮かれてるみたい…」
「そんなことないぜ?俺も緊張してるんだ。」
「本当ですか?とっても落ち着いてるじゃないですか。」
「なら、俺の胸に耳を当ててみろ。そうすりゃ分かる。」
春音が動けるようにギターを身体から離し、彼女は直毅の胸に耳を当てる。強く、速い鼓動する心臓の音を聴いた彼女は、彼の顔を見上げた。
「とっても速いです。先輩も、ドキドキしてくれてるんですね。」
「当然だ。好きな人と一緒に居るんだからな。」
彼がそう言って笑ってみせると、彼女は彼に抱きついて頬を擦り寄せた。
「嬉しいです。先輩が私のこと、好きになってくれて。」
「喜んで貰えて何よりだ。さてと、曲を弾きながら教えるとしますかね。」
そんな調子で、2人は日が落ちるまで歌い合う。観客の誰かが咳払いをし、ほとんどの者が舞台から目を背けている。"私"も1度筆を止め、暫く彼らを眺め続けた。幸せな時間が瞬く間に過ぎるのと同じく、そのシーンは私にとって、筆が追いつかないほど早く終わった。