ホワイトデー?知らない子ですね。
「暑い…」
大勢の人で賑わうレジャープール。照りつける陽射しに人々の熱気が混ざり合い、春音を待つ直毅の額には既にうっすらと汗がにじんでいた。
「お待たせしました、先輩。」
やがて、淡いホワイトピンクのパレオを着た春音が水色の浮き輪を持って訪れ、笑顔で彼の隣に立つ。
「何処から行きましょうか。ウォータースライダーですか?それとも流れるプールとか?」
「春音の好きなのでいい、俺を連れ回してくれよ。何処へでもお供しよう。」
「分かりました。それじゃ行きましょう!先輩♪」
紺色のパーカーを羽織った直毅の右腕を取り、春音は意気揚々と流れるプールに向かう。荷物番をする係員の元にパーカーを預けた時、彼の左腕を見た男性係員は驚いて声をかけた。
「すいませんお客様。その腕は…」
「こいつは義腕だ。なんなら預けようか?」
左腕を見せつけた彼に圧倒され、係員は黙ったまま番号の書かれたタグを渡した。
「あ…ごめんなさい先輩。私、先輩の腕の事すっかり忘れてて…」
「春音が謝ることなんてない。さぁ、入ろう。」
しゅんとする春音に浮き輪を被せ、流れるプールに入り、2人は暫し緩やかな流れに身を任せる。
「冷たくて、気持ち良いですね。」
「あぁ。気を抜いたら沈んでいきそうだ。」
浮き輪に捕まり一緒になって流れていく直毅と春音。時折彼は陽射しから逃げるように水中に潜って頭を冷やし、ゆったりとした彼女との時間を過ごす。
「なんだこう…話そうと思って話すってのは難しいな。」
「そんなに気を張って話さなくていいですよ。一緒に居るだけでも楽しいですし。」
「そんなこと言ってもな。もっと春音の事を知りたいし、春音にも俺の事を知ってもらいたい。まぁ、俺は昔のことはあんまり覚えちゃいないんだけさ。」
「そうなんですか?でも、あんまり昔の事は私だって忘れてますよ。」
「楽しかった事とか、悲しかった事は多少なり覚えてるだろう?随分感情が希薄な子供だったみたいでな、俺は。"怒りの中で、子供の頃を生きてきた"ってところだ。」
歌詞を借りて言葉を紡ぐ直毅に、春音は心配そうに呟く。
「なんだか寂しいですね。覚えていないって。」
「"覚えているからこそ寂しいんだよ"。誰かの話だったか、物心つくかつかないか位の歳に母親を亡くしたある子供は、写真でしか母親の姿を、ビデオでしか母親の声を知らない。覚えているのは"母親の火葬場の景色だけ"。それじゃ、幾ら何でも悲しみようがない。ある意味、寂しいと思えるのも幸せなんだ。」
「……やっぱり、先輩の話は難しいです。でも、なんとなく分かります。それに、先輩と私が、この瞬間を覚えていれば、一緒の記憶を共有出来ますから。」
「春音の言葉は分かりやすいな。俺も、そういう風になれるといいが。」
底抜けな春音の明るさに毒気を抜かされ、彼女の笑みに直毅もつられて笑みを浮かべる。
だが、そんな2人の様子とは裏腹に、空は段々と雲に覆われていった。
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「そろそろお昼にしましょう。お弁当作ってきましたから。」
「お、楽しみだな。」
プールから上がり、弁当を取りにロッカーに向かおうとする2人は、"必然"にも茜と裕也と鉢合わせた。
「…おぉ、2人共。"奇遇"だな。」
「直毅…?確かに"奇遇"ね、こんな場所で会うなんて。」
春音を除く3人の間には、なんとも言えない空気が流れ、観客達が笑みを浮かべて舞台に注視する。この場面を演出した者達はどうだと言わんばかりに誇らしげである。裕也にいたっては居心地の悪さに言葉が出ないでいた。
「先輩のお友達ですか?」
そんな空気を気にすることなく尋ねた春音に、直毅は少し自嘲気味な笑みを浮かべて答える。
「あぁ。俺の幼馴染みの藍原 茜と蕨 裕也。紹介しとこう。この子は俺の彼女の、宮守 春音だ。」
「貴方が直毅の…よろしくね、宮守さん。」
「よろしく。宮守さん。」
一呼吸の間に様々な感情が2人の心を駆け抜け、屈託の無い笑顔の春音に笑みを返す。
「そうだ。一緒にお昼ご飯食べましょうよ、先輩。」
「そうだな…どうする?2人共。」
「私達もお昼にしようと思ってたところ。じゃあ直毅と裕也は席を取っておいて。お弁当取ってくるから。」
「私もお弁当作って来たんです。一緒に取りに行きましょう。」
「そうなんだ。それじゃ行きましょう。」
春音と茜は弁当を取りに、直毅と裕也は席を確保しに向かう。彼らの足取りと同じように、雲もゆっくりと空を覆っていった。
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「告白は上手くいったみたいだな。」
パラソルの刺さった丸いテーブルに座り、直毅は黙り込む裕也に口を開いた。その言葉すら、彼の心には冷たく鋭いナイフの様に突き刺さる。
「あぁ…その、直毅…」
「謝ろうなんて考えるな。さもないと、"俺が俺を許せなくなる"。2人共笑っていてくれよ。」
「そうか…ありがとな、直毅。」
むしろ、負い目を感じているのは直毅の方だ。裕也はそう思って彼の必死な笑みを見る。
「直毅も、好きな人が出来たんだな。」
「どうかな?気まぐれかも分からんぜ?」
冗談を言う彼の顔からは多少負い目は無くなり、ようやく2人はいつもの調子を取り戻していく。
「直毅に限ってそれはないさ。でも、不安なんだろ?"彼女が傷付かないか"って。」
「……そうだな、正直不安だ。俺に関わるとろくな目に遭わない。彼女を守る1番良い方法が、"関わらない"って時点で、俺の生き甲斐は破綻してるのに。そんな奴が人並みに人を愛するのには、えらく時間がかかりそうだ。」
「じゃあせめて、彼女の気持ちに応える位はしなきゃな。"積極的"に来てもらえよ。そしたら嫌でも応えるだろ?」
笑ってみせる裕也に、直毅は溜息混じりに苦笑して返す。
「いつからそんな台詞が言えるようになったんだ?」
「さてね、誰かさんの影響だ。」
「全く…あ、ところでよ。クラスの奴らって、来てるのか?」
「え?あぁ。来てるよ。」
その答えに、直毅は盛大な溜息を吐いた。
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「宮守さん。直毅は、その…どんな感じかしら。」
ゆっくりと歩きながら弁当を取りに行く茜と春音。彼女の問いの真意が分からないまま、春音は笑顔で答える。
「とっても優しいですよ。藍原さん達にはそうじゃないんですか?」
「いいえ、優し過ぎる位。多分貴女にも、身を削ってでも守ろうとする。直毅は、そういう人だから。」
「そんな、身を削るだなんて。大袈裟ですよ。」
「全然大袈裟じゃないの。何で直毅の左腕が無くなったのか、知らないなら無理もないかしら。」
酷く深妙な面持ちの茜に、春音の表情からも笑みが消えていく。
「先輩は、話したくないって言ってました。血生臭い話だからって。」
「そうね…信じられるような話じゃない。でも、これだけは信じて。直毅は、貴女が傷付くのを恐れてる。多分、貴女に触れることすら恐がってる。」
自分の知らない彼を知る茜の姿は、春音の目にはとても大人に映る。無垢な少女とは掛け離れた、哀しさを背負った姿。
「だから、貴女から触れてあげて。直毅は、臆病だから。」
託すような笑み。優しい瞳。そこには哀しみは無く、ただ彼を支えてという願いだけがある。
「藍原さん、貴女も…」
「さて、と。早くお昼にしましょう。彼氏達が待ってるから。」
彼女の言葉を最後まで聞かず、茜はロッカーに向かう。空は既に雲が光を遮り、冷たい風が吹き始めていた。