春夏秋冬という珍しい気候の変化があるこの島国において、夏という季節は人々を"可笑しく"する。ある種の熱に犯された者達は特にそうであり、奇しくも東條 直毅という青年もまた、その熱に犯されていた。
「水着か。行くのはプールか?それとも海?」
「先輩はどっちがいいですか?」
「どっちかと言えばプールだな。で、水着を買いに行くんだろ?さっさと行こうぜ。」
「はい!先輩♪」
容赦無く照りつける日差しの中、春音はわざわざ直毅の右腕に抱きついて歩を進める。暑くないのかと軽く溜息混じりに笑う彼も、心地良い熱に犯されていく。(互いの体温を感じるのに、これほど不都合な気候もないのにも関わらず)
そもそもこの場面は、水着を買いにショッピングモールで待ち合わせる筋書きで、先に来た男共に春音が絡まれる予定だったのだが、観客達の大多数が反対しカットされた。多少のハプニングやトラブルは、2人の中を深めるだけだと野次が飛んだのだ。
真夏を目前に控えた休日の昼下がり。ショッピングモールは家族連れや恋人達、友達グループなどで溢れかえっていた。特に水着売り場は女性達が賑わいを見せ、ちらほらと付き添いの男が居る程度だった。
「先輩はどんな水着がいいですか?」
「好みなんてない。春音が好きな水着を着ればいいさ。」
水着売り場にやって来た2人。春音が早速水着を手に取って自分の身体に当てて尋ねると、直毅は肩をすくめて答えた。彼にしてみれば当然の回答である。
「え〜。先輩が喜ぶ水着が着たいですよ。やっぱり、男の人は露出が多い方がいいですか…?先輩がそうなら…」
恥ずかしそうに小さめの赤いビキニを手に取った春音に、直毅はその姿を眺め少し考えてから口を開く。
「そうだな…あんまり露出はない方がいい。誰かにジロジロ見られたく無いからな。」
「それって、独占欲ですか?先輩。」
その言葉に1度目を丸くし、ニヤニヤと笑いながらからかう彼女に、彼は真面目な口調で返す。
「そうだな。俺は2人っきりの方が好きなんだ。」
「あぅ…そう真正面から言われるのは恥ずかしいです…」
「正直に言っただけだ。さて、それじゃ気に入る水着を探すとするか。」
顔を赤くした春音を見て笑みを浮かべる直毅。2人はじっくりと時間をかけ水着を探す。あっちもいいこっちもいいと、女性の買い物は時間がかかり、大半の男なら嫌になるもの。しかしその煩わしさも幸せに感じながら、彼は彼女が手に取る水着の1つ1つに意見を述べ、最終的に淡いホワイトピンクで上体にパレオを着たビキニを選んだ。
「どうですか?先輩。」
「あぁ、よく似合ってる。」
更衣室から出て水着を着た姿を直毅に見せた春音は、彼の満足そうな顔に喜んでくるりとその場で回り、パレオが花弁の様に小さく揺らした。
「じゃあこれにします。着替えるのでもう少し待ってて下さいね。」
扉を閉た彼女を見送り、直毅は大きく身体を伸ばして時間を見る。
「かれこれ1時間も見てたのか。」
ある意味"故意的"にすら2人の時は過ぎる中、彼女が着替えるのを待っていると、少し遠くに運悪くクラスメートの女子数人の姿が見えこちらの方に向かって来ていた。
「やっべ…!」
彼女と一緒に居る所を見られたらどうなるか分かったものではない。冷静さを欠いた彼は咄嗟に身を隠した。普段の彼ならばしないような行動である。
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「〜〜♪」
先輩と一緒に選んで、喜んでくれた水着をハンガーに戻して眺めながら、私は無意識のうちに鼻歌を歌っていた。いい意味で私を裏切ってくれる先輩。コンプレックスだった身体に合わないこの胸も、先輩は普通の人とは違って気にしない。ある意味、安心して先輩に触れられるのだ。
「でも、いつか触れて欲しくなるのかな…」
外側よりも内側を。私の内面を、私の歌を好きだと言ってくれた先輩。それを嬉しく思う反面、寂しくも感じる。先輩は、私を傷付けると恐れて強く触れない。とても優しく、でもいつかそれでは足りなくなると思うと、少し先輩の言葉が分かった気がした。
「やっべ…!」
そんな事を考えながら下着を身に付け、それほぼ同時に扉が開かれて慌てた様子の先輩が入って来た。
「…………え?先輩?」
「あ、いや、あの、その、すまん、ちょ、ちょっと待ってくれ。」
頭の中が真っ白になり、反射的に身体を隠した私に、先輩はとても申し訳なさそうな顔をして背を向けると扉に耳を当てた。
「あれ?おかしいな。直毅が居た気がしたんだけど。」
扉の外からは先輩の名を呼ぶ女の人の声がした。他にも何人か居るのだろう。
「気のせいでしょう?早く水着探そうよ。」
「そうそう。沢山あるんだから。」
そう言って声は遠ざかっていくと、先輩は大きな安堵の溜息を吐いた。
「行ったか…悪かった春音。クラスメートの女子が居てな。慌てて隠れたんだ。」
背を向けたまま答える先輩。急いで服を着る私も冷静を装う。
「そうだったんですか。大丈夫ですよ、びっくりはしましたけど。」
「俺としたことが迂闊だった…気を悪くしただろ。すぐ出て行くよ。」
「あ…いえ。大丈夫です。それに、今出たら見つかっちゃうかもしれないですよ?」
心の中は大丈夫じゃないのに、先輩が離れるのが何故か嫌で、私は咄嗟に引き止める。本当に申し訳なさそうな先輩の後ろ姿。
(どうして、こんなに優しいのだろう。)
"自分"の為にそうしている。それを確かめたくなって、私は服を着終わってから静かに尋ねた。
「先輩…どうして隠れたんですか?」
「春音が嫌な思いをすると…いや、俺が嫌だったんだ。何せ完全試合達成失敗の"前科持ち"だからな。根掘り葉掘り聞かれて、春音と居る時間を邪魔されたくなかったんだ。」
一瞬、"私"の為だと言おうとした事に、先輩は自分自身に嫌悪感を抱いている。声色がそれを私に教えてくれる。その優しさが嬉しくて、先輩の背中に抱き付いた。
「先輩、優し過ぎます。もっと我が儘になっていいんですよ?」
「難しいな。ちょっとずつ慣れていくよ。」
私の言葉に苦笑して、先輩は小さく肩をすくめた。
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「先輩って、難しい話をしますよね。」
水着を買い終え昼食を取るためファミレスに入った俺と春音。先に昼食のサンドイッチを食べ終えアイスコーヒーを飲んでいた俺に、彼女はそう告げた。
「そうか?まぁ言い回しは面倒臭いとは思うけど。」
「最初に会った時も、アーキタイプ、でしたっけ?何なんですかそれ。」
「あぁ、アーキタイプか。簡単に言えば、理想像だ。」
アイスコーヒーを置き、小さな口でバニラアイスの乗ったパンケーキを食べる春音を見ながら答える。
「理想像、ですか?」
「そう。どういう外見が良いとか、こういう性格が好きだとかっていうのは、知らず知らずのうちに決まっているってことだ。運命の相手、なんて言ってもいいかもな。」
「運命の…なんだかロマンチックですね。」
「そんなことはない。運命ってのは不確かで残酷なもんだ。自分にとって運命の相手でも、相手にとって自分が運命の相手だとは限らないからな。」
カラリと音を立てて氷が溶ける。水滴の張り付いたコップを手に取りアイスコーヒーを口に含む。
「面倒臭いついでにもう少し話すか。エディプスコンプレックスって聞いたことあるか?」
「エディ…なんですか?」
「そうだな…人が生まれて初めて会う異性って誰だと思う?」
混乱する春音に質問すると、彼女は真剣に考え始めた。
「う〜ん。両親、ですか?」
「そうだ。男の子なら母親を、女の子なら父親を最初に異性として意識する。少なからず両親の姿は影響を与えるんだ。年上が好きになるのは両親を求めて、年下を好きになるのは父性、母性本能から。そうなると、同年代の相手に好意を抱くのが最も自然な恋愛ってわけだ。」
誰もがそうとは限らないが、と付け加えた俺に、彼女は「ほぇ〜」と気の抜ける声を出して話を聞いていた。
「それじゃあ先輩は、私のこと子供みたいに見てるんですか?」
彼女の言葉に、俺はふと気が付かされて考え、暫く考えた後に、俺はゆっくりと口を開く。
「両方、或いは何方でもないのかも知れない。そいつが分かるにはまだ時間がかかりそうだ。何せ初めての感情だからな。春音はどうなんだ?」
「私ですか?私は…確かに先輩はお父さんというか、お兄さんみたいな感じがしますけど、それ以上に好きですよ。」
体温が上がるのを感じながら、同時に心地良さを覚える彼女の言葉。本当の意味で、"言葉"を伝えられているような感情。
「躊躇い無く好きって言われるのは、恥ずかしいもんだな。けど、それ位でいいのかも知れないな。"愛している"なんて言われるより、よっぽどいい。」
「好きと愛してるって、そんなに違うものですか?」
「あぁ。上手く説明出来ないが、いつか言えるようになりたいな。」
真っ直ぐに春音を見つめてそう告げると、彼女は頬をほんのりと朱に染めた。何か小さく呟いたようにも見えたが、その言葉は喧騒にかき消された。